四日目:繋がって、解放されて

【朝】前編

俺はもう、感情を失っていた。今の俺は限りなく、無、だ。

ひなの遺体が横たわる監禁部屋の前でぼーっと立ち尽くし、何度も「ごめんね」と呟いていた。

赤黒い血に息もすることなくうつ伏せで倒れている、ひな。

不自然にもほどがある。

何を使って首を掻っ切った?どうやって『ヒーロー』という文字を作り出した?こんな凝ったこと、ひな一人でやったというのか?


もう、俺には無理なのかもしれない。


「次も、どうせ......」


鍵の解除された鉄扉を見据える。

行くべきか?行ったところで自分を苦しめることになるなら、行かないほうがいい。

春香、曽根さん、そして、ひな。

三人の死を無駄にするのか?

俺は三人に何もしてやることができなかった。感謝の想いをちゃんと伝えていか?

だけど、三度目の正直も虚しく失敗に終わった。


次の部屋に、行くしかないのか?


重い足取りで扉まで向かい、重い鉄扉のノブを軽く握って思う。


次はどうしたらいいんだろう。自分を苦しめるようなら行くのはやめたほうがいいと思っていたのに、そうなるとこの島についての謎は迷宮入りになってしまう。


重い鉄扉をゆっくりと開けて一歩踏み出す。


いや、俺はやらなければならないんだ。

謎を解くまでは、必ず。


開けた視界には今までとなんの変哲も無い薄暗いコンクリート部屋。しかし、一つだけすぐに目につくものがあった。天井から吊り下げられたロープだ。そのロープは丁寧に輪っかが作られている。

バタンと扉を閉めると、無意識にゆっくりとそのロープに向かって歩き出していた。

誘われるかのように一歩、また一歩と歩き出す。ロープに近づくたびに視界が揺らぐ。


足を......止めないと......。このままじゃ、俺が......。


しかし、その足は自分の意思に反して歩き続ける。心では止めようとしても、体が受け入れてくれない。


とうとうパイプ椅子に乗り、ロープの輪っかに手をかけて首を通し下を見る。ぐらつくパイプ椅子。このまま軽く蹴り倒せば俺の首はロープに絡まり、しかし足は着地することが無いので宙をさまようことになる。

その間、どれだけの苦しみが待っているんだろうか。春香も、想像ができない苦しみに悶えながら息絶えたと思うと恐怖を感じ、蹴り倒そうとする足がすくむ。


「今から......逝くね」


パイプ椅子を蹴り倒そうとしたその時だった。


「やめてっ!!!」


部屋に、女性の声で鋭い一言が響く。

思わず前を向くと、その声の主であろう女性が監禁部屋からこちらを見ていた。

何も返事をしない俺に、もう一度話しかける。


「やめて......自殺なんて、馬鹿なこと」

「......馬鹿って......誰が」

「あなたのことに決まってるでしょ?!」

「俺が、か。......言われたもんだな」

「だから、その首のロープを外して降りて」


なんだこの女は。どうして俺の自殺を止めようとする。......俺は限界なんだ、もう。


カチャン。


どこかの鍵が解除されたかと思うと、なんと、女が監禁部屋から出てきたのだ。

春香と似たような見た目、でもそれは春香では無い。

俺と同い年だと思われる女は俺の足元まで来ると、突然俺の脚にしがみついたのだ。


「なっ、何すんだよ!」

「あなたが止めない限りずっとこうするんだから!」

「......っ!離せよっ!」

「絶対に離さないんだから!!」


何なんだよこいつは!!

コアラのようにしがみつくのでなかなか離れてくれない。左右に、前後に動かすが離れない。

そうしている内に、自殺したい気持ちは薄れていた。無駄な抵抗はやめて、おとなしく女の指示に従うしかなかった。

首からロープを外しながら会話を交わす。


「......分かったよ。ほら、これで良いんだろ」

「......ありがとう」


女は胸に手を当ててホッとしていた。

パイプ椅子から降りて、乱れた服装を簡単に整える。

俺の自殺は、未遂に終わった。今思うとなんて馬鹿なことをしていたんだと恥ずかしく思う。

女の言葉が無ければ、今頃苦しみに悶えながら脚をバタつかせていたんだろうか。

お礼の一言を言わなければ。


「......俺の方こそ、ありがとう」

「うん。......ごめんね、突然驚かせちゃって。これ以上、犠牲を出したくなかったからつい」

「これ以上って......?」


そう言った途端、女はしまったと言うように口を手で押さえた。

まさか、この女。何かを知っている?

手荒な真似は得意ではないが、女の肩を掴んで、訊く。


「何を知っている。この仕事について、何を」

「......」

「......今更、黙るのか?今の発言と、さっき君がとった行動覚えているのか?」

「......」


俺の問いかけに女の目が泳いでいる。動揺している証拠だ。

そう、女はこの短い間で不自然なことを二度も行った。

一つ目は、今の「これ以上」という発言。

そして二つ目は、


ーー監禁部屋から出てきたことだ。


俺が初めてここに来たとき、佐藤はこう言った。


『この鉄格子のついた扉はのでーーー』


女の行動で、それは嘘だったと分かった。

島民は、監禁部屋から監視部屋を自由に行き来することができたというわけだ。

これが確かなら、ひなが自殺できた理由に納得がいく。

ひなは、俺が眠っている間にこっそり監禁部屋の中から鍵を解除して出てきて、包丁を手に取ると監禁部屋に戻ると鍵をかけて、首を掻っ切った。


いや、待てよ。そうすると、二つの謎が残る。


一つは『ヒーロー』と血が途切れて作られた文字。

もう一つは、そこから消えた、凶器である包丁。死んだ人間がどこかに持ち去ることは不可能だ。では、その包丁はどこに行ったのか?

これは簡単に考えても良さそうだ。第三者が持ち帰ったに決まっている。持ち帰った理由としては、そうだな......。


「黙ってて、ごめんなさい」


考えに集中して、女が静かに泣いていることに気がつかなかった。

そんな気はなかったのに、慌ててなだめる。


「ごっ、ごめん!そんなつもりで言ったんじゃなくて......」

「いえ、良いんです。......あなたが言ったように、この監禁部屋は中から鍵が開くようになっているんです。どの部屋も」

「やっぱりどの部屋も......」


そうか、そういうことか。

包丁を持ち出したのは、どの部屋も行き来ができたということを俺に分からせないようにするためだ。

部屋に血の付いた包丁が残っていればこの仕組みに気づいてしまう可能性がある。だから持ち帰った......ん?

どうして?

どうして包丁を持ち帰る必要があったんだ?

その第三者が包丁を持ち帰ったことで、俺はこの仕組みに気づいた。いや、これは逆のパターンでもそうだ。俺が問うたときに女が動揺するほど隠していたことを、どうしてこんな簡単に墓穴を掘ったのか?


......なんだかややこしいことになった。


ぐしゃぐしゃになった思考を解すように、もう一度考え直す。


監禁部屋と監視部屋が行き来できることは、女の発言によって事実となった。

だが、女は本当ならこのことを黙っているつもりだったんだろう。俺が問うたときに、しまったと動揺したのが証拠だ。

このことによって、ひなが真夜中に俺の部屋から包丁を持ち出して監禁部屋で自殺したことが分かった。

しかし、その包丁は監禁部屋にも監視部屋にも残されていなかった。あのときは精神的に疲れていたのでこんな簡単なことが分からなかった。


「......いや、あのとき冷静なら、ひながどんな方法を使って自殺しても、あの仕組みには気付けた」


女は何も言わず、ただ俺のことを見つめている。今は考えに集中したいのでそれはありがたい。


そうだ。仮に監禁部屋に包丁が残っていた場合、結局は持ち込んだことに気づくし、監視部屋に血の付いた包丁が残っていても同じことだ。佐藤が監視部屋からひなに渡して自殺させたというのもアノ目的を破ることになる。

包丁があの部屋から無くなったことで、あの自殺は第三者の隠していたことがばれてしまうという失敗に終わった。

そう考えると、また考えが浮かぶ。

では、なぜ第三者はこの仕組みを黙っていた?俺の中でこの第三者は佐藤だ。

佐藤はどうしてこのことを黙っていた。話してくれれば、俺はもう少し自殺を止める手段を考えることだってできた。

この仕事の目的は、


『島民が自殺しないように監視する』


そういう目的だっただろう?

黙っていては目的が達成されないので意味がない。俺がどんなに頑張ったところで結局、島民は死ぬ運命だったんだ。

まったく、佐藤の考えには理解に苦しむ。


佐藤が施設の仕組みについて黙っていた理由。

これが解ければ良いのだがーー。

そんなオカルト調査の魂に、火がついたときだった。


「あのっ、もう良いですか?」

「えっ」


考えは休息に入る。女に話しかけられて、プツリと、煮詰まっていた頭が解された。

瞳を不安な色に染めて、それでいて何かを話そうと決意するかのような仕草。

この女と会話する前に、ちゃんと名前を聞いたほうが良さそうだ。


「ああ、うん。......あのさ、君の名前教えてもらえるかな?俺は暗崎 幽夜。よろしく」

「えっ、あ、はい。わ、私は真穂まほって言います。よろしくお願いします幽夜さん」

「うん。......それとさ、敬語は無しにしよう?俺がちょっと気を使うというか、なんというか」

「分かりました......じゃなくて、分かった」


よし、これで心置きなく会話ができる。

俺は早速、真穂に質問する。


「真穂に訊きたい。どうして、君は『これ以上』と言ったんだ?ここに来たのは初めてなんだろう?」

「やっぱり、そのことだよね。......うん。分かった、何があったのか全部話すよ」


真穂の話に今までの謎の答えが語られるのか。

一言一言を聴き逃すまいと、真剣に耳を傾ける。

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