一日目、終了。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
視界に入ったコンクリート部屋に一瞬驚いたが、今は監視員としてこの部屋で過ごしていたことを思い出して安堵の息を漏らす。
コンクリートの上で寝ていたので腰や肩が痛い。せめて枕くらい用意してくれたら良いものを。
節々の痛みに堪えつつ目を擦りながらゆっくりと立ち上がる。
春香はまだ寝ているのか、静かだった。
時計があれば今が何時なのか把握できるのだが、生憎この部屋に時計はおろか、窓も無い。
時間の目安には、俺の腹時計だけが頼りとなる。腹の減り具合から今は朝だろう。
箱の中から最後の食糧であるコッペパンとペットボトルの水を取り出す。椅子に腰掛けて袋を開け、コッペパンを適度に千切って口に運ぶ。
そういえば、ここに来た時に淡く灯っていた白熱灯は今は少しだけ明かりが灯り、薄暗く部屋を照らしている。
寝ている間に眩しさで起きなかったから、きっとその時は完全に消えていただろうが、今は少しだけ明かりが灯っている。もしかすると誰かが明かりを調節しているのだろうか?
コッペパンを一本食べ終えたところで椅子から立ち上がる。左手に飲みかけのペットボトルを持ち、鉄格子に近づく。
「春香、朝だよ。......多分だけど。起きてる?」
「......」
「......春香?」
まだ寝ているのかと鉄格子を覗きこんだ時、なぜか春香はその場で直立していたのだ。
どうして無視するのだろうと思った時、左手に持っていたペットボトルが手からすり抜けて床に落ち、叩きつけられたペットボトルの水が床に巻き散る。
「......嘘だろ」
春香はただ立っているわけではなかった。
天井から吊り下げたロープに首を巻き、こちらに背を向けて足を浮かせ、宙吊りになっていたのだ。足元には倒れた脚立。
「おい、何の冗談だよ春香。なあ、おい!聞こえてんのかよ!春香!」
鉄格子の扉を何度も強く叩き、春香の返答を催促するが、春香から返事が無い。
今も部屋の中心で宙吊りになっている。
「おい、何とか言えよ!何してんだよ春香!おい......おい!!」
最後は涙を流し、
俺が寝ている間に何があった?どうして春香は首を吊っている?
どうして......どうして!!
「約束したじゃないか。きっとまた会おうって......!返事しろよ、春香!!」
子供のように泣き叫ぶ。信じたくないが、これは事実だ。
春香は、部屋の中で静かに自殺していた。
涙でぼやけた視界に、一枚の紙切れが映る。
きっとこれは、春香と俺が昨日交換した紙だ。俺のは上着に入っているということは、これは春香の紙。
咄嗟に紙を拾い上げると、やはり俺の名前が書かれていた。
そしてーー。
『幽夜、ごめんね、ありがとう』
付け足されていた一言に大粒の涙が瞳からとめどなく溢れる。
あまりの悲しみに声が出なかった。叫んで叫んで叫びたかったのに、その声は出なかった。
自然と昨日の一日が脳裏に浮かぶ。
俺は春香に支えられていた。初めて守りたいと思えた人。失いたくない人。
それなのに......それなのに俺は、春香の自殺を止めることができなかった。
自分を憎んで憎んで、でも、そうしたところで春香は戻ってこない。やり場のない憎しみや怒りを拳に込めて何度も鉄格子扉を殴った。
何度も、何度も何度も何度も殴った。
感覚が無くなるまで、血が溢れるまで何度も。
それでも、春香は戻ってこない。
「くそ......くそ......!!」
そんな俺を気にせずにカチャンと横で扉の鍵の解除音がした。次の部屋に行けと、この施設が指示している。
拭っても溢れる涙を何とか堪えながら、生まれたての小鹿のようにゆっくりと立ち上がる。
鉄格子の中は見なかった。いや、見たくない。俺の中で春香は生きたままにしておきたい。
春香は、死んでなんかいない。そう思いたかったからだ。
『オカルト好きな幽夜が幽夜らしいんじゃないかな?』
初めて言われた一言が何度も頭の中で再生される。
春香は唯一の人間だ。忘れてたまるものか。
「......ありがとう......春香。お前を絶対に、忘れない」
ぼやける視界に映る次の部屋に行くための鉄扉。
ノブに手を触れるとひんやりとした冷たさが全身に伝わる。
ノブを回し、体重をかけて扉を開く。音を立てて開けた部屋は、一日目の部屋と同じ造りだった。
バタンと扉が閉まると、少ししてカチャンと鍵が掛かった。試しに開けようとしてみるがビクともしない。
暗崎 幽夜の監視員としての仕事は、まだまだ始まったばかりだったーー。
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