【夜】
監視部屋に、少しの寒さが訪れる。手を擦って温めてふうっと息を吐く。
目の前の監禁部屋にいる女、春香については少しだけ分かっている。
閉じ込められている監禁部屋には、この監視員の仕事の募集をかけた男、佐藤が関わっている。佐藤は突然春香の家に上がりこんでここに監禁した。
しかし、島民は佐藤のことを指揮官と呼んでいる。
強制的に連れてこられたのなら、指揮官という地位の高い呼び名で呼ぶのだろうか?これもまた謎である。
そして、一つ衝撃的だったことは、春香は俺と同い年の十七歳であったことだ。初めて見たときは、同い年に見えたが童顔の大人の可能性もあった。しかし、会話をする中で「私は十七歳だよ」と春香は言った。
俺と同い年の少女ですら監禁の対象になるのは心苦しい。
ここで腹の虫が鳴る。
きっと今は夜なんだ。時計も無ければ外を見渡す窓も無い。今の時刻は俺の腹時計に委ねるしかない。
箱を開け、中からペットボトルとコッペパン入りの袋を取り出す。
ミスなのかそれともちゃんとした理由があるのか、箱の中にはもう一回分の食糧が残っている。
全部食べるのも勿体無いので、明日の朝食用に残しておこう。
椅子に腰掛け、ぱんっと袋を開けるとコッペパンを一本取り出して口に運ぶ。コッペパンを食べるのは中学校の給食以来だなと今頃になって懐かしむ。
袋の中には二本コッペパンが入っているが、二本とも食べることはせず、もう一本は春香に与える。ペットボトルの水はさすがにアレなので与えることはしない。
一本食べ終えたところで「よいしょ」と腰を上げ、監禁部屋の鉄格子を覗く。
春香は特に何もすることなく、ぼーっと天井を見上げて座っている。俺がコンコンと扉をノックすると、少し肩を震わせて俺を見た。
「なに」
「パン、食べよう」
手に持ったコッペパンをちらつかせる。
しかし春香は、俯くとぽつりと呟いた。
「あんたは大丈夫なの?私にあげたりなんかして」
「気にすんなって。あ、それと俺のことは幽夜って呼んでいいよ」
顔を上げた春香は、怪訝そうに俺を見る。見つめられるとどうも視線は外してしまいがちだ。
「な、何よその上から目線......。それに今更......」
「仕方ないだろう?初めのうちは春香は何も言ってくれなかったし」
すると、春香は少しだけ声を大にして反論した。
「し、しょうがないでしょ!......ゆ、幽夜がどんな人か分からないのに簡単に心を開くことなんてできないじゃない」
「そ、そっか」
確かにごもっともな意見ではある。
今、幽夜と初めて呼ばれて少し嬉しかった。
俺のコミュニケーション能力は一般人よりも少しだけ勝っているのかもしれない。
今日一日でお互いに名前で呼び合うまで進展した。
残り時間はあとどれだけなのかは分からないが、どうやら心を開いてくれたようで自殺するのではないかという心配はしないで済んだ。どうせならこのまま会話を続けていたいと思った。
しかし、明日には次の部屋に行かないといけない。春香と過ごせる残りの時間を大切にしよう。
昼と同じようにパンを千切って春香に渡す。
その時も会話を欠かさずに行う。
「なんかさ、春香と出会って一日しか経っていないのに何日もいるような気分だよ」
「わ、私も幽夜みたいな人と一日過ごせてよかったと思う。ありがとね」
「ありがとね」その言葉に、思わず顔が熱くなった。さっきまであんなに素っ気なかったのに、いつの間にか柔らかくなった?
「今までの春香を見てたらそんなこと言うなんて意外な感じだな」
「どう意味よ。失礼な監視員さん?」
二人は顔を合わせて笑いあう。
最後の一切れを渡したところで俺は扉に背を向けると、そのまま扉に寄りかかった。
背後で、扉に何かが当たる音がする。きっと春香も俺と同じように背を向けて寄りかかっているのだろう。
今、春香と俺は扉を隔てて背を向き合っている。
こんなに一日が長いと感じたことは初めてかもしれない。きっと時計と窓が無いことが時間の進みを遅く感じさせているのだろう。
俺の腹時計が正確なら今の時間帯は夜だ。
そのとき、春香が「そういえばさ」と初めて話題の提供をしてくれた。
「どうして幽夜はこの島のことを知りたいの?」
「どうしてって、そりゃあ俺はオカルトが大好きだからだよ」
「オカルト......?」
春香はキョトンとしているようだった。
伝わりやすいように、俺は言い換えて改めて話しを進める。
「都市伝説が好きみたいな......って言っても伝わるかな?まあとにかく、普通の人なら怖がって興味を示さないものに俺は物凄く興味を持っているんだ」
「......へえ、そうだったんだ」
少しの沈黙に、思わず口にしていた。
「......やっぱ、変なことなのかな」
思わずため息が出る。昔からオカルト好きを共有しようと試みているが、どうも他の人には理解されない。
きっと春香も少し引いたことだろう。
そう思ったが、次に春香の口から出たのは意外な言葉だった。
「私は、そう思わないよ」
「......え?」
「オカルト?って言うのが好きな気持ちを他の人に理解されなくて悩むのは分かるよ。
でも、それでも好きなものに熱心になるって凄いことじゃないかな。
私だったらきっと、自分の好きなものが認められなかったら手放していると思う。
どうせ理解されないんだったら、好きになるのはやめようって。
幽夜はさ、これからもオカルト好きで良いんじゃない?オカルト好きな幽夜が幽夜らしいんじゃないかな」
「......なんか照れるな。初めてそう言ってもらえて嬉しいよ。俺、初めてオカルト好きでいて良かったって心から思えた。
春香のおかげだよ。ありがとう」
そこで会話は終了し、
春香の言葉に危うく涙を流すところだった。人に認めてもらえるのはこんなに嬉しいことなんだ。親にも友達にも先生にも不気味がられていた俺を、春香は認めてくれた。
これはこの施設を出ても忘れられないだろう。
背を向けたまま、今度は俺から話題を提供する。
「春香って、ここに来る前は何をしてたの?」
「私?......私はボロい家で毎日生活していたよ。お母さんがちょっと前に亡くなってさ......。炊事洗濯は全部私一人でやってたの。おかげでほらっ、私の指ボロボロ」
鉄格子から指を出して俺に見せて笑っていたが、ボロボロになった指を横目で見て心が痛くなった。
春香は平然と笑っているが、きっとこの島で母のいない生活は大変だったに違いない。俺がオカルトに熱中している頃、春香は炊事洗濯の毎日を繰り返していた。
そう思うと、自分が情けなく思えてくる。ただ、この事を口にすればきっと春香はこう言うだろう。「幽夜は幽夜らしく生きるのが一番」と。
ここで初めて、春香を守ってやりたいと思った。一緒に島から出て、今度は俺が春香の支えになると。
高校生らしい浅はかな考えだが、俺の意志は強かった。今すぐにこの部屋から、施設から出してあげたい。
「一緒に、出ような」
気づけば出ていたその声はあまりに小さかった。
春香は「え?」と聞き返したが、俺は「何でもない」と誤魔化した。
「この仕事が終わったら俺は帰るけどさ、またいつか会えるよな」
「......急にどうしたの。そんなこと言われたら、別れるのが悲しくなっちゃうじゃん。......でも、絶対に会えるよ。私はそう思う」
「......おう。あ、そうだ」
名案を思いつく。
着ていた上着の内ポケットから、持ってきていた雑誌の記事と、黒ペンを取り出す。幸いにも記事の裏は真っ白。これならいける。
「この裏にさ、お互いに名前を書こうよ。それから半分に破って名前を交換すれば、俺がここから出て行っても名前は忘れない」
「あっ、良いねそれ!」
春香は快く承諾してくれた。
早速隙間から紙を差し出して名前を書いてもらう。春香は監禁部屋の壁を下敷き代わりにサラサラと名前を書く。今度は俺が紙を受け取り、自分の名前を書く。
書き終えたところで紙を半分に破り、春香に俺の名前が書かれた紙を渡し、俺は春香の名前が書かれた紙をもらう。
春香の字はかなり上手かった。ひょっとすると俺よりも上手いんじゃないだろうか。
交換を終えて、春香は嬉しそうに微笑んでいた。
「この紙、大切にするね」
「これで俺も、島から帰っても春香の事を思い出すことができるよ」
「......忘れないでね?」
口元を紙で隠して、上目遣いで俺を見つめる。今度は視線を外さずに、俺もしっかりと返答する。
「ああ、忘れないさ。絶対に」
「......ありがとう」
今日は、本当に長い一日だった。
淡い光を放つ白熱灯を見ながら、今日の事を振り返っていた。
監視員という役目としてこの施設にやってきたが、一日目にして春香という同い年の少女と出会い、今、こうして仲を深めることができた。初めこそとっつきにくい女だなと思ったこともあったが、彼女は指がボロボロになる程大変な生活をこの島で送っている、誰よりも頑張っている女だ。
俺のオカルト好きにも引くことはせず、ただ純粋に受け止めてくれた。初めて守りたいと思える人ができた日でもあった。
明日は別の人を監視する。春香を監視するのは今日で最後だ。交換した紙は額縁に飾っておこう。
ふあ、と
本当は寝ないでずっと話をしていたかったが、睡魔には勝てない。
俺は、そのまま深い眠りに落ちた。
見計らったかのように、白熱灯の灯りがフッと消え、監視部屋と監禁部屋に暗闇が訪れる。
「幽夜、また明日」
春香は微笑むと、そのまま眠りについた。
ーー真っ暗な部屋に音が響く。
ガタン、と何かが倒れる音がーー
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