第1章_最終話_茜と呼ばれる少年


 見回りに三人を回した茜は、龍巳と2人で地下……工場を調べることにした。一度拠点にもどりランタンを補給する。雪白、樒、ノ風に見送られて2人は外へ出た。もうすっかり真夜中だが、ここの夜は暗いと言うより赤黒い。どことなく不穏な空気の中、ランタンの光が闇を押しのけて行く。

 茜はずっと無言だった。龍巳もその空気に合わせている。先程の少女を守れなかったこと、そのような目に遭っているであろう多くの人々を助けられない痛みは、龍巳の中にもあるのだ。自責の念で龍巳は押し潰されそうだったが、それ以上に悔しかった。細々とした悲鳴を掬い上げられなかったことが。

「この辺から探索するか」

 龍巳が唇を噛んだところで、冴え冴えと低い声が高くランタンを掲げた。

 了解、と龍巳は返す。相変わらず地下は酷い死臭に満ちていた。ところどころにガラスに取り囲まれたサークルのようなものがあって、見上げると同じようなサークルが天井からガラスに縁取られてぶら下がっているのだった。

 無機質なサークルの隣、裸の子供が倒れている。そんなことが何度かあって、サークルはちょうど人が入れる大きさであることに気がついた。まるで培養するように、ノ風もあそこに入っていたのだろうか。帰ったら聞いてみようと思う。そして茜はテーブルを見つける。そこには瓦礫に押しつぶされた大人の死体があった。——まだ、骨になっていない。

「そういやな、龍さん。ずっと考えてたことがあるんだ」

 恐らくこの場で起こったのは地震だろう。地震でも容易く人は死ぬ。

「どうしたんだい?」

 龍巳の声はどこまでも柔らかく優しい。それに助けられるようにするすると言葉が出てくる。

「何で俺たちは生きてるんだろう」

 大気は淀んで、100年以上優に経つ未だ清くはならない。そんな爆弾が撃たれた(と伝承されている)のに、どうして自分たちが生き残ったのか。

「時々思うんだ」

 龍巳が動く。だが間に合わなかった。

「——この世界は、俺たちに都合よく厳し過ぎる」

 ばしん、と衝撃。目を見開くことしかできなかった。あの龍巳に、茜は鼻面を叩かれていた。龍さん? 疑念と共に彼を見て、刹那。

 と、そこで茜は声を聞いた。と言っても大きな声ではなく、日頃の訓練の賜物あっての聞き取りだ。その声はこう言っていた。

「——あいつらを殺せば良いんだね」

「ああ。彼らは知りすぎた。そっと殺して戻ってくると良い」

 ハッと振り向く。小さな少女、傍らにはその肢体に合わない大きな刀。

 茜は反射的に声を張り上げた。

「何も見ていない」

 すると少女は聞くこともせず大太刀を構えた。声が降ってくる。

「生憎そうもいかない。君のところの兵器は廃棄物でね。地震から免れたのはいいけれど、その後派手に動きすぎた。あれも処分する。君——処分班だっけ? 事故で死んでも仕方ないよね。調べに来た部下も殺してそれでおしまいだ」

 兵器に詳しい——処分——『先程から自分に向いている無数の銃口』。

 茜は立っている足場が崩れて行く感覚を覚えた。絶体絶命、その4文字が頭に浮かぶ。だって相手は——過去の人間だ。自分が知り得ない全てを持ち、自分が持ち得ない全てを知る、第四次世界大戦以前の人間なのだ。フラッシュバックしたのは雪白や樒、ノ風の顔。俺が今ここで死んだら、あいつらも確実に殺されるんじゃないか——そんな予感。

「やめてくれ……別の場所で殺していいから! 何も言わないから、あいつらは、あいつらを殺すのはよしてくれ!」

「茜くん!」

 腕をぐんと引っ張ったのは龍巳だ。後ろから声が飛ぶ。

「五木龍巳か……」そう呼ばれた彼は少し震えた。

「ええ、そうです。僕はあなた達を知っている。僕らがあなた達に生かされていることも、言いません。言えば僕らの不利益になる。……僕の立場や、この子の立場なら、さらに。僕やこの子は自分が生きることしか考えません。どうか見逃していただきたい」

「先程の言い分ではそうも思えんがな……まあいい。2度も我らを見過ごそうとする生き汚なさに免じ、今回も許そう。……次はないぞ」

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

 驚いたことに、龍巳は両手を突いて頭を擦り付けていた。無数の銃口はその内解けるように消える。

 少女とそれを従えていた男もいずれどこぞに去り、その頃になって漸く龍巳は膝を上げた。

 茜の頭の中ではいくつもの思考が流星うに飛び交っていた。少女の正体。銃口の在処。声の実体。それらは茜を足元から、がらがらと崩していくような実感を伴っている。少女はノ風と同じような、『兵器』と呼ばれている人体実験の犠牲者だろう。だとすると、その前に見た死亡者はやはり、年を取らない彼女たちを管理していた『作業員』なのだ。作業員の雇い主はどこからか、人が生き残るには過酷過ぎるこの世界で、万力のように締め上げながら人々を『生かして』いた。

「龍さん、どうして……!」

「行こう、茜くん」

 追い縋る茜に踵を返し、龍巳は先へ歩いていく。彼はその過去人たちに服従しているように見えた。それも以前から。ならば、ここに来ればこうなることも分かっていたのではないか。本守りの書庫で読み漁った知識は伊達ではない。そう、龍巳はわざと茜に、過去人の存在を教えた。茜に知らせてどうするというのか。信じるものが崩れてしまいそうな予感。今すぐ胸倉に掴みかかって、あんたは何者なんだと問い質したい衝動が込み上げるが、積んで来た年月と信頼がそんなはずはないと可能性を否定する。

 歩いて、歩いて、龍巳の家へ。導かれるまま入ると、そこには地下に繋がる道があった。

 暫し無言で地下道を通り抜ける。やがて龍巳は長い息をついた。

「……連中もここまでは監視してない」

「……確認したのか」

「出来るわけないさ。でも監視されていたとするなら僕は死んでいるね、今頃。……ここは本守りさんの書庫に繋がっている」

 汗ばんだ額を拭きそう告げる龍巳に、怒髪天を突いた。激しく摑みかかる。

「何で黙ってた! 何で……何で! 食糧難も汚染海空も! 酸性雨も全部コントロールされたものだったのかよ! 敵じゃねえか! それを斃すための警備隊じゃねぇのかよ……!」

「彼らは地下に住んでいる」

 対照的に、龍巳の声はどこまでも静かに流れた。

「これは汚染海空を逃れてとの見解だ。だけど彼らには一部の空域を洗浄できる。分かるかい茜くん、この世にはもう、自然に植物が成り立つ地なんてないんだよ。僕らが食べている食料全て、地下の彼らが用立てているんだ」

 大人になってくれと悲しみを噛み潰すように龍巳は言った。

 実際それが本当だとしたら、自分達はブリーダーに監視されているようなものだ。

「わからねえよ……それじゃ、連中の悲しみも! 苦しみも生さえも! ただの茶番じゃねえか! 本当はもっと豊かで血生臭くなんかない毎日があるんじゃねえか……」

 そこでハッと茜は顔を上げた。

「奴らが地下に住んでいる、って言ったよな。誰が突き止めたんだよ」

 龍巳はひたすら静かだった。もう乗り越えた痛みをひしひしとその身全体で甘んじて受けているようだった。顔を伏せ、口を開く。

「先代の本守り……彼女は僕の目の前で息絶えた。地下人について知りすぎたことが原因だった。彼女は……この世界を変えようとしていた」

 だから僕は決意した。

「僕はこの世界の中立者になろうと。真実を知った、それだけのことであれほど惨たらしい死を迎える人間が減るように、と……」

「矛盾してるな」

 茜は挑むように龍巳を睨みつけた。

「なら言いくるめでもなんでもして俺をあの場所に向かわせなけりゃ良かっただろう。1人で行くなりなんなりしてな。言っとくが俺あ大人になんざなれねえよ、龍さん。なりたくない」

 龍巳は微かに笑った。そうだと思ったと。

 ならどうして、と聞こうとしたが、やはり龍巳はそれ以上のことを話す気がないようで元来た道を戻ってしまう。茜の頭の中には、怒りともなんとも言えない遣り切れなさが渦巻いていた。たった独りきりで戦い続けて来たのか。倒れずとも済む人々が苦しみ抜いて死ぬ様を、それでも多をとるために、だが耳は塞がず、少しでも状況が良くなるように働き続けて来たその姿は、なんて不毛で——愛しいのだろう。

 茜には、今回の件で龍巳を嫌いになどなれるはずがなかった。それよりも、これからどこに向かって何をすべきなのかが分からず、大きな岩肌に立ち塞がれているような気分を味わっていたのだ。


 さて長かった1日は終わり、茜は武装を解く。まず軍服——と名義上呼ぶ学ランのボタンをはつり、外した。ほつり、ほつり、下まで下ろすと、固く巻かれた包帯が顔を出す。それは胸囲と腰回りを覆っていた。肩は肩当てにきっちりと守られ——否、隠されている。それを外せば現れるのは丸く、細い肩。貫通痕の痛ましい白い肌だ。腹の包帯を解けばくびれたラインに古傷が引きつれている。最後に胸の包帯に手をかけた。とりわけ丁寧に巻かれたそれを投げやりな手つきで解いていく。最後に茜の手からはらり、包帯が落ちた。胸にはふっくらとした丸みと、大きな刀傷2つ。

 ふ、と鋭く息を吐いた、体は少女のものだ。だが、瞳はどこまでも冷たい。


『ねぇアカネ、あたし男に生まれたかった。蹂躙される側じゃなくて、自分のしたいことを押し通せる強さが欲しかった』


「男でも女でも変わんねえよ……大事なもの1つ護れやしねえ。したいこともするべきことも宙ぶらりんだ」

 かつてそこにいたのは少女だった。

 ここには、茜と呼ばれる少年がいる。

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