第1章_第16話_植物にとって光のように
黒百合隊の中でも、処分班には変わった別名がある。表立っては言われないが、処分班を知る者ならば誰もが知っている別名——それは、『政府最大の捨て駒』。万が一巨大な力が政府を斃すべく立ち上がったとしたら、速やかに、政府としてではなく殺人者として使い捨てられる捨て駒。それは、茜達も薄々分かっていることだった。
「にしてもこんなにはっきりと言われたのは初めてだったな。あいつ出世しないぜ」
くっくと喉を鳴らして笑った茜は、さして気にしてもいない様子である。
「僕は……そんなことを思っていないよ。君たちにも認められて当然の権利があると思っている」
茜の隣、憮然とした足取りで肩を揺らす龍巳は、先程から烈火の如く怒っていた。今は怒りが一周回って逆に冷静になっている。
「分かってるさ。そもそも処分班を作って、俺と雪白を纏めたのは龍さんじゃあないだろう。それに、俺は警備隊に入りたかったからまだしも、部下達を使い捨てさせやしないさ。いざとなりゃ盾にくらいなる」
と、龍巳が立ち止まった。
「……大きくなって……!」
「はは、泣くな泣くな」
「龍さんてほんと残念だよね……」
茜達はノ風の『工場』に向かっていた。ノ風を最後に雇っていた人間と、ノ風と同じような生体実験の餌食になった人間への手がかりを探しに行くのだ。ノ風の存在が『野良』にも繋がるかもしれない、とは茜が言ったこと。上から命令が下りたこともある。ついでに彩に例の絵を返しに行きたいとは茜の言だ。役所から市場へ行き、それから工場に行くことになる。夕方には工場に着いていたいところだが、役所から市場までがかなり距離がある。急いで歩こう、と龍巳が足を早めた。
「歩きがてら会議するぞ。野良についてだ」
まず野良とはどんなグループか? と茜は振った。受けたのは樒である。
「商人を中心にした犯罪グループ。大将はトラと呼ばれている。富裕層を主に狙い、その行動は誘拐、金品強盗、違法薬物の売買等多岐にわたるがどれも商業関係に連なることが特徴であり、今の所中心となる商業ギルドは出てきていない。全員が猫の面を着けていることが特徴……とか? こんな感じでどうかな、茜くん」
「ああ、上々だ。餌食になったのは椿邸、笹の葉邸。他の金持ちも狙われる可能性は大いにあり得る」
「警備隊で護衛の強化を進めているよ」
と龍巳は力強く胸を張る。そこに、不思議そうな顔をしてノ風が割って入った。
「何で金持ちを守らなきゃなんねーんだ? 俺の昔の主人たちもよく金持ちを襲ってたぜ」
こいつまさか、金持ちは襲われる役割がある、とでも思ってるんじゃないだろうなと目を眇めたのは茜である。と、雪白がノ風と茜の間に体をぬっと滑り込ませた。
「理由は配給が立ち行かなくなるから。違いますか」
「驚いたな。合ってるぜ、続けてくれ」
流石、限界の飢餓で苦しんだ経験を持つだけある。雪白はゆっくりした口調で諭した。
「ノ風、お前には食事はいらないものなのかもしれない。必要だとしても、味覚がなければ辛いだけなのかもしれない。しかし、私たちには食事が必要で、それは……植物にとっての光のように。それは、わかりますか」
「……お前にとってすげー大事なんだろうなってのは、なんとなく」
ならいいです、と雪白は頷く。
「金持ち……富裕層と呼ばれる人間は、政府と呼ばれる……店で、たくさんの買い物をします。その買い物で出た金で、政府は危険な旅をし、食べ物を手に入れる。その食べ物を、政府は危険な旅や仕事の出来ない女らや子供らに配っているんです」
ヒュウ、と茜は口笛を吹いた。存外説明が上手い。
ちなみに、分け隔てなく誰にでも配給は与えられる。少しでも暮らしが楽になることで、人殺しや詐欺などの裏稼業に手を染める人間が減るようにとの配慮だ。
「んーじゃあ、金持ちって必要なんだな」
「そういうことだ。その金持ちを潰して利益を上げている『野良』。この利益が最終的に何に使われようとしているのかは謎だが……狙いを読むことで先手を打つことくらいはできるだろう。そもそも富裕層を潰したいだけというのが狙いの時もあるだろうが、それでも大量に稼いだ金の行き先はあるだろう。それで、これからの方針だが。野良の動向を先読みし、被害を防ぐことと、できるだけ多くの人物を引っ捕らえて中央に繋がる道を模索することだ。前回の大火事で捕まった奴らはどいつも、ボスと会ったことすらなかったからな。そもそも火事のせいで連行できず殺すほかなかったやつらもいっぱいいる。唯一の手がかりらしき猫の面も、商人なら誰でも着けてそうなものだしな」
と、話し終えて茜は一息ついた。人がぽつぽつ来始めたのだ。続きは帰ってからにするぞと口をつぐみ、空を見上げる。そこはいつでも重苦しげに、薄暗く赤く垂れ込めていた。
さて市場である。家々の前、手作りのバラックが並ぶ土煙と硝煙の臭いの中、少し蒸し暑ささえ感じさせる人だかりが沸き起こっていた。誰もがどこに向かうでもなく、活発に声を行き交わしている。
「いつ来てもすごいなここは。それと雪白は」
「……嬉しくもない」
にやにやと笑って振り返った茜、雪白がげんなりとした調子で返す。彼はもう4回娼婦の誘いを受けていた。中には金を払うからとまで懇願するものもいて、それを尻目に茜はお熱いこってと笑うばかりだ。なぜ助けないと非難の目を向ければ、肩を竦めた。
「俺が前割って入った時どうなった?『あれー、おちびちゃんもご一緒しちゃう?』だぜ。色男ならそれくらい捌いて見せるんだな」
「はあ。では私は本当のことを言われても腹を立てないくらいの気概を身につけますね」
「娼婦の前に俺が相手してやろうか。安くしとくぜ」
「それは結構ですが、おちびちゃんでは私まで手が届くかどうか」
「殺す」
雪白に向けてぶんと振り回した拳を、「喧嘩しない!」と龍巳が受け止めた。茜は雪白を睨みつけてフンと鼻息を荒くする。樒がけたけたと軽く笑った。
「にしても、いつ来てもここは賑やかだね。ボクらが夜に見回りしてる効果が少しはあると嬉しいんだけど」
あるだろ、と茜は仏頂面で吐き出した。
「そうじゃなきゃこうも無防備に騒げるかね。配給のナイフの効果も大いにあるたあ思うが」
現在政府では一人一本ナイフを配布している。一部の武器持ちに一般人が対抗する術を持つことで抑止力とする試みらしい。事実市場での犯罪率は低下したというから恐れ入る。
処分班も毎日のように夜見回りに来ていた。都市伝説として『天誅』がまことしやかに語られていることからこれも、多少効果はあったのだと茜は言う。
「にしてもうちの姫さんは引っ張りだこだな。おい樒、いい加減あれ助けてやれ」
茜が顎をしゃくれば、いつの間にやら後方で絡まれている雪白がいる。しょうがないなあと樒がフーデッドケープのフードを取り払うと、先の戦いで肩のあたりまで短くなったしなやかな髪がふわりと現れ、彼の輪郭を覆った。
そのまま雪白にしなだれ掛かる。
「砂湯さん、私を置いていくだなんてひどい人。私と先に約束したじゃない」
そう可愛らしく怒って見せる様は完全に可憐な少女の如く。ところがそれを当てられた女性は、
「左様でございましたか! わたくし実は女の方にも興味が御座います! これは可愛らしい御仁ですね、わたくしとこの方とセックスして下さいませ! さあさあ三人で!」
と、目を輝かせてみせた。この寒い日にも関わらず、タートルネック一枚に下は何も履かないという扇情的な格好の彼女は、顔を真っ赤に上気させつり上がった目を大きく見開いて迫ってくる。困ったのは樒だ。興奮した彼女は、金目的ではないようにさえ思われ困惑した。馬鹿丁寧で淫乱となれば混乱もする。初心な龍巳などはセックスという単語に反応して茜の耳を塞いでいた。本当にやめてほしい。
「ぼっ、ボクら急ぎの用事があるから! さよなら!」
キャラを投げ捨ててそう言い放った樒は雪白の手をむんずと掴んで走り去る。茜は慌ててそれを追いかけながら、そういえば樒は童貞なのか知らないなと思い出していた。
走って、走って、一間。
「……買い物でもするかい?」と投げかけられて立ち止まった二人の顔は、片方がものすごく不機嫌で、片方がものすごく真っ赤だった。
そうして樒にマフラー、雪白に飴、大量の食料を買い込んだところで彩に行き合った。火事の焼け跡の残る前と同じ場所にやはり人集りを作っているので、すぐに分かったのである。ところが彼女は何やら困っているようだった。どうもまた誰かに絡まれているらしい……が、覗き込むまでもなくその相手は分かる事になる。
「わたくしとセックスして下さいませえ!」
「あの、そういうの、してません。やめて」
「控えめなところが子宮にキます! ぜひ一夜の床を共にしましょう!」
「お金払わないから」
「こちらが払わせていただきますとも! さあさあさあ!」
「ひっ」
ほとんど泣きそうな彼女を見て茜は頭を振り、雪白と樒に隠れていろと指示を出した。そのまま人だかりの中心へ出ていく。そっと彩の肩に指を添えた。
「あんた、俺の姫さんに何の用だ?」
「……いやはや、恋人さんでございますかぁ?」
女性が小首を傾げるのに、茜は躊躇わず「そうだ」と答えた。人集りから口笛が飛ぶ。女性は暫く考える素振りを見せると、得心したように頷いた。わかりましたーぁ、と唇から漏れる呼気。そして微笑み、小さな声で呟く。
「お揃いの————ですね。お幸せに」
「え? ええ? 何……?」
困惑しきりの彩に、だが女性は笑う。「彼氏さんにはお聞こえになったでしょう?」と。
茜は答えず、どこか空を読むような口調で「あんたは誰で何が目的だ」と聞いた。女性は答える。
「わたくしは酔。ただ酔い痴れることをのみ望んでおります。——ああでも、他人のお酒じゃあわたくし酔えませんの。それでは御機嫌よう」
人だかりが割れて、酔を見送る。その最中、彩の体が崩れ落ちた。
「大丈夫か、イロ。勝手に恋人を名乗ってすまなかった、混乱したろ」
「う、ううん、アカネのせいじゃないの、ありがとう、助けてくれて……少し、嫌なことを思い出した、だけだから」
また助けられちゃったね。買い物帰り? 盗まれないよう気をつけて。
そう送り出された後、一行はいつにも増して静かだった。夜の帳が落ち、そして茜は言う。
「いや彩に絵を渡し忘れてるからな」
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