第1章_第15話_ボトルネックはいらない

かちゃ、ドアが開かれて、そこから丸い頭が顔を出した。樒はころりと態度を変える。どうした、まだ傷が痛むか? 茜のそんな優しい問いに、ううん、服選んでただけ。と彼は甘ったるく笑った。元気そうな姿に、茜の目尻がほっと緩む。快気一番目の仕事は、あの火事の時何をしていたか、政府に報告へ行く付き添いらしい。これで報酬も決まるという。普段は雪白の役目だが、今回は、渦中調査を行ったのが樒であるため、補足役も兼ねて樒に頼んだそうだ。

部屋からひょいと顔を覗かせたノ風が自分もいく、と言い出したので、結局全員で行く羽目になった。雪白はノ風の目付け役である。


「レイプって何?」

自分は一体何を聞かれているのだろう、と樒は固まった。部屋から足を1つ踏み出したところ、日がすっかり上まで登って、廊下はこうこうとピンクの日光に照らされている。こんなに明るいのに気温は芯まで凍るように低く、樒はしっかりと誰なのか分からなくなるレベルまで服を着込んでいた。

ノ風はまん丸い眼で彼を見つめる。勿論さっきの今出された話題だから、どこでその単語が出たのかは検討がついた。先程までノ風がいたのは彼の自室である。つまりは隣室だった。

樒は簡易ガスマスクを剥ぎ取り口を開いた。

「ここの壁狭いんだ」

「知らなかったのかよ」

「ボクの隣空室だったからね」

ん、んー。声を出して樒は考え込んだ。こいつには痛みも傷も存在しないということを忘れてはならない、と。なんだかんだと気配りのできる男である。

「特に悪いことしてないのに、物凄くひどいことされることだよ」

ソフトに伝えてやる。強姦と言ったところで伝わらないだろう。

「特に悪いことしてないのに? ひでーな」

「悪いことしてたとしても物凄く酷いことしちゃだめでしょ」

すると、ノ風は透き通った瞳を揺らした。

「仕方ねえこともあるんじゃね? 存在意義に適応してなかった時とか」

その言葉はまるで借り物のような、不穏な響きを帯びていた。

「何にでも役割があってさ、それをこなせないやつは廃棄しなくちゃいけないんだ。病気の苗は摘まなくちゃ、伝染する。流れがおかしくなる」

「ねえ」

「ボトルネックはいらない」

聞き慣れた童謡を暗唱するかのように、ノ風は口ずさんだ。

ねえ、と繰り返した樒の声は少し震える。こんな理論、ノ風に思いつくはずがない。だとしたら。

「それ、誰かが言われてたの? それとも——お前が廃棄されたの?」

たった一人地下の外にいたノ風。潰れた……いや、殺された子供の死体。『俺たちの工場に何か用?』 あそこが工場だったというなら、作業員はどこにいる?

膨れ上がる厭な予感。ノ風は笑んで口をつぐみ、樒は無意識にナイフに手をやった。ピンと空気が張り詰める、瞬間を低い声が遮った。

「何をしているんです」

「雪白」

雪白は樒とノ風の間に割って入り、ナイフに添えた樒の手をそっと押さえた。樒は黙って手を下ろす。

「もう出るぜ、お二方。準備、出来てるかい?」

フーデッドケープの中に装備を着込んだ茜が、2人に声をかける。そのままノ風に目をやった。

「ノ風。今日は政府のお偉方に向けて、あんたの出生を話してもらうことになる。いいな」

「……なんで?」

「あんたを疑っている派閥がいるからだ。俺は、たとえ何かがあんたにあるとしても、あんたは利用されてるだけだと思うけどな」

何かってなんだよとノ風の口が尖る。何かは何かだと茜は濁した。


さて、役所である。正確には『役所』と呼ばれる、連名商人ギルド、『政府』が使用している建物。一際大振りのそれは、大戦で無事だったのが奇跡だと思えるほどに清潔で豪奢な造りをしていた。旧東京では一番大きな建物であり、政治の大きな何やらかを担っていた様子が見受けられる。一行は肩を揺らし、如何にも警備隊の下っ端のような顔をして裏口から建物内に入った。広い廊下を歩いていると、部屋の扉がぽつぽつと出迎え、木のプレートはその部屋がどのような役割を持つのか教えてくれる。役人のギルドが話し合う部屋に、客人に貸し出す部屋。資料が集められた部屋、資源が積まれた部屋など、その役割はさまざまだ。

ノ風がきょろきょろしながら感想を言う。

「広いんだなー」

「入ったことないの? 一応誰でも入れるけど」

不思議そうに返したのは樒だ。

「俺、政府に雇われたことねーからさ。これが初めて」

「あー、じゃあ配給受けてなかったんだ。役所で住民登録しないと受け取れないのに」

「ハイキュー? トーロク?」

呆れた様子で茜が振り返る。「こいつを常識の枠で測るんじゃない」とは至極真っ当な言い分だ。

「後でその辺もまとめて説明してやるから、ついてこい。さっき鳴った鐘は13……約束の時刻にはもう遅れてる」

奥まった広い一室の前に、龍巳が立っていた。茜に気がつくとひらひらと手を振る。

「やあ。今日は四人で来たんだね! 樒くんの怪我は大丈夫かい?」

「そう休んでもられないよ! 大丈夫!」

「あはは、頼もしいね。それじゃあ」

目元を引き締め、彼はノックを三度。

「入れ」と帰って来た声に、茜たちを振り返る。

「行ってらっしゃい」


中にいたのは若いが全員が狡猾そうな目付きをした男4人だった。茜が失礼します、と声を張る。

「随分な重役出勤で何よりだ、処分班」

まず降って来たジャブを、茜は跪き首を差し出す最敬礼で受けた。

「恐れながら代表代理様方、私共、処分班一行は、こちらの新入隊員に政府皆々様の輝かしい足取りを理解させておりました。遅れましたのは、その時間があればにございます」

最敬礼とノ風の姿、威圧感のある敬語に、代表代理と呼ばれた男達はうっと息を飲む。

雪白は茜が私だなんて言うと益々幼女のようだなあなどと考えており、樒は開幕最敬礼に驚き焦り隣で同じポーズをとり、ノ風は広い部屋だなあと思っていた。

顔を上げた茜は鋭い眼光を放ち、「それでは先の火事の報告に移らせて頂きます」と有無を言わせぬ声で言った。

実は、政府の中に処分班を解体して自分のギルドの手持ちに置きたいという声は大きいのだ。特に樒である。彼は諜報要員としてはこの世界において最高のポテンシャルを持っているとさえ言われているのだ。逆に、雪白を危険視し、処刑してしまいたいという派閥もいる。茜は黒百合隊への勧誘を度々受けていた。ほんの少しの落ち度でこの班は解体されかねない。

ノ風を班に引き込めたのは政府にとって嬉しい誤算だった。彼方此方に気まぐれに在籍しては、甚大な被害を巻き起こし、主人への忠誠心も薄い。彼はギルド連中の悩みの種だった。連名ギルドの内の1つに仕えられてもバランスが崩れて困るため、彼を雇わないことが取り決めで決まっていたほどだ。それがよりによって黒百合隊の方へ自分から入ってくれたのだからありがたい。手綱を取れるのならば何よりである。政府がために働く強力な武器になってくれるだろう……とは、入隊直後の意見だが。現在政府側の意見は『ノ風の教育』で一致している。そこを鮮やかに利用した茜の受け答えは、気軽に頭を下げたり、口答えをしてはならない立場を受け持つ班長としては完璧なものだった。

「……そんなわけで、椿邸の大火事から見たボク個人の意見としては、野良には大きなギルドひとつが関わっているわけではない、と思います。ただ、ギルドぐるみで予算をつぎ込んだり核になっているところはあるか、と読み取れますので、今上げたギルドは少なくとも調べ上げた方がいいかと。権力集中型の盗賊団のようなものだと思ってくれると分かりやすいです。ボクからは以上です」

あの夜の報告。死体の顔を片っ端から覗き込んでわかった所属しているギルド名と、犯罪グループ『野良』のルールについて話し終えると、樒は見解を述べる。真っ赤になって立ち上がったのは代理の内の一人だ。

「うちのギルドがそんな犯罪グループに関わっていると言うのか!」

そうは言っていません、と樒は冷静だ。

「末端員が現場で火をつけて回っていたというだけです。上の目が届いていませんか? 何ならボクが隅々まで確認しますよ」

隅々まで確認されては困ることがあるのだろう、代理はいや、構わない。ウチでやる。そもそも何かの見間違いだろう、と尊大に言って座った。方々から疑念のこもった視線が飛ぶ。それを払うように男は咳払いした。

「ではそちらの新隊員、ノ風について聞かせてもらおうか」

ノ風はうん、と立ち上がった。

「俺はノ風。名前は何かどっかのどーりょーがつけてくれて、えっと」

「敬語!」

茜にべしっと叩かれても慌てるのみのノ風を見て、代表代理達がどよめき、命令する。

「自分で話さなくて構わない、質問に答えろ」

「わかったです!」

「……。お前は2年前より前の記録がぽっかり抜け落ちているわけだが、傭兵をやる前どこにいた?」

「工場っす!」

「どこだ……」

見かねた茜が助け舟を出す。

「丁度今から30日前に下った指令で調査した廃墟です」

「あああそこか、何故そこを工場と呼ぶ?」

「作業員がそう言ってたんすよ!」

ここに来ての新しい登場人物に、空気は張り詰める。樒は先ほどまで感じていた嫌な予感を膨らませていた。

「お前はそこで何をしていた?」

代理が聞く。ノ風は答えた。

「作られてた」

背は高いが丸顔の幼い、快活な少年そのものの顔で、自分は作られたのだと堂々と答えたのだ。

「作業員は何者だ?」

「人間すよ。そんで俺が、人間に作られた兵器っす」

その言葉に卓上がさんざめく。

「ロストテクノロジー……!」

「化け物じみた強さだとは聞いてたがまさか兵器とは」

「速やかに廃棄しよう。不確定要素はいらない」

「その人間は何者だ!?」

「いや工場を潰さねば。こいつ一体でもひどい被害を叩き出したというのに、二体も三体も現れては敵わない」

パンと手を叩いたのは茜だ。

「調査申し上げた通り、工場は既に何者かによって壊滅させられていました。子供の死体もありましたが、いずれもノ風ほどの年姿ではありませんでした。ここから、育てる必要のある元人間……生体兵器ではないかと。こちらで立てた予想としては、ノ風は年齢がここで固定されており、無味覚であることからして、そもそも食事が必要ないと考えられます。大戦前に作られ、終戦後放棄されたものが地下にいたものの、2年前何らかの手段で上に出た。と、いかがでしょうか」

大戦以前に年齢を凍結する科学技術が確立されていたことは有名な話である。茜の言葉に顔を見合わせた代表代理は、何となく納得したような顔で目を合わせるが、いや、と立ち上がった。

「誰が工場を壊滅させた。ノ風か」

「俺じゃねーよ! 工場から上に出た時のことは覚えてない」

「まあ待て、お前と同じような背丈の兵器はいたのか?」

「……いたけど?」

「ならそいつが工場を荒らしたんだろう。何者かの命令によって。お前の他にも外に出た兵器がいるということだ」

えっマジで? 呑気に惚けるノ風に、男は笑う。

「なあ、お前のその力はお前を殺す力だ。危険視され、潰される力だ。それを理解していれば、最強……いや、最凶の傭兵だなんて通り名を通すわけがないんだがな。本当にお前は頭が悪い。他に出た兵器とは大違いだ」

そして、じとりとした目で言い放つ。

「お前、モノの上に失敗作だなんて、最低だなあ」

本来なら、ここでノ風が剣を抜き、危険人物として処刑させる心算だったのだろう。だがその目標は果たされないこととなる。

ノ風は呆け、——茜が立ち上がり机に両手を叩きつけていた。

「兵器とは言え生体兵器です。モノではありません。彼が失敗したわけでもない。あの火事でノ風が救った人数は申し上げたはずです」

ジリジリと燃える怒りの炎。男は慄き、喚いた。

「そんなに言うならやってみるんだな! 野良を潰せ!! 正体すら不明の輩に殺される可哀想な民を救ってでもみろ、お前ら全員捨て駒の癖して!!」

その言葉に茜は顎を引く。

「ええ——望むところです」

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