第1章_第12話 樒の世界


樒は1人現場を駆け回っていた。

情報収集において重要なのは速さだ。樒は脚力に関しては雪白や茜に劣るが、隠密行動には長けていた。火事で息吹く光、そして生まれる影。それに紛れて縦横無尽に動き回る。

それでも会敵した時は先手必勝。素早く一般人のふりをしながら近づき通り過ぎざまに斬りつけるのだ。樒の持つナイフはブレード部分に穴がいくつもあいており、そこに毒が溜められる仕組みになっている。そのため血管を傷付けさえすれば遅かれ早かれ死に至るのだ。

(まあ、出血多量なら治療なんて出来っこないから、毒がなくても死ぬんだけどね)と舌を出しつつ樒はまた人を殺した。静かに、静かに。


「おい、ノボリがいねえぞ」

「あいつのことだからまーた女漁りだろ。それよかこっちだ、奴等食料庫を隠してやがった」

「マジかよ! そりゃ最高に……いや待てよ、『トラ』への報告はどうする?」

「俺らが見つけたんだ、俺らのもんさ!」


3人組の1人を殺せば2人は情報をこれでもかと喋ってくれた。

ひとつ。犯罪グループ野良は、商人の寄せ集めであること。

ふたつ。トラと呼ばれる者1人が指揮を担っていること。

みっつ。彼らは獲物に対してトラに報告する義務はあるが、献上する義務はないこと。そして、忠誠心は薄いこと。


(よくもまあペラペラ喋ってくれるよなあ)

そう思いながらも、ポケットから取り出した手袋を装着するやいなや今度は死体を探った。慣れた手つきで服を脱がせては、それらが雄弁に語る情報を確認していく。最後に彼の仮面を外した。そして呟く。


「なんだ、知り合いじゃん」


樒は人脈が広い。というのも、彼には黒百合隊の諜報要員ではない、女優という表の顔があるからである。

苦悶に歪んだ死に顔を出した彼は、自分の得意先だった。確か塩を取り扱う商人だったはず。

そういえばと思い返してみれば、先程の2人の声の内の1つも

「『野良』は商人の寄せ集め……? いやでも」

もう1人は、と続いた思考はぷつんと途切れた。大鉈が迫ってきていた。樒は斜め前に転がった。

「おいおいおい避けるなよ嬢ちゃん! 興醒めだろうが!」

叫んだのは先程の2人のうちのひとり。ここらでは名うての傭兵だった。フーデッドケープから残忍な笑みが覗いている。

「……チギ」

「お見知り置き頂けて光栄だよ、可愛いお嬢さん」

「知らない人なんていないんじゃないかしら?」

可憐な声を作って樒は返す。どうもこの傭兵──チギは自分を逃げ遅れた一般人と思っているらしい。

「殺す相手を千に切るで千切。おっかないわね」

樒は後ろ手にナイフを持つ。先手を打たれたらもう泥沼だ。どうするどうするどうする。鉄のグリップが湿っていく。

「おいおい、勘弁してくれよ」

商人の男が間延びした声で大して危機感もなく言う。「趣味に走るな」

「おーごめんごめん、ご主人サマ。さて嬢ちゃん。千切りも死体漁りも大して変わらないから怖くないさ、安心しろ。そして死ね」

脅威がやってくる。

ぶぉん、と速すぎる、一陣。見切れなかったが、初劇は避けた。これまでチギについて地道に集めて来た情報から、来るならば腹ワタだろうと見当をつけたのだ。案の定だった。が、振り向きざま、蹴り。樒の軽い体は、いとも簡単に飛んだ。

体内の空気が全て持っていかれるような心地の後、嘔吐感。吐瀉。

「おーおー、美人の嘔吐シーンは萌えるねぇ」

余裕たっぷりに近付いてくるチギは、実際遊んでいるのだろう。明らかに格下扱いである。

(こいつリョナ趣味だから、ボクのハニトラも効かない。もう1人は商人だ。なら尚更、今は性欲に容量傾けてられない。畜生、ジャンルが違いすぎる……)

それでも、勝たなくてはならないのだ。あの家にまた帰るため。と、ナイフを抜き走り出した、の、だが。

「遅いなあ」

そんな一言と共に、首元の皮一枚と髪が大きく切り取られていった。

「…………なに、しやが」

「あー。やーっぱ男か。まあ刻めりゃいいよ」

露わになった無骨な首と輪郭を見てそう笑うチギの手の中には、まっ黄色のリボン。樒が着けていたもので。──茜が樒にやったものだ。

「あんたにはお日様の色がよく似合うよ」

誘惑の意味合いでピンクや紫、黒ばかり身につけていた樒が戦闘訓練を始めるとき、これで髪を束ねろと手渡された。

その時の笑顔は、媚びるでもなく、哀れみでもなく、ましてや嫌味でもなく、ただ感想を言うそれで。珍しく返す言葉が碌に出ないまま、リボンを結ぶと、ああやっぱり似合うと笑うので、彼はもっと言葉に窮した。

樒は思い出す。上を向いて声を枯らしたあの日を。


──助けて!

──ああ、助けるね。樒。


「それに」

出した声は、音階が大きく外れていた。別にいい。こいつらは生きて帰さない。

「それに、触るな!」

走り一撃、二撃。どちらも躱される。大振り過ぎたと自分でもわかった。ならば突きだ、と構えた瞬間。

「そう生き急ぐなよ子猫ちゃん」

さっくりと肩をやられた。

くるくるくる、円を描いてナイフが飛んでいき、痛みに身体が崩折れ、その上に影がかかる。

(あぁ、これ、ボク死んだな)

あの時と同じ感覚だ。茜が樒を救け、茜だけは信じようと樒が決心した、もしかしたら自分は道具じゃないのかもしれないと思った、あの日と。ならばこの数ヶ月、生き延びた意味はなんだったのだろう。やだ。いやだ。まだあそこにいたい。あの子の隣にいたい。駄々っ子のような迸る感情が風景を引き延ばす。

(助けてよ茜くん。あの時みたいに。ボクまだ死にたくないよ。君と離れたくないよ)

そこからはパラパラ漫画だ。

チギが振り上げた刀。割り込んで来た黒色。飜る内側の赤いマント。呑気に去来する『この子』の笑顔。自分が救けてもらってその後、彼はどうなる?

(茜くん)

君のいない世界でボクは生きていけない。


「だめだ!」

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