第1章_第13話 ひとの証

 叫んだ刹那、真白い嵐。

 白い風、というには余りに激しい色が通り抜けた。

 そうとしか表現出来ない。少なくとも自分に動きは目で追えなかったのだから仕方ない、と樒は雪白を見ていた。雪白は刀を振り切っており、彼の背後には両断されたチギがいた。

 雪白はすたすたと歩くとがたがたと足を震わせ失禁する商人の男の足をぐいと持ち上げ、ぼっきりと折った。両脚である。勿論男から痛々しい悲鳴が上がるが構わず、腕も同様にしてから、折った場所の上を縛り上げる。

「……班長。救助、終了です」

「了解。……樒。立てるか?」

 優しい手が伸び、樒はそれを振り払った。つもりだったが、肩を斬られた身では力が入らず、まるで助けを求めているようになってしまう。そうすると茜は、何とも言い難いゆらゆらと揺れる優しい目をして、「すぐに手当てをするからな」と樒の手を握るのだ。

「警備隊、思った以上に働きがいいぜ。流石は龍さんの虎の子……龍の子か、ここは? おい雪白、あんたはノ風回収してこい。ああ、首もやられたのか。血は止まってるがあの荒れた刀だ、後で診せてくれや……樒?」

 茜とて、樒の気持ちが分かるはずがない。ただ、役目を果たすため戦い、負傷した仲間を元気づけようと、絶えず話しかけた。だが、樒は拭う余裕もないまま、目から大粒の涙を零していた。わなわなと震えた唇が開く。

「ごめんなさい」

「何が」

「勝てなくって」

「……当たり前だろ、あんたを何のつもりで雇ったと思ってる。むしろ、よく生き残ってくれた。ありがとう」

「こんなの恥ずかしい。ボク男の癖に、ボロボロ泣いて」

「大丈夫さ。泣けよ樒。人の受け売りだけどな、悲しみは人の証なんだぜ」

「君が死んじゃうかとおもった」

「死なない。少なくとも、こんな甘えたな部下がいるうちは、俺あ死ねないな」

 支離滅裂な樒の言葉にもひとつひとつ丁寧に応えていくが、樒はただ涙を流すばかりで、茜と握った手から力が抜けていく。だから茜は、樒を抱き締めたのだ。しっかりと引き寄せて。

 肩の傷がひどい。すぐに洗い流して縫合しなければ、この後腕の動きに障害が出るかもしれない。それでも、動かずにはいられなかった。そうしなければ樒が樒でなくなってしまうような儚さを感じていた。

 しばらく。自分から離れた樒はいつもの笑顔だった。

「もう、ちょっと。強くなりたいなぁ」

「そうか。ありがとう」

「うん。……君を、守れるボクに、なる」

「頼もしいぜ。それで、今回の成果は?」

「ちゃんと……出来たよ、わか、たことある」

「あのな樒。今もあんたは、俺の想像をいつだって超えてくれる最高の部下だぜ。さ、帰って話を聞かせてくれよ」

 頷くや否やゆっくりと目を閉じた樒の背中を、茜は雪白が帰ってくるまでずっと撫でていた。


 始めは唯の気まぐれだった。『新哉』と名乗った子供に、何を馬鹿な嘘を吐いているんだろうこの子と思いながらも、騙されたふりをして樒は依頼された仕事を熟してやった。当時、樒は娼婦と偽って詐欺師をしていた。その噂を聞き付ける耳があれば自分でもできたであろうその仕事の結果に、茜はいたく喜んだ。そうして言ったのだ。あんたに決めたと。

 さんざ人の秘密を暴いてきた樒だ、秘密には慣れている。だが、機密事項であると聞かされた後連れてこられたのが、かの政府の警備隊隊長五木龍巳だった折には流石の彼も驚かされた。

 褒められ慣れているはずなのに、龍巳に可愛いと真正面から言われると妙に照れたし、茜がそうだろ? 花になると自信満々に言い放ったのには悪い気はしなくて。政府、と呼ばれる商人達の連合の機密事項を晒せばどうなるかぐらい分かっている樒は、後戻りするかしないかを聞かれて、しないと答えた。但し副業にさせてくれと。いくら立場があれど、龍巳も茜も信用していなかったのだ。驚いたことに、機密事項の漏洩に関して何の保証のないそれに2人は頷いた。

 聞かされたのは、都市伝説の1つ、『警備隊から独立したもう1つの軍事部隊』。それが事実だという話だった。その名も黒百合隊。男ばかりの部隊に名前だけでも花を添えようとしたのか、妙に洒落ていると思ったのを覚えている。

 そうして、樒は『処理班』──班とは名ばかりで当時は茜と雪白の2人しかいなかった──の外部業者になったのだ。大抵は仕事を依頼されてそれを熟すのみだったが、やがて現場へも同行するようになり、そうすると茜から戦闘能力を見るからと言われ、仕事の外で会うようになり、その内、前日の作戦会議から泊まって同行したりする関係にもなった。それは不思議な感覚だったのだ。

 相手の言うことは至極明快で自分の仕事に対する正当過ぎる手当てを仕事前に提示され、内容を報告した時依頼以上の出来であれば、上乗せされた料金がきちんと帰ってくる。憎々しさにほぞを噛むことも、笑い合いながら心胆を探り合うこともない。彼らは余り笑わなかったし、感情を表に出さなかったが、言葉と表情に偽りは1つとしてなかった。

 あんたは凄いなと賞賛しながら、数字を書き足す茜の表情には、思ったことが口に出たという色が乗っていた。お前のナイフはどうなっているんです、と聞いた無表情に潜むものは、本当にただの好奇心である。そんなことが分かるようになるまで、樒は彼らに深く関わってしまった。まずいと思った。樒にとって人間は全て、自分ですらも、むしろ世界の全てが、彼の復讐のための道具であるべきだったのだ。

 だと言うのに、気が付いたら彼らと会う日を心待ちにしている自分がいた。まずいと思ったのだ。離れよう。そう思った、その矢先に捕まったのは、自分が今まで騙してきた人間だった。無論人を騙して何も仕返しされないなどと、彼が驕っていたわけではない。いつかはしっぺ返しが来るだろうと思い、それまでに自分を犠牲にしてでも復讐を果たすつもりだったのだ、樒は。


 彼にとっては全部が全部、他人も、自分も、世界も、たった2人への、復讐のための道具だった。


 ただ、そのしっぺ返しが余りにも早すぎた。彼はまだ16で相手は30を超えていたし、傭兵を雇っていたから、自分は身につけた毒術を使う間も無く、訪れたのは殺されるという当然の帰結。

 まあ当たり前か。そう思って目を閉じかけて──泣きたくなった。

 ボクはずっとあいつらに縛られてきたのか。そのせいで死ぬのか。それって結局、あいつらに負けたってことじゃないか。それって結局、自分がめちゃくちゃ虚しくて可哀想なんじゃないか。悔しい。嫌だ。死にたくない。

 だから叫んだのだ。


「助けて!」

「ああ、助けるね。樒」

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