第1章_第9話 強いひかり

その女性の朝は少し遅い。

太陽が昇り出した頃LEDライトの自動点灯により目覚め、まず一杯の水を飲む。自動生成モニュメントから排出される非常食用のブロックを食べたら、それから仕事だ。

「……さぁ、今日も始めるとしますか!」

そう手を打つ彼女の前には聳え立つ本棚たち。並んでいる本は整頓こそされているものの、年代もジャンルも国籍も節操がない。

「今日は……そうね、テーマは遊園地よ」

そういうやいなや縦横無尽に駆け回り、関連書籍を集めて回る。一見関係のなさそうな機械工学や詩集すら入っているのが、彼女の慣れを如実に示していた。

並んだ本は50にもなったが彼女はなお駆け回った。……車椅子で。本来あったであろう、高い座高に合うすらりとした足は奇妙に小さい。纏足なのである。

彼女の名は本守り。

この世界一の識者であり、この世界が一度滅んだことを未だ知らない唯一の人である。


ほんもり? と、鸚鵡返しにしたのは樒だった。彼が物を知らないという珍しい光景に茜は心なし上機嫌に笑い、「本を守ると書いて本守りだ」と教えてやった。

彼が知らないのも無理はない。『彼女』の存在は限られた人々が隠匿し続けているのだ。

「多分な」茜はなおも上機嫌である。「腰を抜かすぜ」


5人が連れて来られたのは入り組んだ道をさらにスイッチや謎解きをクリアしないと見つからない地下道だった。暗く湿っぽいそこを歩いていくと、簡素な扉があるのみである。

龍巳はその扉を2度叩く。しばらくして声が返ってきた。美しいソプラノだ。

「源氏物語の第18帖は?」

龍巳は間髪入れず「松風」と答える。途端扉が開いた。飛び出してきたのは20前半かと思われる女性である。美しい顔立ちだがその頰は興奮に染まっていた。

「まあまあまあ! お久しぶりね龍巳さん! いらっしゃい、さあ入って! まあ、茜さんもいるの⁉︎ とっても素敵だわ……雪白さんも、以前お貸しした辞典は気に入っていただけたかしら、あれは装丁が美しいわよね」

外には無い車椅子に驚かされる暇もなく捲し立てられる。せっかくの賢者らしい長く大きな三つ編みもこうなっては形だけである。

この畳み掛け方、ついさっき見たなあと樒は遠い目になったが、女性がその澄んだ目をぐるんと樒に向けたものだから堪らない。

「まあまあまあまあまあ! 驚きだわ、新しいお客様ね! 会えて嬉しいわ、初めまして! そちらのあなたもはじめましてね、ああ……嬉しい! お友達が1日に2人も増えてしまったわ! しかも遠方より友来るあり、これは今日の日記が潤いまくってしまうわね……!」

「えっ、あっ、はい。初めまして。ボクは樒です。こっちはノ風」

ヒューゥ、と茜が口笛を吹いた。あの樒が押されてら。この状況で車椅子に触れないのは気遣いか、はたまた余裕がなかったか。もしかしなくとも後者である。

「敬語だなんて堅苦しいわ! でも丁寧な方なのね、嬉しいわ。わたしは本守り! よろしくお願いしますね、樒さん、ノ風さん」

にこっと笑うその姿に毒気は一切無い。

余りに清らかなその姿に樒が目を白黒させた。女のひとって、その、こうだっけ?

すると、龍巳は困ったような、茜は半笑いの、雪白は普段と変わらないように見える、呆れ顔で首を横に振ったのだった。

ノ風だけは相変わらず目をはつはつと瞬かせてきょとんとしていたが。慣れるのが早い。


「単刀直入に言うわ。そのような兵器も、わたしの知る限りの技術で実現可能よ」

6人は円状の卓にお茶を囲んで座っていた。

茜が仮定の話だが、と切り出したノ風の特徴を話すと、本守りはしばらく考えてからきっぱりと頭を上げたのだ。

「自立歩行する人型のマシーンの開発はかなり進んでいるの。可動部も増えているし、何より発達したのは人工知能の技術ね。それがあれば、バランスの調整にかかる部品のぶんボディを軽量化できるから、人間以上に闘えるロボットが作れるはずよ。

高速治療も、流動プラスチック……あっ、これは光さえあればいつでも生成できて電流を通すことで変形し、すぐに固まる素材なのだけど、それを使えば夢じゃ無いわね。

ただそこまでして人型に拘る理由が謎だわ。コストが尋常じゃ無いもの」

先程までの興奮とは打って変わって、素早く集めてきた資料を見せながら流暢に説明してみせた本守りは、肩をひょいと竦めた。

「まあ、茜さんの言う通りすべては仮定ね」

茜はそんな彼女に微笑みかけてみせる。

「流石だぜ、本守り。ありがとう。ちょいと気になってな」

「いいえ! お役に立てたのなら何よりだわ! それより茜さんはロボットに今ハマっているのかしら、男の子のロマンよね。それなら」

「あああ、待ってくれ待ってくれ。もういい。俺は大丈夫だ、前借りた本もまだ読み終わってない」

一瞬目を輝かせた本守りだが、残念そうに口を噤んだ。……が、もう一度口を開く。彼女がちらりと自らの小さすぎる足に目を向けたことには誰も気づかなかった。

「生体兵器という可能性も……なくはないわ、茜さん。ただこれはとっても気分の悪いお話。洗脳技術は進んでいるから、味覚や痛覚や温感に暗示をかけるというのはあり得る。馬鹿力も身体に改造を施せば出来るかもしれない。でも、高速治療はどう足掻いても不可能よ。全部可能にするには大量の、それも人間を用いた生体実験が必要ね。それは法律で禁止されているわ」

4人が顔を見合わせた。ノ風は話の意味がわからないようで足をぶらぶらと遊ばせている。

もしかしたら彼は、大戦前に作られた兵器なのかもしれない──。


だがそれは誰も口に出さなかった、何故なら。

「ここにある本は維持法の発令前だから、絶対と言えないのが悔しいのだけれど」

──彼女が世界大戦で世界が一度滅んだことを、知らないからだった。

彼女は、母から治安維持法の発令によって本が政府に回収されたため、免れたそれを守るのが自分の役目だと伝えられているのだ。事実、維持法は発令されたが、地上の免れた本は大戦で全て焼けた。製紙印刷技術さえも。だが彼女はそれを信じ、生まれてからの二十余年ここで本を守り続けている。

そして。

「なー、あんたのそれ何? でけー足?」

「ああ……説明していなかったわね。これは車椅子。わたし、纏足だから歩けないのよ」

「てんそく?」と鸚鵡返しの声が2つ重なった。ノ風と、樒のものである。本守りは微かに笑み、小さな足を卓の外に差し出して見せた。

「幼い頃だったわ。よりよく仕事を果たすため、よりよく本を守るために、母が私の脚を無理に小さくしたのよ。元は中国の風習なのだけど」

流石にここで語り癖を披露することはないらしい。彼女の目は静かで、口元は確かに上がっていたが。

「えっ。それって本守りさん、まさか」

(彼女は一度も地上に出たことがないのか)

息を飲んだ樒が奇妙に真っ青で、茜と龍巳が声をかけようとした刹那、彼が口を開いた。

「こんなの」

幼い喘鳴がそれに混ざる。こんなの、こんなこと彼は繰り返す。そして、吐き出した。

「こんなところ、牢獄と同じじゃないか」

「樒!」茜が叱りつけるように案じるように叫ぶ。だが樒は止まらない。

「どうして外に出ないんだ。どうしてそんな不自由で笑っていられるんだ、ボクは、ボクはそれが嫌で!」

がしゃん。拳が卓を殴り、お茶のはいったカップが揺れる。は、は、と樒は空気を吐き、息をし、ふーっと溜息をついた。静寂。

そしてにこっと笑う。

「ちょっとムキになっちゃったね。ごめんごめん」その頰には汗が浮かんでいて、そしてそこに本守りの細い指が伸びた。

「それは、それは違うわ、樒さん」

本守りは怒っていなかった。悲しんでもいなかった。ただ瞳に強いひかりを宿していた。それは誇りに満ちたひかりだった。

「私の身体は確かに不自由よ。でも私はえらんでここにいる」


「私は自由よ樒さん。私の自由は、私が決めるの」


そして笑う。きらりきらりと、ひかるように。

樒はしばらく惚けていた。

「……そんな風に考えたことなかった」

「考え方もまた、それぞれの自由よ」

少女のように悪戯っぽく本守りは微笑んだ。

「そうさ、樒」

握られた拳をぽんと茜が叩く。龍巳がその横で笑っていた。

「少なくとも今、あんたは選んでここにいるだろう?」

「うん……うん。ボクは、自由だ」

「そうよ! そして、私も自由なの」



帰路。5人は露店街を歩いていた。

始め龍巳が持っていた大きな包みはどうも食料らしく、今日の豪華な夕飯のため調味料の調達に向かっていたのだ。

「っと、見ろよ雪白、ありゃ画展か?」

「……そのようですね。ああ、お前には見えませんか。抱っこして差し上げましょうか」

「殺す」

「本当! 岩絵具かな、すごく綺麗! ねえ龍お父さん〜、樒あれが欲しい〜」

「もう、しょうがないなあ樒くんは」

そんな和やかな会話の中、ノ風だけが少し後ろを歩いていた。

「どうした? ノ風」

振り向いた茜にノ風は手を振る。何でもねーよ。

「だっから敬語っつってんだろ……」

不満げに顔を戻した彼を尻目に、ノ風は赤い空を振り放け見る。


「自由、か」

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