第1章_7話 番人

帰りはもちろん歩きで、腕の上がらない茜は雪白に負ぶわれて帰った。

「発熱したかもしれねえなあ」

呑気なそんな声に、約1名が高く悲鳴をあげて雪白の脛を蹴り上げた。鈍い音とともに今度は低い呻きが上がる。

「ほんっと許せない」

「お前に許される筋もありません」

「はぁ⁉︎ 茜くん斬っといて何言ってんの」

ゆらゆらと立ち上る怒気は背負われた茜のそこまでという鶴の一声の前に霧散した。

「リスクがあるのは承知の上で雪白を使ってる。今回戻れなかったのは俺の采配ミスだ、悪かった。こいつは俺の命令を全うしてくれたよ」

だからそんなに怒ってやるな。ありがとう、樒もよくやってくれた。くしゃりと顔をしかめ、一転。樒は心底心配気に茜の顔を覗き込む。

「当たり前じゃん! それより……ああ本当だ熱出始めてる、それよりもやばいの血だよ、応急手当てで足りたの? 茜くんがいなくなったらボク……ボク……」

ぽん、と手。雪白の背中から伸びた茜の手が、樒の頭を手袋越しに撫でた。

「こんな甘えたな部下がいる内は、俺あ死ねねえなあ」

そして呼ぶ。ノ風。

犬のようにてこてこと近付く彼にも手を伸ばす。

「あんたも初陣以上の働きを見せてくれた。ありがとう」

それはとても優しい手つきだったのだが、頭を撫でられたノ風は、なぜか飛び退いた。

「……触られるのは嫌か」

飛び退いた姿勢のまま固まっている彼に聞くと強張った顔の彼は、小声で俺はヘイキだよと呟いた。

「だろうな。でも俺からしちゃ凄いんだ、褒めさせてくれや」

「……俺誰かに褒められたの初めて。……気持ちいーな! もっと褒めてよ班長!」

「敬語!」

落ちたのはゲンコツだった。しかしノ風はけろりとしている。

「ああそういえば茜くん、ノ風のことで報告が──」

「おっとそういやノ風、あんたのことで聞きたいことが──」

樒と茜が顔を見合わせる。そして吹き出した。

どちらが先の押し問答がはじまる中、ノ風は雪白に近付いていた。


「お前俺と一緒だよな」


雪白はそれに一瞥することで返したのだ。



後処理はもう1つ、公的な治安維持部隊である警備隊がやってくれる。四人は家へ戻っていた。

「無味覚無痛覚無温感……? どういうことだそれ……。いやそれよりもノ風の元主人のことだ、仲介までしてあそこの何を守りたかった……?」

ロストテクノロジーか? でもあそこにゃ何も……とぶつぶつ呟く茜の独り言はしかし、雪白が彼をベッドに放り投げたことで中断された。当然上がる悲鳴。茜は重体の身である。

「……っにしやが、んむっ」

布団を被せられた茜はくぐもった声しか出せなくなる。

「休め。その前に手当てです、熱が酷くなっている」

「……そうだな」

素直に頷いた茜は針と糸を取り出す。傷口を縫合するのだ。もちろん麻酔などない。

「雪白。ちったかし向こうに行ってくれ」


いいぜ、と一言。滑り込むように入ってきた雪白の真白い髪が窓の光を七色に反射した。

やはり熱に浮かれているのかもしれないと茜は思う。言おうとしていたことが頭からすっぽり抜け落ち、目の前の人がきれいだと、それ以外の言葉が出てこない。

「……また」

それでも言わんとするところは分かっている。

「またお前を傷付けた」


雪白は鬼を宿している。というよりも、鬼の生まれ変わり、らしい。生まれ故郷でそう言われたと本人がいつだかに語った。あれは三年前か? 長いようで短いと茜は瞬きをする。

鬼は強い。人でないとそう言い切れるほどに。そして、鬼と雪白は別人格のように切り替わるのだ。

「俺もさ。鬼に頼った」人を無闇矢鱈と斬るしかできない鬼を雪白は嫌っていた。「でもあんたは自力で戻ってきただろう? だからあんたは、鬼でなければ狂犬でもない」

「……『俺があんたの手綱を引く。あんたは俺の力になれ』」

「そうさ」

三年前の約束に茜は頷き、もう1つと指を立てた。

「『私が鬼でないと、証明してください』。……俺は1つの約束は保留にしたままだ。悪いな」

「構いません。不可能なことです」

複雑に揺らめく瞳の中の灰色が、自らの手を見つめた。

「お前の血だ」

悪趣味、と戯けた茜は、首を傾げ続きを促す。

「この温度を忘れないと言いました。もう2度と浴びないとも誓った。それなのに私は」

「そりゃ俺の命令が悪い」

きっぱりと言い切った茜はベッドから手を伸ばした。だが届かないそれに、雪白は自ら額を押し付ける。

「汚い気持ちだけどな。俺だけがあんたを呼び戻せることが誇らしいよ」

だからそんなに落ち込んでくれるな。俺の番犬、政府の番人。と。茜は雪白の髪を撫ぜていた。

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