第1章_第6話 自分以外誰も

 それはさておき、本隊たる茜と雪白は、麻薬密売ギルドの建物のすぐそばまで近付いていた。

「麻薬は徹底的に叩けってのがお達しだ」と茜は繰り返す。雪白は低く「わかっています」と返し、「ならいい」とその声には温度がない。

  闇は暗く黒く、纏わりつくようで。その中に交わる糸を、手繰り寄せるように茜は目を閉じる。室内にいるのは、10といったとこらか。何人かは勿論手練れである。茜はそれをよく知っていた。

「雪白、片付けるぞ。静かに、だ」

 皆殺しの判決を下す。だが、隣から伝わって来たのは安心したような、気の抜けたような吐息1つ。

「了解」

 視線が交わり、その言葉を背に茜は素早く駆け出した。雪白の猫のような走りもそれに続く。


  鍵ごと取手をくり抜いて部屋に押し入った茜はまず、拾った石を天井に投げた。

 ぱりん、と破砕音、砕け散ったのは電球。緞帳が下りる前に敵それぞれの位置をしかと目に焼き付けたら、後は斬るだけと言わんばかりに打刀を麻薬密売ギルドの男共に向けた。

「何者だ!」と問うたその首が飛ぶ。雪白である。ケープを取り払った彼は二刀を帯刀していた。その刀がひらりひらりと舞う度、言葉もなく鮮血が飛び散る。言葉1つなく、無駄1つなく、ただ能書き通りに進む芝居のように容易く人が死ぬ。

「お楽しみ中悪いな」

 鍔迫り合いは一瞬。膂力はないがしかし計算しつくされた押しに、暗闇に未だ目の慣れていない男が手を滑らせ腹を開かれる。

 その手から零れ落ちたパイプは麻薬を使用するため使われていたものだろう。

  暗闇でもわかるほど目が虚で危うい半裸の少女。果たしてギルドの人間か、それとも。

 瞑目した茜はしかし逡巡なしに刀を振るい、夢から覚めることなく少女もまた死んだ。

 すぐに誰もいなくなる。静けさに満ちた部屋の中は血と麻薬の香りがむせるようで、茜は思わずガスマスクを付け直した。

「これで終いか? 人数と言い呆気ないな。まぁ今日全員が集合していたわけじゃないだろう、また同じ件で呼び出されるかも」

 言葉はぶつぎられた。「樒が呼んでいる」警鐘のような鋭い低さ。雪白が未だ抜かれていなかった二振り目に手を滑らせた瞬間、扉は開き。

 悪夢が入ってきたのだった。


 入ってきたのは族だった。野蛮な凶器を持った、血に飢えた魔物どもが次々に獲物を振り上げる。応戦しろ! 叫ぶまでもなく雪白はもうそれらを切り捨てにかかっていた。

「班長。私の後ろへ」

「悪い」

 茜は雪白の背中越しに応援射撃に徹する。当初の目的である『静かに片づける』ことはもう出来そうにないが、ここまで大事になれば仕方ない。それに。

 この世界の人間は得てして事なかれ主義だ。

 他人より自分。慈善より本能。

 自分を助けるのは自分だけ。それはこの場でも同じだった。

「10……20……おいおい、どこまで増えやがる」

 茜は焦ったように呟く。

 どこにかはわからないが、彼らには何らかの外部への連絡手段があったらしい。ギルドの人間とみられる者はどんどん増えていく。

 雪白にまだ焦りや疲れは見受けられない。だが、所詮一人の力、一度に切れる人間には限りがあった。

 このペースじゃ、いつか。茜は歯噛みする。

 外で寝ている人間に影響を及ぼしかねない。


 雪白、悪い。本当にごめん。心の中でつぶやき彼は叫ぶ。

「雪白! やれるか」

「命令を」

 刀を振るう呼吸の合間。帰ってきた言葉は短く、それでも信頼に満ちていた。茜はそれに応えることしかできない。



「──鬼を!」

「了解」


 そして誰もいなくなった。

 茜と、なにかわからなくなった雪白以外誰も。

 そこに走ってくる。樒とノ風が、走ってくる。

「来るな!」叫んだ。瞬間ひらめいたのは雪白の刃。一間、つんざくような衝撃が路地を満たす。その路地の際まで死人に覆われていた。

「これは」

 ひゅう、と喉を鳴らすものがいた。ノ風だ。これ、雪白がやったの? その声には単純な興味のみが乗せられていて、この場にどこまでも不釣り合いでこの場にはどうしようもなく似合っていた。

 隣の樒が歯噛みする。

「戻ってないのか……何するんだよ、何やってるんだ、あのバカ。……茜くんに、刀を向けるだなんて……!」

 雪白が鍔迫り合う相手は茜だった。その額に脂汗が浮いている。脚が震えていた。もう限界なのだ。ノ風よりも雪白の力は強い。

 不協和音。茜は雪白の股を前転してくぐり抜ける。その彼にすかさず追撃が入り、茜はよけ続ける。

「寝返ったんだ」ノ風は純真に言い、大太刀を握りこむ。「で、雪白を斬ればいいわけ?」

「動くなっつったろうが!」

 満身創痍の茜がそれでも振り絞るように吠えた。茜くんと悲痛に満ちて樒が呼んだ。茜の左腕は動かなくなっており、そこに刻まれた深い太刀筋は雪白のものだった。

「こいつにっ、俺を、殺させるわけには、いかねえんだ!」

 そして叫ぶ。

「俺しかいないんだよ!」

 そして。雪白の刀が肩に届く。悲鳴。鮮血。切り裂かれそれでも茜は刀を持って動きを読んでは雪白に立ち向かっていく。それから、呼ぶ。「雪白!」

「雪白! 戻ってこい、雪白、あんたは誰だ! 答えろ! あんたしかいない、あんたは誰だ! 鬼か!? 違うんだろう!」

 喘鳴交じりに叫ぶ。その足がふらつく。止めと、雪白の二振りの刀が振りあがる。

「茜くん!」

 音はそれっきり。静かに刀が落ち、倒れこんだ茜を雪白が抱き留めた。その腹が赤に染まる。ひどい傷だった。

「ああ」

 ひび割れて軋んだ喉に小さな手が伸びる。

「あんたは誰だ」

「……雪白」

「そうさ。俺の部下だ」

「……夢を。見ていました」

「そうかい。でも大丈夫だ、ほら」

 もう朝だ。その声は掠れている。帰るぞと呼んだ声はあまりに弱弱しくて雪白にしか届かなかった。

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