第1章_第4話 不協和音
一際大きな廃墟の中。ぼろ家とは違う硬質な足音を響かせて男は歩いていた。ふ、と立ち止まり、ドアをノック。入れ、と帰ってきた声に失礼しますと律儀に返す。
中は贅沢にロストテクノロジーに寄るLEDライトに照らされていた。4人の男が席にかけている。彼らはこの地区でそれぞれ拮抗する一番大きな商業ギルドの長である。百戦錬磨の深い年輪を感じさせる顔ぶれが発する圧力にしかし、男は泰然として直立し、口を開く。眉が少し悔しそうに歪んでいた。
「本日の警備隊の報告をしたいと思います。まず……」
「いや、いい。……笹の葉邸までやられたか」
「はい。被害は甚大……とても大きいです」
長の1人が首を傾げたのに合わせ、男は言い換える。
「全員似たような、猫がモチーフの仮面を被っていると……野良の特徴と一致します」
野良は近頃その名を響かせている犯罪グループである。
「その程度しかないのか、特徴は」
人に妬まれることの多い商売をしている人間には、日頃仮面をつけて仕事をする者も多い。普段探すのは困難そうだ。
「はい。戦闘力はかなりのもので、また指揮も取れていました。ただ妙なことが」
「妙なこと?」
中央の長は先程からずっと男を胡乱げな目で見ている。お前は知っているんだろうとでもいいたげに。
「目的が見えません。今日も一番は強盗でしょうが、人攫いに殺し屋、放火犯もいました」
「何かメッセージがあるんじゃないか。政府……我々への、反感などな」
中央の長が机を人差し指でたたん、たたんと叩く。その言葉に男は一呼吸入れ、「僕は、警備隊隊長としてこの被害を留められなかったことを悔いています。次はもうないと心に誓っている。メッセージ性についても、また調査します」と柔らかく毅然とした声で答えた。と、右端の長が喉を震わせて破顔した。
「くく、てめえはブレねえなあ。龍巳坊っちゃん」
「三十路過ぎ捕まえて坊っちゃんはよしてください」
「よさないね。そんなお綺麗事ばかりてめえは口にする。三十路過ぎの癖にな。なあ、てめえの差し金じゃねえのか」
「……何の話です」
長はゆっくり顔を上げ、突然真顔になる。龍巳と交わる視線。数秒。彼は下を向いた。
「黒百合隊の例の班に班員が増えた」
瞬間、龍巳は目を見開いた。「誰です」と気が逸ると言いたげに身を乗り出す。
「……その調子じゃ知らねえか。裏じゃ有名な傭兵だよ。名前はノ風」
「のかぜ……」
「確かめりゃいい。それもてめえの仕事だろ」
はい、と答えはしたが、龍巳は先程までの態度とは打って変わってぼんやりとしていた。
「手綱を引けよ。あれらは俺たちの大切な」
再び、中央の長が口を開く。その後に続いた言葉はカラスの羽ばたきにかき消された。
*
今日も今日とて空は紅い。例えば夕暮れの中で焚き火をしたら烟った空はこんな色になるのだろうかと妄想したが、茜は生まれてこのかた夕暮れを見たことがなかったので諦めた。
「なあ、茜ぇ! 聞いてんのかよ」
「班長だっつってんだろ。少しくらい現実逃避させてくれよ」
窓の外から部屋の中に視線を戻し、こめかみを押さえて彼は情けない声を出す。
「あんた本当にひらがなも読めねえのか」
「ひらがなって何だよ!」
ああ〜と苛立たしく髪をかきむしるノ風に、茜が紙と黒芯を押し付ける。片方には五十音表が手書きで書かれていた。
「うつせ。100回」
その目が据わっていたことは想像に難くない。
ノ風の悲鳴を背中に茜が立ち去ろうとすると、入れ替わりに樒が入った。
「茜くんたらひどいよ」
「樒!」
「ちゃんと黒芯の使い方くらい教えてあげなきゃ」
「書き取りも教えてくれよ! つーかこんなのしたくねーよぉ!」
悲痛な叫びに樒はにこりと笑って、「だからそのぶんもボクが教えてあげる!」と返した。その愛らしさに調子を削がれたノ風は横をぶん向いて、ぶつぶつと実戦の方が得意なのにうんぬんと呟いている。
「悪いな、樒。敬語も教えてやってくれ」
「茜くんの頼みならボク、頑張っちゃう。さーやるよ、ノ風!」
「見張りだろ」
「ん? 何が? あ、ここ逆」
間違いと言われた場所を塗りつぶしながらノ風は繰り返す。見張りだろ。
「別に俺茜に何もしねーよ」
見抜かれてたかと樒は照れ臭そうに笑った。
「ほんとかなんてわかんないでしょ? そういった次の瞬間刀を抜くかもしれない。ボクから見えない背中側に何が入ってるかなんてわかんない。確かめる方法なんてどこにもない。でも確かにする方法はある」
「ここで俺を見てること?」
「大正解」
樒の黒芯が宙に花丸を描く。ノ風は特に嬉しそうでもなく次の文字を写しにかかった。
「俺、面白い奴が好きなんだ」
「ふぅん。見る目あるね。ボクも茜くんのことが大好き。面白いし、それに何よりイケメンだしね」
「面食い!」
「乙女ですから」
「俺は範囲に入る?」
「ごめん、チビ専です」
緊張感のない会話。2人のノリは奇妙に噛み合った。
「ここのこと、教えてもらおうとか思わないの?」
「別に。使ってもらえればなんでもいい」
がりがり、がりがり。子供の落書きのようなカナ写しは続く。
「茜くんが面白く無くなった時は?」
「それでもいーよ。使ってくれんなら」
「じゃあ、使わなかったら?」
「でてく」
「シンプルでいいねぇ」
くつくつ、くつくつ。樒の軽やかな笑いもそれに重なった。
「ねぇ」
「なぁ」
2つが同時に途切れる。しばしの静寂。先に口を開いたのはノ風だった。
「樒って、あの、でかい……雪白にもそうなの?」
樒は何も言わずただ笑って、それから聞く。
「ノ風。お前の幸せってなに?」
ノ風はまた子供の落書きに戻りながら、なんの気もなしに答えた。
使って、壊されること。
そっかそっか! くつくつ笑いも再開される。
高低の合わないデュエット。
そして樒は言う。ここにいれば叶うかもね。お前の幸せ、と。
何故ならばここは大量処理班。警備隊では手に負えない組織を存在ごと秘密裏に抹消するべく結成された班なのだ。茜、樒の戦闘力は上の下といったところ、にも関わらず今まで3人で成り立っていたのは。
疾風が駆け込んできた。
「雪白」
樒が驚いて呼ぶ。真白い髪の青年は灰色の目に気だるげな光を灯して口を開いた。
「2人、武装してください。指令です」
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