第1章_第3話 道具

 まさかの雇用宣言のその後、一悶着あったことは想像に難くない。

 激昂したのは樒である。何考えてんのさと茜に叫ぶやいなや、ノ風の大太刀を取り上げるわノ風を縛り上げるわと暴走した。

「こんな得体の知れないやついれてどうするんの、しかも勝手に!」

 黒百合隊は政府直属の秘密組織である。その存在が外に漏れることすら危ういことであるのに、たった今自分たちを殺そうとした相手を入れるなどどうかしている。

 しかし茜は穏やかに……いや、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「得体の知れてる奴なんざこの世にいるのか?」樒はぐうと喉を詰まらせる。

「ゆ、雪白もなんか言いなよ!」

「私は班長の指示に従います」

 明らかに眠そうな顔でそう言った雪白、だが刀は抜いたままだ。事務作業を少し任されている彼は知っていた。近頃の仕事で殺した中に、ノ風の言った特徴の男はいないことを。

「選ぶのはそれと」ノ風を切っ先で指し、「班長でしょう。私ではない」

 選ぶ選ばないじゃなくてさあと歯痒さに地団駄を踏む樒、茜はまた笑う。

「なら自己紹介してもらおう。あんたはなんだ?」

「俺? 俺は、ノ風。風ってのは、びゅわーって吹くだろ? そんな感じで、びゅわーっと人を殺せるんだ。それが仕事」

 こいつサイコパスだよ雪白、と背中に隠れた樒を雪白はぐいと押しやった。茜は変わらず感情の読みにくい笑みを浮かべている。そして聞いた。

「強いのか?」

 瞬間、ノ風の様子が変わった。噛みつくように茜に踏み込み、まくし立てた。

「当たり前だろ!」

 茜が仰け反り、雪白が刀を向ける。だがノ風は気付いてすらいない。

「力あるんだぜ俺、だからどんな武器でも持てる! それに武器が持てなくたって人を殺せるよ! 痛いのも分かんないからどんだけ敵が多くても平気だよ、それに怪我してもすぐ直るんだ! だって、俺はへいきだからさ! 人を殺せる、道具の、兵器なんだから!」

 自慢げにも聞こえるセリフ。それは、どちらかといえば切実で、そして必死だった。

「だそうだぜ」

「そうですか」

 茜と雪白の短いやり取り。茜はノ風を見る。ランタンに照らし出された目の片方は日本人にありがちなダークブラウンではなく、緑色に染まっていた。

「兵器だろうが鬼だろうが化け物だろうが、仕事さえできれば雇うのがウチの方針だ。あんたが強いなら、あんたの力を借りたい。いいだろ?」

「ああ……ああ! いいぜ! なんかあんた面白いしな!」

 ノ風はにかりと笑った。敬語も教えなくちゃなぁと呑気にぼやいた茜に、樒は諦めたように溜息をついたのだった。


 さて、その一時間後である。

「なんだよこれ」

「着るんだよ」

「そう、ボクみたいに可愛くね?」

「そちらは頭から被るものです」

「樒、あんたの女物だろ。それから、ズボンは下に履くもんだ」

 寝ぐらに帰った4人は、わちゃわちゃとノ風を囲んで、配給服両手にあれこれと言い合っている。

 大方わかってはいたが、ノ風の馬鹿さは想像以上の物だった。何せ、今まで拾い物を適当に身につけていたというのだ。彼が、「ハイキューて何? 寒くなかったから平気」だとか宣った時には、全裸でなかっただけマシかと茜が溜息をついた。

「仕方ねえなあ。いいか、何度かは手伝ってやる。だけどそのうちに覚えろ」

 立ち上がった彼はフリーサイズのカッターシャツを手に取りノ風にかけた。そのまま腕を取り、袖を通してやる。本人はといえば、目を丸くして何をするんだと言いたげな顔。茜は思い切り顔をしかめた。

「あんたの着てる服じゃ風邪を引いちまう。これからはこっちを着ろ」

「引かねえよ。俺兵器なんだし、わっ」

 とうとう手が出た。殴った本人は、上司命令だと苛だたしげに吐き捨てて、着付けにかかる。

「それにしても、今までよく風邪引かなかったよね。馬鹿は風邪引かないってほんとなんだ」

 頬杖をついたのは樒。相変わらずノ風を警戒していて、密着した2人を睨め付けている。

「変なことしたら……ううん、変なことしたとボクが判断したら、すぐに斬っちゃうんだからね」

「しねーよー。今は、主人だし」

「どうだか。主人じゃなくなるかもしれない」

 厳しい目つきの樒は「次茜くんに攻撃したら殺すからね」と本気の声色で告げた。

 元々整った顔立ちの彼の殺意の篭った目は相当なもので、茜は思わず口笛を吹いたものだが、ノ風の口から飛び出したのは「あんたの名前は?」という予想外の言葉だった。

「え?」と聞き返せば、ノ風が色違いの両目を向ける。

「あんたの名前。ねーの?」

 目を泳がせた樒はやがて、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。

「ボクは樒だよ。新進気鋭の男のコ」

「はー!? 男なの!?」

「可愛いでしょ」

 目を丸くしていた彼が今度は雪白を見遣ったので、短く口を開いた。

「雪白です」

「ふーん」さして興味もなさそうである。ならばなぜ聞いたのか。

「俺こういうの初めてだわ」

 シャツに上着、ズボンをようやく着せ終わった茜は何がだ、と聞いた。

「ジコショーカイ、とかそういうの。人間みたい」

 一間。ノ風に飛んできたのは、脱がせた大き過ぎるズボンだった。

「あんたが兵器だろうが道具だろうがな、ここでは人間扱いしてやるから覚悟しとけ。それは洗濯カゴ……そっちのカゴの中に入れろ。俺は報告書を書かなきゃなんねえから部屋に戻る。早く着替えを覚えろよ、野郎の着替えの手伝いなんざ数回でたくさんだ」

 一息に言い終えた彼は早足にリビングを出て行った。

 ノ風にもう1つ何かが飛んできて、コンと音を立てる。見ると携帯食料だ。持ち主である樒は食べていいよと顎をしゃくった。

「今の減点」

「何がだよ」

「わからないのが益々だめ。……でも仲間になってあげるよ。それが茜くんの望みなら」

 遠い目をしながら自身も携帯食料を食む彼に倣って、ノ風もその四角いブロックに歯を立てた。面倒なことになったと思いながら。

 思い出すのは一時間前のこと。

 今度の仕事はすぐやめるかもな。そんなことを考えつつブロックを咀嚼するノ風を雪白がじっと見つめていたことには、誰も気づいていなかった。

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