第1章_第2話 傷でなく右手を

工場、と反芻する間も無く近付いてきた影がランタンの灯りに少しずつ浮かび上がる。少年だ。背丈はかなりあるがぼんやりと見える限りでは、顔立ちは幼かった。

「寒そうだな」

思わず茜が声を上げてしまったのも仕方ない。現在の気温は10度に満たないというのに、彼は軽装に過ぎた。配給服であるゆったりとしたズボンを紐で結び、上にタンクトップという姿は、見る側にさえ鳥肌を立たせる。

「そんなことねえよ?」

まるで野生児だとは口に出さず、茜は先ほどの台詞についてきき返そうとして、出来なかった。

「っ…………」

「へえ! これ受けるんだ! 面白いねあんた!」

カカと笑う少年の手には、細腕に不釣り合いな大太刀が握られている。対する茜は咄嗟に抜いた打刀で下から受けた。不利な体制である。

「酷いなまくらだな」

「道具なんて、使えればいいんだよ!」

狂気的な笑みを浮かべた少年が腕を振り上げ、二撃。茜も体勢を取り直して思い切り腕を振れば、二振りが噛み合い耳障りに鳴く。

すごい膂力だ、と茜は歯噛みした。茜の強みは小さな身体を活かした機動と体運び、相手の分析力にあるのだが、ここまで持って来られるともうどれも使いようがない。脂汗をかく彼に対して、少年は涼しい顔である。加減されている、ということか。舐めてやがると歯噛みした。

「何のつもりだ。強盗か?」

「いや? あんたを殺す。依頼だよ」

ぴくりと茜の眉が上がる。自分たちを殺すように依頼した人間? それは政府目当てか、この場所を害する相手目当てなのか。

ギッ、と気付かれないよう刀を滑らせながら茜は低く尋ねる。

「誰から」

「俺の主人から! 名前は覚えてない。ここに来るやつみんな殺せばいーんだってさ!」

し、と息が歯の隙間から漏れた。黒百合隊を知っているわけではない。

「班長!」樒が悲痛な声で叫ぶ。体格差は30㎝ほどか、迫合いで負けることは明らかだ。雪白も樒も、もう獲物を抜いていた。

「大丈夫だ、樒。なああんた、その主人はどんなやつだい?」

茜は聞く。

正直、手はもう震えている。もうひと押しされれば後ろに倒れこんで、そのまま胸を切り開かれるかもしれない。実力の違いは明らかだ。だけど、笑う。余裕を見せつけるように。

茜の予想通り、少年は少し怯んだ。

「赤毛で…毛むくじゃら。腕に黒い輪っか巻いてる」

瞬間。そこまで聞いた茜は刃を巻き込むように滑らせ、一気に手首を返した。少年の手から強制的に切り離された大太刀が地面に落ち、騒々しく鳴く。

「そいつならつい最近俺が殺したぜ」

そして、帯刀する。

背丈に合わない幼さ、主人に対する無関心さ、殺人への躊躇いの無さ。


君に必要なのは傷じゃない。差し伸べる右手だ。


暖かい声がふと頭をよぎり、その声の導くままに手を差し伸べる。

丸腰の少年は目をまん丸く見張って落ちた大太刀を見ていたが、やがてその目が茜の手に移った。


「俺のところにこい。雇ってやる。……今日からは、政府があんたの主人だ」

ガラス玉のような目がはつはつと瞬きを繰り返す。やがて少年はこくりと頷いた。

「異論がなきゃついてこい」

拾った大太刀を渡すと、少年はしばらくそれを両手で弄び、それから帯刀した。

「なあ」

「なんだい?」

「セイフって何? ギリセーフってこと?」

その言葉に茜は教育が要りそうだなと笑う。少年の目に敵意はない。名前を問うとノ風だと答えた。

「そうか、ノ風。俺は茜。今日からあんたの主人だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る