茜と呼ばれる少年
第1章_第1話 惨状
草木生い茂ると言う表現が使われなくなって久しい。木の一本と生えていない現在は、掘っ建て小屋よりも特殊コンクリートで作られた戦火を逃れた廃墟の方が丈夫である、というのは今を生きる人間であらば5歳でも知っている常識だ。
茜たちもその例に漏れず、大きな都市である旧東京からは少し離れた、住宅街の廃墟に居を構えていた。3人1軒で。
「むさ苦しい」
「そう言わないでよ茜くん、ボクがいるじゃない。乙女と1つ屋根の下だなんて、滅多に味わえないシチュエーションだよ」
「あんたライトノベルでも読んだか? まああんたは確かに他に比べようのない別嬪だがね、男だろうが」
昼。ねぐらに戻った茜はフード付きパーカーにカーゴパンツという、あまり背丈に合わない格好でソファに腰掛けていた。因みに茜の身長は150あるかないかと言ったところである。そんな彼に見遣られた樒はぷうと頰を膨らませた。こちらはなんと、フレアスカートにカッターシャツというおよそ男とは思えない風貌をしている。だが、細身の体躯と茶色の長い髪、何よりまつげの長い潤んだ大きなタレ目の効果により殆ど違和感はない。
「ライトノベルなんてないじゃんか」
「……まあな」
茜はこの班の班長である。そのため雑務もあるのか、繊維の荒い紙に熱心に目を通していたが、その内目を上げて何の気無しに聞いた。
「雪白は?」
「ああ、あいつなら」樒はにこりと笑う。「寝てるよ」
樒は後にこう語る。茜くんが猫ならば身体中の毛が逆立っていたと。
「へぇ……? 今日は任務が昼間にあるって言ってあった筈なんだがなぁ……?」
小さな身体から怒気がぶわんと立ち上った。
「あの、茜くん。あ、あいつ眠ったら16時間は起きないよ」同僚を守るべく果敢に立ち上がった樒の進言は、「それなら叩っ斬る」という物騒な言葉の下切り捨てられた。
簡潔に記すと、ドアが吹き飛んだ。
吹き飛ばした当の本人である茜は、他人の私室にズカズカと入り込む。ミニマリストらしい殺風景な部屋に、ひとつ膨らんだ布団はしかし、ドアに押し潰されていた。ドアが直撃したらしい人物は未だ沈黙を貫いている。気絶した可能性もあるが。
こうなったらもう止められない。樒はやれやれと肩を竦めた。大体ボクは忠告してあげたんだから、寝ちゃって茜くんを怒らせるこいつが悪い、と断じる彼は、自称までする茜贔屓である。
「起きろ! 叩っ斬るぞ!」
叫んだ茜、だが布団は動かない。そっちがその気なら、と茜が取り出したのはなんと模擬刀である。一瞬の溜め、大振りの袈裟。しかしそれは、硬質な音に阻まれた。
「なっ……!?」
呻いた茜が布団を剥げば、何故か刀を抱いた青年。間違いなく眠っている。
「これだから天才は……」後ろでぼやく声を聞きながら、ある予感に引かれて茜は更に斬り込む。しかし、それは眠っているはずの彼の、素早く動く刀に全て弾かれた。眠りながらにして模擬刀を感じ取っているのだ。さて、そんな青年の絶技を見せ付けられた茜はと言えば、益々癇に障ったようで。
「……なら。これなら、どうだっ!?」
鋭い叫び、下への三段突き。ようやく弾き損ねた模擬刀の切っ先が、彼の鳩尾に沈み込む。鈍い悲鳴が彼から漏れた。
ドスの効いた声で茜は低く、「内臓イカれさせたくなきゃ起きるんだな、雪白」と告げたのだった。
こうして明らかにオーバーキル以外の何物でもない所業で強制起床させられた青年──雪白は、「死ぬところでした」と不満げに呟いた。さりげなく布団を手繰り寄せたが、その手は茜の模擬刀に叩かれて落ちた。
「ああ死んじまうといいね、目覚めはどうだい? 眠り姫さんよぉ」と彼は睨みつける。
姫と呼ばれた雪白はゆっくりと茜を見返した。実際雪白は姫と呼ぶに相応しい美貌を持っているのだ。透き通った白髪に夜明けを思わせる濃灰色の瞳、通った鼻筋。180を優に超える身長も人外じみた容貌に拍車をかけている。だが本人はそれが不服らしく、半眼で目を逸らした。
「姫はお前では? 親指姫」
「よっぽど斬られてえみたいだな」
「おや、私まで腕が届くので?」
「試してみるか?」
一触即発と言ったところで、さっと樒が割って入った。そして雪白の頭を叩く。少女の格好とはいえ男の一撃、雪白がぐらついたが、仁王立ちした彼は「もー! 雪白! 寝ちゃダメだってボク言ったでしょ!」と一喝。声と仕草だけは可愛らしい。
「ねえ茜くん! 今日昼間から仕事なのに」
「あ? ああ。そうなんだ。とっとと取り掛かるぞ雪白」
毒気を抜かれた茜は、人は見かけによらぬものなのだなあという事実を噛み締めていたのだった。
全員が配給服であるフーデッドケープに身を包み、ガスマスクを被る。大抵の人が同じ格好をしているため、一番目立たない服装である。まあ、その下には軍服と武器を仕込んでいるわけだが。
今日の『処理班』に与えられた任務は廃墟の調査だった。
治安維持のための実力行使。それだけのために結成された黒百合隊であるが、そう毎日仕事があるわけではない。なので半ば雑用のようなことも回ってくるのだ。
独特の呼吸を漏らし3人は歩く。茜が小さく口を開いた。
「先日人が歩いてたら地面が抜けて、下に巨大な施設があったらしい。それを調べろとのお達しだ」
「施設を発見した人間は?」真っ先にそれを気にした雪白を茜は無事だよ、と一瞥し続ける。
「昼間のうちじゃねえと見えねえからなあ。まあ、地下なら昼間でもそう遠くは見えねえだろうが……。照明は持ってきたか?」
「もち。ボクに抜かりはないよ。でもさぁ。政府連中、ボクらを殺す気満々じゃない? 崩落した地下空間だなんてさ。ロストテクノロジーの匂いがプンプンしちゃうよ」
ロストテクノロジー。大戦前に使われて、そして失われたものを指して樒は言うが、茜はあっけらかんと「そうじゃない保証があるからお上は俺たちを遣ったんだろう」と返した。「まあ、俺が先行するがな」とも。もし樒の憂慮が杞憂にならなければ、今から行く場所は、大戦中武器を作るのに使われた施設である可能性もあるのだ。
「やだよ茜くん、ボク茜くんをそんな危ない場所に真っ先にやるなんてできない……っ、先行するなら雪白にしてっ……!」
「樒ではないのですね」
「お前強いから大丈夫でしょ」
そんな下らないやり取りの間に例の場所に着いた。
予想通りというかお約束というか、瓦礫にまみれたそこは洞窟のようになっていた。ランタンを灯した茜が先行し、薄暗い中を瓦礫を慎重に掻き分けながら進んで行く。
あったのは、瓦礫に押し潰されたガラスのチューブと、大量の腐った死体だった。
「う……!」
樒が声を上げる。
酷い有様だ。何が酷いといえば全てだが、腐った死体が全て裸であり、しかも子供であることが痛ましい。
「なん、なんだ……ここは……」
茜は照明を置き、手を合わせる。それから、死体の検分を始めた。躊躇のない手つきだった。大抵の死骸は圧死だが、それにしては違和感があって……「雪白? どうした」
声をかけたのは青年がじっと上を見上げていたからである。
「落ちている、この、瓦礫。あの天井分よりも遥かに多くはありませんか」
「子供たちも、昨日今日死んだわけじゃないよね……うぷ、気持ち悪」
ぼんやり瓦礫を見つめる雪白と、吐き気を催しているらしき樒。そして、小さな死体を見て、茜は口を開き、
「俺たちの工場になんか用?」
影が上から降ってきた。
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