茜に揺れる
一匹羊。
プロローグ
そして千々にちぎれた。
有り体に言えば、不変の物など存在しない。
あの日誓った永遠の絆は2年も経てば崩れ去るし、花は枯れ、物は壊れる。何千の時を超えた建物も何処かには修繕が入っているものだ。
だから、優しげなあの輪郭がぼやけていくこともまた、必然なのだろうと。自分の変化ですら異質ではないものなのだと、上を向いた彼女はぽかりと煙を吐いた。
煙草にしては黒い煙は、夕焼けにしては昏い赤色に吸い込まれていく。
そして千々に千切れた。
仄かに白っぽい空気に赤い空、だが夜である。1つとして電灯のない上星もないとなっては、自分の指先も見えないほどの闇になる。その闇が微かに蠢いた。
屋根の上である。屋根の上、小さな影が2つ寄り添っている。
「あーかーねくん」
軽やかな、男とも女ともつかない声。淀んだ空気に不釣り合いなそれを、少年の声が払いのけた。
「なんだ、樒」
「ボクもう疲れちゃったよ。ホントにここで張ってて証拠が見つかるの? 雪白もいないし、ボク心配」
先の声は男のものだったらしい。
あいつなら別の場所で待機してる、と元の位置に戻った茜をつれないなぁと樒は笑った。生真面目な声は静かにとだけ答えて闇に目を凝らした。
ふと、その声に笑みが混じる。
「お出ましだぜ」
屋根の下の道路。舗装もろくにされていないーもっともこの暗さでは見えないがーところを、男が6人、固まって歩いている。その中でも中央の男が何かをさも大事そうに抱えており、残りは周りを酷く警戒していた。
「これで一攫千金だぜ」
「おい、用心しろよ」
「なぁに、バレやしねぇ。ギルドだって後ろ暗いからオレらを追うことも出来ないさ」
「だれが俺らを追うってんだ。政府か? あの能無し連中に何ができる」
「そうとも、その通り。後は酒でも飲もう」
「あのさあ、これ俺たちでちょっと吸わないか」
「馬鹿。麻薬だぞ」
そこまで聞いた茜は樒に視線を寄越す。6人が二人の下を通過した瞬間、小さな影1つと大きな影1つが舞い降りた。
驚いたのは男らである。一斉に音の方を見るが、そこにいるのはあまりに小さく貧弱そうな、フーデットケープを被った少年だけ。
「茜くん、主犯確保」
その言葉にどよめいたのは残りの5人だ。大きな影1つ…樒は、着地した瞬間擦り寄って、麻薬を抱え込んでいた男を拘束していた。もちろん口も塞いで。
「よくやった」と言う隙に茜が刀を抜く。
「お前らっ、一体何者」
ふ、と息が出来なくなり男はもがく。小さな体躯から伸び上がった濡れたタオルがひたりと口を塞いでいた。
「あんたらが言う『能無し』どもさ。……悪いね。騒がれちゃ困るんだ」
そして淡々と心臓を突く。樒もその間に一人男を地に落としていた。僅かな空の白に反射するのは小さなナイフ。
残りの3人が激昂する。叫びながら飛びかかって……そこで茜が鋭く呼んだ、「雪白!」
「人使いの荒い」
声は茜とは反対側から。踊り飛び出して一瞬で3人の喉笛を掻っ切った。
「さすがー。速すぎるよ」ヒュウ、と口笛は樒の物だ。
「無駄口を叩くな。こいつを早く」拘束された男を蹴る。「連れてかねえといけないんだ。さ、マスクつけろ」
倒れた男たちはみんな独特の形のガスマスクをつけていた。同じものを茜たちも取り出して付ければ、シュウシュウと独特の呼吸が漏れる。
踵を返した彼ら3人はすぐ闇に溶けた。
いつかは分からない、だが2000年代初頭でないことは明らかなそこは、かつて日本と呼ばれていた場所。今はもはや、電灯すらもままならないディストピアと化している。
荒れ果てた大地、赤く染まった空、毒性の大気、黒い雨、終わった世界。
だけど、今日も誰かが生まれている。そして、少年たちはここに生きていた。
変わり続ける景色の中で走り続けた彼らのことを、いつか誰かが思えるよう。
幾年も変わらないのは記憶ではなく記録だけだから、政府直属の秘密組織、『黒百合隊』として実力行使を持って治安維持に励んだ彼らのことを、ここに記しておこう。
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