第155話 檻の中の戦い


「アキラとラシアンは!?」


 ドエルが短剣を振るい、こちらに合流してきたグリットへ叫ぶように問う。


「ラシアンは鎖で固定した後、すぐ錠前を作ってたぜ! あいつはまだ若いが、物作りの早さだけはすげぇ! アキラは……訳わかんねぇが、大丈夫だ!」


 入れ替わるようにワッセが盾を使いオルトロスの動きを阻害する。


「どういうことだ!?」

「俺様は言葉で説明すんのは性に合わねぇから自分で見てみろって!」


 投げやりなグリットは、ワッセへの援護に向かう。悠長にしてはいられないが、チラッっとドエルはその方向を見遣る。


「大丈夫そう、だな?」

「だろ?」


 ドエル達はそう言って自分達の仕事に戻る。折角安全マージンを取って戦えるチャンスだ。失敗は出来ない。








「ほら! 大人しく、しろ!」

「グルゥオ!」


 オルトロスの折れた左前足とは逆の前足をアキラは両腕で抱きかかえていた。毛並みは怪我をする程固いが、毛を逆立てないように意識すればそこまで被害が出ないと予想したアキラの読みは当たる。


(隙を突いて飛び込んだのはいいがっ、こいつは思ったより厄介だ!)


 オルトロスのアキラの顔を噛み千切ろうと顔を出せば、アキラは首を動かして避ける。避けた先にもう一方が首元目掛けて噛み付いてきた。


(ダメだ! 避けられない――ならっ!)


 瞬間アキラは避けた勢いのまま首に噛み付いてきたオルトロスに、頭突きを見舞った。


「ギャン!」

「ぃってぇ~!」


 加減をしなかったせいで、自身へと届いた衝撃と痛みで顔はぐちゃぐちゃだ。仮面のお陰で大した影響は出ていないが、アキラからすれば大惨事だった。


「くっ!」

『こ、これはなんということだ~! サブロー一人を犠牲に! 双星の片割れを倒す算段かー!?』


 実況の声を耳にするがそれどころではない。あまりにも暴れ回るため手を離し、距離を取っ……たりはせずその手を頭突きした方のオルトロスへと伸ばし、即座に耳を引っ掴む。


「ヴォフ! ヴォウヴォウ!」


 もう片方が威嚇のためにアキラに吠え、噛み付こうとするが……


「おっと!」

「キャヒィッ!」

「ヴァウッ!」


 オルトロスの頭部は二つでも、身体は一つしか無い。相方の耳をアキラが掴んで自身の方へ引っ張れば、間に連れてこられた相方の頭部が距離を作ってしまい、近づいても決して噛み付くことが出来ない領域を作られてしまう。


『あぁーっと! 残酷! やることが酷すぎるぞ~!』


 噛み付くためには更に距離を縮めなければならないが、そんなことをすれば今のように耳を引っ張られて痛む声を上げることになる。アキラも内心では冷や冷やしているが、思った以上に柔らかい耳の感触に驚く。


(なんだこの耳……触り心地もいいけど、罪悪感が半端ない。いやそんなもん感じる余裕も無い筈なんだけどさ)


 妙に余裕が出来てしまうが、手の力は一切緩めない。


「ガルゥ……」

「グルゥ……」


 オルトロスはアキラの手から伝わるその力が、最早今まで殺し、見下してきた他の非力なヒューマンとは一線を画すのが感じ取れた。自身の生命は、生まれてこの方離れたことのないのもう一方のオルトロスにかかっているかもしれないと、心が怯えを見せる。


「ガァッ!!」

「ん?」


 瞬間、そんな怯えを端と捉えたのか、大きく一声吠えた。アキラはそれを見た時、以前氷城で魔法を使う予備動作を感じ取った時と同様の感覚が体中を駆け巡る。


「ぐっ!?」


 間一髪だった。


 噛み付くのを諦めた瞬間、炎のブレスがスキル発生の兆候無しで発生したのだ。


『これは案外やれるのかぁ!? たった一人なのにまだまだ粘りを見せている! あの噂は本当なのかぁ!!』


(やっぱこのブレスはスキルって扱いじゃないのか……っつぅ~)


 アキラはギリギリ避けたと思っていたが、耳を掴んでいた左腕の外側が焼けただれていた。掠めただけでもこれなら直撃したらどうなるかは、あまり想像したくはない。


「くそっ!」


 手を離さざるを得ず、掴まれていたオルトロスはこれ幸いにと拘束から解かれて即、

頭部を跳ね上げた……アキラの方へと向かって。


(まずっ――)


 感じ取ったのは魔法と同じ感覚であり、それはブレスの兆候だった。頭部が別だからブレスを2連射出来るのかと、アキラは無意識的に考える。舌打ちしたい気持ちが表に出る時間も無いほぼノータイムで判断を強いられた。


 炎のブレスを避け終えた今の体勢では、反撃する時間もない。


 ラシアンは製作が終わっていないので、援護は期待出来ない。


 ドエル達が駆けつけるには距離があり、助力は求められない。




 最早、ブレスを受けないという選択肢は存在しない。


(ならっ……!)


 仄かに感じる死の匂いを気合いでねじ伏せる。


『あぁっと! もうダメかぁ!?』


 アキラの顔面へと向け、炎とは違う、氷の・・ブレスが放たれた。炎とは違いどこか固形物が多い印象を与える。軌道上はキラキラと光に反射し、美しく輝くラインを描く。


 どこに食らっても致命傷は免れず、檻を抑えている時とは状況が違うため腕を捨てることも出来ない。一対一の今、この状況でどこかを犠牲に助かっても詰みが近づくだけだ。食らうべきは防具もオルターも無い今の時点で一番丈夫な部位であり、生き延びるためにブレスを食らうべき場所、それは死転の面を付けた顔面・・以外ありはしない。


「ヴォフッ」


 憎い相手にブレスを頭部に当てられたことに満足して喉を鳴らす。


『ここまで奮闘したサブローでしたが、やはりここま――あっ!?』


 そして、計算違いは再び伸ばされたアキラの手が、オルトロスの耳を掴むことによって露呈する。


「ワフゥ!?」

『なんとなんとなんとぉ~~~! サブローはブレスの直撃を受けたはずだがぁ!? 殆どノーダメージだ!!!』


 観客が「わっ!」と沸く。


 アキラは無防備にブレスを受けた訳ではなく、仮面に当たったと同時に首を捻ってブレスを逸らすように意識している。物はブレスのため効果は雀の涙程度かもしれないとアキラも覚悟はしていた。


「いっつぅ~……んじゃ、次は、こっちの、番だな」

『サブローはまだまだやる気満々だぁ! あ、因みにあっちの実況はそれ程面白みも無いので割愛しますので、ご了承ください。最初はどうなることかと思ったがぁ! こっちの方が見応えがあるぞぉおおお!』


 盛り上がる会場に嫌気が差すが、仕方がないことだと割り切るしか無い。


 アキラはやらないよりはマシと考えた行動だったが、ブレスは氷のつぶてがメインとなる。首を逸らした結果、仮面に当たった氷の塊がアキラの頭を加速するように押し出し、とんでもない首の負担と共に致命傷を回避出来た。若干首を痛める追加ダメージを受けたが、ちょっと痛めた程度で済ませているためそれ程の問題にはならない。


 そもそも来るとわかっていた攻撃ならまだ耐えることが出来る上に、ブレスの特性上扇形の前方範囲攻撃になっている。そのブレスを至近距離で使えば長所を生かすのは厳しいのだが、双星のオルトロスは苦戦を強いられた戦闘経験が圧倒的に少ない。


 何より自分からなら兎も角、相手にこれ程近づかれ、尚且つ双星の片割れが居ないなんて経験は初めてのことだった。


「グルァッ!」

「させるかっ!」

「ッガァ」


 苦し紛れに炎のブレスを吐き終えた頭部が、アキラの耳を掴む部分に噛み付こうとする。またしても同じように耳を引っ張られて近づけない上に、反射でついカウンターを鼻にかました。


「ゥウッ!」


 オルトロスも殴られた拍子に身体を反転させ、鋭い尾をアキラに向けて切り払う。


「くっ!」

『躱す躱す躱すぅ~! 昨日のサイクロプスとの戦いはマグレなんかじゃないようだぞぉ!?』


 耳を離さず身体を捻り、身を低くしてそれを躱した。オルトロスも学習したのか、避けられても諦めず自身の耳を掴んだアキラの腕を切り裂くため、まだ折れていない方の手で爪を振り下ろしす。


(コイツはサイクロプスみたいに力任せじゃないのはわかってたが、やり辛すぎる!)


 サイクロプスは純粋で圧倒的な暴力と頑強さを武器にする相手だった。だから身体一つで倒すことが出来たが、プレイヤーが唯一装備出来る武器、オルターさえもない今のアキラじゃ苦戦を強いられる。


「ぐっ!」


 振り下ろされた爪の腕に、耳を離さないように掴んでいた腕を上げることで勢いを止めた。だが伸びる爪と崩れた体勢で受けたため、仮面に爪の先端が抉るように突き刺さる。


(オルターさえ使えれば……こんな奴!)


 当然無い袖は振れない。今出来ることで対処するしか方法が無いが、状況は更に不利になる。耳を掴んだ来て手は離さない物の、無茶な体勢で躱し続けたツケが回り、とうとう地面に引き倒されてしまう。今手を離せばそれこそ手が付けられないため、何も出来ない。


「っのやろ……!」


 上手く掴んだ耳を使って頭を動かし、氷のブレスを吐いた頭部をコントロールして噛まれるのを避ける。鼻頭を殴られた方はアキラに食い付こうとするも、ギリギリで避け続けた。


「アキラっ! だいじょぶか!」

「っ! 大、丈、夫じゃない! けど、気に、すん、なっ」


 ラシアンが錠前を取り付け、どうみてもピンチのアキラに声を掛ける。


「いっ! ブレ――」


 業を煮やしたオルトロスは口に炎の予兆を見せ――折れた腕でアキラの首を押さえつけた。


「がはっ」


 オルトロスがニヤリと笑ったように見えた。


『あぁっと!? 遂に捕まったぁ!!』

(やられた……?)


 上手く喉を抑えられ、声が出ない。抑えられた拍子に鉄板の上に頭を強打して、暢気に別のことに考えが回る。


(まるで、初めてこの世界に来た時みたいだな……)


 世界がスローモーションに感じられた。オルターが使えないためバフも何も使ってはいないのだが走馬燈があるとすれば、今の状態がそうなのかもしれない。その中でオルトロスが顔面に食い付くのを感じ取る。幸いにも死転の面が完全に防御してくれているが、抵抗らしい抵抗もしない今のアキラの面は簡単に削れていった。


(手が、動かない……)


 未だ無意識に耳を掴んでいる手だが、オルトロスも必死に抵抗する。引きちぎれても構う物かと後ろに引っ張り、相方の援護をしていた。


(ぐっ……)


 更に不幸は続き、食い付かれた勢いでまた後頭部を強打した。その瞬間、彼の世界から音が消えた。


 ゴッ!

 ゴッ!

『生きたまま食われる哀れ! サブロ~~~~!』


 実況からはそんな認識だったが、音は聞こえない物の衝撃は感じ取っていた。


 頭を打った影響なのか、訳がわからず思考にもならない思考が頭を駆け巡る。頭の回転が相当衰えているのは感じ取れるが、だからと言って何も出来ない。


「――キラっ!」


 必死の形相でラシアンが叫ぶが、耳に届かない。頭の中だけがふわふわとしている。


(俺は……死ぬのか?)


 未だ致命傷らしい物は負っていないが、死転の面がジリジリと抉れ、数ヶ月ぶりに一部だけ曝されるアキラの顔が傷つく。鈍った思考は未だ身体の自由を取り戻せていない。


(フォレスト・ウルフ……)


 初めてこの世界に来た時に、初めて命のやり取りをした狼型の魔物、何もかもが手探りの状態で何も出来ずに死にかけた。オルターがあったからこそ今のアキラが居る。そしてオルターが無い今、同じ――いやそれ以上に酷い状況で、アキラは生き抜かなければならない。


(俺は……)


 更に食い付こうとした次の瞬間、オルトロスの口の中に何かが突っ込まれる。


「ギャ!? ――ゥルルル!」


 オルトロスはそれが何かに気づくと、噛み砕こうとその顎を閉じようとした。


「ァウァフルルル!?」

(やって、くれ、たな……)


 目が覚めたように意識を振り絞り、今まで緩やかだった思考が加速する。それと同時にオルトロスの舌へ爪を立てて握り締めた。オルトロスはその牙を突き立てること無く、アキラの腕をつつくだけで終わる。


(危なかった。殆ど無意識だったけど、初めてこの世界に来た経験が役に立つなんてな……)

『なんとなんとなんと!? サブローはまだ生きていたぁ!!』


 生きるために今まで幾度となく身体が勝手に動くことがあった。それは決まってあと一歩で致命的なダメージを負う時だ。幾度となく仮の死を経験し、魔物相手に死にかけ、そうして磨かれてきた生存本能は、無意識に生を選択する。まるで呪われてるかのように生きることを強要されているが、当の本人はただただありがたがるのみだ。


「フルルゥ……!?」


 アキラの腕を振り解こうとしたオルトロスだったが、頭が全く動かない。それどころか舌から伝わる痛みに震えが走る。


 オルトロスは支えにしていた健常な前足をアキラに向けて振り下ろす。牙が使えないならば爪で引き裂くしかない。オルトロスは今折れた足で抑えつけたアキラを殺すことしか頭になかった。


(いつまでも好き勝手させるか!)


 耳を掴んでいた手を離し、自分を抑えつけている折れた足を思いっきり捻ってどかす。すぐ横に振り下ろされた爪を尻目に、舌を掴んでいる頭部の牙を掴む。そして足を腹に当てて巴投げの要領で……力任せに投げる。巴投げの流れや力の運び方など知らないアキラは、取り敢えず片足で蹴り上げ、もう片方は地面を蹴っただけだ。


「ぁあああっ!」

『えげつない! えげつないぞサブロー!』


 アキラが気合いの声を上げる。それも舌と牙を掴んだままで、オルトロスを投げた体勢のまま、もう一度地面を蹴る。掴んだ部分を軸に、仰向けの状態から後転する要領で、ひっくり返ったオルトロスの腹に、ダイブと同時に思いっきり膝蹴りを腹部に突き刺す。今度は声も出ないのか、オルトロスから呼気の漏れる声が聞こえる。


 自然とマウントを取る形になるが、今オルトロスはダメージで怯んでいて、奇しくもアキラと立場が入れ替わる形になっていた。


「俺はお前みたいに逆転のチャンスはやらないからな」


 言ってから舌から手を離し、掴んでいた牙の根元を肘打ちで叩き折る。そしてその牙を胸部に突き刺した。


(こんなやり方なら、武器判定にはならないみたいだな)


 怪我も構わず腕を振りかぶって牙を後押した。


「「ギャヒッ!?」」

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 急所に入ったのだろう、HPゲージ一瞬で消え去り、青い粒子となって消えていくオルトロスを見た瞬間、アキラは膝を着きたい思いを堪えてラシアンに言う。


「開けて、くれ……」

「あ、ああ。大丈夫か、新入り」


 心配げに大人しく問うラシアンに、乱れた息を整えながら手を上げて無事をアピールする。


「死んだかと思ったが、気がついたらあっと言う間だったな」

「運が、良かったんだよ……はぁ、はぁ」


 アキラは解錠を見届けながらもう一匹のオルトロスを相手にしている集団を見遣る。


 ワービーストのワッセが敵を引きつけ、隙を見せればドエルが襲撃し、グリットが絶え間なく猛攻を続ける。ロビタリアは回復をし、ドエルの言った通り危なげなくオルトロスにダメージを与えていった。


「ふぅー、この調子なら大丈夫そうだな」

「そだな」


 アキラは真剣な目でドエル達を見つめ、問題が無い・・・・・ことを確認した。そして目標の一つ目、ドエル達より早くオルトロスを始末することになんとか成功し、二つ目の目標……自分に殺意の目を向けるのが誰かを絞るために動き出す。


『サブローが!? まさかの、まさかのまさかの大逆転!!! 勝利を手にしたのはなんと謎の仮面ヒューマン! サブローだぁあああああ』

『『ワァー!』』


 アキラは周囲を気にするのを止めた。

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