第154話 双星のオルトロス


「ふざけてる」


 感想はそれだけだった。実況の言葉に耳を傾け、姿が見えた二匹のオルトロスを見据えてそう零す。


「落ち着け、来るぞ」

「……ありがとう」


 観客の空気から出てきた苛つきから自然と拳を握りしめるが、ドエルがアキラの背中をトンと叩いて軽めの活を入れる。それだけで十分だと判断したドエルは狙い通りにアキラを落ち着けた。


(まぁ必要ないとは思ったが、本当にいらん世話だったか?)


 そうドエルが思っていても、アキラはお礼を言ったきり檻に目を向ける。今回は実況の合図で始まるのは、言葉の運びから察していたのもあり、いつでも飛び出させるように準備していた。


『――これより処刑二日目を執行致します! 生き残ってくださいよぉ! 6人の死刑囚ゆうしゃ達っ! それでは……執行~開始っ!』


 予定調和と言っていい展開、2匹のオルトロスも開ききるのが我慢出来ずに飛び出そうと檻をガンガンと体当たりしていた。開始が宣言されても檻が開かれるまで戦いは始まらない。ギリギリまで対戦相手には恐怖を、観客には焦燥を与える。


「「うぉおおおおおおっ!」」


 檻の上部に鍵らしき物は付いているが、独りでにロックを外した。そして少しの振動で格子がアキラ達の方へと静かに傾く。そして重力によって地面へと引き寄せられ、観客の歓声と共に解放されようとしている。誰もがオルトロス相手に身構え、これから飛びかかられる戦いの予感に唾を飲み込んだ。


「「ヴォア――


 その獰猛な唸り声から見える牙は人の腕なら簡単に噛み千切るだろう。


 その毛並みは身を寄せるだけでズタズタに肌を傷つけるだろう。


 その爪は大木でさえ容易に引き裂くだろう。


 その尾は近づく者を全てに死をもたらすだろう。


 そして我慢ならんと檻が落ちる前に2匹が重なり合う咆哮と共に飛び出し、死の気配を纏った獣達の方から次に聞こえてくるのは当然――



 ガシャァン!



 金属音を奏でる格子の音。



 ――きゃひぃん」」



 だけでなく、犬の泣くような情けない鳴き声が後に続いた。


「え?」


 最初に声を上げたのはドエルだった。隣に居たと思って意識を外していたアキラが、なぜか檻を蹴り上げている。その現実に対しての疑問だった。


 蹴り上げられた格子の枠は必然と元の閉じた状態になっている。やったことは単純で、檻が手前に落ち、オルトロス二頭が飛び出そうとしたその瞬間に、アキラが足の裏を使って檻を蹴り上げた。当然蹴り上げた檻は元に戻るついでに、二頭のオルトロスを巻き込んで閉じる。


「「ヒィンィン……」」


 似たような鳴き声を上げながら、各々の頭が顔や鼻から来る激痛と、背中を反対側の檻に打ち付けたせいで何が起きたかの理解出来ずに混乱していた。飛び出したと思ったら戻って倒れている現実に、首を振ってきょろきょろと動かし、自身のもう一つの頭を互いに見つめ合う。


『ななな、なんということだ! 仮面のサブローが魔鋼鉄の檻を蹴り上げ、オルトロス双方を押し戻したぁ!?』


 実況の声も騒音にしか感じられない。アキラも同じ扱いをしながら挑発する。


「ほら、出てこいよ」


 既に檻は解放済みなため、持ち上がった格子は再び降りてくる。それをアキラは格子を足の裏で押し、支えたまま止めていた。上と左右の隙間が開いたり閉じたり動いているが、一頭のオルトロスが目の前の格子を支えに檻を閉じているアキラの足に噛み付こうと飛び出す。


『にしても彼はヒューマンのように見えますが、どんな足をしているのか? 魔鋼鉄製の檻は重量と頑強さが売りです! それを蹴り上げられるのも驚きですが、蹴りなんて入れれば普通、足が使い物にならなくなるでしょう!』


 興奮する実況を尻目に、オルトロスが格子の間からアキラの足を噛み砕こうと口を開く。もう一つの頭は格子ごと押し潰して脆弱なヒューマンを後悔させてやろうと頭ごと押してくる。だが格子の大きさが原因でアキラの足をギリギリで噛めない。だから隙間から飛び出てうろちょろしている鼻っ面をアキラは握り締めた拳でハンマーの用に打ち下ろせた。


「お座りっ!」

「ぎゃひぃん!」


 情けない声を上げながら殴られた方の鼻っ面を両前足で抑えるオルトロス、そしてもう片方の頭部は心配そうに相方の頭部を見る。


「そっちは来ないのか?」


 様子を窺っていたもう一頭のオルトロスにアキラが声を掛けると、威嚇しながら今にも飛び出す雰囲気は出している。だが警戒しているのか、一向に飛びかかる様子はない。


(HPを見る限り大したダメージじゃないけど、怯ませるなら効果絶大だな)


 アキラは冷静にオルトロスと戦うための材料を集める。手足なんて格子の間なら千切られることは無いと高を括っているのもあるが、もし今更千切れ飛んだとしても一生物の傷にはならない。むしろその程度のリスクで圧倒的優位なこの状況を維持出来るなら安いとさえ考えていた。


「おいラシアン! 早く武器作れって! もう始まったんだろ!?」

「ちょい待ってくれ、開始合図までは行動禁止だから遅くなんのは仕方ね」

「作るのも時間がかかるしな……」

「いつもは俺の役目だったが、今回はアキラが時間を稼いでくれてるんだ! このグリット様が最初っからアタッカーしてやれるんだから急げって!」


 ドワーフのラシアンは、彫金細工職人であり、職人が持つスキル【製作】を使うことで持ち込んでいた金属の端材や木材を使って“槍”を作り上げた。


 アキラはまだ遭遇していないが、戦うことを諦めたプレイヤー達は、基本的にこの職人が持つ製作スキルで暮らしに役立つ物から、魔物を倒す道具や身を守る防具、攻略に必要な道具を作ってプレイヤー達をサポートしている。


「おいよ、出来た」

「よしきた!」


 マイペースにラシアンはグリッドに出来たばかりの槍を投げ渡す。聞こえてきていたそのやり取りをアキラが把握し終えてすぐ、グリッドがやってくる。


「待たせたな!」

「今来た所だから気にするな」

「ハンッ! なんだそりゃ、お前やっぱ面白い奴だな!」


 グリッドがアキラの反対側に回り込む。勿論警戒していたオルトロスは片方そちらへ向く。間に挟まれた格好になったのと格子が邪魔して威嚇しか出来ない。


「コイツは処刑用の魔物だ! 一度噛み付かれたら持って・・・かれると思えよ!」

「ぎゃひぃんっ!」


 グリッドが槍を格子の間に通し、アキラの方へ向いているオルトロスに背部から突きを入れる。未だダメージがあまり無いもう一頭は、一刻も早く出るために出口を塞ぐアキラに向かった。


「処刑用ってなんだ!」


 鋭い爪で格子に掛けたアキラの足を引き裂こうと、瞬き程の時も置かずに鋭い爪が伸びる。


「っぶな!」


 それを躱して足を離すと、爪と一緒にオルトロスの身体が腕ごと格子に突っ込んだ。


「させるか!」


 ガシャンと檻が揺れて格子が倒れてくるその直前、今度はドエルが叫びながらアキラと入れ替わる形で格子を両手で支えた。


「ぐ、重っ」

「そのまま支えててくれ!」


 自由になったアキラは、すぐにオルトロスが未だ出ようと足掻いて伸ばした腕を取る。強靱なオルトロスの毛がアキラの手の皮膚を突き破らんばかりに刺さるが、当の本人はそれに構っていられない。血が流れ出ようが構わず握り締め、身体ごと全力でその腕を横に引っ張る。


 格子があるので肘がぶつかった。当然それ以上は物理的に動かせない。


「ぉ、おおっ……!」

「グゥルァアアッ!」

「おおらあああっ!」


 引っ張る力を更に込め続けるアキラだったが、オルトロスがチャンスとばかりに、もう片方の爪でアキラを引き裂こうとする。


 そして次の瞬間、破滅の音が響く。



 ゴキュ



 何かが外れるような小気味良い音がアキラの手を通して伝わる。


(あんまり気持ちのいい感触じゃ無いな……でもっ!)


 アキラはオルトロスの腕をへし折っていた。


「ヴォフッ! グルァアアッ!!」


 肘関節を折られたオルトロスの双頭が、涎を撒き散らしながら痛みに喘ぎ、地面に身体を擦りつけて暴れ回っていた。


『や、やや、やったーーーー! これまで双星のオルトロスが処刑係になってからこれ程の大きなダメージを与えた者は居ません!! なぜなら絶妙なコンビネーションがダメージを負う前に処刑を執行してしまうからです! 驚きなのは手がズタズタになる怪我に構わず込めたその腕力! 昨日のサイクロプス戦でも思いましたが彼の力はどうなっ――』


 実況が色々と捲し立てているが、昨日の話に移ったことでまだまだ彼の話は続きそうだ。それに構わず既に手を離したアキラは、血まみれの手を振ってダメージの確認を優先する。


(俺の感覚的にダメージは見た目ほどじゃない……だな、やっぱHPも大して減ってない。なら次にすることは……)


「ドエル! オルトロスの情報を教えてくれ!」

「っ!?」

「一番厄介なスキルとか、こいつの特性とか! 何でもいい!」


 ドエルは動揺しながらも、スパイとして培った冷静な部分が必要な情報をかき集める。そして、状況的にアキラが求めている答えを即座に導き出した。


「……こいつらは双子のオルトロスだ! 生まれた時から双頭を操るオルトロスだが、それをこいつらは二体で、一体のオルトロスのように連携やコンビネーションが異様に上手い!」

「なら、分断した方がいいってことだな!?」

「ああ、こいつらには幾つもの命が散らされている! だから今の状況を維持出来ればそう苦戦はしない筈だが……」

「よし、なら――」

「待て、もう一つ厄介な特性がある! あいつらは双頭でそれぞれ扱うスキルが違うんだ! 片方は炎を、そしてもう片方は氷をブレスにして攻撃してくる!」


(今は大丈夫みたいだが、いつ使ってきてもおかしくないってことか? 考えろ……何が一番いいのか……そして何が一番悪い・・のか)


 反射的に思いつく理想の配置を考える。この中でアキラの戦力は暫定トップクラスなのは疑いようがない。サイクロプスを単独で屠った今、それはこの場に居る誰もがわかっているとだ。


 そしてそれら全てを踏まえ、頭の中で思考を進める。


(今は檻を使ってなんとか優位に立てているが、もしドエルの言うブレスを使ってくれば、今の包囲は逆に向こうの優位にひっくり返るよな……オルトロスの強さはノートリアスモンスター程でもないのはなんとなくわかる。それに力押しのサイクロプスに比べて厄介さで言えば絶対にコイツの方が上だ。オルターが無くて武器も持てない今の俺じゃ……いや、二体セットなら兎も角、単体ならなんとかなりそうな気がする。そしてそれだけじゃない、ずっと気になってたあれ・・を絞り込むことが出来るんじゃないか? ……よし、賭けになるけど、これならいけるかもしれない)


 時間にすれば数秒だが、目まぐるしく回転する長考の果てに、思いついた配置にリスクを加えることで、自分にとって最適な展開を思いつく。そしてそれを実行するにあたり、確認を済ませておくことがあった。


「ドエル! お前らはオルトロス一体だけなら何人でやれる!?」

「は!? ……グリットとワッセ、俺なら何とかなる。ロビタリアが居れば確実だ」


 ドエルはどうしてそんなことを聞くんだ!? と問い返したい思いを必死に抑える。今この段階で時間をロスする訳にはいかないからだ。


 そしてこの段階でワービーストであり、長年相棒として連れ添ったワッセが鉄製の盾と鉄製の剣を携えて合流した。


「待たせた、ほらドエル」

「お……助かる。それでアキラ! どうする気だ!?」


 ラシアンが作った短剣をワッセがドエルに手渡されながらアキラに質問の真意を問いただす。と言ってもこれはもう確認作業でしかない。何を言い出すかは理解していたし、ドエルは反論もするつもりでもいた。


「今言った奴らでオルトロスを一体倒してくれ! 俺は檻に入ってもう一体を相手に時間を稼ぐ。そしてラシアンなら檻を開かないように鎖か何かを用意出来るだろ? それで俺ごと閉じ込めてくれ!」

「なっ……!」


 二手に別れること自体は予想内だった。だが、檻に自分を閉じ込め、尚且つラシアンを使ってオルトロスを相手取ると思っていたのに対し、開かないようにするのは予想外だ。


「外からこいつらをちまちまやってても決定打にはならないし、下手したら中からブレスを吐かれる。それに俺なら時間稼ぎ位にはなるだろ?」

「な、なら一匹を檻に閉じ込め、一匹だけ外に出そう!」

「ドエル、それじゃいつ吐かれるかわからないブレスに怯えないといけない事実は変わらない」

「わかってる、だが……ワッセ?」


 ワッセがドエルの言葉を塞ぐように、アキラに目を向けた。


「アキラ、やれるんだな?」

「そっちが時間稼ぎにならないことを祈るレベルだ」

「ワッセ!」

「聞け」

「っ!」


 低音だがしっかりと耳に届く声で、有無を言わさない威圧感にドエルも言葉が出ない。


「おい、ワッセ!」


 アキラが初めて彼の名前を呼ぶ。それに反応したワッセだが、檻に近づいてくるオルトロスを見もせず襲ってくる爪を冷静に難なく盾で弾き、離しを続ける。


「サイクロプス単体とオルトロス単体なら、間違いなく強いのはサイクロプスだ。双星のはコンビで最強であり、単体ならば大したことは無い」

「それはそうだが!」

「お前はコイツの強さを信じると言っただろ? なら、俺達が確実に生き残るためにどうすればいいのかわかるはずだ」

「ワッセ!ドエル! 避け――」


 途端にグリットの声が反対側から聞こえたが、それは全て聞こえず途切れてしまう。


「な、何を……!」


 気がついた時には既に遅く、目の前には格子から手を離し、ドエルとワッセをタックルで押し倒したアキラが居た。


「くっ!」


 すぐ反応したワッセは倒れ込みながらアキラの服を引っ掴んで後ろに投げ、倒れてきた格子に巻き込まれないようにする。


「な、そういうことか!」


 自分達の居た所に通り過ぎた炎のブレスが通り過ぎているのを見てドエルはすぐ理解した。ワッセは格子を支えきれないと判断してアキラを動かし、ドエルの動きを阻害しないように倒れ込む。体勢を整えることが出来たドエルは、即座に短剣を足の折れたオルトロスに投擲した。


「グゥルル!」


 短剣の威嚇が功を奏したのか、健常なオルトロスは檻から出てしまったが、もう片方は未だ檻にのこっている。それも時間の問題なため、ドエルは飛び出したオルトロスとはすれ違わないように、取り残された方へと急接近した。


「【シャドウスタブ!】」


 どこから取り出したのか、投擲したのとは別の短剣をオルトロスの影に突き刺した。


「ガゥフ!?」


 短剣の突き刺さった場所は丁度折れた前足が影になっている部分だ。それだけでオルトロスは身動きが取れなくなってしまっている。その折れた足が縫い止められているかのように、その部位以外が一切動かせない。更に骨折の影響で激痛が走り、思うように身体が動かせないでいた。


「閉じるぞ!」

「グリットは今飛び出たオルトロスの注意を引け! 他の皆は兎に角手伝え!」


 アキラの叫び声に呼応し、一刻を争うと判断したドエルが指示を出す。叫び声を上げながら槍でチクチク牽制していたグリットは、飛び出したオルトロスの元へと向かう。


 ロビタリアとラシアンも檻まで駆けつけた拍子に倒れた格子を持ち上げた。共に戦いを潜り抜けた彼等は何をするかは知らなくとも、何をすべきかわからない程愚鈍ではない。


「俺は中に入る! 離すぞっ!」

「アキラ! 時間だけ稼いでくれればいいからな。ラシアン! 檻を閉じたらお前は鎖を作ってこの檻を閉じてくれ!」

「なっ」

「俺からも頼む、同じステーキ食った仲だろ?」

「わ、わかったけどよ……」


 締め切った牢に自ら鎖を付ける。遠くに居て決まったばかりの作戦を知らないラシアンだったが、マイペースなりに事情を詮索せず製作スキルと端材ですぐに鎖を作った。


「シャドウスタブは暫くコイツには使えない。そろそろ拘束も解ける」

「わかった」


 アキラは必要なことを聞いたためさっと振り返って「グルルッ!」と唸り声を上げる双星のオルトロスと真っ正面から睨み返す。腕を折った張本人のアキラを、オルトロスも忌々しげに四つの眼で睨みつける。


 開幕から慌ただしく開始された処刑だったが、紆余曲折ありアドリブ要素が非常に大きかったが見事分断に成功した。そして望んでこの展開を作れたアキラは、これからしなければならない二つの壁に内心不安を感じる。


(一つはいい、もう一つが一番重要なんだ……よし、やってやる)


 アキラが大きく一歩を踏み出す。その気迫にオルトロスは急かされているかのように、足を引きずってでもアキラに向かって走らざるを得なかった。

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