第133話 勝ってはいけない相手


「ソラス、俺はもう大丈夫だ。殆ど痺れは抜けてっからスパッタとカーンのサポートに回ってくれ」

「わかった」


 ソラスは取っ手が付いた鉄の塊を軽々振り回して肩に乗せると、フイルを置いてすぐに飛び出す。子供のような小さな体躯だが幼い子供特有の不安定な走りではない。鉄の塊を担いでいることを合わせれば彼女はその幼い身体と鉄塊は短くない付き合いなのが見て取れる。


『キェアアア!』


 ブラックアビスの奇声が一瞬だけ聞こえる。その声のせいで空中を蹴ろうとしていたスパッタは上手く空を蹴れずに体勢を崩して落ちてしまう。


「くっそぉおお!」


 その叫び声から間を空けずにブラックアビスの腕がスパッタに迫る。腕をクロスしてガードをするがそのまま吹き飛ばされてしまった。


「もっと冷静に」

「うっせぇえ!」


 吹き飛んだ先でソラスが片手だけ使ってスパッタを軽々と受け止める。そんなソラスに暴言を吐くが、彼女は気にせず上に彼を放った。


「合わせる」

「ぶっ殺してやる!」


 カーンと同じくソラスも片手で持った鉄の塊を振り回した。鉄の塊を足場にし、スパッタが再び飛び出す。互いに加減もせず力を振り絞ったせいかスパッタは早く重い砲弾となった。


 だがブラックアビスはそれを迎え撃つ。


『ァア――』

「させません!」


 その隙を逃さず近くに居た翠火がスキルで生み出したオルターの分身と共にシュバイツァーサーベルを突き刺し難を逃れる……筈だったがブラックアビスも甘くない。


『ア゙ァッ!』

「なっ」

「くそっ!」


 その刃は先端すらめり込まずに止まる。威圧のように発した声だけで翠火とオルターの焔は吹き飛んでしまった。突っ込む直前だったスパッタも木々の向こうに弾かれる。翠火はなんとか体勢を整えて着地を決めるが、今ので分身を生むスキル【糸遊】が解除され分身が消える。そして当然それだけじゃ終わらない。


「翠火さん逃げ――」

『ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!』

「っ!」


 ブラックアビスが3メートル以上はあるその巨大毎突っ込んできていた。翠火は慣れない着地で踏ん張りも利かなかったため緊急回避でその場から横へ飛ぶのが精一杯だったが、間一髪で間に合わず片足を掠めてしまう。


(まずっ――)


 気づいた時には既に遅く、掠めただけで翠火はバランスを崩して吹き飛ばされた。それでもブラックアビスは止まらず地面を抉って地響きを轟かし地形を変え大きく土煙を巻き上げる。


『キャハッハ、ハア゙ハァ――ララ゙ア゙~♪』


 当然のように無傷で再び浮かび上がり、耳障りで不気味な喜びの声で笑うといきなり歌い始めた。邪魔者を排除し、今居る観客に滅びの歌を届けるためだ。なんとか身体を起こした翠火ではあったが片方の足が折れている。急いで治療しなければ歩くことも出来ない。


(っ……この歌……さっきより――か、かっ身体が)


 危険だと悟った翠火は震えた身体を必死に動かしやっとの思いで匍匐ほふく前進して距離を離そうとするが、ブラックアビスの強力な歌声がその進行を妨げる。そして無慈悲に翠火へと歌いながら迫る黒い影が自身の身体の上に重なった。その結果花弁のスカートの中が見える格好だがそこに視線を向けたことを後悔する。


(なんておぞましい……)


 金属の釣り針が影の中にも関わらず艶やかに光る。1箇所だけではなく花弁一面全てがそうなっている。一度包み込まれれば肉に食い込む釣り針から逃れるには生半可な覚悟では不可能だ。死する者だけが見る最後の光景としてはあまりにも無慈悲で救いがなく藻掻くことすら許されない。


(こうなればエゴを使うしか――)

『ララ゙ャっ!?』


 突如ブラックアビスの身体が横に折れ曲がる。今までとは違う明かなダメージがHPの削れ具合とリアクションで見て取れた。


「おいおい翠火さんよぉ……随分情けねぇことになってんなぁおい!」

「ルパ……さん?」


 翠火が覚悟を固めようとしたときに現れたのは、彼女と同じユニオン【リターナ】に所属している真っ白な毛皮と銀にも見える輝きを放ったたてがみで自信に満ち溢れた獣顔をしたワービーストのルパだった。


「はっはっは! そうだルパ様だ!」

「その姿はまさか……」


 本来なら黄色い毛皮と鬣であるルパだったが今やその姿は別物だ。色だけでなく溢れ出る風格と見る者が見ればわかる威圧感からルパの状態はエゴに相当する物と察するのは容易だった。


「ルパさん助けていただいたのは感謝します! ですがこのままでは――」

「まぁ待て! 俺様がすぐに片付けてやるからよぉ!」

「え? 待っ――」


 両手に付けた3本の爪のような武器を打ち鳴らした瞬間、砲弾のように掻き消えルパが居なくなったことで空いた空間にはその跡を追うように土埃が一瞬だけ追うように蠢く。そして間を置かずに翠火の近くに舞い降りる黒い影が新たな小さな土埃を起こす。


「よっと……あんま先に行かないでよルパ、追いかけるの面倒くさ……あれ?」

「リッジさん!」

「やぁ翠火、ルパ見なかった?」

「たった今ブラックアビスの方へと向かっていきました」

「はぁ……また追いかけないとミィルに叱られるのかな……よくわかんないけど」

「リッジさん、ルパさんはエゴの状態ですよね?」


 そう言いながら奥から聞こえる争うような地響きをBGMに問いかける。


「そだよ」

「今回のボスは生半可な相手ではありません。時間切れ前にルパさんを回収しなければどうなるか……」

「って言ってもな~よくわかんないけど大丈夫じゃない? 調子に乗るのはいつものことだし駄目なら駄目ですぐ帰ってくるでしょ」

「ですが……」


 心配そうな翠火に見向きもせずリッジはルパの居るであろう方向を見続ける。土埃も落ち着きブラックアビスの白くのっぺらとした人型の人形が見えてきた。






(んだこの硬さ! だが問題ねぇな、このまま押し切ってやらぁ……にしてもどうしてこんなに強ぇ奴相手に翠火はエゴを出し惜しみなんかしてたんだ? あのドワーフの野郎もこの戦いに付いてきてやがるが――ま、どうでもいい)


 ルパの作戦は力押しで殲滅するシンプルな戦法のみだ。そしてドワーフのカーンも戦線に加わってルパの邪魔をしないようにサポートしている。戦力がある程度揃っているのに出し惜しみに見える翠火の動きには疑問しか感じていなかったが、余計なことに頭を使うのが嫌いなルパはその考えを押しやる。


「おらぁっ!」

『ア゙ァア!』


 相手の放ってきた衝撃波をルパが3本爪の武器オルターで切り裂く。エゴ状態のルパはただの引っ掻くという行為を空間が割れんばかりの一撃に変質させる。そしてもう片方の爪がブラックアビスの人型部分に触れようとしたその時だった。


『ィヤアァー!』

「うぉっ!?」

「ぬぅっ!」


 今までとは質の違うただ怯えるような声、それだけで遠くに居るカーンは身を竦ませ至近距離に居たルパの身体は強制的に弾き飛ばされた物の、猫科特有のしなやかな動きで空中姿勢を整えて着地した。ダメージは無かったがチャンスを不意にしたルパは苛つきを隠そうともせず舌打ちをする。カーンもサポートで手一杯のため冷や汗が止まらない。




 ルパ、カーンとブラックアビスの攻防で土埃も晴れ状況が良く見えるようになった。翠火は自身の折れた足をポーションで治療しつつ観察する。


「怯えている?」

「そりゃあんな猛獣に襲いかかられたら僕だって怯えるさ。襲われたことないからよくわかんないけど」

「……」


 相も変わらず適当な返事をするリッジに内心呆れながらもその答えは近くはないが遠くもないと考える。あれ程強大な力を有しているのになぜ怯えるのか? 又もリッジが口を開く。


「見た感じあの植物人形も暴れるだけだし戦闘経験がそんなにないんでしょ? よくわかんないけど」

「……そうかもしれませんね」


 強大な力を有しているが故に捕食しかしてこなかったのではないか? 変異種となって更なる力を手に入れても元々の中身まで変わるわけではない。翠火はそこに付け入る隙があると確信した。


(防衛策を取るのは愚策……なら打って出ることで生存の可能性を引き上げることが出来るのかもしれない)


 現状は何も変わっていないが相手がどれ程危険かはリョウの反応で大体は想像出来ていた。そして相対すればその脅威に驚きはしたが生きるための筋道が見えてくる。暗かった未来に光が射し、どうにか出来るんじゃないかと心に希望を抱いた。


 そしてその希望は希望ではなく願望だと彼女は気づけない。




『ァァァアアア!』

「ぐぉあっ!!」


 ルパとブラックアビスの攻防に1つの区切りが付きそうなタイミングを見計らって声がする。


「皆さん! これから全力でブラックアビスに攻勢を仕掛けます! 続いてください!」

「はぁ!? 翠火さんそれは不味いって! 味方が2人も来たならじっくり攻めるべきだ! あいつの一撃を見たろ? まともに食らえば例えエゴで強化した状態でもただじゃ済まない。それにあいつは攻撃のパターンを殆ど見せてないんだ!」


 合流したリョウが翠火を止めようとするが、彼女はリョウを説得するため自身の考えたブラックアビス・変異種の対策を伝える。


「――ということから全員で本気を出して攻勢に打って出れば脅威と認め、逃走する可能性が高いと思います」

「変異種になったことであいつが移動するからだったよね? でも必ず逃げる保証なんて……」

「戦ってわかりました。このまま何もせずに時間を稼ぐだけでは苦しみつつ緩やかな終わりが来るだけです。ならルパさんがエゴを使っている今が勝機、この機を逃せば次があるのかもわかりません」


 翠火の言っていることはリョウにも理解出来る。ブラックアビスが逃げた先でどんな悲劇が起きようとも、今は自分達が全員生き残ることが先決だ。その案に乗る決意をするが、そこで待ったを掛ける言葉が入る。


『私は反対です。例え終わりが来るとわかっていても、切り札エゴを使ってしまえばそれこそ後が無くなります』

「ですがあれ以上破壊力のある攻撃で暴れられれば、いずれ私達の誰かが落ちるのは時間の問題です。それにルパさんで対応出来ている・・・・・・・以上、全員で掛かれば倒せるかもしれません。ましてや夢衣さんや華さんにその矛先が向かえば現状防ぐ手立てが無いのは火を見るより明らか、安全地帯へ避難させるため一刻も早い対処が必要なんです!」

「翠火さん……」


 翠火の焦ったような言動の理由が判明する。命だけではなく大事な友を失いたくない思い、なぜそれ程友を優先するのか理解出来ないため『ですが』と言葉を続けようとしたトリトスだが翠火の隣に首を振るリョウの姿があった。


『……わかりました』


 渋々了承するトリトスはリョウから思念で告げられた内容に対して頭の中で同意する。。来なければいい未来であり、未来予測フューチャライズを使わずとも最初からわかっていたことだったが、その未来は加速して彼女達に迫っていた。


「え、よくわかんないけどこれ僕も参加するの?」

「…………」


 間の抜けたリッジの声にリョウですら反応を返さなかった。






「うぉらぁ!」

『キィ――』

「死ねぇ!」

『ァア――!』


 ルパとスパッタが獣の如き動きでブラックアビスを翻弄する。動きの素早い2人の猛攻が悲鳴にも似た叫びを途切れ途切れ生み出す。


「はぁっ!」


 そこを好機と捉えた翠火が気合いを入れて突っ込む。エゴを使用したためイドを使ったときの魔人特有の模様から更に変化し、赤く光った紋様に彩られていく。光に反射して真っ白な肌に浮かぶ燃えさかる紋様は果敢な戦乙女を連想させた。


「フレイムツイスター!」


 スキルを合わせたとき程の威力は出ていないが、それでも翠火のサーベルから生まれるなぞるように生まれた渦巻く炎は頑丈なブラックアビスの肌を抉るように燃やす。


『――キェ……』

「おっと、させないよ。何するのかよくかわかんないけど!」


 病的な青白い肌をしたダンピールのリッジが所々穴のあいた漆黒のマントを全身に纏い、スキル発動後の無防備な翠火に反撃しようとしたブラックアビス本体――ではなくその影へと突っ込む。


「これ凄く疲れるんだけど……【偽りの反乱】」


 高所から砂へ突っ込んだ鉄球のように鈍い音を立てて土煙が舞うが、スキル名を唱えたリッジの姿は影に溶けたかのように消えてしまった。


『ァア?』


 翠火に振り降ろしていた腕が軌道を変えて見当違いの方へと空振る。


「っもう限界!」


 疑問に首を傾げたブラックアビスの影からリッジが飛び出す。彼の使ったスキルは一定時間対象の影に潜ることで本体の動きを阻害させる物だったが、その時間は僅か数秒だった。


「いくらなんでも潜れる・・・時間短すぎだって! ノートリアスモンスターってこんなにやばいの!?」


 思った以上にいつもより短い時間、そして相手・・の動かしづらさに驚きの声を発しながら煙のようにその場から消えて離れた所へと再び現れ距離を取るリッジ。


「十分だリッジ!」


 ルパが獣を連想させる3本爪の形をしたオルターが光り、爪が指と同じ数に変化させ叫ぶ。


「【獅子王のキング・オブ――」


 ブラックアビスへと飛び出していたルパは意識してエゴ使用時の技名を叫び、身体全体に捻りを加えつつ何も無い宙へ向け爪を振り下ろす。音は無かったが空間には5本の爪痕が刻まれていた。その後は空間に留まり反対の手で異なる空間にその爪をまた振る。ルパは1本の矢の如く向かいながら左右にもそれを高速で繰り返した。横から見れば乱打な爪に見えるが彼の真後ろからそれを見れば1つの筒を見ることが出来ただろう。


「――軌跡グローリー!】」

『ェエキィー!』


 ブラックアビスは奇声と共にガード体勢をとろうと腕を前にやろうとする。


「させないよ!」

『そんな贅沢ガードは許しません』


 エゴを使用・・していないリョウとトリトスが互いに伸びる糸を使ってガードを遅らせる。その結果ルパが両手の爪をクロスに振りかぶり、ブラックアビスの胸部へと己の爪を届かせた。


「ヴォオオオオオオ!」


 獣の如き咆哮が発せられると最初に付けた空間の傷跡が光だすのを切っ掛けに爪痕から順々に光が溢れ出していく。5本の乱雑な光源が10、20と加速して光るとルパ自身にその光が届くと同時に胸部に触れている爪先が胸元で拮抗しているにも関わらず、突如ブラックアビスの胸に5本の光が奔った。


『ァ――』


 その聞き逃してしまいそうな程小さな声が誰の耳にも拾われる前に触れているだけの爪先から中心に10本、20本、30本と光の爪痕が乱雑に、そして急速に増えていく。その光はすぐさまダメージとなりHPのバーを削り、抉る。1秒にも満たない爪による質量攻撃が数百を迎える頃にはブラックアビスの胸部を削って生み出した人一人通れるかどうかの風穴を無情にもルパは引き裂く。


『モ――ウタェナィ――ニド、ト』


 引き千切られたせいで落下を始めた上半身の上半分から聞こえるのはのっぺらした面から悲しそうに鳴る絶望の声だった。

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