第132話 胸を張れる自分に


「翠火さん……」


 リョウは翠火という人間の覚悟が口だけではないのだとその真剣な眼差しで理解させられる。例えそれが死への一本道だとわかっていも彼女はただ生き残るだけの道は選ばないのだと。


「トリトス」

『……なんでしょう?』

「ごめんな」


 突然の謝罪だった。当人同士にしかわからない込められた意味があり、そのことについて抗議の一つでも受けるだろうとリョウは予測していたのだが。


『お気になさらず』


 トリトスの言葉はたった一言だった。


「……ありがとう」


 その一言にリョウも一言を返す。それと同時にブラックアビスから生まれた不気味な人形のスカート部分である花弁が回転を止めた。フイルとソラスを除く全員が何が来てもいいように身構える。


(オレは何を考えてたんだ。置いてかれる人の気持ちを知っていたはずなのに!)


 リョウは友達と一緒にこの世界ゲームで遊ぶつもりだった。だが始めてすぐこの世界はゲームなんかではないと思い知らされ、更にはその友人のせいで結果的にスタートが上手く出来ないどころかそんなリョウを足手纏いとして扱い置いていったのだ。死が身近な世界ならば仕方がないのかもしれないが、それは置いていった側の理屈であり当事者からすれば殺害にも等しい行いだった。


(こんな状況で置いてくなんて、やってることはあいつらと同じじゃないか! オレは絶対にあいつらを許さないって決めた……それなのに許さない奴らと同じことをするなんて、オレはオレ自身絶対許せなくなる)


 リョウは考え事ばかりが先行してしまうためあまり器用に動けないことと、初期のオルターがあまりにも弱いせいで狩りにも行けず、最初の街では飢えを凌ぐだけの生活を送っていた。現代の日本で生き、趣味に割く時間もなくただただその日を生きるためだけの生活は死んだような毎日であり、人によっては心を殺すのに十分な仕打ちだ。


(忘れてどうする)


 友達に置いてかれ、何も出来ない日々から引っ張り上げてくれたアキラのように手を差し伸べられる人間になると決めたことを。


(もしここにアキラが居たらオレはどうしてた?)


 もし目の前にアキラが居て、自分は同じ選択をしたか? と問いかける。答えは火を見るより明らかだ。それに1人だけ逃げ、パーティを見捨てて助ったとしても「いずれ俺を助けてくれ」と言ったアキラの顔を見て「勿論助けるよ!」等と言えるのか。


(馬鹿野郎)


 状況にも寄るが今は仲間の翠火達がその対象だ。どこの世界に仲間を見捨てる奴相手に助けを求める人が居るのか? 状況が状況なだけに見捨てても仕方がないのかもしれないが、人の心はそんなことを考慮などしない。必ず「仲間を見捨てた」というレッテルがついて回る。例え誰にも知られず逃げることが出来ても逃げた本人、少なくともリョウは死ぬまで忘れないだろう。


(違う! そんなことまで考えるな! 今大事なのはそれじゃない!)


 一瞬で見捨てた結果や見捨てない理由を夢想するが追い払う。自分にとって何が一番大事なのかを考える。


「ありがとう、翠火さん」

「え?」

(結局は見捨てたいのか見捨てたくないのかだ。そんなの決まってる)


 翠火は突然のお礼に呆けてしまう。


「いや、オレも残るよ」

「! 私に付き合わなくても……いえ、お願いします」

「ああ!」


 考えすぎるリョウが頭ではなく心で決める。そしてそんな覚悟が伝わったのか、翠火は遠慮しようとする言葉を肯定に変えた。


「トリトス、可能性がどれだけ小さくても生き残るぞ」

『……私は人という物がやはり理解出来ません』

「トリト――」

『ですが、もし生きて帰ることが出来るのなら少しは理解出来るかもしれません』

「――ああ!」


 リョウが呼びかけるのを遮り、トリトスが前へ出た。リョウが死ねばオルターであるトリトスも消滅してしまうのだが、彼女は既に敵であるブラックアビス・変異種を睨みつけている。翠火、リョウ、トリトス共にここから立ち去る気は無いのだとフイルは理解した。


「お、お前、ら……」


 フイルはギルドマスターのクルーロから冒険者がノートリアスモンスターの犠牲にならないよう討伐、または時間稼ぎを依頼されていた。だがフイルは直感している。


(時間稼ぎなんて無茶だろ。ここに居る全員生きちゃ帰れねぇ)


『ワ、ダシの~ウダをキイ゙デ~♪』


 瞳だけが映る口の無い筈の顔から聞こえる声音、それが戦闘開始の合図だと感じられたのか自然にフイルとソラスを除いた全員が動き出した。


「トリトス!」

『はい!』


 リョウがオルターの一部である糸を出してトリトスに接続すると同時に飛び上がる。飛び上がったタイミングに合わせてトリトスは回し蹴りを足の裏に放った。リョウがその勢いに上手く乗ってブラックアビスに飛びつく。


「行くぞ!」


 すぐにトリトスも後を追いかけるように飛び上がった瞬間リョウが糸を引っ張る。リョウは空中で急激にブレーキが掛かるがその反面トリトスは急加速し、ブラックアビスへ砲弾のように突っ込む。


戦闘形態アクティブモード


 自身の装甲を防御中心から動きやすい状態に変化させ、ブラックアビスの一部であるスカート部分を殴りつける。


『ア゙ア゙ア゙ッ!』


 そもそも相手は空中に浮遊しているため接近しなければ攻撃が届かない。そこでリョウとトリトスのコンビネーションが光った。だが、それだけでもある。叫び声はダメージによるものではなく、歌うのを邪魔された苛立ちからの物だ。


『やはりイドでは殆どダメージは――』

「トリトス! ボケッとするな!」


 トリトスを支えに糸を巻き上げて上ってきたリョウが告げた。


『はいっ!』


 ブラックアビスは自身のスカートに乗る邪魔者を追い払うようにスカートを回しだす。邪魔者であるトリトスを振り落とそうとするが、彼女は張り付くような姿勢制御で離れず。スカートが回り出す直前に飛び上がっていたリョウはブラックアビスの首に糸を巻き付ける。


「飛べ!」


 それを合図にスカートから飛び出すトリトスだが、糸が接続された状態で飛び出したため首を起点に振り回される。そしてブラックアビスの首に糸が更に絡んでいく。


「双回旋――」

『――糸切断さいだん!』


 巻き付いた影響で近づいたトリトスはその反動を利用して首を狩るように踵を振り抜く。リョウは糸を支えにスカートの遠心力を保持しつつその反動を利用してトリトスの反対方向から同じタイミングで首を狩る。だがブラックアビスの首を刎ねることはなく、多少のダメージを与える結果に終わった。もしこれが邪花の眷属なら首と言わず胴体を両断出来る威力は楽々と出ているのだが、これが今の現実だ。


(まるで大木を蹴ったみたいな厚みを感じ……)

『まだです!』


 トリトスの声に余計な考えを追いやる。互いに糸にぶら下がってスカートの側面に足を着く。そして糸を限界まで引っ張り次のコンビネーションを用いたスキルを使おうとするが……。


『ヤ゙ア゙ア゙ア゙!』


 ブラックアビスはいい加減にしろと叫ぶ子供のような叫び声でリョウとトリトスの糸を自身の手に巻き付け、振り回す。植物のような魔物だがその腕力に抗うことも出来ずに近くの木へとその身を叩きつけられ、木は鉄球でも当たったかのように軋みを上げる。


「がはっ……!」

『リョウ!』


 装甲があるトリトスは多少のダメージで済んだが、リョウは自身の防具しか防ぐ手立てがない。なんのスキルも使用せずただの力任せの反撃で木が凹む程の威力をその身に受けたリョウのHPバーは4割強減少してしまい、デバフの[眩む]が付与された。


(糸を、解除しなきゃ)


 木にめり込んだリョウは幸いにも落ちずに済むが、ブラックアビスが糸を引っ張って追撃に移ろうとするその間際、糸のオルターだけは解除出来た。だが後数秒動けないことには変わりない。そしてめり込みの浅いトリトスは落ちてしまう。


『ラ~アァァァ……』


 指の無い両手を胸の前で組んで何かを溜めるように歌うブラックアビス、常に聞こえていた歌は止むがリョウの視界には敵がスキルを使用する黄色い明滅が前兆として現れていた。


「させません!」


 翠火が跳ねるように木を蹴り上げリョウの元へと上っていく。トリトスと入れ替わる形でリョウの元へとやって来た彼女は急いでリョウを回収して飛び立った、次の瞬間。


【ユーモアソニック】

『ア゙ッーーーーーー!』


「ぐっ!」


 スキルの直撃は免れたが余波だけで2人とも地面へと叩きつけられてしまう。


「なんじゃあれは……」

「カーン、あの攻撃は僕でも受けるのは勘弁願いたいので気をつけてください」

「わーっとるわ!」


 攻撃の傷跡、リョウが少し前まで居た所にはが出来ていた。人を数十人は収まりそうな巨大な穴が木で出来た壁に出来ていたのだ。


「あ、りがとう翠火さん」

「いえ……」


 互いに身を起こしながらブラックアビスの攻撃痕を見てショックを受ける。


「なんだよ……あれ」

「直撃だけは避けないといけませんね」


 初めて見る規模の攻撃にリョウは最悪な想像をしてすぐさま否定するように頭を振った。翠火は大したダメージを負っていないため起き上がるとブラックアビスの元へと駆ける。


『あの攻撃は隙が大きいため当たらない限り脅威にはなり得ません』

「す、隙って……1、2秒しか」

『それでも、大きな隙なんです』

「……」

『ノートリアスモンスター・変異種とはその一挙手一投足が死を振り撒く災害です。予測ですが今のスキル、ブラックアビスにとって大した技では無いのかもしれません』


 それを聞いたリョウは押し寄せる絶望感に声も出ない。


「スパッタ! いけぇーい!」

「加減してくださいよ!」

「そりゃぁ!」


 絶望していても時間は進む。カーンが大槌を振り抜き、平らな面に乗ったスパッタをブラックアビスの元へ飛ばし翠火より先に辿り着く。


『ア~アァアァアァアァ♪』


 それに構わず再び歌い始めた。


『アァ――』

「無防備に首元を晒してくれてありがとうございます……吸魂ソウルドレイン!」


 スパッタが感謝を告げるとブラックアビスの作り物のような首筋に勢いよく噛み付く。


『ぁあ? ……アァアァア~♪』


 ブラックアビスは疑問の声を上げるが意にも介さず歌い始める。


「い、今のうちに体勢を立て直そう」


 トリトスに引っ張り上げられたリョウはふらつきながら立ち上がり、ポーションを取り出して飲みこむ。


『あのノートリアスモンスターが無知故でしょう。勝率が僅かですが上がりました』

「どういうことだ?」

『ブラックアビスは恐らく大技の準備に入っています。そのためあのダンピールの吸魂ソウルドレインを意に介していません。その結果――』


『アァア……ら、らら』

「ォオオオオ!」


 スパッタが雄叫びを上げて噛み付いていた首筋を噛み千切った。


『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!』


 即座に首元へと自身ののっぺらとした腕を叩きつける。だが既にスパッタはそこには居ない。


「フゥー! フゥー!」

「よくやったスパッタ!」


 興奮して荒い息をするスパッタにカーンは離れた位置から声を掛けるが、近づこうとはしない。今のスパッタは荒れた呼吸とその真っ赤に燃えるような瞳でブラックアビスを見つめていて、敵対者を見つめる瞳は下手に近づけば自分も被害を被ることは想像に難くないためだ。


「彼、どうしちゃったんだ?」

『ダンピールには種族特有スキルの吸血が存在します。そして今やって見せたのが更に2つ上のスキル、吸魂ソウルドレインです。このスキルを使用すると対象のソウルを吸収することが出来ます』

ソウルを吸収するとどうなるんだ?」

『ただ吸収しただけではすぐに霧散してしまい効果は見込めません。ですが吸収した相手の肉や血を体内に取り込むことで吸収したソウルを溜め込むことが出来ます』


「ガァアアア!」


 トリトスがそこまで説明した所だった。突如スパッタが叫び声を上げ、血のような液体が身体から滲み出る。その液体は真っ黒に変色し、そのままスパッタの身体に張り付いた。


『ダンピールは体内に吸収したソウルを消費し、身体に流れる真祖の血を辿る・・ことが出来ます』

「辿る?」

『はい、彼は未だダンピールのままですがあの状態ならヴァンパイアの一部の能力を引き出すことが可能になります。最初より状況はマシになりましたが……このアドバンテージは長くは続かないかもしれない。彼を見てください』


 リョウと怒濤の展開に立ち止まり呆然とした翠火は飛び上がる影に視線を送る。それは真っ黒に変色した肉体をしたスパッタだった。今度はカーンに頼らず一息で再びブラックアビスへと迫るのを見るに、その身体能力の大幅な向上は誰が見ても明らかだ。


「あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」

『ウ、ウタッききっ』


 しゃがれた声を出しながら飛びつき、花弁のスカートを力任せに殴りつけるとそのまま貫通し、腕を乱暴に動かして一枚の花弁を引き千切る。装備がグローブと籠手だけだがその威力は空間を通して肌に伝わる程の威力を感じさせた。対するブラックアビスはスパッタを捉えようとするがその腕を振るえば宙に飛び出し、避ける。空中に飛び出しても見えない足場を踏むようにして別の花弁に飛びつきまた毟る。


「死ねぇやぁ!」




「なんか性格が変わってないか? それに空中移動してるし」

『敵を判断出来るだけで自己を失いつつあるのでしょう。空を蹴っているのは真祖の能力ですが、あれはその能力の劣化版ですね』

「なるほど……っし」


 リョウが身体の調子を確かめるがトリトスは構わず続ける。


『先程勝率が僅かに上がったといいましたが、本当に僅かに上がっただけです。それも彼があのままの状態を維持出来たらであり、若干の希望が見えてもその状況は依然厳しく上昇した数値は――』

「トリトス……あの人の邪魔にならないように戦う。翠火さんも邪魔にならないように動いてるんだ。それを阻害しないようにサポートは任せたぞ」

『……失礼しました。では行きましょう』


 トリトスは頭の中ではじき出した大凡の計算結果を告げずにサポートに回る。紡ぐ言葉を遮ったリョウ自身士気を下げるだけの言葉になると本能的に察していたからかもしれない。

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