第134話 数秒の幕切れ
「や……った?」
小さく呟かれた言葉は誰が発したのかは不明だが、気を緩めず小さく呟かれたのはとてつもないプレッシャーから解放されたかったからだろう。ブラックアビス・変異種を見るとHPの残りがみるみる減少していき、一気に与えた致命傷が戦闘の終わりを予感させる。全力で相手をしたお陰で大技らしい大技を出させずに倒しきれたことに胸を撫で降ろす。
倒した影響なのか、黄色い粉が周囲に散布される光景は幻想的であり遅れて下半身の花弁も落ちてくる様は植物の終わりの瞬間にさえ見える。ひっくり返った状態のまま花弁が静かに着地したのは、千切れた上半身部分だった。覆い被さるように包む様は花らしく美しいが儚い趣があるようにも見える。
(撤退させるつもりだったのに、倒すことが出来たのは……少々出来過ぎですね。けど――)
心の中で助かったと思いながらもあまりにも大きな功績に翠火の頬はお面で見えないが緩んでいた。これで華と夢衣は生き残ることが出来る。トラウマかどうかはわからないけれども行動不能もこれで解除されて一緒にこの世界を歩いていける。ホームに戻ればナシロとメラニーという癒やしも居るのだから。
「綺麗……」
ポツリと漏らしたのはソラスだった。周囲には花粉のような粉が蒔かれ、上半身の半身を覆ったブラックアビスの残骸、折れた茎がひっくり返ったままの花弁――それを見て彼女は綺麗だと言ったのだ。
(本当……綺麗)
それに翠火も心の中で同意――していた。
花弁がひっくり返って折れた茎のような花弁の裏側、一目で花粉とわかりそうな粉、そして哀れで無残な剥き出しの残骸――一般的な感性ならそのような場面……綺麗なわけがない。
少なくない期間冒険し、残心を身に着けていた筈のプレイヤー達、そしてベテランであるフイル率いるユニオン【古の誓い】が敵を倒した余韻で情緒に浸る等、あっていいはずがなかった。
そもそもがルパたった1人のエゴで戦力が拮抗する程度の力しか持たず、最後はユニゾンも使わない連携とルパの必殺技1つでHPを削りきれる存在がノートリアスモンスター――それも変異種である等、あっていいはずがないのに。
「っぁ!? 皆! 正気に戻れ!」
リョウの一声に、全員は視線を送るがその目は白けた物で「水を差すなよ」と言わんばかりの物だった。備えていたリョウとトリトスでさえ出遅れている理由を考えれば、既にブラックアビスの“攻撃”は上半身が千切れ、舞った花粉の時点で始まっていたことが推察出来る。
「奴のHPを良く見ろ!」
「え?」
HPバーは空に見える。だがよくよく見ると1メモリと言っていい僅かな量が残っていた。バー自体消滅していないのだから自然でもある。
それを証明するかのように突如花弁が醜く蠢く。その瞬間、翠火達全員の足下に蔓が巻き付いた。
「!?」
「なんだこれ!」
「と、取れない……」
リョウとトリトスはその場を後方に飛び上がり難を流れるが、ブラックアビスの死骸――と思っていた物から離れてしまう。
「まだ奴は死んじゃいない! だれか止めを刺してくれ!」
『例え1%に満たなくとも生半可な一撃では倒せません。諦めてください』
「くっ……!」
【ブラックユーモア:ドレイン】
突如流れるスキル名、次の瞬間絡まる蔓がドクンと心臓の鼓動のように一度呼応する感触を翠火達は感じた。
「なっ」
すると翠火のHPが一気に減少し、エゴが“解除”されてしまった。
「マジか、よ……」
全てを出し尽くしたルパはもっと酷く、白かった体毛は元の黄色に戻り意識を失った。
「あぁ、これってヤバイ奴だ……口が裂けてもわかんないなんて言えないや」
口調に若干の余裕があるリッジだが、エゴが解除され姿勢を崩し倒れそうになる。そして最悪なことにブラックアビス・変異種のHPが一瞬で全快してしまっていた。
「くっそ! 止められなかった!」
『反省は後で好きなだけしましょう。今は――』
「ああ! オレは絶対諦めない!」
『その意気です。この結果はわかっていたことです』
そしてリョウとトリトスの判断は早かった。
「いくぞトリトス!」
『了解』
「『エゴ!」』
少し時間が経過した。先程翠火はなんとか蔓をオルターで裁ち切り、先にリッジを解放する。
「ありがと、はぁ身体動かすのがやっとだよ……」
「……ルパさんをお願いします」
「君はどうするの?」
「援護に……」
「まだエゴが使えないのに?」
「……」
リッジは遠目で復活し、より凶悪なブラックアビス・変異種を見て零す。
「空を飛ばなくなったけどさ、あんなの有り?」
今のブラックアビスはスカートにしていた花弁を逆にして通常の花と同じように咲き誇っている。その中央には千切った筈の上半身が鎮座していてのっぺらした表情はそのままだが身体の細部が人に近づいていた。指がなかった腕部には指が生まれ、足のなかったさっきまでと違って茎が足のように枝分かれしてそれを支えている。そしてその足は根を張るように地面に張り巡らされており、円形に1つの領域を生んでいた。
花が開いているせいか、花弁が先程とは趣の違うスカートになっている。多数のラメが付いているように見える光は一つ一つが釣り針で漆黒の花弁が煌めくように栄える。触れれば持っていかれそうなその鉤針が無ければ星々を連想させた幻想的な意匠だろう。
「移動の仕方もえげつないし、あの娘は良く保ってるよ。僕なら“影”に逃げ込むので精一杯さ」
ブラックアビスは予備動作無しで根を伝って水平に移動している。たださえでかいのに人を越える巨躯がそんな動きをすればぶつかるだけでダメージは大きい。にも関わらず生まれたばかりの五指を鞭のように伸ばし、振るい、叩きつけてくる攻撃まで加えられれば容易に近づくことも触れることも出来なくなっていた。
「でも時間の問題かもね、それは……よくわかる」
「わ、私は……」
リョウとトリトスはエゴを使用することで心身一体となる。見た目は完全に女性形態で青いロングヘアーに、意志の強さを感じさせる青と黄のオッドアイ。人とは思えない完成された肢体に人らしさが合わさった表情は女神をも彷彿させ、若干残るあどけなさは年相応の魅力を兼ね備えていた。だが、攻撃を掠らせることすらさせず避けきっているにも関わらずその表情はあまりにも真に迫る物がある。それはブラックアビスから行われるノーモーションの移動と縦横無尽の蔓が原因だった。
「全く嫌になるね。これでも自分の強さには結構自信があったんだけど、あんな避けかたされたら自信無くすよ。よくわかんないけど」
「……」
「ちょっとちょっとどうしたのさ翠火」
「え、その……」
「そこはほら、普段から適当にやってるからとかなんとか言うのにさ。なんからしくないね、よくわかんないけど」
「『そこの2人! こいつから距離を取って!」』
「はいはい」
「っ……」
リョウが地面から槍のように突き出てくる根っこをステップで避け、スライドで移動してくるブラックアビスの突進を空中に居ながら糸で受け止め張力を利用して一気に離れながら叫ぶ。トリトスとリョウの混じる声にリッジは余裕を持って、翠火は弾かれるようにして離れる。そのすぐ後、ブラックアビスを中心に根が円形範囲状に広がり、一瞬前まで居た位置にまで伸びていた。
【ブラックユーモア:ドレインチューブ】
一瞬でブラックアビスの円形範囲から根が天へと突き上がる。敵のスキル使用が警告無しで行われるのはそれ程モーションが短いからだろう。リョウが味方から距離を取って引き離し、尚且つ離れるのが遅れていれば間違いなく攻撃範囲に入っていた。
「なんか僕やルパのエゴとは方向性が違うけど別格だね」
「……ですが、非常に消耗が激しい筈です」
「当然だと思うよ? 流石に今の段階でエゴが定着している人なんて居ないでしょ? よくわかんないけど」
ポーションの瓶を口に咥えながら若干他人事のようにリッジは言うが、生来の気質なためのんびり構えているように見えるのだろう。動きが鈍いのは変わらないのでリョウが破れれば自身の命がないことは理解していてもこれなのだ。
「んっしょっと、ちょっと手伝ってよ。僕一人じゃルパ持ち上げる体力無いんだから」
「は、はい」
「あんがと。よいしょっと……何があったか知らないけどさ、あの娘を除けば今頼れるのは比較的消耗が少ない翠火だけなんだ。僕はこの通り、
「!」
「こんな所に墓を立てるつもりもないし」
「……私もです!」
誰もがこんな所で死ぬつもりはない。ルパや古の誓いのメンバーを遠ざけた後、翠火はオルターを戻して消耗した
(急ぎすぎたせい、ですよね。アキラさんは言っていたのに……掬われるのが足下だけじゃないと)
相手の戦力を見誤った翠火だったが最悪の未来は現段階では避けられている――結果的にだが。
(もし、リョウさんやトリトスさんが居なければどうなっていたか……)
自分が引き起こした現状の答えは悲惨という言葉さえ出てこないだろう。なぜなら誰も居なくなる未来しか待っていなかったのだから。
(焦っていたのはわかってた。なのに私は……!)
アキラの助言が功を奏さなかったが翠火は真の意味で今やっと理解した。命懸けのせいで生んだ焦り、そのため導いた誤答。一歩間違えていれば全滅であり、リョウが居たのはただ運がよかっただけだと言うことを。
(絶対生きて全員戻るんです! だからリョウさん、トリトスさん……死なないでください!)
(トリトス)
『はい』
翠火がもう少しでエゴの再使用が完了しようとしていたがリョウはトリトスに語りかける。突如背後に移動してきたブラックアビスの胴体部分を足場にして、遠くに飛ぶと考える時間を稼ぎながら話を続けた。
(
『予測不能です。これ程長時間使い続けたことなど過去に例がありません。一度使った後は再度使用するまで間隔を置いていました。ですが今回の相手は予測候補が一瞬で移り変わるため切ることも出来ません』
(もし今フューチャライズを切ったら……)
『相手の速度を捉えるのがやっとのこの状況でそれはお勧め出来ません。私達はブラックアビス・変異種……第2形態とでも称しますか、それを単独で相手取れているのはこのスキルをフル活用しているからです』
(でもそろそろきついだろ?)
『私は問題ありません。ですがリョウ、貴方はとうに
(トリトスに影響は無いのか……こっちは頭が割れそうだよ)
『何度か意識が消失しかかっているのはエゴによる安全装置だと考えられます。恐らく遠の昔にエゴを維持する
(そんなこと言っても、今防衛を止めれば皆死ぬんだ。だったら……)
『……』
たった数瞬でこのやり取りを終える。リョウは感情すら沸き立たないほど消耗し、予測通りに逃げることで精一杯だ。翠火は自分が戻るまで耐えてくれと願っていたが、現実は非情という他ない。今すぐにでもこの状況が終わってもおかしくないのだ。
(やれるだけのこと、を……しよう)
予備動作無しの動きが始まる前に糸を絡め、その動きを利用して姿勢を変える。反撃は出来ず、そんな余暇もない。何をするにも時間がなさ過ぎる。リョウに出来ることは文字通り命を削って詰むしかない今の状況を維持するだけだった。
やれるだけのことをしていたが、そんな現状維持も綻びを見せる。
「うっ」
予測していたにも関わらず意識の薄れる隙間を運悪く突かれる。未来予測でわかっていた筈の攻撃、本来なら数瞬遅れても対処は可能なレベルだが相手はそこら辺に沸く雑魚ではない。リョウの漏れた声は均衡が崩れる合図となり、無言でブラックアビスの蔓の先端がリョウの肩を掠める。
たったそれだけでリョウの肩から血液と白い何かが混ざったかのようなピンク色の液体が吹き出る。
『肉体の操作を変わります!』
(駄目だ! 今のオレじゃ正確に未来を選び取れない! それに今引っ込んだら絶対に意識を保てない!)
『ですが貴方はいつ意識を失ってもおかしくない』
空中で攻撃を受けたため軌道が変わるが、引っかけていた糸を使ってコースを変える。コースを変えた直後には束ねた5指の蔓が風を切って通過し、大地を揺らす。そしてリョウが咄嗟に動いた場所は咄嗟だったため行くべき場所ではないコースだった。
(まずっ!)
ブラックアビスが反対の腕で蔓の束を横に薙ぐ。予測が間に合わず回避行動を取る猶予も無く直撃コースだった。
(トリトス!)
『サイフォンシールドを展開します』
大質量が当たる直前に防御スキルを展開して難を逃れる。そして吹き飛ぶ最中にブラックアビスが両腕を地面に突き刺すのが見えた。
【ブラックユーモア:アレンジメント】
回避不能のタイミングで発動する敵のスキルがリョウの視界に流れる。それは起こしてはいけなかった敵の行動パターン。発動されれば対応せざるを得ないため、決してやらせてはいけなかった攻撃だった。
『「【サイフォンバリア!】』」
だがリョウとトリトスはエゴの専用スキルを発動する。しなければ死ぬしかないため仕方が無い。認証ワードと共にリョウを半透明の球体が覆う。直後、全方位360度から隙間無く木製だが歪な槍が飛んでくる。避けようにも隙間を縫うことも出来ない程緻密に並ぶ針が一斉にリョウの張ったバリアを叩く。
(デ、デタラメだろ!)
例えエゴで強化されたリョウでもこの攻撃を受ければ不味いことは肌で理解出来た。一本一本が肉体に触れれば貫く程の威力を秘めているのがバリア越しに伝わるため悪態を吐く。槍の包囲攻撃もすぐに終わるが、リョウはその場で片膝を突いてしまった。
「『ハァー、ハァー」』
尋常ではない発汗で地面を濡らす。通常ならエゴが切れている筈だが意思の力だけで無理矢理引き延ばしているのだろう。未来予測だけでなく防御スキルも合わせて使ったため尋常じゃない消耗がリョウを苛むが、震える身体に鞭を打って立とうとする。
「ハァー、ハァー、くっそ――」
『………………』
そしてそんなリョウを嘲笑うかのように無言のブラックアビス・変異種、その第2形態が最初から居たかのように無音で微動だにせず目の前に立っていた。
「ぁグッ――」
ブラックアビスから伸びた一本の蔓がリョウの身体を貫く。宙に引っ張られ重力に投げ出された手足には力が入らない。そして宙に浮かされ停止したと同時にリョウの姿が掻き消える速度で地面へと叩きつけられた。
「っぁ……」
美しい姿のリョウだったが、たった数秒でその姿は見るも無惨な物に変わろうとしている。
ドォンッ!
「……」
再び叩きつけられる。傍から見れば死んでいるようにも見える悲惨な光景だ。
(逃げ、る……んだ)
本人だけがわかる自身のHPが無くなった状態、死を示すdyingが見えている。減りすぎたHPのせいで状態異常にもかかり、身動きも取れない。そんなリョウへ5本の束ねた蔓が迫る。
「イヤァー!」
そんな叫び声を上げたのは唯一駆けだしていた翠火だった。未だにエゴの再使用も出来ず、スキルで高速移動するには遠く、離れすぎたリョウへ駆けだしていても展開は目まぐるしく変化し、たった数秒で死の危機を迎えているため気が気では無い。
(こん、な所で……)
逃げることも防ぐ方法も浮かばなかったリョウの視界はブラックアビスの蔓の塊に覆われ暗くなる。見ることも出来なくなったリョウが居た位置には巨大な質量を持った物体が無残にも通過し、そのまま地面へと叩きつけられた。地割れと共に静かな幕切れを予感させた。
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