第117話 拭えぬ涙


 特別なアニマ修練場にある1つしかない椅子に座らず、床にあぐらをかくアキラの姿があった。威勢よく諦めない覚悟を決めたのも虚しく、先のやり取りでドラゴニュートの逆鱗に触れたようですぐに殺されてしまう。そんなことを繰り返す内に気づけたこともある。


「あいつは……俺の上位互換ってイメージでいいのか?」


 何度も繰り返し挑み、あまり有効打を与えられず、何日か経過しても一向に進展が見られないのだ。そこで1つの可能性を思い浮かべる。今まで虚構の自分を乗り越えることが出来たのは、ひとえに慣れだ。相手の戦い方は成長しないが、自身は繰り返すことで豊富な戦闘経験を得ている。ある程度型に嵌まった自己流の体術は多少の成長を見せてはいても劇的に変わりはしない。


(これが今の俺の……いやいや限界を決めつけるには早すぎる。そもそもが俺のあったかもしれない未来って奴なんだろ? ならそこまでは行けるはずなんだけどな……いやいや、弱気になるな)


 決めつけないようにしようとするが“もしも”を想像してしまう。今の自分の動きは既に現実世界でのスペックを遙かに超越している。動きだけでは無い、耐久力や力もそうだ。逆に考えればオルターを強化出来るとしてもそれ以上の強さを身に着けられるとはどうしても思えなかった。考えた末に思い至ったのは相手との埋まらない差が我流による戦闘経験の差なのではないかと考えたのだ。


(もしあれが理想形だとして、例え同じ位強くなっても……)


 もしも同じ強さになり限界の強さだと想定すると、待っているのは千日手、終わらない引き分け、それがアキラに待っている結果だ。その考えが浮かんだ時に覚えた嫌な予感、スタートしたマラソンではゴールが見えているのに復路が見えず、延々と走らされ続ける。そんな終点の見えない気持ち悪さをイメージしてしまう。


(いやいや、だからそんなこと考え……ダメだ、一度想像したら集中出来ない。今日はもう休もう)


 回帰の泉に行き、バッグから焼き鳥を取り出してすぐに頬張る。


(やっぱ肉は美味い、牛の串焼きもいいけどやっぱ串は焼き鳥――)


 鳥の旨さを噛みしめていても咀嚼の速度は少しづつ落ちていく。そして独りごちる。


「はぁ、なんか……」


 未だ空腹なアキラだが、焼き鳥を半分残して回りをざっと見回して項垂れてしまう。


(今までは1人でもなんとも思わなかったのに……なんか、辛いな)


 今までのダンジョンでは人恋しさなど感じたことも無かった。逆を言えばそれだけ必死だったのだが今は違う。記憶障害から脱して記憶が戻っても、眠ることも食べることも休むことも許されない極寒の地の記憶は消えておらず、1人で何日も歩き通して感じた孤独は決して忘れられる物ではない。


 その思いと虚構の自分の途方も無い強さに阻まれ、どうしようもなく弱気になっているときに食事のせいでクロスに来る前の生活を思い浮かべてしまい、更に精神的にダメージを負う。今手にしている冷めかけているが焼き鳥は確かに美味い。だがそれは大衆向けの屋台料理、美味くはあっても妹の作る自分のための料理とは比べるべくもないのは当然だ。焼き鳥で腹は満たせても心までは満たされないのだ。


「……」


 アキラは今を後悔しないため、どんな理不尽な目に遭ってもその状況を覆す力を欲してアニマ修練場に挑んでいる。だが、難易度が更に上がっているであろう修練場の終わり、その成長の果てには終わりの無い戦いが待っていると想像してしまった。嫌な考えを振り払おうともこれ以外の正解をなぜか思い浮かべることが出来ない。挑んでも挑んでも縮まらない差は、その答えを如実に突き付けてくる。


(修練場に挑まないでボスを倒して帰れば状況はリセットされる。でもまたパイオニアに入って修練場に挑むなら時間が……それを言うなら今挑み続けてる時間も無駄か、なんでこんなに弱気になってんだ?)


 始めてこの世界に足を踏み入れてウルフ戦や初ダンジョンでのゴブリン戦、ノートリアスモンスターとの戦いにゴーレム戦、その次は自身の認めたくなかった本心を暴かれ、大蛇に追いかけ回され丸呑みにされ、更には即死しかねないフィールドで寄生寄虫との戦闘、果てに対人戦でエゴの使い手であるガンダとの死闘、どれもが一歩間違えれば確実に死んでいた。


 死ぬことのないアニマ修練場で繰り返す修練、痛みや恐怖で壊れかけた心は回帰の泉を使うことで精神を慰めた。本当に終われない時のために抵抗する力を得るため戦ってきたが、始めてぶつかる壁は過去の辛い記憶を走馬燈のように駆け巡る。止めたくても止まらず、これからの対策を考えるどころかこんな辛いことがいつまで続くのかと心の脆さを露呈する結果となった。


「俺は、帰れるのか?」


 一言呟く。たったそれだけなのに、たったその一言だけのはずなのに、アキラの仮面を伝い、地面に小さな丸い点のような染みを作り始めた。


「は、はは、俺泣いてんのか?」


 頬に手をやるが仮面のせいで触れることも出来ずに視界だけが滲む、いつの間にか流れた涙は止まらない。強くなることも叶わず今までの時間が無駄になると思わされてしまう。現実世界に帰る確率が落ちると思ったまでは大丈夫だった。だが妹に会えなくなるかもしれないと、謝ることも出来ずに最後を迎えるかもしれないと思ったらもうダメだ。


「くっそ……くっそ……」


 決壊したダムを堰き止めることなど出来るはずもなく、みっともなく涙を拭おうとする。だが仮面がそれを阻む。為す術が無いがためにあぐらを掻いたまま地面を叩く。


「なんで……どうして! ああ、もう……勘弁……してくれよ……ぅう」


 身体は言うことを利かず、涙も止まらず、ただただ溢れ出るだけだった。






「へぇ、ヒューマン様がまたお越しですか?」

「もう取り繕わないのか?」

「あんなのは最初だけで仕込みは充分なんだよ、誰が好き好んで愛想なんか振りまくかっての」

「そうか……」

「なんかむかつくなその目、こっちに来たときはあんな余裕の無い顔だったのによ」

「……ん? 今更だけど仮面してるのに表情がわかるのか?」

「大体だよ大体、目と口見りゃわかんだろうが」


 自然とアキラは自分の口元に手をやるが、それだけでは何もわからない。


「あんだけギラギラしてたってのに今のお前はスッキリした顔してやがる。ここの恐ろしさがまだ理解出来てないのか? ヒューマン選ぶだけあって愚鈍だな」

「俺を愚鈍扱いするならお前もそうだからな? ブーメラン投げるのがお上手で」

「選んだ種族の時点で優劣が出来てんのがわからんのか」

「その種族至上主義止めたらどうだ? 見てて痛々しいし恥ずかしい、ゲームと現実をごっちゃにするな。俺はいつからそんな三下台詞吐くようになったんだよ、ふざけるときは時と場合を考えてやるのが俺だろ?」

「……ッチ、言いたいことはそれだけだな」

「っ!」


 問答を強制的に打ち切ったドラゴニュートが駆け出す。それを見てアキラも飛び出しシヴァのクリティカルシュートを駆使して牽制するが、相手はその弾丸だけは上手く躱す。どういうわけか、発射直前に狙いを外すような素振りを見せる。それはフェイントを入れても変わらない。


 牽制にはなってもアキラの思ったような動きはしてくれない。流れるように安定した重心は、速度を落とさないままに射線を正確にずらす。時折掠める龍鱗から火花が散るが、それではダメージにもなっていないのは見て取れた。


(っく!)


 互いの手が届く距離まで接近する両者、瞬間鏡合わせのように互いの攻撃を受け、捌き、躱す。アキラがガンシフターで持ち替えたシヴァを構え、至近距離から銃弾を放つもドラゴニュートは銃口を叩いて見当違いの方向へと銃弾の軌道を変える。


「なっ」

「温いんだよ!」


 アキラは弾かれた銃口を咄嗟に見てしまう。ドラゴニュートが銃口を弾いた手を返して顎を捉えようと腕を振り抜く。


(ぉおっ!)


 通り過ぎた拳の生み出す風圧がアキラの仮面を撫で、その圧に顔を引きつらせてしまう。そのせいで乾燥した唇が裂けてしまうがそんなことを気にする余裕すら与えてはもらえない。崩れた体勢から龍鱗を纏った拳が追撃してくる。


(なっ、まじか……よ)


 咄嗟にシヴァで受け流したつもりが、気がつけば身体は宙を舞っていた。アキラの動きを見たドラゴニュートがただ拳を振るうのを止め、押しつけるような殴り方に変えたのだ。そのせいで受け流しを防御に変えられ、強制的に変えられた体勢は満足に踏ん張ることも出来なかった。その結果身体が宙を舞う。


(くっそ!)


 そしてドラゴニュートの手にはかシヴァが握られていた。


「避けられる物なら避けてみろ――ミラージュバレット!」

『ダァン!』


 1発のみ轟く銃声、トリガーは一度しか引かれなかったため同然だがどういうわけか3発の銃弾が宙に舞うアキラへと迫る。


「う……らぁ!」


 額を狙う1発はシヴァを使って気合いで防げたが残り2発が両肩に突き刺さる。


「はぁ、はぁ、くっ……」


 致命の一撃を防いだアキラは空中で満足に動けないまま、残りの2発のせいで受け身すら取れずボロ雑巾のように投げ出されてしまった。僅かに生まれた隙、その致命的な隙1つでここまで追い詰められる。


(まだ、まだ)


 そんなボロボロのアキラを追撃せずに見下ろすドラゴニュートに甘えてアキラはゆっくり起きる。この選択を後悔しないように、泣いてしまった自分が選んだ道を間違えないように、心によぎる「引き返せ、今ならまだ間に合う」という弱音を振り切るように立ち上がろうと手足に力を込めた。


(時間を掛ければいつかこいつを越えることは出来るのかもしれない、俺の感じてる壁だって気のせいかもしれない)


 泣いた後に冷静に物を考えたアキラは思い出す。予言師に言われた貴方らしくあれば悩みはある程度解決するという言葉、この言葉通りに従うならアキラはいつも通り時間を掛けて勝つまでやればそれで解決するだろうことは自身の感性からは信じられないが、冷静に予測出来た。


(でも、それじゃダメなんだ)


 だが、その抱いている不安は自身の強さについてだ。“ある程度の不安が取り除かれる”その程度の強さを欲しているのか? そんな訳がない。予言師はこうも続けていたのだ。“その思いを胸に秘めたまま、致命的と言っていい苦難が待ち受けています”と。


(一切の不安を断ち切れる程の何かを、ここで掴まなくちゃいけない。俺が勝手に壁だと感じている物は気のせいかもしれないけど、それを見過ごして後悔するくらいなら……やった後で後悔してやる!)


 一頻り泣いてスッキリしたアキラは冷静な頭で本来の自分らしさで物を考え、予言師の言っていた言葉を“指標”にして1つの答えを出した。この修練場をいつも通りの自分らしさで攻略することを止める。


 それは感覚と記憶に頼って相手を越えることを止め、更にもう一つの要素を加えて攻略に望むことにしたのだ。


(相手を……俺の動き全てを把握してこの戦いを支配コントロールすることだ。もし虚構の自分相手にそれが出来たなら、俺がただ強くなった虚構の未来より別次元の強さを手に入れるかもしれない)


 1つの決意を抱き、予言された結果を更に最良の結果として上書きする未来をアキラは選ぶ。例えその行動が失敗するリスクを負っていたとしても、言葉通りやらない後悔よりやって後悔するアキラらしさが窺える。予言された内容を越えることで、告げられている致命的な状況さえも越えることが出来ると信じて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る