第115話 記憶が凍りついても
~第?章~
漂う…………凍てつく猛吹雪……曝さ…………久しく…………セトが拾い、怪我…………小鳥だった…………面影……ない。
「……のため……にも……終……な」
失……仲間…………為にも…………セトは一匹……けの…………リ……スと…………に相対…………す……。
一歩一歩としっかり踏みしめながら歩みを止めないアキラは、
(これ……もう、要らない……のかな)
捲る手が次のページを探しても見えないため、最早進むためのヒントが無いと判断したのかアニマルヘルパーの鳥の成長を見届ける間もなく本を閉じて小脇に抱える。円を描くように歩き続けていたアキラの頭上に自分より大きな鳥が両肩に着地した。
「……」
それに対して何も言わず、思わず、アキラは外へ出るために進路を変える。まるで泳ぐのを止めれば呼吸が出来なくなるマグロのように、ゆっくりと歩き続ける。
ドームから出て待ち受けている静かで優しげな風、しかしその撫でるような風とは裏腹にその広がる視界には誰も居ない。進む足を止めずに静かにかつゆっくりと確実に凍った地面に積もった雪の上を進む。
(進むんだ……止まっちゃだめだ……)
何かに急かされるように動くのを止めようとしないアキラだが、その原因の一つがこの静かな環境にある。静かな風が吹くのは問題ないが、明らかに初めてこのダンジョンに入った時と違って更に気温が落ちていたからだ。生き物が過ごす常識を越えた気温は立ち止まるだけで手足を初め、身体の表面から一瞬で凍り始める。一瞬止まるだけで命の危険に瀕するのであれば動き続けるのも当然だ。
『ヒュルロロロォ!』
「……」
『ヒュー』
突如上がった鳴き声は、
(なぜ……かな……この鳴き声……聞いた覚えが……)
アキラは内心すら鈍重になっている。時折子供のようにただの単語を呟いたりいつも通りに文章を口にしたりと精神状態が安定しているとはとても言い辛い状態だ。
彼の見ている物はこの何も無い整地されたような白銀の世界でどう映っているのか、もしその視界を客観視出来るのなら、常人に見える筈の綺麗な白銀の景色は所々黒い点があり、視界に4つのデバフが映る。そして常に全体が赤い警告色で明滅していた。
[飢餓][
そして[
[極限状態]は厳しい環境に身を起き続けた結果、現在の環境で受けるマイナス効果を増幅する効果がある。そのため動きが鈍くなり、思考は鈍重、マイナス気温によって至る所に凍傷が発生していた。視界も正常に働かず、一部分は靄が掛かったように何も見えない。
だが、それらをひっくるめても一番厄介なのはこの[記憶障害]という物だ。この
(なんで……俺ってこんなこと……してるんだろう? そうだ……足だけは……止めるな)
それでも歩みを止めないアキラはぼんやりとそんなことを考える。度重なる厳しい零下の世界は肉体と精神だけでは飽き足らず、信念や思想、その根幹となる記憶すら奪っていく。
少し気を抜くだけで気絶してしまう程に時間は経過している。そのため健常状態の時に覚えた情報は、自分の肩に乗る奇妙な氷の鳥は味方だということ、そして歩くことだけは絶対に止めてはいけないこと、そして持っていた本は大事な物ということだけだ。
自分がなぜこんなことになっているのか? どうして楽になってはいけないのか? どんな理由で極寒の地獄を歩いているのか? 自分は何者で、どんな罪を犯したのか? そして、いつこの状況から脱せられるのか?
既に何十何百何千と繰り返した思考は少し時間が経てば疑問だったことも忘れてしまい、また繰り返す。思い出すことはなく、書かれた本を読んではまた歩き、氷の鳥が道を誘導したり肩を掴まれて遠くへ運ばれたりするしか無い状況が続く。幾度となく記憶は途切れ、一瞬気絶することも珍しくはない。
その歩む姿は誰にも見られることもなければ救いもなく、終わりもわからない。帰りたいと願う場所すら奪われるが、そんなことにすら気づかせてもらえない。
それは風に飛ばされ宙に舞う枯れ葉と同じで、地に降りれば吸われる養分となるのを待つしかない。その儚い生き様を見せるこの状態を本当に生きていると言える者がいるのかは不明だが、例え終わることが出来てもこの極寒の地は養分となることすら許しはしないのだろう。
クロス経過時間[?日] ダンジョン経過時間[?日]
そして、アキラが不眠不休不食のまま歩き続けてそれなりの時間が過ぎた。ダンジョン内で時間を見るにはメニューを開く必要がある。だが記憶障害で記憶が保てないアキラはその方法もわからない。気がつけば肩に乗っていたアニマルヘルパーはその姿を消していた。
「……」
声も発することすら忘れて黙って歩く機械と化したが、その環境は新たな変化を見せていた。雪を断層する圧縮音が鳴る程度に積雪は小さな物で、冷たいだけの空間やデバフに苦しめられていても僅かながら楽になる雰囲気が感じ取れる。
そして変化は唐突に訪れた。
『お前はどうしてここへ来た?』
(ここがどこだかも知らない……)
突然天から響く声に、アキラは心で問答する。声に疑問すら持たない。
『身動きする力を奪われ、なぜ歩き続ける?』
(止まりたいけど、歩き続けないと駄目な気がしたんだ……)
『身を養う糧を奪われ、なぜ生きていられる?』
(よくわからない、でも死にたいわけでもない……)
『生命の存在を否定する環境で、なぜ存在していられる?』
(……否定されるのが嫌だからじゃないか?)
アキラは声に出さずに答えを返す。
『ただ歩き、糧を得ず、胸に抱く信念すら忘れ、自身の心も定かではないただの動く人形となっても尚、前に進むのだな』
「……難しいこと、言うなって」
今度は問いかけではなくどこか断定したような口調だ。まるで今までそれを見てきたような声は、アキラの鈍い思考でゆっくり意味を理解していった。だが、相手はそれを待つこともしないのが次の言葉でわかる。
『ならば、それすら消し飛ばそう。朽ちることの出来ない人の形をしただけの哀れな存在に引導を渡そう』
ほぼ無意識に歩き続けながら、アキラは一方的な声の終わりと同時に身体が勝手に跳ねる。なぜか今居た位置から地鳴りがした。
「え? ……っ!」
本人すら意識していない身に染みていた回避行動は疑問の声を待たずにまた行われる。今まで立っていた位置には丸く陥没した雪があるだけで、アキラはデバフで思考が鈍っていても「危険だ!」と理解するのに時間は掛からなかった。そして身体が積み重ねた反射行動が答えの一助にもなる。
どうして自分にこんな動きが出来るかは考えられない。今は目の前のことに集中するしかないのだ。
「っ!」
方法不明の攻撃、しかし威力はそれ程脅威ではない。人の体重程度で穴が空く積雪に対して表面を丸く窪ます程度しか沈まないからだ。当たってもダメージは受けるが問題はないだろう。
だがそれはアキラが全快ならではの話であって、今の状態ではダメージを受けることすら憚れる。飢餓のデバフのせいでダメージを受けられず、ダメージを受けていな状態は実質的にdying状態だと言っていい。
「に、逃げなきゃ……」
覇気の無い声で進行方向をそのままに小走り程度の速度で動く。これがアキラの今出せる全速力なのを鑑みると、この世界に初めて来たときよりも状況は過酷だ。オルターの存在も忘れているため、頼れるのはボロボロに冷え切って感覚すらなく、頼りない我が身のみ。
「あれは……!」
そんな身体に鞭打って進み、時折来る嫌な予感に従って逃げ続けると先に待っていたのは氷で出来たドーム状の建物だ。記憶にはないが、アニマルヘルパーに餌を与えていた場所であった。いつもと形状が違って入口が上部ではなくアキラを迎え入れるようにこちら側へと向いていたのだ。
(あそこまで逃げれば……!)
考えることもできずにただ必死に動き続け、入口直前に放ってきた攻撃を躱して中へと滑り込む。そこは地面が石で出来ていて、サファイアのような宝石が散りばめられ、暗い輝きを放つ場所だった。
「う……げほっ、はぁ、はぁ、くぅ……」
無理をして動いたせいでバラバラになりそうな自分の身体を抑えるように抱く。
もし同じ状態のアキラが記憶を持っていれば、こんな行動は取らなかっただろう。完全に逃げ切れたなどと幻想を持つなんてことは有り得なかった。
「あっ」
瞬間、アキラは何かが来る感覚を捉えた。だが動こうにも縮こまった身体で咄嗟に動くにはあまりにも時間が足りない。
「が! ……っう」
石で出来た地面だというのにまるで雪の上と
(何……が)
冷静に判断出来ていれば何が起こったかはすぐに理解出来る筈だが、それを今のアキラでは察することも出来ない。
『ドォン!』
「ぁあ゙……」
再び同じ位置に同じ攻撃を受けたアキラは押し潰され、残り僅かだったHPは0になりdying状態になってしまう。通常ならdying中に起こるステータスの低下だが、発動した[死線の解放]でそれは起こらない。それでも周囲に飛び散る血はその凄惨さを物語り、発動したスキルはなんの意味もなさない。
(身体が……動かない……)
記憶が持たない故に気力体力は常に底のまま、そして辛い状況が押し寄せても一向に改善されないこの状況、自然と終わりを迎えるように仰向けになり、力の抜けた身体で最後の攻撃を待つために目を
(
『ドォン!』
最後に来る衝撃に備えて恐怖を紛らわすために反射的に閉じた視界の中で感じる衝撃、終わりと考え身体に降り注いだはずの衝撃に……圧力はなかった。
(あれ? なんで俺……)
目を閉じている最中に感じた平衡感覚の揺らぎ、動けないと思い込んでいた身体は死ぬのだけは御免だとアキラの意思とは反して回避行動をとっていた。それもお粗末に横に転がるだけだがそれでも回避していたのだ。
「あっ」
何かを感じてその場を前に転がるだけで回避する。
「はっ、はっ、はっ」
地鳴りが響きながらも這々の体で奥を目指す。
(なんで、俺動けてるんだ!)
疑問に思いながらもドームの中心へと向かう。暫く止まった地鳴りに、今度は油断せずに逃げ続ける。
『……ォン! ドン! ドン! ドン!』
突如、アキラを追うように地面を砕く窪みはそのペースを上げて猛追してきた。無様な諦めの悪さで必死に這って進んでいく。「死ぬわけにはいかない」とは考えてはいない。そんな思いは取り上げられている。
『ドォン!』
「――めたくない」
地鳴りに重なるアキラの声は「生きたい」という思いでもない。そしてドームの中心部分に近づくと真っ黒な穴が見えた。
「俺は嫌なんだ!」
生きたいや死にたくない等の命に関わることに拘って見苦しく進んでいるわけではない。
「何も出来ずに終わるなんて!」
不可視の存在に問いかけられ、何も無いちっぽけな自身すら吹き消そうとする。そんな僅かに続く記憶が理不尽な思いを心に刻み込むのには十分だった。殺されそうになって思い起こす自身の性根を自覚させるのには十分だった。何より身体が屈するのを拒んでいる。
その思いは幼く、子供らしく、負けず嫌いで、わがままな現実を受け入れたくない思い。僅かな可能性があれば誰でも思う。
「だから諦めたく――」
『ドォン!』
アキラの足掻く姿、溢れ出す心の叫びは地鳴りと迫る不可視の一撃で消えてしまう。生きていようが死んでしまおうが諦めたくない思いは誰もが持つ純粋な抵抗だ。
真っ暗な穴に飛び込んで、最後の一撃を落ち始めた時に食らったアキラの人生は、どんな状況になろうともその最後の瞬間まで決して変わらないのだろう。
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