第101話 クロエの覚悟
今回でクロエ編終わります。
ドローネ家にある屋敷の食堂、そこで食器と金属の擦れる音が静かに響く。若干寂し気に鳴るその音は、一人が食事中だと教えてくれる。朝から一人寂しく食事をしていたのはアキラなのだが、なぜか目を瞑って咀嚼していた。
その理由も食事している環境にある。窓から差す日の光と純白のテーブルクロスから照り返される明るさ、そして時折フォークやナイフの反射で目に差し込む鋭い光がちらつくせいだ。決して気取って味わいたいという意図があるわけではない。
(こんな美味いってのに、満足に目も開けられないんじゃ台無しだな)
それでもフォークとナイフの動く速度は一定のままだ。
(このTHE朝食って感じのメニューに貴族だからって期待しすぎたと思って面食らったけど、食ってみればもう……たまらん)
美味しさのあまりにフォークとナイフを動かし続けていたが、口に入れるペースが早すぎることに気づいて一息吐つく。皿の上にフォークとナイフを置き、食堂に広がるパンの焼けた香り、その発生源であるクロワッサンに手を伸ばす。
(このサイズ感……いいね!)
優しく触るように持ち上げた手の平サイズしかないクロワッサンの温度はほんのり温かい。出来たてなのはすぐに理解出来るが、クロワッサン独特の崩れそうな硬さはしっかりとその出来を保証している。ベストな状態を嬉しく思いつつ、そのまま口に運び入れた。
『パリッ』
歯を立てることで何重にも出来た生地の層を突き破り、一瞬だけ表面を破る音とほぼ重なるようにサクッと篭もる感触は本人しか味わえない幸せの食感だ。
「ふふ」
その幸せを噛みしめながら漏らす呼吸は自然と鼻へと吹き抜けることになる。その吹き抜けた呼吸にはバターの芳醇な香りが絡みついているので更に旨味を膨らませるのに一役買っている。
(バター塗らなくてこれだもんな、そんでこの冷たいコーンスープも美味い!)
焼きたてでしか味わうことの出来ない贅沢を堪能しつつ、続いておかわりした冷製コーンポタージュに更なる舌鼓を打つ。液体というには冷えているせいか、トロリとした動きが熱したチーズのようにも見える。
(これこれ)
だがそれも口に入れるまでのこと、口に入れてしまえば重そうな見た目はどこへ行ったのかと思う程、先の様相が変貌する。口の中では水のようにサラサラとなり、ドロリとした冷たいスープは口の中の温度で一瞬にしてその形態を変えたのだ。
(口いっぱいにして飲み干したい!)
ダイレクトに口内を刺激した結果、アキラはスプーンを放り投げる結論を出す……気持ちを抑えつつ、味わった。口いっぱいに含む、そんなことをすればマナー的な物は置いても結果的に美味しく食べれないのは過去の経験からわかっているからだ。
(過ちを繰り返してはいけない……よし次は肉だ肉!)
再びナイフとフォークを手に、短すぎず、長すぎない手頃なサイズのウインナーに切れ目を入れる。不思議なことにフォークを突き立て、切り離してもそのウインナーは冷めているかのように肉汁が出ない。残るのは焼いたときに出来た脂の後だけだ。
(この湯気を見るまでは俺も冷めてるのかと思ったけどな)
フォークで持ち上げ、半分に断たれたウインナーの切断面からは湯気が出ていた。それを気にせず、アキラは一口に頬張る。
(くぅ~! この肉汁が溢れ出る感触は誰が食ってもやみつきになるだろうな~!)
残りのウインナーも横に添えられたソースを付けて味の変化を楽しむ。バーベキューソースに近い味だが、日本で食べた外国産の
(最初見たときは卵白で作ったスクランブルエッグだと思ったけど、この真っ白なスクランブルエッグは今まで食べた卵で一番美味い! 深緑には悪いが、これは素材レベルで違う気がする。こんな濃厚な卵食ったこと無い!)
初めて口にしたときはあっさりした味わいになると思い込んでいたアキラだったが、口に入れたときに卵の強い風味を感じると共に、全身の細胞が一瞬震えたかのような錯覚を覚えた。
(塩も使ってない、バターの風味が仄かに感じる程度なのにこの圧倒的な味わい深さ、濃いだけなのに味が付いてると錯覚する程に美味い……パンと食べると尚美味い! 大満足だ!)
こうしてアキラの初めて味わう貴族の朝食は終わった。
我慢出来なくなったアキラは、傍に控えていたメイドにこの卵の詳細を尋ねる。
「申し訳ありません、詳細はこちらでは把握しおりませんのでシェフをお呼び致します」「え、あ、お願いします」
簡単に答えが返ってくる思っていたアキラは戸惑いながらも返事をする。メイドが他のメイドに指示を飛ばして調理場らしき扉の無い出入り口へと向かう。その後を視線で追ったアキラは、満腹感から呆けていた。すると、すぐに扉の無い入り口から白い筒が現れたのだ。
(なんだあれ……え? なんだあれ?)
最初は呆けて白く長い物体を眺めていたが、心の中で二度見のような心境を経てアキラは現実に引き戻される。段々とその白い物体が動きつつ伸びているのを黙って見守っていると、背の低いドワーフが頭を前に倒しながらズンズンと足音が聞こえそうな足取りで出てきた。
白い物体と繋がったドワーフが姿勢を正すと、横を向いて突き出ていた白い物体も真っ直ぐになる。
(あぁ、あれコック帽なのか。コック帽?)
アキラの元へやって来る不機嫌そうなドワーフは1メートルは超えるだろう長いコック帽を被っていた。その存在を激しく主張するコック帽を揺らしながらアキラの元へ来ると、不機嫌さを隠そうともせずにぶつけてくる。
「全く! 用があるならそっちから来てくれ! こっちは忙しいんだ!」
「行ってもいいなら行くぞ?」
「そんな格好で厨房に来るんじゃねぇ!」
勝手なことを言うドワーフだが、呼びつけたのはアキラなので強く出られない。そんな彼を見下ろしながらもアキラは言葉を続ける。
「えぇ……一応滅茶苦茶綺麗な筈なんだけどな」
アキラは装備という装備を殆ど身に着けていない。この世界に来た時に購入したズボンは耐久値も壊れていて見る影も無いので、今は初期装備の衣服とダンジョンで手に入れた肌着とラフな格好だ。それをクリーンで整えているためとても清潔な状態だと自負している。
「そう言う問題じゃねぇ!」
「まぁまぁ、そんな怒んないで教えて欲しいんだよ」
「料理長、お客人の前です」
「フン!」
メイドの言葉にこれ以上文句を言わないまでも、不機嫌な様子を取り繕わない料理長と呼ばれたドワーフに言葉が見つからないのか、メイドも黙ってしまう。アキラが料理長と聞いてから身長的にどうやって料理をしているのか不思議に思うが、それを聞いたら火に油を注ぐこと間違い無しと直感し、本来の卵について聞くことにした。
「
「いいから教えてくれって」
アキラがコック帽の長さとドワーフの身長のギャップに対して「見てくれはお前もだろう」と問いかけたい思いを堪える。
「そいつは雄大なる
「変な名前だな、でもめっちゃ美味い」
「そうだ、すげぇうめぇんだ! こいつの調理はちとコツがあってな、油も調味料も一切使わずに調理するんだ。じゃねぇとただの炭みたいになっちまう」
「スクランブルエッグを作るのに油を使わないで出来るのか? 油も調味料も使わないのになんでバターの香りが……」
アキラの疑問に不機嫌さはなりを潜め、得意げに語り始める。
「そんなこと聞いてくる奴は料理人志望のひよっこ位だぜ? お前は料理人にでもなるつもりか?」
「俺は食う専門だ!」
「何自信満々に言ってやがる」
「いいから教えてくれって」
「……説明するには時間が足りん。簡単に言っちまうと、長く使ってるフライパンにはその料理の味や脂が染み込む、このホワイトスクランブルエッグを使ったフライパンには長年使ったバターが――」
『シェフっ! もうハンバーグを抑えきれません!』
突如料理長のドワーフがやってきた方向からコックと思しき声が聞こえる。
「今行く! 仕込みが台無しになっちまう!」
説明途中だが、アキラを尻目に長いコック帽を折って変わったリーゼントのようにすると料理長は走っていった。
「抑えられないハンバーグってなんだよ……ふぅ、少し休んだら王城行くか」
説明の途中だったが、やることもないためアキラは釈然としない面持ちのまま食堂を後にする。
「忘れ物は、多分無いな。全部バッグに入れてるだろうし」
昨夜報酬で羊皮紙に押された封蝋があるのをバッグのウィンドウで確認する。旅立ちの準備を終えたアキラはメイドに案内を頼んで屋敷の外へと出た。
「えっと執事さんだっけ、どうしたの?」
外へ出ると、アキラを待っていたかのように執事のバトラーが来ていた。白髪交じりだが整えられた髪型と、凜然としたその表情は規律を重んじる年長者の特徴が現れている。
「大変遅くなりましたが、この度はクロエお嬢様をお守りいただきましたこと、感謝の念に堪えません。改めて、お礼をさせて頂に参りました」
「いいって気にしなくても。貰うもん貰ったしさ、それじゃ」
「いえいえ見送りではなく、城まで案内させていただくためにこちらでお待ちしておりました」
「あぁそうなの? ありがと、でも家のことは大丈夫なのか?」
「はい、この位はさせていただきます。お客人にはご心配をおかけしますが、家のことは問題ありません」
遠回しに家の事情なのであまり立ち入らないでくれと言っている風に感じたアキラはこれ以上追求しない。話の流れを変えるためにアキラは自分から名乗る。
「それじゃ気にしないことにする。俺はアキラ、ギルドのメンバー」
「これはご丁寧に、自己紹介が遅れました。私のことはバトラーとお呼びください、ドローネ家の筆頭執事でございます」
「バトラーさんね、じゃお互い時間を気にする立場だと思うし行きますか」
「ご配慮痛み入ります。それではこちらにお乗りください」
アキラが案内されてドローネ家の門外へ出る。そしてそこにあったのは……。
「え、車? なんで?」
そこには四輪駆動の乗用車が鎮座している。現代とは違い、四角く尖るフォルムは昭和を彷彿とさせる作りだ。エンブレムは製作した社のロゴではなくドローネ家の家紋を誂えている。
「アキラ様は車をご存知なのですか、中々の情報通なようで。こちらは【マキナ】から仕入れた最新の四輪駆動車です」
「またマキナか」
「このような異質な物はマキナしか取り扱っていませんからな!」
若干誇らしげにしているバトラーは白い手袋を付けたまま車を撫でる。そこには自分の愛車を大切に扱うようなナイスミドルが居た。
(貴族の持ち物でも実質運転するのは御者か執事になるのかな……そりゃ愛着沸くか、なんか俺もマイカーとまで言わないけど欲しくなってくるな)
後に好奇心から、その値段を調べるアキラだったがとても手の出る値段では無いことに落ち込むことになるのだが、それはまた別の話だ。
「さ、お乗りください。王城へ向かいます」
「それじゃ遠慮無く」
結局クロエとは会うことも無く、なし崩し的に別れることになってしまうが、アキラからはどうにかするつもりも無い。
(応援くらいはしてやるから頑張れよ)
アキラはクロエの今後にエールを送った。
アキラが車で出発した頃、クロエは自身の父と向き合っていた。
「お願いします父上」
「いい加減聞き分けろクロエ、先にフライスの起こした謀反があったばかりだ。表だって騒ぎにはなっていないが、王都は今不安定な状態なのだ。お前のわがままはもう終わりだ」
「冒険を終えるのは構いません。そういうお約束でした」
「なら……」
「ですが! ティエラに会いに行くか行かないかは私事です。お約束とは関係ないはず!」
「昨日久々に会ったと思えばお前の護衛をしてきた相手の報酬を払えと言う、今朝会いにきたと思えば外に出る……親子の語らいすら怠るのかお前は? あの可愛らしいクロエはどこへ行ってしまったんだ?」
普段なら父親であるラモンの言葉を聞けば引き下がっていたクロエだ。ここまで言い返すことなど本来有り得ない。それに若干の戸惑いを浮かべつつクロエの反応を待つ。
「アキラに会うことを禁じたのは父上です! 私が報酬を払えないのであれば、早く支払うのが誠意という物でしょう! 私の対応が褒められた物ではないことはわかっています。しかし、無事届けてくれた相手にする対応があまりにも酷いではないですか? 私の怒りも承知でしょう!」
風呂場での気絶や、夕食に招待しても辞退される。客にメイドを宛がっては居ても報酬の時以外は放置であった。クロエはアキラにできる限り礼を尽くしたかったために、父親の対応に次ぐ対応に心から憤っていた。
「会わせなかったのもまだお前が未婚だからだ。ここに来るまでは緊急事態ということで目を瞑っていたが、お前があの男に
貴族にとって嫁入り前の子女の純潔性は非常に重要な物だ。ラモンにとってクロエの将来、そして今後のドローネ家のためにもこの処置は仕方がない物だった。
「何を呆けているのです! 自分の娘が信じられないのですか!? 感謝と尊敬……失礼、その心意気に見習うべき物があるとは思いますが、それ以上に思う所はありません!」
アキラはふざけることが多かったが、迷っているクロエに何を指標に行動すれば良いのか、文字通り身体を張って示してくれた。
その後、家に到着するまでは気落ちこそしていたものの、このままではアキラの見せてくれた物はなんだったのか? と情けなく思う自分を鼓舞して、今目の前のラモンに相対している。
「勿論お前のことは信じている。だが、貴族の世間はそうは捉えないのをよく知っているはずだ。私の言うとおりに護衛をしてくれたアキラ君に会わなかったのだから、今回も言うとおり――」
「話をすり替えないでください! 私はアキラを蔑ろにしたことに腹を立てているのです。挙げ句の果てに、見送りさせず外に出るなと? 外出すらさせない等、私には外に出る自由すらないのですか!」
「この数ヶ月、存分好きにさせたと思うが?」
「あれ程の護衛で囲い、観光させるだけのダンジョンを私のやりたかった冒険などとは認めません!」
クロエもクロエでその点を忘れてはいないが、アキラとのダンジョン攻略で自身の攻略がとても色褪せて見えてしまうのは仕方が無いことだろう。ラモンもラモンで最大限の譲歩はしているが、ドローネ家当主としても限界がある。
「……これ以上の勝手は許さん。例えお前が何を言おうとも、ドローネ家の人間なら
「……」
目を瞑って黙るクロエを見て、ラモンも漸く折れてくれたかと心の中で安堵する。
「父上」
クロエとてこのままラモンの言葉を受け入れるわけにはいかない。今ここで“出来ること”をしなければ、この先も似たことがあっても似た結果で終わってしまう。
「なんだ?」
今までにない程抵抗しても、結果はラモンの指示に従う選択肢しか用意されていないのだ。その言葉を受け入れた先に待っているのは縛られた生き方のみ、そしてその環境に耐えられなくなる日もいつかは来るだろう。
「どうぞ、当主として命令してください」
だからクロエの選択肢は父であるラモンに意見をした時点で決まっている。クロエは今までにない程凜然とした態度でハッキリ言う。
「クロエ、お前――!」
目を開けたクロエは何かを決心したような真剣な表情だった。ラモンも娘に対して親という立場を忘れさせる程の動揺が現れてしまうのは無理も無い。初めて見る娘の立ち振る舞いは、最早親として見ていた筈の子供とは似ても似つかないからだ。
(これは……)
ラモンは思う、今命令すれば確かにこの場は従うだろう。しかし、それは何かを決定的に違えてしまう程の大きな歪みを生む。ラモンは親としてではなく、当主としての経験からそう思わされてしまった。
以前なら絶対無かった絶対に引かないと言う決意、クロエがなんのために家へと帰ってきたのか? 危険だと言っても尚したいことがあると言うのはどうしてか? クロエはティエラという恩人を、不義理で追い返してしまった真に尊敬出来る恩師に一言でもいい。
「さぁ、どうぞ。当主として命令してくださるまで私は引きません!」
クロエは伝えたいのだ。今後会うことも出来ない、これからが幸せの絶頂であろうティエラに、ただ祝いの言葉を、そして感謝の言葉を伝えたいだけなのだ。
「わかったよ……クロエ」
だが、ラモンは当主として命じなければいけない。ここまで大きく出てこられた以上、折れてはいけないのだ。今後同じ態度を取れば自分の意見が通る思わせては当主として致命傷となってしまう。
「当主として命ずる」
「はい」
「……今すぐ自分の部屋に戻りなさい。従わない場合は無理矢理連れて行く」
「わかり、ました」
クロエの何かを堪える様は、自然と頭を垂れる格好になってしまう。
「そして準備をしたらフォーメールを伴い、為すべきことを確実に実行するのだ。内容は言わなくても理解しているだろう。半端は許さん、ドローネ家として恥ずかしくない振る舞いをせよ。以上だ」
「!」
「理解したか?」
「は、はい! ドローネ家の子女として、恥ずかしくない振る舞いを致します!」
「ならばよい……あまり遅くなるなよ?」
「はい! 失礼します!」
クロエは踵を返してすぐに自分の部屋へと帰って行った。その後ろ姿をじっくり見る間もなく、ラモンは執務室の一人掛け用の椅子に腰掛ける。
「……これが、子が成長するということなのかもしれないな」
一人小さく呟くラモンの口元は穏やかに緩んでいる。今まで見たこともないクロエの成長を見て、親として誇らしくもあり、何が切っ掛けで成長したのか見れなかったことを寂しくも思ったりと、複雑な感情を整理し続けていた。
その日から暫くして、侯爵家の子女がダンジョンをテーマにした派手な催しと結婚式を企画する。いつかはアキラの小耳に挟むであろう程度に、プレイヤー間のニュースで話題になるのだった。
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