第98話 王都へ


 複数の馬が走っている音が聞こえる。そのペースがゆったりとしているのは小気味良く響くひづめのリズムが教えてくれる。


 その音と馬のペースに身を委ね、十分に踏みならされた街道を辿ること数十分、目の前には年季を感じさせる重厚で巨大なブロックを積み上げた壁が見えてくる。出入りするために一カ所だけかなり大きい作りの門が街道の終点を告げるように開放状態でアキラとその一団を待ち受けているように感じられた。


(無駄にでかい門だな……それに王都って要はこの国の中心的存在だろ? 入るのに審査だったりとかなんかあると思ったんだけど何も無いのか?)


 常駐している兵士は居るが、フォーメール達が視線を向けて簡単に目礼すると常駐しているらしき兵士も簡単に敬礼するだけで呼び止められることも無かった。アキラという仮面付きの不審者が居ても特に気にした風もない。


「おっ」


 アキラの呟きにクロエは力なく視線を向けるが、直ぐに視線を戻してしまう。呼びかける気力も無いようだ。


(クエストもやっと終わりか……にしてもクロエ大丈夫か?)


 門を過ぎると視界にクエスト完了の知らせが届いていたために声が出てしまったが、確認は後にしようと決めたアキラは、それよりも気がかりなクロエに声を掛ける。


「なぁ、クロエ」

「……ん? なんだろうか」


 反応が一拍遅れたが、そのことには触れずに気になることから話す。


「なんでフライスの後なのにフォーメールの一団を警戒しなかったんだ?」

「ああ、そんなことか。君の判断に従うと決めたのもそうだが、フォーメール達は信用に足る理由があるからだ」

「ほぉ?」

「父の直属の騎士なんだ」

「……へぇ、フライスは?」


 アキラの中でイマイチ信用に足る理由にしては薄いと感じたが、この世界の価値観から来る違いと納得して続きを聞く。


「立場はフォーメールと変わらない。フォーメールは父の回りを主に担当していてフライスは隊全ての統括役だった」

「立場が同じなのに随分役回りが違うんだな」

「それは……」

「クロエ様、あまり内情を漏らすのは感心出来ないのですが」

「あ……済まない。そ、そうだ! これが一番の理由なんだが……」


 フォーメールがたしなめる。それを機にアキラの質問にかこつけて誤魔化すように続ける。


「私の教育係でもあるんだ」

「あ~それでか」

「?」

「いやな、クロエとフォーメールってさ、なんか雰囲気って言うか喋り方が似てるんだよ」

「そ、そうか?」

「……む」


 戸惑うクロエとは別に、思い当たることがあったフォーメールは言葉に詰まる様相を見せる。


「私は昔から男勝りだと思っていたんだが……まさか?」

「まさかではありません。だから言ったでしょう? 真似をするのは控えるようにと」

「む、私はそのようなことを言われた覚えは無いぞ?」

「あの頃はまだ幼かったが故に、忘れたのでしょう」

「ああ、すまん。ちょっといいか? なんで男のフォーメールがクロエの教育係なんてするんだ?」

「うっ」


 女性のクロエに男性の教育係が付く不自然さには気づいているらしい。思い当たる所があるのか、苦悶の声を漏らす。だが、そんなことは露知らずとフォーメールは懐かしむように語ってしまう。


「お転婆なクロエ様は教育係についたメイドの言うことを全く聞かなかった。そこで一計を案じたラモン様は教育役になぜか俺をお選びになられた」

「クロエが……お転婆……」

「そんな顔で私を見るな!」

「いや、仮面だから俺の顔は見えな」

「私からは見えているんだ!」


 クロエの顔は火が噴きそうな程赤く、アキラが何を言ってもその言葉を信じるつもりが無いようだ。


「教育が落ち着く頃になり、物静かな娘に育ったとお喜びになっていたラモン様だが、女性の所作らしき所が皆無なのに気づくも時既に遅く、今の形に落ち着いてしまった」

「……教育に失敗されたと思われるのは心外なのだが」

「そっか、クロエは子供の頃から騎士に憧……」

「止めてくれ!」

「お、おう」

「……」


 この話題をこれ以上広げてはいけない。クロエの態度からそんな空気が流れたのか、沈黙でこの場は自然と収まる。こうして意外な過去を知ったアキラは、クロエの気が逸れたのを見て切り替える。


(これからのことはクロエの戦いだ。俺が出しゃばることじゃない……リアルでもそうだけど、そもそも貴族のこととかよくわかんないしな)


 クロエはなんのために王都を目指したのかを考えれば、選択肢は限られている。しかし、アキラの仕事は王都アザストへクロエを無事に届けることだ。これから何が起こるかはクロエ次第なため、これ以上の深入りは出来ないと判断した。


(ちょっと冷たいかもしれないけど、流石にこれ以上時間食うわけにもいかないからな)


 アキラもアキラでやらなければならないことがある。最低限無事にクロエを王都に届けたことで、自分のやるべきことは果たしたと考えていた。




 王都アザストに入って暫く、日も落ちる時間が近づいている。にも関わらず活気のある街並みが続いているのは、王都がヒューマンの中心的存在だからだろう。整備された石造りの路面や行き交う人々には笑顔が溢れ、ギルドのメンバーらしき人や、仕事を終えた労働者と様々だ。


(……ここには他の種族が居ないのか?)


 海を渡った港街には居たが、王都アザストに来てから全くと言って良い程他の種族を見ない。アキラが頭を捻りながらも馬に揺られること数分、進めば進む程喧噪が収まっていく。少しづつ人通りが少なくなっているのが原因だが、治安が悪くなってくる様子は無い。


 地面の石畳は綺麗なクリーム色の溝の無い路面に変わり、清潔感漂う雰囲気からアキラは若干緊張してしまう。


(な、なんだここ……)


 そんな落ち着きの無いアキラを見てクロエが不審がる。


「何か問題が?」

「あ、ああ……なんかやけに落ち着かない空間だなって思ってな。綺麗すぎるんだよな、あっちには無かった街灯とかも並んでるし」

「ここは貴族街だからかもしれないな。私は慣れているが、来る機会が無い者には居心地が悪いのかもしれない」

「そんな通りに俺とか入っても大丈夫なのか?」


 装備はある程度優秀でも自分の身なりは冒険をする者のそれだ。ドレスコードではないが、多少なりとも気を使いそうになってしまう。今まで居た環境のせいから来る戸惑いも強いかもしれない。


「近寄りがたい名前はしているが、特に入場制限は無い。警邏している者も居るし、余程怪しい者でなければ声も掛けられない筈だ。この先は王城にも繋がっているが余程の用が無ければ人も通らない。王城に行くなら貴族街から行くより他のルートを利用する場合が殆どだろうからな」

「そんなもんか……あぁ、そうだ。こう言っちゃなんだけどでかい家が少ないな?」

「王都に大規模な屋敷を構えている家は上位の爵位を持ちか、それなりの歴史ある家位の物だ。王都の土地も限られているからな」

「へぇ~クロエん家は?」

「……もう着く」

「おぉあれ、か?」


 クロエの指し示す方へと視線を送ると、灰色のブロック塀が建ち並び、その背後に待ち受けるように洋風の屋敷が見える。夕日と夜の境目が屋敷を照らしているせいで明るい場所に唯一暗闇に包まれた雰囲気はコウモリの幻影さえ見えそうだ。


「なんか不気味だな」

「随分失礼じゃないか? ……久しぶりに帰ってきたが、時期が悪かったのだろう」


 クロエも口ではアキラに注意を促すような言い方だが、後に続く言葉でその説得力は皆無だ。


「全体、止まれ!」


 アキラ達のやり取りを気にせず、フォーメールが馬を止めると副官と思しき男が隊全員に合図を出す。フォーメールが腕を組むのを確認した副官が続けて発する。


「開門準備!」


 フォーメールが何も言わずに副官が全てこなす様を見るとどちらがこの隊を支配しているか邪推してしまいそうだ。しかし、フォーメールの佇まいも副官の動きもそれぞれ含む所を感じさせない。


「全体、進め!」


 開門後、フォーメールが進み出すのを見てからまた指示を出す。


(よく訓練されてる……て言っていいのか?)


 副官はフォーメールの動きを見てから自分の行動を判断しているらしい。指示を多くは語らないが、短いやり取りでも通じるのを見るに、上下関係は明白だ。


(……にしても他の人種が居ないのもそうだけど、フォーメールって言うのはなんで仮面なんかしてるんだ?)


 アキラは小さな疑問から妄想をふくらませていく。






 辺りは白い靄に覆われ、何も見えない。そこでは息をするのも一苦労で、吸った酸素は熱を持ち、あまりの熱さに鼻孔が火傷をしてしまったのではないかと危惧してしまう程その場の空気は上昇している。


「フゥ、フゥ」

「……まだ上げられるだろ?」

「え゛」


 荒い呼吸と熱が支配するその空間を破ったのはアキラだ。


「追加を」

「は、はひ……」


 今は全身と顔を覆うフルプレートメイルを脱いでいるため、その驚くべき素肌と顔を晒しているが、今はそれどころでは無い。アキラの言葉にフォーメールは静かに答えた。


 一人の半裸姿の男が暑さに耐えかねた返事を返すと、木製の柄杓ひしゃくを使って液体を垂らす。すると液体の落ちる音が聞こえると同時に肉でも焼いているのではないか? そう思わせるような焼ける音が静かに響く。


 その瞬間、もやが再びその空間を濃く広がり、その場に居た者達の視界を覆う。タダでさえ呼吸の辛い熱気に包まれた空間はその温度と呼吸の困難さのハードルを上げていく。


「こ、こいつ……命知らずか!? こんな状況で“足す”なんて……俺は、もう限界だ!」


 それまで静かにしていた一人が、この環境に我慢できないと言うようにもやの中、姿を消してしまった。


「お、俺も……」

「に、逃げるの……か」

「付き合ってらんないって!」


 それが引き金になったのか、一人、また一人とその場から姿を消した。


「フッ……俺の勝ちだな」


 突然の勝ち名乗りをするアキラだが、なぜかその姿は同じく上半身裸で、腰にはタオルしか巻いていない。当然トレードマークと化している仮面はそのままだ。


「靄だけでなく、意識も靄のように朦朧としているのか? まだ俺が残っているぞ」

「そうか、なら追加だな」

「……」


 動かないフォーメールを見て、アキラは目の前にある柄杓ひしゃくで液体――水を掬い、石に注ぐように落とす。既に水を追加していた者も、この場に耐えられず外へと逃げて行ったらしい。石は高温なのか、水が落ちる度に焼ける音と共に水蒸気が大量に発生する。


「ふぅ……ここは香りもいいな」

「木材には、拘って、いる」

「折角だし楽しまないとな」


 アキラは口角を上げて余裕に振る舞う。座面に置いてあるひのきから沸き立つ香りが、元の世界の懐かしさを感じさせた。




 暫くして、我慢比べらしき戦いの終わりが、フォーメールの言葉から漏れ出る。


「げ、限界……だ……」

「フフフ、俺の勝ち、だな。おーい、誰か~っとと」


 気絶したフォーメールに勝ち名乗りを上げつつ若干ふらつくも、慌てて姿勢を整える。すぐに外で待機していたのか、薄着で身軽な格好をした男二人が呼びかけに答えたようで、中の熱気に表情を顰めながら、ぐったりしたフォーメールを運んでいった。


「み、水風呂入ろ……俺も、やばい」


 そもそも何をしていたのか? それはドローネ家のサウナで突如行われた我慢比べだ。今は火照りすぎた身体を水風呂で冷まそうとしている。


「はぁ゛~」


 人が駄目になる瞬間が声に出ているが、それも身体の上がりすぎた熱が原因で最初の冷たさは既に消滅している。温くなった水風呂のせいか、身体の感覚が曖昧になっていく。アキラは熱でぼやけた思考を懸命に回そうと持てる力を尽くす。


(おれ……なにしてたんだっけ……あぁ、そうだったそうだった……でも、後にしよう。無理は良くない……か…………ら)


 散々無理を通してきたアキラだが、茹だった頭では現状の確認すら覚束ない。なんとかことの経緯を思い出そうとするも、その頭は水の中に沈み始めていた。


「……おい! この人水の中で気を失ってるぞ!」


 のぼせて意識を失ったアキラの近場に人が居たのもあって惨事は免れるのだった。

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