第93話 波乱の火種


「うぅ……」

「こんなことをしてただ済むと……」

「我々が……誰だかわかって……」


 ヒューマンで構成された兵士が死屍累々とでも言うべき惨状に晒されている。身体は動かないが意識があるらしく、呻き声や恨み言を吐いている。中には手を出してはいけない相手だと暗に知らせるが、今の事態を引き起こしている元凶は倒れている相手の声を聞いてはいない。


「おぇっ!」

「っ! ……ダメ……だ」

「まずいぞ、奴を……殺してでも抑えろ! 被害が広がるばかりだ!」

「「おぉー!」」


 一人、また一人と惨状の一部に加わり、それを見ていた兵士の隊長格の男が指示を出す。


「む、無理です! 早すぎて……ぐわっ!」


 しかし、指示通り対処しようにもそれが出来ず、また一人惨状に加わるだけだった。


「相手はボロボロなのに、どうしてだ!?」


 たった一人を捕縛するどころか、傷つけることすら叶わない。体中ボロボロで満身創痍に見える年若い男一人に、何十人と被害を受ける形以外で触れることすら出来ない。


(なぜだ、なぜこんなことになる? ただクロエお嬢様を連れ帰るだけの任務の筈だったんだ!)


 原因となったクロエを視界に収めながら、なぜこんなことになったのか、部隊の隊長らしき男が背後に居るであろう近衛騎士に目を向ける。


「雑兵じゃ相手になりませんね……ガンダ出て貰いますよ」

「いいけどさー、あいつ俺んとこと同じ出身かもしれん」

「だから?」

「はは、言ってみただけだかんな。未だにこんなとこで燻ってる奴に俺は負けるわけ無いだろ?」

「ちゃんと報酬は払うんですからお願いしますよ?」

「あいよ」

「失敗すれば終わるんですから」


 丁寧な言葉で喋る近衛騎士は、今頃騒ぎになっている筈の場所を想起しながら不安要素を拭い去ろうと冷静に振る舞い続ける。






「「「ハッ!」」」

「「「セイ!」」」


 複数の声がテンポ良く重なり、気合いの入った掛け声が聞こえる。どうやら兵士が調練をしているようだ。それを窓際で眺めながら雑談を交わす二人のメイドが居た。


「今日で3日目だってねぇ」

「そうね、お嬢様は大丈夫かしら? ……にしても今日は兵数が以上に少ないような?」


 ここは王都アザストのとある貴族の屋敷の一角、以前からメイドとして勤めている二人の女性が内緒話をしているのだろう。


「今日は兵隊さんは非番の人が多いからじゃない? それにしても、護衛を巻いて一人で逃げ出すなんて……あの真面目なクロエ様からは考えられないわよねぇ?」

「お付きも居ないのにお嬢様一人で行動するなんて……あっ」


 話に夢中になっていたメイド達の内一人が目の前にまで近寄っていた一人の執事を見つけて声を上げてしまう。


 見つけた相手は執事だ。白髪交じりの頭髪は通常なら老けた印象を与えるが、身に着けている燕尾服や背筋の伸びた背格好と歩き方からはとても老けた年月を感じさせない力強さがある。むしろ、今が一番脂の乗った時期なのかもしれない。


「お前達、誰が聞いているのかわからんのだぞ? そういう話は仕事を済ませて休憩所に留めておけ、二度目は厳重注意とする」

「は、はい」

「し失礼しました、バトラー」

「早く行け、今の旦那様に見られたら事だ」


 そう言って二人のメイドを仕事へと戻らせる。バトラーと呼ばれたのはこの屋敷、正確には数ある別宅の一つに用事があって来ていた執事だ。主君が王都アザストに滞在するため、この執事も滞在している。


「……早く旦那様の所へ報告に行かねば」


 そう呟いて窓の外に映る兵の数を確認した執事は、主君の所へと急ぎながらも服装に乱れなく向かっていった。




「以上が、クロエ様に付いていた近衛達の話です」

「……そうか」


 屋敷の書斎にある執務机で何かを読みながら返事をする壮年の男性が短く返す。執事は頭を決められた位置まで一瞬だけ下げて向き直った。この態度を見れば、執事の言っていた主君は一目瞭然である。


「近衛達の処分はお前に一任する。だが、もしクロエに何かあったと発覚すればその限りでは無い」

「承知しました」


 クロエに何かがあれば執事ではなく、自分が処分を決めるとの決定に執事は間髪入れずに返事を返した。


「して、王都アザストを目指していると聞いていたが、理由はわかるか?」

「はい、発端はティエラに会いに行くとクロエ様が仰った所からです」

「ティエラというのは、確かお前の言っていた……」

「はい、私が護衛の一人として雇い入れたメンバーです」


 その言葉を機に書類から顔を上げる。眼光は鋭く、執事の顔を射貫かんばかりに睨みつける。今は時期が悪く、機嫌が良くないのと不機嫌になっている一端をこの執事が担っているからだ。


「詳細を」


 しかし、不機嫌の原因が例えメイド達にバトラーと呼ばれたこの執事であっても、苛立ちをぶつけて目的を見失う程愚かではない。今一番大事なことを知るため、館の主は短く先を促した。


「はい、先日ティエラの方からクロエ様に教えることは十分伝えた旨と、現在の護衛の存在から自分の仕事は終了したと本人から書面が届きました。その裏付けを近衛達にも取り、契約満了を確認してギルド経由でメンバーに報酬を支払い終えたのですが……」

「待て、ティエラとかいう冒険者は既に仕事を終えているのだな?」

「そういうことになります」

「そういうこと?」


 この館の主は事実確認を挟むが、執事が歯に物が挟まった物言いをしたため、続きを促す。


「結果だけお伝えすればその契約満了、私を通すこと無く近衛の騎士フライスが履行したようです。ギルドに確認した所、代理で処理を行ったとのこと」

「この件はお前に一任している筈だ。なぜフライスはそんな勝手なことを……今フライスはどこに?」

「それが、どうやらドワーフのガンダと10名近くの騎士と30名の兵を伴って今朝、出発したようです。そして、未確認ですが別宅に待機させていた兵を全てかき集めているとの情報も……」

「……なんだと? 誰だ! そんな許可を出したのは!」


 持っていた書類を机の上に見もせず置く、既に今行っている作業を中断せざるを得ない事態が発生しているようだ。


「どうやらクロエお嬢様の救出という名目で、灼熱神殿エルグランデへ向かうため呼びかけたと聞き及んでいます」

「あいつは一体何を考えている?」

「浅慮ながら、私的意見がございます」

「聞こう」

「近衛の話ではクロエ様は王都アザストへ向かうらしいとの言葉を聞き及んでいます。この時期、海洋漁港エステリア方面から王都アザストへは道が塞がっており、最短距離で進む場合はエルグランデを突っ切る他ありません」


 アキラ達がやってきたことを辿るように、執事は声に出す。


「もしもそのルートを選択なさった場合、クロエ様は護衛、又はそれに連なる道案内できる程度の者を雇うはずです」

「あそこは危険な道だから当然だろう」

「ですので、フライス殿がクロエ様救助との名目でエルグランデに行ったのではないかと愚考致します」

「だが道案内があるなら王都まで問題なく行けるだろう。なぜ大勢引き連れる必要がある?」


 当然の疑問だ。迎えに行くことを考えれば人数は必要ないからだ。しかし、思い当たる所がある執事は静かに自分の考えを告げる。


「あまり考えたくないことではありますが」

「なんだ」

「人数によっては、それ程必要になると考えているからでしょう」

「……?」

「案内人が複数、ないしエステリアから来る程度の強さなら数でどうとでもなります。貴族の家名を使うことで名目上、現場の言い分を立たたせる。そこで救出と言う建前が既に用意されているのであれば、場所と人はフライスの思うがままでしょう」

「貴族の息女の誘拐を助けた騎士の誕生か……」

「これは私的意見です。必ずそうだとも言えませんが、いかがなさいますか?」


 現実がどうであれ、縦の力が強いこの世界で上の者が頷けばそうなってしまう。これまでの下準備からフライスを黒だと言っても、現場の状況証拠がフライスを白にしてしまう。この対応をドローネ家の当主であるラモン・ド・ドローネは迫られていた。






 場所は戻ってアキラ達は今なお、エルグランデから出た場所に居る。正確にはクロエはその出口付近だ。そして、それを守るようにアキラは一定距離を離れずにその場で立ち尽くしている。


(本当にこれでよかったのか……何も考えずに思ったことを口に出しただけだ。アキラはそれでいいと言ったが……駄目だ。もう始まったことだ、アキラを信じよう。フライスもなぜあのようなことを?)




 時は遡り、アキラ達がエルグランデから出てきた所から始まる。




「約束を破る云々のくだり、無かったことにしていいですか?」

「……」


 ジト目を送りつけるクロエに、アキラはヘラヘラとしながら前を向き直って何十人立ち並ぶ兵士に対し、全く何も感じていないかの如く一歩を踏み出す。


「止まりなさい」

「うっさい」

「!」


 それを妨げる声を妨げ、また一歩を踏み出す。兵士全体動揺した空気を醸し出すが、アキラは構わず踏み出す。だが、クロエは動けず、付いて来れないようで、アキラは仕方なく立ち止まる。


「そこの誘拐犯、クロエ様を大人しく返しなさい」

「な! その物言いはなんだフライス!」

「クロエ様、護衛も居なくなりあわや一人囚われの身、相当お心を病んでおられるのでしょう。このフライス、必ずやクロエ様をこの身に変えて、必ずやお助け致すことを改めて誓いましょう」

「き、騎士様が助けに来てくれて良かったじゃないか。と、囚われの身だってよ……」

「アキ、ラ?」


 アキラは苦しそうに、何かを堪えるように下を向いて身を震わせている。心配するクロエの声に、すぐ起き上がって問題ないと身振りで現すが声は出さない。


「い、今時こんな口上する奴いんだな……」


 近くのドワーフも、馬に乗ったフライスと呼ばれる騎士を見上げて唖然としていた。恐らくこの中で共通意識を持つのは意外にも会ったことの無いアキラとドワーフだけだろう。


「何があったかはわかりませんが、大人しく返していただけるのですか?」

「ク、クロエどうするよ?」


 漸くアキラは笑いを堪えているらしいのを知ったクロエは、そんなアキラを見て思い出す。こんなふざけた人でも持ってる物にはブレが無いということを、クロエは悟った表情で声を発しようと……。


「私は……」

「ふぅ、笑いを堪えるのも大変だな。いいかクロエ? 俺に約束を守らせるか、破らせるかはお前次第だ。余計なことは考えるな、自分のやりたいことだけを考えろ」

「私の、やりたいこと?」

「クロエ様は心を病んでおられる。妄言を吹き込むのは止めて貰おう」


 フライスのそんな言葉をアキラは無視して続ける。


「兵士に連れられて王都アザストに行くことか? 家から出ず、一生燻ることか? 自分の思いを押し殺して生きることか? 現状に満足せず、足掻き続けることか? どれもあるかもしれない道だが、本当にやりたいことはもっとシンプルだと俺は思うぞ」

「後に、続かなくても?」


 フライスが無言で手を上げる。それを見た後方部隊が弓を構え、アキラ達の側面に人の気配が生まれる。それでもアキラは気にせず続ける。


「それはクロエ次第だ」

「……ティエラに、一言でいい。ありが」

「放て!」


 クロエの思いを、複雑さの欠片も無い単純な言葉すらも無視するかのようにフライスの号令がクロエの思いを遮る。その言葉と同時にアキラの両サイドから矢が射られる。当然死角から放たれた飛来する矢を視認すること等出来ない。


「普通、ここは黙ってくれるのが悪役の見せ場だろうに……」


 しかし、そんなことは関係無しにバックステップで避け、クロエに向かってきた一本の打ち漏らしのみを片手で掴んでいた。そこにあるのは知っているとでも言わんばかりの行動だ。そして、まるで当たっても構わないと言っているかのようにも受け取れる攻撃でもある。


 だが、今はそれどころでは無い。


「奥義! 二指真空取り!」

「指じゃなくて手で掴んでねぇか?」


 唯一ネタがわかるのか、ドワーフがツッコミを入れる。アキラはそれに若干感動しながら、心の高揚を抑えてクロエに言葉を促す。


「ほら、クロエ」

「あ、ああ……」


 自分に矢が向けられる筈がないと思っているおかげで、アキラの言葉にすぐ言葉を紡げた。


「ティエラに……今までありがとう。これからも幸せにと一言でいいから言いたい! それを邪魔しないでくれ!」

「やれやれ、相当心を患っておられる。皆の物! あの誘拐犯の生死は問わない! クロエ様をお助けするのです!」

「全隊、進め!」


 フライスの部下の声に、他の兵士は従わざるを得ない。今のやり取りに若干の戸惑いはあれど、逆らうことも出来ない。


「ほら、また流れ弾がきたら困るからな、出口を盾にして下がってろ」

「あ、あの人数相手に、本気で?」

「ふっ、俺はキングすらソロで倒した男だぜ?」

(ジェネラルより格が上がってないか?)


 それと同時にアキラは前を向いて歩き出す。一度戦いが始まれば互いの葛藤や戸惑いなどは考慮されない。例え戦いたくなくても戦いの火蓋が切って落とされれば、体勢が決まるまで戦いが終わることは殆ど無いのだ。

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