第79話 お怒りベアー


 シーサイドベアー・ジェネラルと甲冑の男性を中心に6人で繰り広げられる戦いは30分にも及んでいるが、HPゲージの1/4程度しか削れていないのを見ると、相当に苦戦しているようだ。


(そろそろ乱入するか)


 アキラも観察を止めて戦闘に参加しようとしていた。


 通常、オンラインゲームは敵との戦闘中に横入りする行為、通称横殴りと呼ばれる行動はユーザー間ではやってはいけないマナーとして存在する。中には戦闘中、他のプレイヤーはそのモンスターに攻撃させないシステムまである程だ。


 中には横殴りが推奨されるゲームもあり、報酬も最初に攻撃を入れた者ファーストアタックと戦績に応じて貢献した人に割り振られる等の柔軟な対応をするゲームもある。


 アキラがSoul Alterの事前情報で知った知識では、後者に属する物だ。そのため、気にせずに戦闘に参加できる。オンラインゲームのマナーも現実世界の一般常識と同様の物なので、事前に横殴りをしても問題無いと把握していたアキラにとっては余計な手間が省ける形となる。


 自身の理論武装が完了したアキラは、いざ近づこうとした時に問題が発生する。そしてその問題は、パーティがなぜ撤退しないのか、その理由にも繋がっている。


「おわっ」


 一定の距離から踏み入れようとすると、どこからやってきたのか足が途中で水に押し退けられてしまう。その様子に気づいた白衣を着た女性が振り返り、声を上げる。


「そこの人! 危ないから近寄らないでください!」


 少し距離があるので大声で告げると他のパーティメンバーもそれに気づく。腰の引けた弓の青年もこちらを向き、声を上げる。


「こ、こいつの魔法で周囲が囲われてるんだ! 逃げることも出来なくなるぞ!」

「んー……」


 アキラはそれを聞いて撤退しない理由に思い当たる。撤退しないでは無く、出来ないのだと。


「まずい!」

「そっち行ったぞ!」


 甲冑の男性が大声で危機を知らせる。アキラの方へとシーサイドベアー・ジェネラルが向かってきたのだ。


(こいつは用意した仕切りに近づいてくる奴を攻撃すんのか? すげぇ走り方……山が唸ってるみたいだ)

「おい! あんた早く逃げろ!」


 のんきに見ているアキラに警告する武闘家の男性だが、突っ込んでくるシーサイドベアー・ジェネラルは正しく、熊手を武器にアキラを切り裂こうとして迫っている。


「まずい! グラッコ!」

「ああ」


 武闘家らしき男がグラッコと呼ばれた短剣を使う男に声を掛ける。何を言いたいのか察しているのか、返事だけで答えたグラッコはポーチから何かの塊を取り出してジェネラルに投げつける。


「おい! 今それを投げたらいざって時に……」


 甲冑の男性がその行動を咎めるが、もう投げてしまったので今更だ。黒い塊はジェネラルの通る位置で突如傘のように一瞬で広がる。


(ん? 網か?)


 ジェネラルを覆った網はその巨体を絡め取った結果前足をもつれさせ、転んでしまい、そのまま網に絡め取られてしまう。


「今のうちに逃げてくれ!」

「おお! これ俺も欲しい……あれ?」


 暴れるジェネラルは10秒もしない内に網を引き裂いて脱出してしまう。声を上げてアキラを逃がそうとしたグラッコは驚愕の表情でその様子を見ていた。


「……やっぱいらん」

「何してんだ! 折角時間を稼いだのに!」

「捕獲網が……無駄に」


 武闘家とグラッコの嘆きの声が木霊する。目的が違うアキラは若干気まずげに大きな声で聞こえるように叫ぶ。


「ごめんな! こうしないと入れないと思ったからさ!」


 アキラの声にパーティの6人は意味が理解できないのか、静かになる。たった一人しか居ないように見える人物に対して驚愕で声も出ないのか、荒い呼吸のみがその場を支配していた。


『ヴォオオオオオオ!』


「おお、怒ってる怒ってる」


 ジェネラルがアキラに近寄ると、潮を含んだ軽い水飛沫が通り抜けるような涼しさを感じる。ジェネラルの領域テリトリーに入ったのだろう。しかし、これでもう逃げられない。


(ダンジョンのボスもそうだった……対峙して大体わかる。やっぱりいけそうだな、どっちが獲物か思い知らせてやる)


 捕獲網で相当に苛立ったのか、ジェネラルは怒りを露わにしている。浜辺で見た海のような澄んだ色をした熊の至る所に、群青色の紋様が浮かび上がった。


「威嚇としては十分だな! よしかかって……来ないの?」


 テリトリーに入ったアキラを一瞥し、網を投げた張本人であるグラッコに向かって走り始めた。今の一投で隠れていた敵視ヘイトが急激に跳ね上がってしまう。


「グラッコ! 俺に!」

「悪い、頼んだ」


 グラッコが甲冑の男の影に隠れ、ヘイトを一番近い人に強制的に移すスキル【雲隠れ】を使用する。グラッコがその場から離れても、ジェネラルは見向きもせずに甲冑の男へと突っ込む。


(おお、なんとか持ち直せそうだな。おっし、俺も参加しよう)


 後を追いかけるアキラを尻目に、そんな連携を嘲笑うかのように攻撃に備えていたはずだった甲冑の男は吹き飛ばされてしまう。


「ヘイグ!」


 武闘家が吹き飛ばされたヘイグと呼ぶ甲冑の男へ叫ぶ。怒り狂ったジェネラルの突進に耐えきれなかったようだ。そして、動かないヘイグに追撃をするため後を追うジェネラルが居た。


「まずいわ!」


 白衣の女性がその言葉と共にヘイグに向けて魔法を使用する。


「おいケイシー! 今ヘイトなんか下げたら……」

『ヘイズ!』


 グラッコの言葉に構わずパーティ一人のヘイトの優先順位を2番にする魔法を使用した。順位がトップと入れ替わり、2番目にヘイトを稼いだ者が上位に取って代わる。しかし、その2番目に位置するのはケイシーと呼ばれた白衣の女性だった。


 回復を担う魔法は、ダメージを与えるよりも遙かにヘイトを上げる危険性の高い行動だ。当然ジェネラルの矛先は回復を担当していたケイシーに切り替わる。


「だから言わんこっちゃ無い! 俺はヘイグにヘイトを押しつけちまったんだぞ!」

「わかってます! でもあのままじゃ……ヘイグが!」


 既に狙いを変えたジェネラルの突進を防ぐ手段は残されていない。トラブルはあったが、ここまで上手く対応できただけでも十分なのだ。だが、アドリブの最後で回復の要であるケイシーに被害が及ぶのはなんとしてでも防がなければならなかった。


(さ、流石にこれは責任取らなくちゃいけない……よな?)


 自分が引き金で彼らの均衡を崩してしまったのと、そのせいで女性に被害が出そうな状況に負い目を感じていた。ジェネラルに近づかれるよりその心は穏やかではいられない。直ぐにオルターを召喚して準備に備える。


「後で、謝ろう……シヴァ、ヴィシュ、イドだ」

『ウン!』『ソウ』


 シヴァとヴィシュが返事と共にその武器すがたを光り輝く発光体に切り替える。ただただ狼狽えていた弓を持ってアキラを見ていた青年だけがその行動で悟る。


「あ、あいつプレイヤーだったのか!」

天地あまちはあいつを知ってるのか?」


 どうすることも出来ないで成り行きを見守るしか無い武闘家が、間に入るアキラに対して祈るような気持ちで見ている時に聞こえた言葉から、縋るように天地と呼ぶ弓を持った青年に声を掛ける。


「……俺と同類の所から来たんだ」

「なるほど、あいつは大丈夫なのか?」

「わ、わからない。イドには出来るみたいだけど、俺はまだ出来ないからどれ位強いのかわからないんだ」

「そうか」

「足引っ張ってばかりでごめん」

「天地……」


 プレイヤーの一人である天地は何かを気にして謝ってきた。武闘家の男はそんな天地を気遣うように声を掛けるしか出来ない。今はケイシーの安否が、間に立ち塞がったアキラが何をするのかが重要なのだ。


 ジェネラルとは元から距離を取っていたが、既に近くまで迫っている。ケイシーはアキラに気遣うように声を掛ける。


「私のことはいいから、あなたは逃げなさい」

「へ?」

「勇敢なのはいいけど、このまま二人一緒に潰されるよりマシです」

「……ほら、俺にも一応責任あるからさ」

「いいから、まだ間に合うから退きなさい!」


 アキラは彼女が震えているのがわかる。それでも相手に対してこうまで気遣える精神は尊重したいと考えた。だが、それは次の機会に取っておくことにする。


「もしあんたに何かあったら俺の方が気まずくなるのはわかるだろ? ここは俺の顔を立ててくれよ」


 そう言ってアキラは自身のこめかみにヴィシュを押しつけ、引き金を強く引く。自身を[賦活]状態にし、シヴァを力一杯握り込む。三本の特徴的な赤いラインが溢れ出さんばかりに光る力強い光だ。


『力の加護!』


 それをアシストするかのように魔法使いからバフが飛んでくる。パーティメンバー以外をアシストするこのバフは、消費が激しい上に再詠唱リキャストも長く、効果時間が30秒と短い。だが、その間はSTRを1.5倍にする強力な効果を持っている。


 アキラが何かをしようとしているのを察したバフ使いの女性は、アシストに回ったのだ。アキラは腰を落とし、シヴァとヴィシュを逆手に握って溜を作る。


「あんたの仲間はいいバフを使うな、これなら絶対いける」

「あなたは一体……っ!」


 その呟きは目前に迫るジェネラルで掻き消える。


『オォオ゛オ゛!』


「うるせぇ!」


 アキラがいつも通りの調子で声を出しながら左足を強く踏み込む。その影響で地面が沈み、突っ込んでくるシーサイドベアー・ジェネラルに向かって左足を軸にした渾身の力を込めて後ろ蹴りを放った。




 瞬間、鉄球が衝突したかのような轟音と衝撃が周囲へと広がる。咄嗟に目を瞑っていたケイシーはいつまでも自分へなんの衝撃も来ないことを訝しげに思い、ゆっくり目を開ける。


「ひっ」


 目の前には睨みつけるような形相をしたジェネラルが牙を剥き出しに唸るが、それ以外はピクリとも動かない。


 アキラが目の前に居るのを考えれば、受け止めたのだろう。双方の足下をよく見ると若干土が盛り上がっている。だが、その量はアキラに比べて明らかにジェネラルの方が何倍も多い。信じられないことに、アキラの体躯でジェネラルの突進に競り勝ったようだ。


「け、結構重いな、この靴じゃなかったら俺の足がどうなってたか……」

「……嘘でしょ」


 ケイシーの信じられないような呟く声が聞こえる。


 数百キロはありそうな巨体が突っ込んで来た。これだけ考えれば普通は数tはありそうな衝撃を受けるはずだ。地面に足を引っかけることで耐えるだけでも有り得ないのに蹴りの威力で勝ることがどれだけ衝撃的なのかは想像に難くない。


 その疑問を天地は声に出す。


「普通に考えて無理だろ?」

「天地はああいうのを見るのは初めてか、上位のメンバーならあれ位簡単にこなす奴はごろごろ居る。俺はまだ無理だけどな……にしても守ろうとした相手が、その必要が無いってことに驚きだ」

「あ、ああ」


 天地の日本に居た時の感覚では迫る大型バイクを蹴り一つで止めるような物だ。この世界クロスでの環境に慣れてきたと考えていたが、未だその認識は甘いのだと思い知らされる。


「ほら、ボケッとしてないでお前はヘイグを連れてきてくれ。もしかしたらいけるかもしれない」

「あっ、わかった!」


 言い終えた武闘家がアキラの元へと走り出す。防御を担うタンクが居ない状態では危ういと考えてのことだ。


「グラッコ行くぞ!」

「ああ、気をつけろよ?」

「お前もな!」

「フッ」




 拮抗状態から長い静寂が訪れると思っていたケイシーだが、その沈黙はアキラによってすぐに破られる。


「たった一人に押し負けるなんて、お前ホントに熊か? 人に力負けする熊なんて初めて見たぞ」

(え? こ、この人、なんでジェネラルを煽ってるの!?)


 ジェネラルはアキラの煽りを理解はしていないが、その醸し出す雰囲気と口元のにやけ具合で馬鹿にされていると気づく。


『フッー! フッー! フッー!』


 荒れる鼻息から興奮状態が更に増しているのだろう。すぐにアキラの足を切り裂こうと爪で殴りかかるが、その影響で力の拮抗が崩れてしまう。避けることは出来るが、そうすれば後ろのケイシーはただでは済まない。


 だが、アキラはそんなことを考えてすらいないのだろう。逆手に握ったシヴァとヴィシュで近接戦に挑み始める。引き裂かんばかりに迫る爪をヴィシュで受け止めて耐える。


(やっぱり耐えきれる!)


 アニマが肉体に及ぼす影響は前回のダンジョンより更にその強度を増している。素早くシヴァでインパクトドライブをその熊手に放とうとするが、ジェネラルはその本能から危険を察知したのか、すぐに手を横に滑らせて回避行動を取る。


『ダァン!』


 アキラの銃弾は通常の威力で発射されてしまう。当然、シヴァを力強く握りしめているためその威力は通常より高くなっている。


(当たらなければ意味が無いのが少し残念だなっと!)


 ジェネラルの行動を見て取り、素早く飛び膝蹴りを顎に当てる。その時に膝から伝わる骨や肉の厚み、その質量にアキラは感心してしまう。


(このみっしり詰まった感じ……相当タフそうだ)


 若干顎を上げるだけで即ジェネラルの左手がアキラに向かうが、それを待っていたと言わんばかりにシヴァを構える。カウンターでインパクトドライブを放つつもりだったのだが……。


「危ねぇ!」


 武闘家の跳び蹴りがその軌道をずらしてしまう。


(あれ……そうだ、他にも人居るからサポートに入るのは当たり前だよな)


 呆気に取られたまま地面に着地してしまうが、身体は自然と着地姿勢を取ってくれる。間に入った武闘家がすぐに離脱したため、アキラはまたジェネラルの攻撃を捌くことになる。ジェネラルが未だにケイシーの方に迫るのはヘイトがトップだからだ。


 その進行方向に立ち塞がるアキラを排除しようと立ち上がり、その巨躯から繰り出される爪を振り下ろすが、アキラは相手の更に懐に潜り込む。


「よっこらせっ!」


 当たればタダでは済まなそうな丸太のような腕が空振る中で、重い物を持ち上げるような掛け声と共に、アキラはシヴァをジェネラルの胴体に押しつけてインパクトドライブを放つ。


「うぉっ!」

「むっ」


 武闘家とグラッコが驚きの声を上げ、ジェネラルは後方に若干下がる。反動はスキルによって大きく軽減されているため、アキラはすぐに追撃を入れる。


 バランスの崩れたジェネラルの膝裏に向かってシヴァをガンシフターでハンマーのように持ち替える。そして斧を振り下ろすようにその足を刈り取った。


『オ゛ッ!』


 背中を地面に叩きつけられたジェネラルは、苦悶の声を上げるが頭上に迫っていたアキラがその顔面に踵落としを叩き込む。


「くっそ、どんだけタフなんだよ」


 だが、そんなことはお構いなしにすぐジェネラルはその身を起こし始める。振り回す爪に一旦距離を取ったアキラはジェネラルの様子を窺う。どうやら今の攻撃でヘイトが完全にアキラへと向いたらしく、怒りの形相はアキラを捉えているのは誰の目にも明かだ。


「皆、大丈夫か?」

「ヘイグ! お前は……大丈夫そうだな。こっちは誰一人欠けてない」

「身体がバラバラになりそうだが、動くのは問題ない。おい、不味いぞ……またさっきのあれが来る!」


『ヴォオオオ……』


 ヘイグの言葉通り、ジェネラルは丸まって唸り声を上げ始めた。フラッシュフラッドの準備に入ったのだろう。アキラは自分に向いたヘイトを利用して、背後に居るパーティから狙いを逸らすために動く。


 思惑通り、丸まっていてもアキラからターゲットが外れ無い。


「ハハ、なんか毛玉が動いてるのはシュールだな」

「おいあんた! 笑ってる場合じゃ無いぞ! 俺等がカバーに入るから後ろに……」

「気にしなくていい! あんたらはゆっくり態勢を立て直しててくれ!」

「……ケイシー、俺の体力と回復を頼む」

「ヘイグ!?」


 武闘家から驚きの声が上がる。


「あの余裕、きっと何か考えがあるんだろう。彼の言う通りにしよう」

「確かに、あの魔法が来る時間を丸々準備に当てられるなら態勢を整えるには十分だ」


 グラッコからも賛成の声が上がったため、素早く全員の意識が切り替わる。議論をする時間すら無いのだ。天地も、心は慌てたままだが自身の“弓”のオルターを握りしめて今後を祈るように準備を始めた。




「予想はしてたけどやっぱ無理か、まぁあんなの“避ければ”なんとでもなる」


 アキラは準備に入ったジェネラルに対して射撃や、接近を試みても最初のように水の壁が途中から立ち塞がってしまう。アキラは相反の腕輪を取り出して自信に装着する。


 準備を終えたのか、ジェネラルがまた二足で立ち上がる。視界には赤い警告で魔法名が表示されていた。


【フラッシュフラッド】


「ヴィシュ! クイックメントを使うぞ」

『ソウ』


 アキラの声に素っ気ない声で反応するヴィシュ、しかし、その返事とは裏腹に一瞬でその銃身をサファイアの輝きに変えた。すぐにクイックメントIIを宿した銃弾を自身に使って[クイックII]を付与する。


 一瞬だけジェネラルのHPを確認する。先程の攻防だけでHPゲージは残り半分となっているのだ。それを見たアキラは予測を立てる。


(倒しきれる)


 そして、その決意を洗い流そうと天から膨大な水がアキラを押し流そうと降ってきた。

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