第76話 海洋漁港エステリア


『チ……チ……』

「んー」


 朝になり、小鳥のさえずりが聞こえそうで聞こえない。中途半端に音だけ出すメラニーのおかげでアキラも中途半端に覚醒しかけていた。


『チ……チ……』

「……ん?」


 そろそろ身体も起きようとしていたのか、本格的に覚醒した時に異変に気づく。


『チュ……チ……』

「……」

「ヌ!」


 メラニーは鳴かずに目が覚めてしまったのか、しきりに首を動かして辺りを見回している。アキラと目が合うと、驚きと嬉しさの入り交じった声を上げる。


「おはようメラニー」

「オハヨー!」

(鳴けよ)


 ベッドで起きる時はいつもさえずる音で起こされていたが、かなりゆっくり眠れたため目覚めも良い。そのせいか、いつもの目覚ましが聞こえない違和感がアキラを心の中で突っ込ませた。


「ナシロも起きてるんだろ?」

「…ナシロは……寝ない」

「目開けてるだけで寝てるだろ」

「…寝る時……目、開けない」

「寝る時って、やっぱ寝てるんじゃん」

「…ナシロは……寝ていた?」

「アホ言ってないで外出るぞ」

「…あい」


 ナシロと少し遊んだアキラは朝食を食べるために自室を出る。メラニーはナシロを持ち上げてラウンジへと向かう途中、世間話程度に普段気になっていることを聞く。


「お前って面倒くさがりなのにボケるの好きだよな」

「…そう?」

「自覚あるだろ」

「…フフ」


 ナシロが今の会話のどこが面白かったのか嬉しそうに目を細めて笑っている。猫独特の綺麗な顔立ちと垂れ耳はとんでも無い破壊力を生んだ。そしてその破壊力にやられる人物も当然居る。


「ナシロはやっぱり可愛いですね!」

「どっから沸いてんだ」

「ナシロー、ウフフ」

『ナァ……』

「聞いてねぇし」


 いきなり現れたのは翠火だった。メラニーはいつの間にかアキラの肩に乗っているのを見ると、どうやら途中からナシロを運んでいたのは翠火だったらしい。アキラは先導しているが、自身に意識が向いていないことにまで感知できる程器用では無い。


「前もいきなり現れたよな……ストーカー?」

「む、アキラさん。いくらなんでもそれは失礼ではありませんか?」

「だって二度目だし」

「偶々起きる時間が被っただけです!」

「翠火さんいつもこの時間に起きるの?」

「はい、今ではすっかり慣れてしまいました」

「今では?」

「お恥ずかしながら、前は起こして貰っていたもので……」

「お嬢様かよ」

「なんでそうなるんですか……それにしても久しぶりですね」

「お久しぶり」


 軽く返すアキラに、翠火は多少ながら違和感を感じる。前程の張り詰めた雰囲気をアキラから感じないのだ。


「あの、いきなりすみません。アキラさん、雰囲気変わりました?」

「このヘビ柄のインナーのせいかな」

「仮面で表情はわかりませんが、凄く気分が良さそうな表情をしているのは伝わりました。でも違います」


 アキラのエースインナーである【絶酸の肌着】をアピールしたが、翠火は簡単にスルーする。


「良さそうな服ですが、以前のアキラさんは今みたいなアピールは絶対しませんでしたよね?」

「……あぁ~、そう言われてみればそうかもね」

「なんか明るくなった感じです。上手く言えませんけど」

「え? 俺暗かった?」

「暗いというより寄せ付けない感じがありました」

「……はは、そうかもな」


 以前のアキラは本人も気づかない程に毎日精神を磨り減らすようにして生きてきた。そのせいか、傍からは普通に見えても雰囲気には滲み出ていたらしい。


 今は自分の人生を顧み、精神的修練の影響で心にもゆとりが出来たせいか、その雰囲気が落ち着いて近寄り辛い雰囲気が消えていた。


「こんなに長い間ダンジョンに居たんです。何かあったんですか?」

「……あったっちゃあったけど、恥ずかしくて言いたくない」

「フフフ」

「前から気になってたんだけど、翠火さんは笑いのポイントズレてるって言われない?」

「止めてください、気にしてるんです。それにこの笑いは面白くて笑ってるわけじゃ無くて思いだし笑いです」

(どうすれば面白い要素が被るんだよ)


 一頻り雑談した後、アキラはメニューを見せて貰うためにリスを木で出来た呼び鈴鳴らす。木材独特の小気味良い音が鳴って降りてくる筈のリスだが、位置を間違えたようで中途半端に遠い所に落ちてきた。


「メラニー! 取ってこい!」

「ガッテン!」


 アキラはメラニーを優しく持ち、滑らせるように投げる。メラニーのナシロを持ち上げる脚力は、当然その勢いに耐える。投げられた初速を使って上空から降ってきリスの襟首をキャッチし、アキラの席に連れてきて貰う。


「もう何も言いません」


 突然の出来事に翠火が呆れていると、リスは持ち上げられた状態なのに身体でお辞儀の姿勢を取る。この程度では動じるにも値しないようだ。


「メニューくれるか?」


 リスは自身より大きいそのメニューを懐から取り出し、アキラに差し出す。リスは続けて翠火にも差し出してくる。翠火も戸惑うこと無く自然に応じた。


「何食おうかな、あの、翠火さん……そんなに熱心に見つめられると」

「いえ、あまり一緒に居ないのにメラニーと息がピッタリなのかなと思いまして」


 翠火はアキラの冗談をスルーして疑問を告げる。時間で言えば自分より長く過ごしている筈のナシロとメラニーより短時間しか居ないアキラが、なぜこうもナシロとメラニーに懐かれているのか不思議だったのだ。


 そこには人らしく嫉妬もあるが、自分と何が違うのかを知りたい欲求の方が強い。


「そりゃ、なんとなくな」

「なんとなくで投げたんですか?」

「メラニーは俺がどれだけ激しく動いても掴んだ位置から動かなかったり、ナシロみたいな自分よりでかいのを簡単に持ち上げたりするだろ?」

「ええ……でも投げるのは」

「そりゃ丁寧に投げたよ。メラニーの足の力を信じて押し出すように投げたし」

「よく、見てるんですね」

「友達だからな、それくらいは見てるさ。おっ朝だしフレンチトーストにしよう!」

「友達……」


 翠火は何か感じ入ることがあったのか、メニュー越しにアキラの方を見た後、視線を下に向ける。


(私とは接し方が違うんですね。愛玩動物としてしか見れていなかった私とは違うわけで……いいえ、まだ諦めずに最初からやり直しましょう)

「翠火さん、俺フレンチトーストにするけどどうする?」

「あ! お、同じ物を」

「じゃ二つね」


 リスはメニューを受け取る。そのメニューを仕舞ったリスは、メラニーに左親指を下に向けた手を見せて右の人差し指を渦を巻くように回し始めた。その合図だけでメラニーはリスを昇降機のようにゆっくり下に降ろす。


「お前器用なことするな」


 アキラの言葉にリスは丁寧に頭を下げ、懐からフレンチトーストを二皿取り出す。勿論出来たてで湯気の立ち上るクリーミーなタマゴの香りと焼いたパンの香りが鼻孔をくすぐる。


 備え付けのミックスサラダとスクランブルエッグにソーセージと朝食にしては中々の満足感が得られる内容だ。


「うん、中々いけるな。表面カリカリで中はしっとりだけどうまい」

「この世界の料理は美味しい物が多いですからね」

「好みで言えば、ひたひたに漬かってる奴より表面しっとりで中ふわふわがいいんだけどな」

「そうですね、中途半端に濡らすなら一晩漬け置きした方がおいしいですからね」

「一晩も漬けるのか?」

「パンは水分の吸収率がとてもいいので、意外と大量に吸ってくれます。その後じっくり焼き上げれば水分も綺麗に飛んでくれるので、ふっくらした食感が楽しめますよ。おすすめは厚切りのトーストですけど、おやつ感覚ならバケットがいいですね」

「……あれはそんな手間掛かってたのか」

「?」

「あぁ、いや気にしないでくれ」


 アキラは多少料理に詳しくても作ったりはしないが、中途半端に知識はある。それでも全部のレシピを知っているわけではなく、手間が掛かりそうな料理だけを聞いていた。


 フレンチトーストは簡単に出来ると思っていたアキラは、この時初めて妹の深緑がなぜ料理上手なのかを思い出す。アキラが唯一おいしい料理には心を開き、嬉しそうに食べていたからだ。


 それが切っ掛けとなり、深緑は料理上手になったのだが、アキラは今になって深緑が料理に詳しい理由を察した。食べ終わる頃にそんなことを思い出し、若干目頭が熱くなってくる。


「アキラさん? 大丈夫ですか?」

「え、なにが?」

「いえ、男性にこういうことを言うのは失礼かもしれませんが、目尻がその、濡れているように見えたので」

「あ、ごめん。ちょっと欠伸を堪えたらね」

「お腹が膨れて眠くなりましたか? フフッ」

「ナシロの枕で一眠りするのも有りかもな」

「…ナシロに……触れる物なら…な」

「普段のお前からなんでそこまで自信が出てくるんだよ」


 こうして楽しげな朝食を終える。




「あ、そうだ。今日の飯代は俺が奢るよ、ナシロとメラニーが世話になったからな。また別の形でお礼をさせてくれ」

「気にしないでください。私の方が嬉しかったくらいですから」

「まぁまぁ、取り敢えず奢るくらいは構わないだろ?」

「……そうですね。それではお願いします」

「そんじゃま、俺はちょっとクエスト進めたいから失礼するよ」

「私は夢衣と華を待ちますね。朝食、ごちそうさまでした」

「じゃあな」


 アキラはナシロとメラニーに軽く手を振る。メラニーは器用に片足を振って答え、ナシロは尻尾を振っている。二匹それぞれの挨拶を見たアキラはホームの外へと向かった。




「アキラ、ヤクソクシタ! シバラク、ホームモドル!」

「そうだったんですか、それは良い知らせですね」

「ウン!」


 翠火は嬉しそうにするメラニーと微笑ましく話していると、思い出す。


「あ、フレンド登録頼むの忘れてました……」


 彼女の抜けてる所が顔を出したが、すぐに次会えた時にと思い直す。






【船旅の準備を】

海洋漁港エステリアの定期便に乗り【王都アザスト】を目指しましょう。

マップの船のマークが目印!



「確かにこれなら歩いた方がマシだな」


 アジーンから海洋漁港エステリアへの道のりを歩きながら空を見上げると、雲の流れがやけに早い。そして極めつけはその風に乗ってやってくる灰のような物体だ。


「最初通った時は気づかなかったけどおっちゃんの言った通りタクリューで行ったらどうなってたことか……」


 以前、ソナエ屋でゲンゴロウに歩きの方がマシだと言われたことを思い出したアキラは歩いて海洋漁港エステリアへと向かっていた。道中リョウと一緒に倒したタイニートゥルスが居たが、経験値が入らない相手なので倒したりはしない。


(……走るか)


 空を見上げても見慣れた景色もただ退屈でしか無いため、遠目に見るだけで絡んでこないままのウルフを気にせずにアキラはシヴァとヴィシュを持たずに走り出す。






 オルターを出さないまま独力で走り、体力が身につくかどうかを確認するため走るアキラだったが、多少の息が乱れる程度だ。全速力で走るとその限りでは無いが、明らかに以前より体力が付いていた。


(リョウと走った時よりも更に長く走れるようになってる気がする。それにナーガとの鬼ごっこより早く走っても体力が全然減らない……もしかして、アニマが強化されると心肺機能も変わってくるのか?)


 自身の体力の増強に当たりを付けて周りの景色を眺めながら、ペースを緩めて先へ進む。


「ふぅー……随分、スッキリし始めたな」


 周りの景色は、雑木林の中央にある街道から変わってただの荒れた土地になっている。水分が無く乾いた様子は無いが、風に乗って漂ってくる潮の香りと生暖かい空気は植物が育つには適さないのだろう。


(それでも生えてくる雑草があるんだな、自然の生命力……やっぱ雑草すげぇな迷惑だけど)


 アキラは自分の家の周りに生えている雑草の苦労を噛みしめながらゆっくりランニングペースで走っていると、漸く海が見えてくる。


 そして、海の一部から影が見える。


「あれが海洋漁港エステリアか?」


 近づけば近づく程一向に縮まらない差に、いつ到着できるかわからない不安からアキラに焦りが募る。段々と大きくなる港街の開いている門らしき入り口とそのサイドに居る番兵が見えてくると、漸く走るペースを落とすことが出来た。


(見えてから遠すぎるから焦ったけど、港だからそりゃでかいよな。遠く感じて当たり前か)


 ゆっくり歩いて行き、番兵を一瞥もしないで中に入っていく。番兵もアキラに視線を寄越すだけで何も言わない。この世界は防犯の観点がかなり低いのか、はたまたゲームならではの手間を省いている作りのせいか、緊急時を除いた場合の出入りに煩わしい手続きが掛からない。


「ここがエステリア……」


 中に入って奥に進むと、賑わう活気と人通りの多い大通りに差し掛かる。手拭いを絞った紐状の物を頭に巻き付け、魚を乗せた荷車を引っ張って必死に動き回る人が大通りの中央を通っていくのが見えた。


「通るよ通るよー! ごめんな、通してくれ-!」


 住民はそんなかけ声を掛ける“猫のワービースト”に気づくと静かに大通りを明け渡す。どうやらこの街ではこれが日常の風景らしい。


(他の種族がここにも居るのか……港だからか?)


 人口の割合は大通りを見るとほぼヒューマンだ。時折ワービーストが見える程度で、やはり数は多くないのだろう。


「他の種族は見えないだけで居そうなんだが……取り敢えずギルドに行くか」


 メンバーとなったアキラは新しい街に来ると、始めにギルドへと向かうのは当然だろう。マップで地理を大まかに頭に入れて少し旅行気分で海洋漁港エステリアの景観を楽しみつつ、アキラはギルドへと向かうのだった。

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