第70話 体内での空中戦
身体全体で感じる風圧と耳を吹き抜ける空気の流れが落下中のアキラの鼓膜と肌に叩きつけられるが、視界の隅に表示された制限時間がそのことについて気にする余裕を奪っていた。
アキラと一緒に落下しているピンクの柱が、殻に入ろうとするクリプトスまでの道を作っているかのように展開されている。アニマルヘルパーの力を借りれば機動力を得ることは出来そうだ。
「届け!」
一番近い柱に向かってアキラは蛇を食い付かせるように放つ。柱に食い付いた蛇を利用してアキラは引っ張って柱に接近する。ピンクの柱はかなりの重量があるのか、アキラの体重程度では僅かにしか動かない。
「次に、痛って……まさか!」
アキラの腹に巨大な針が刺さっている。飛んできた方向を見やると、その先に見えるのは当然の如く背後に展開していた針を飛ばしたクリプトスだった。殻に入る作業を中断してアキラの邪魔をすることにしたらしい。
そしてその結果は現状から見てわかる通りクリプトスに軍配が上がった。アキラの[賦活]が度重なるダメージによって[循環]に変わってしまったのだ。その瞬間最近味わったばかりの痛み、器の崩壊による
「フッ」
だが、それを感じてもアキラは小さく笑うだけだった。この状況でさえ己の不利を一切感じていないかのようだ。
「お前も必死って訳か、命が懸かってればそりゃ当然だよな!」
全身を引き裂く痛みは、残り時間が少ないこの状況にとって致命的なのだが、アキラは痛みの中でも身体を無理矢理に動かせる程の精神力を養っている。腹に刺さった針を抜き取り、クリプトスに投げ返す程の余力も見られる。
だがアキラの投げ方では風圧に負けて見当違いの方向へと向かってしまった。
(どうやってんのかわからないが、あいつの専売特許か。どっちにしろ“あそこ”に行かなくちゃならないんだ、別にどっちでもいい。痛みがなんだってんだ、俺が深緑にしてきたことに比べれば可愛いもんだ)
ここまで来れば賦活による強化はそれ程重要では無い。器の崩壊さえ、自身の行く道の障害にはならない。
必要なのはクイックIIが発動し続けているこの状況だけでいいのだ。
次の針はヴィシュで簡単に弾く。イマジナリーブリザードのように殺意に満ちた一撃でも無ければ、ゆっくり迫るように“見えてしまう”程度の一撃など気にも止めない。次々に飛び上がって柱に近づき、蛇でクリプトスとの差を縮める。
(シヴァで攻撃したいが、この不安定な状態で撃ったらどうなるか予測も出来ない。やっぱり近づくまでは防戦一方だな)
アキラは勝利条件をクリプトスとの接近だと考えている。それまではヴィシュの付与能力しか使えない。これ程の不安定な状況でさえ、攻撃以外反動の出ないヴィシュはアキラを助けてくれる。
(ヴィシュは俺の助けたいと足掻いた想いを元にしたオルターか……こんな時でさえ、俺の力になってくれる。これが俺の希望だったんだな)
自分ではどうにも出来ない状況でも、常に救いたいと思う心はこの世界でオルターとして形になった。アキラの求めに応えるように、手から伝わる感覚は強くなる。希望をその手に、更にクリプトスとの距離を縮めたアキラは視界に映る残り時間を見る。
(後40秒ちょっとか、必ず生き残ってやる)
残る距離も柱が一本残るのみ。針を左手のヴィシュで弾きながら最後の柱へと飛び移る。
クリプトスの背後に展開していた針の本数も既に2本なのを確認し、油断せずに殻へと飛びかかる。同時に右手のシヴァを仕舞い、ヴィシュを握りながら殻の開いた部分を掴む。
「お前も酸には弱いんだよな! だから
『ファヴァラララ!』
「何言ってるかわかんねぇよ! とっとと“そこ”からどけ!」
自身より大分大きめの殻に掴みかかった状態だが、当然それを歓迎出来ない存在が怒るように威嚇してくる。アキラも命がかかっているために荒い口調で理不尽に言い返していた。
アキラがクリプトスの本体と思しき3つの球体を左手で殴るが、アキラの頭以上の大きさで高速に回転するその3つの球体は、思った以上の柔らかさでその一つを突き破った。
「あっぶ!」
当然クリプトスも、そのままやられるわけにはいかないと言わんばかりに残りの2本ある針を射出せずに突いてくる。ギリギリで頭に刺さりそうだった針をアキラは身を翻すことで躱した。
(やべ! 体勢が!)
咄嗟に裏返った影響で体勢が崩れてしまう。その隙をクリプトスは逃さない。アキラの手の甲に針を突き刺してきた。傍から見ればピンチだが、アキラは逆のことを考えていた。
(これはチャンスだ!)
針で手を貫かれてしまった影響で最後の手が離れそうになるも、自分でその針を掴み体勢を整えるのに利用した。
「いっ……でで、有り得ねぇって」
傷口を抉る痛みに悪態を吐きながら、再び殻まで手を掛ける。針を引き抜いて外に放り投げ、残り一本の針を残すのみとなった。
(ほんっとに、手こずらせてくれる……時間が無い)
残り時間は30秒を切っている。
(この片手も、今離したらもう二度と動かないだろうな……)
アキラの手は針というには控えめな程大きな穴が空いている。針の穴というより小さい空き缶程の大きさだろう。今現在、手が引っかかってるのが不思議な程だ。このまま殴りかかるといつ手の力が抜けるかわからないため、方針を変更した。
握っているヴィシュを仕舞う。その影響で[クイックII]が切れてしまい、動く速度が極端に落ちてしまった。殴りに行けないならと割り切り、遠距離から攻撃するしか無い。アキラは攻撃を素手から銃に切り替えるため、すぐにシヴァを左手に召喚する。
殻から離れていた時とは違って今は殻に到達出来たため、シヴァでの射撃は問題無いと判断したアキラは、穴の空いた右手を治さず狙いを球に合わせてピンポイントシュートを使用し、即座に射撃を実行する。
「早く離れろ!」
『ヴァラララ!』
ピンポイントシュートを使っても高速で動く球体は捉えられず、内壁に着弾してしまう。
「くっそ!」
残り20秒。
銃声を置き去りにするような音が響くが、依然として銃弾を当てることが出来ない。時間だけが過ぎていく。
(何か無いのか? あいつを屠るための何か……)
アキラのリロードの隙を突いて針が飛んでくるが、シヴァで弾いて、リロードを終わらせ、ピンポイントシュートで針を狙い撃って残りは2つの球と台座のみになる。台座に攻撃しても弾かれるだけなので、球のみを攻撃するしか無い。
残り15秒。
突如、アキラの腰に巻き付いていたアニマルヘルパーの蛇が飛び出した。
「おい! 何して、る? ……やるじゃん」
蛇が球を口でキャッチしていた。即座にこっちに戻ってきた蛇から球を受け取ると、アキラはシヴァを仕舞って握りつぶした。手の中から消化液とは違う体液のような感触が広がる。
今度はアキラ自身が蛇を鞭のように操って飛ばすと、残り一つもキャッチして咥えてくる。どうやらアニマルヘルパーの利便性は非常に高いことが窺い知れる。
「こいつで最後!」
残り10秒。
アキラは殻の中に身体をねじ込み、台座のみになったクリプトスを殻から追い出そうとするが中々抵抗が激しく、思うようにいかない。
「貝柱が気持ち悪い動きしてんじゃねぇよ! ヴィシュ、イドだ!」
アキラがヴィシュを召喚し、すぐにサファイアの輝きを放つ銃身に変化すると間髪入れずに自身に[クイックII]を付与した。
『カァァン!』
残り5秒。
(もう時間が無い! 倒すのはやめだ!)
甲高い金属音が狭い殻の中を反響するのも構わず、強化された反射神経と速度を駆使してクリプトスを殻の外に蹴り飛ばす。
『!』
アキラが貝柱と表したクリプトスからは、驚愕するイメージだけが伝わる挙動を見せたが、最後までどうなるかは見れない。
「うぉおおお!」
なぜならアキラが、なぜか内側に付いている取っ手を使って殻を閉じたからだ。
残り0秒。
一匹の大蛇が神殿迷宮シーレンを徘徊していたが、先程体内で異変が起こったのを機にその巨体を暴れさせていた。
その大蛇は自身が暴れる要因を一人のヒューマンだと“知っている”ため、呑み込んだ“ヒューマンと子供”を追い出すように吐き出す形で身体を下に向けていた。
暫くすると胃液を吐き出しながら一つの塊が出てくる。消化液の水たまりに落ちた塊をナーガは咥え上げ、このダンジョンの唯一の源泉である【回帰の泉】へと塊ごと落とした。
「すごい衝撃だったな……外はどうなってんだ?」
制限時間は既に消えており、消化液を浴びても大丈夫な状態にしてはいたが、殻の中には衝撃だけで外がどうなっているのかわかっていない。閉じた後はなぜか開かないため、待つことにしていたのだがそろそろ出ようと痺れを切らし掛けていた時、水に落ちる音が伝わってきた。
「え……不味くね? 消化液の溜まりか?」
アキラは未だナーガの体内だと考えている。外に出ている可能性は当然考えられないだろう。[融解]のデバフは消えていないのだ。そんなアキラを待たないとでも言うように殻が勝手に割れ、中に液体が侵入してくる。
「なっ!? 溶け……ない、な。これ水か?」
消化液ではないと理解したアキラは、殻を押し開ける。そして目の前に巨大なコブラに見える大蛇、アキラを呑み込んだ原因であるナーガが居た。
「こいつ!」
連戦という辛い状況だが、戦うしかないと覚悟を決める直前、腰に巻き付いていたアニマルヘルパーの蛇が飛び出していく。
「あ、おい!」
当然呼び止めるが、目の前に居るナーガがアキラの一歩を躊躇させた。蛇はナーガにすり寄って頭の上まで登っていく。ナーガが小さく見える蛇に叱るように舌でその頭を擦っている。蛇も申し訳なさそうに受け入れるのを見たアキラは漸くある可能性を考えた。
(まさか……あの蛇ナーガの子供なのか?)
よくナーガを見ると、最初にあった敵を現すネームプレートとHPゲージが見えない。マップを確認しても少し大きめの青いマーカーが表示されているだけなので、敵意が無いのがはっきりした。
ナーガの頭に登った蛇は舌を出して何かを伝えているようだ。ナーガも舌を出してコミュニケーションらしき行動を終えると、アキラを向いて頭を下げた。
アキラは言葉を話せない相手にどう対応していいかわからないが、頭を上げたナーガがいつの間にか伸ばしていた尻尾を地面に叩きつけると宝箱が天井から落ちてきた。どうやらダンジョンは宝箱を出す時は共通して天井から降らせるらしい。
「……え? これくれんの?」
ナーガが頷き、それを確認したアキラが呆然としているとヘルプが現れた。
【HELP】
アニマルヘルパーとの契約を果たしました。以後、協力は出来ません。
(いきなり過ぎてわけわかんね)
ナーガが空いた天井から奥へ行く。どうやら元の場所に戻るらしい。挨拶のためか、アニマルヘルパーの蛇がアキラの方へと降りてきていた。
「シャー!」
「……よくわかんなかったけどありがとな。お前のお陰で助かったよ」
アキラは本心からお礼を述べると、こちらを見つめた蛇が自身の身体を叩きつける。
「え、なにしてんの……これって鱗か?」
蛇が舌を出して肯定を示すと、ナーガの尻尾の先端に飛び乗り、尻尾を振って別れの挨拶を表現していた。アキラも困惑しながらも手を振ってそれに応える。鱗を不思議に思いながらも取り敢えずバッグへと放り込んだ。
「ここって回帰の泉なのか、融解も消えてるし……助かった」
暫く呆然としていると、痛んでいたはずの身体や穴の空いた手が治っていることに気づいた。
「にしても」
アキラはモンスターハウスに入ってからの流れを全て把握したため、改めて何が起こったのか推測することにした。ストーリーらしき物が脳裏に浮かび上がったため、想像せずにはいられなかったのだ。
(ナーガの中にいた
改めて推論を並べる。
(んで気が立ってる時に俺って言う丁度いいのが居たから強制的に呑み込んだと……。多分ナーガは俺を中に入れて寄生虫を追い出させるために丸呑みにしたんだろうな、運が良ければ蛇も帰ってくるだろうし。こんな所か、アニマルヘルパーの契約も恐らく寄生虫の排除と脱出かな)
喋ることの出来ない相手だったが、大体のストーリーを考えるとアキラは納得した。
「はぁースッキリした! やっと終わったってことだよな! なら休憩しよ……このダンジョンは疲れる」
こうして、無事元のダンジョンに戻って来れたアキラは少しして、回帰の泉がある意味を思い出すのだが、一先ずは疲れを癒やすのが先決だ。
だが、一つ忘れていることがあったのだが、弛緩したアキラにそれを気づく余力は期待できない。
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