第64話 抱える人の闇
アキラのアイアンクローが炸裂し、顔でぶら下がるロキというシュールな光景を見ることが出来るのは現状テラだけなのが悲しいが、そのテラでさえ今は己の目的のために忙しいのか、見ることも出来ないのだ。
「ひはすひはひへ?」
「気は済みまして?」
「ひほえへるふらひなははらひへふらはいまひ!」
「聞こえてるくらいなら離してくださいまし!」
「んーーー!」
「はっはっは」
アキラの悪ふざけにロキは悶えるように唸り、手足をばたつかせる。
「悪い悪い」
微塵も悪いと思っていなさそうなアキラは、そう言いながら手を離さない。アイアンクローは通常とんでもない痛みが押し寄せてくるのだが、アキラもロキも切迫した雰囲気は感じられない。
そもそも身体を持ち上げるレベルのアイアンクローは命の危険性があるのだが、ロキは脱力する程の余裕があるらしい。
「ん゛ーーー!!」
「離すぞ、ほい」
「ふんぎゅっ、わ、私の、お、お尻が……」
「レディの扱いは心掛けてるつもりだったんだが……済まない」
「突っ込みませんわ」
「そうか」
アキラは戦いの中で元気を取り戻したせいか、やたら嬉しそうに頬を緩めて返事をした。
「なんですか? その嬉しそうな顔は、私の顔が貴方のせいでお嫁にいけなくなるようなら承知いたしませんよ?」
「お前に結婚願望があったことに驚いた」
「貴方が私の何を知ってるんですか?」
「あ、俺の台詞が……」
「元気になったのなら貴方の前に現れる必要はありませんでしたね。それではこれにて……」
ロキが消えようとするが、アキラが腕を掴む。
「まぁ落ち着けって」
「レディにアイアンクローをぶちかます人に知り合いは居りませんので」
「ほら、俺も仮面のせいで手が出ちゃっただけだって」
「……関連性無いですよね?」
「それは人によるとしか言えないな」
アキラが神妙な顔で告げる言葉に、ロキは何を言ってるんだ? と感じられる面白い表情をしている。無理に帰る必要もないらしく、ロキは帰るのを留まる。
「それで、なんですの? 他に御用がおありですか?」
「えっとな、謝りたくてな」
「はい? アイアンクローをぶちかます人が?」
「お前の口からぶちかますって言葉聞くと、なんかイメージ崩れるから止めてくれ。後アイアンクローは謝らないからな」
「はぁ……? それで?」
アキラが手を離し、ロキも居住まいを正す。
「さっきはごめんな、自棄になってたみたいで酷い態度とったろ?」
「気にしていませんわ、逆に思った以上に深刻じゃなくて驚いた位です」
「なんか命がかかったら吹っ切れてな」
「あの魔物になぜあれ程手こずっていたのか気になっていましたが、最後を見ると解決したようですね」
(私の出番は必要なかったということですか)
アキラはロキの物言いでは足りないのか、少し言葉を濁らして言う。
「えっとな、お前が俺を心配して発破を掛けようとしたのは薄々気づいてたんだ」
「……なぜそう思うんです?」
「友達の元気が無いなら、気遣うのは当然だろ?」
「お友達……」
「お前がどう感じてるのかは知らないけどさ、気遣いは伝わったんだよ」
「気遣い、ですか?」
ロキには心当たりが無いのか、首を傾げている。
「ああ、去り際だってわざわざ仮面について言う必要はなかったはずだ。それにまた会おうだなんて、こんな態度をした奴に掛ける言葉じゃないだろ? 少しでも元気が出る切っ掛けを用意してくれたと思ったんだけど……違ったか?」
ロキはアキラとは当然違う視点から物を考えていた。一から魂魄に磨きをかける人が漸く現れたのだ。当然ロキはこんな所でそれが壊れては敵わないと考え、色々と言葉を掛けたのだが、どうやらアキラには違う意味で伝わったらしい。
「それにさ」
「はい」
「こんなふざけたノリに合わせてくれる奴が友達じゃないならなんだっての」
「……フフ」
ロキは後ろを向いて歩き始める。
「それもそうですね。御用が済みましたのなら私はこれで失礼いたしますわ」
「え? あ、待っ……」
ロキはすぐに消えてしまう。
「なんだ、照れてたのか? ……勝手に友達扱いして気持ち悪いとか思われてない、よな?」
確信の持てないことに対してアキラは臆病なのだ。ロキの気持ちは誰にも推察は出来ない。
「まぁいっか、また会えるだろうし先に進もう。にしてもここ真っ暗だな……何も見えない。スキルの暗視もなぜか働かないしマップだって表示がおかしい。unknownってなんだよ」
マップが位置情報を取得できないことは今まで無かった。イマジナリーブリザードに誘われた世界でも表示はされたのだ。そもそもがここはダンジョン内で、表示不明のエリアに出ることなど無い。
不審を抱くアキラが取り敢えず戻ろうと後ろを振り返る。
「あれ? 乗ってきたはずの円盤が無い……ロキに何かされた? いやいや、あいつはこんな意味の無いことを多分しないだろうし、悪戯にしてはつまらなさすぎる」
アキラが自身の位置を見失ってしまう。
「……これって相当まずいよな」
発する声が反響する気配も無い。アキラはこれから何が起こるのか、又は何も起こらない状況が続くのか不安になっていく。
「あれ……メニューが開けない? え、オルターも出ない!? シヴァ! ヴィシュ! 出てきてくれ! ……ダメか! くっそ、どうなってんだ!」
この世界で出来ていたことが出来なくなる。今まで居た世界と同じように、無力な状態になってしまう。
「おーい! 誰か居ないのか! 変なことせずに出てこい!」
声は出るのに返ってはこない。それ程広い空間なのか、目は本当に見えているのか、身体を動かしているのに空気の流れを感じない。喋っている声は本当に出ているのかもわからなくなる。
五感は正常に働いているのかさえ疑わしくなる。
(なんだ……ここ、時間の流れすら……よくわからない。地面はあるのか? 俺は歩いてるのか? 水の中で藻掻いてるのか? わからない。もう……何も)
外部から器に与える刺激、
アキラはそのどちらの影響も受けてはいない。影響を受けているのは精神だ。今居る場所はロキが懸念していた、心の闇を垣間見るパイオニア限定のエリアで、そこから脱することが目的とされている場所だ。
もし精神的に成熟していればアキラのようにわけのわからない展開にはならない。だが、もしアキラのようになってしまう人物が居れば、それは余程心に深い闇が隠れているということになる。
以前アキラがテラに言ったように、精神は魂魄と関係がない。この世に生を受け、自身の歴史を培ってきた過程で成長するのが精神だ。所詮は十数年しか生きていないアキラだ。
いくら過酷な経験をしても、その後から“逃げ続けてきた”アキラにこの世界から脱する術は無い。あるとしても逃げ続けた代償を今、自身で贖うしか無いのだ。
この
「おーい深緑、起きろー、兄ちゃんに飯作ってくれー」
「……ゴハン、できたら起きる」
「俺は作れねぇよ」
「兄さんに出来ないことが私に出来るはず……」
「俺より優秀ってことにしていいからベッドから出ろって、起きてんじゃん」
「……ぅぃっす」
後輩がする不満気な返事が深緑から聞こえる。この気怠げなテンションは寝起きでしか見ることの出来ない、
深緑が起きて身なりを整え、完全に起きてしまうと次の寝起きまで見ることは出来ない。通常なら寝起きを見られるのは女性であれば誰でも遠慮して欲しい物だ。
深緑も当初は諦に「寝起きの女性の姿を見るのは良くないですよね?」と遠回し所か直球で言っていたのだが、それでも何度も起こしに来るので深緑も今の現状を受け入れている。
「おはよう、深緑」
「おはよう、兄さん」
既に目が覚めて時間が経っているせいか、気怠げな雰囲気が薄れてきている。だが目に見える寝癖は絶好調だ。
「なんだ、もう殆ど目が覚めてるのか?」
「……寝起きはあまり頭が働かないんだから会話させようとしないで」
「悪かったよ、それじゃ下で待ってるぞ~」
「悪いと思ってるなら女の子の部屋に入らないでよね」
「悪かったよ、それじゃ下で待ってるぞ~」
「はぁ……」
一言一句間違わず同じ返事をした諦は、二階建ての一軒家のリビングへと向かうために階段を降りていった。
「準備出来たか?」
「バッチリ」
「よし、学校行くか」
「ごー」
同じ高校へ通っているので登校の道のりは同じだ。諦は深緑の相変わらずの変わりように疑問を声に出す。
「なぁ、深緑」
「はい?」
「いつも思うんだけど、なんで外出たらそんな他人行儀なんだ?」
外に出た途端、深緑のおちゃらけた雰囲気は消え去っていた。家を出るまではどこにでも居そうな女子高生だった筈が、一歩外を出ればその話し方や受け答えはどこかの令嬢だ。
「……え」
「な、なんだ? なんか不味いこと聞いたか?」
「この数年一度も指摘されたことが無かったのに、なぜ今更その疑問が出てきたのかと思いまして」
「なんか棘がありますね」
「そうですか? 多少は冷たい物言いだったかもしれませんが、兄さんが私に漸く“関心”を抱いてくれたみたいで嬉しいんです。後変な敬語はやめてください」
「あいよ……」
諦のふとした疑問が、なぜか深緑の好感度に影響する。今までこんな妹を見たことが無かった諦は疑問を浮かべる。
(俺が深緑に関心を抱いた? そんなこと初めて言われたな……いつも喋ったりしてるだろうに、変な奴だな)
結局疑問は解決しないまま、諦のいつも通りの日常は少しの変化を交えて進み出す。
「じゃな」
「はい、また放課後に」
綺麗な言い方をするだけで、こうも印象が変わるのは不思議だと諦が感じながら階段を上る。3年生の教室は3階にあるため、若干時間はかかるが始業の予鈴までは余裕がある。
自分の教室近くまで到着した諦は、近くの自販機でいつも買っているレモンティーを買う。
「やっぱ朝は冷えたレモンティーが一番だな、予鈴が鳴る前に教室行かないと」
用事を終えてすぐに教室に戻る。だが、異変が起こった。
「よーし、今日は終わりだ16時30分になったら教室出ていいぞーその前に出たら帰る時間遅らせるからな」
「え?」
なぜか教室に入ったと思えば、自席に着席しており担任による帰りの挨拶が終わっていた。
(あれ? 俺自販機でレモンティー買っただけ……だよな? 昼は深緑の作った……弁当箱が軽い? マジで意味分からん……)
気がつけば時刻も16時30分を過ぎており、普段なら多少は教室に人が残っているはずである。
(やっべ! 深緑が待ってる!)
だが、そんな状況を気にすることもなく、優先すべき深緑の元へと諦は急いで向かう。
いつもの正門横の水道場に深緑は居た。遠目から見るその表情は儚げで、声を掛けるのも躊躇わせる何かがある。
諦から見ればただ話しかけるなオーラが出ているだけなのだが、それは普段から深緑を見ている者ならわかる程度の物で、現状では諦にしかわからない不機嫌を現した表情なのだ。
「待たせたな」
「あ、兄さん。遅いから私、置いてかれたと思ったんですよ?」
「俺が深緑を置いてく分けないだろ?」
「それもそうですよね、買い物は昨日済んでいますので、このまま帰る……と言いたいのですが、たい焼きが食べたいんですけど多少遠回りしてもいいですか?」
「たい焼きか、いいぞ。俺も食いたくなった」
「……そうですか、それでは行きましょうか」
深緑が一瞬の間を空けてから諦に語りかける。その微妙な変化は普段の諦なら絶対に気づいていなかったはずだが、今日は変なことが多くて勘も冴えてるのか、引っかかりを感じた。
(やっぱり今日は何かおかしい、よくわかんないけど……)
買い食いは時間が飛ぶと言うこともなく、おいしくたい焼きも食べられた。
家に帰ると深緑が晩ご飯の準備を始めた。諦はその間に家事を済ませるために洗濯場で洋服や下着の色分けを行っていたが、丁度深緑がやってきて諦に晩ご飯のリクエストを尋ねてくる。家の中のため、朝のように砕けた口調に戻っている。
「ん~挽肉余ってるならハンバーグ食いたいな」
「わかった。あ、後軟骨が余ってるからそれも混ぜていい?」
「な、なんだその魅力的な提案は……断るわけ無いだろ!」
「それと兄さん……洗濯してくれるのは嬉しいけどさ」
「なんだ、お前も女の子だからやっぱり男の俺に下着洗濯されるの嫌になったか?」
「二人しか居ないのにそんなわがまま言わないわよ」
「ん? じゃぁなんだ?」
深緑は諦が自分の下着を洗濯機に放り込みながら話している状態を気にしているのだが、諦は気づかない。
「私と話してる時ぐらいは私の下着に触らない配慮位してよ」
「……確かにちょっとデリカシー無かったなすまん」
「それじゃ軟骨入りハンバーグ作ってくるね」
「あっそうだ、深緑にちょっと聞きたいことがあったんだ」
「何?」
「なんかさ、俺おかしくなったのかわかんないんだけど朝レモンティー買って教室行ったんだよ」
「うん」
「そしたらさ、教室入ったと思ったら担任が帰り前にやる締めの挨拶してたんだよ」
深緑は諦の言ってることが理解できないのか、問い返してしまう。
「……え、何? 意味分かんないんだけど」
「俺もわかんないんだ」
「変な冗談止めてよ、病気だったら嫌だよ? 兄さんに何かあったら私一人になっちゃうんだから」
「お前も変な冗談止めろよ、俺がお前残して居なくなるわけ無いだろ」
「あ、そ、そうだったね……」
「?」
諦が深緑の戸惑う物言いに普段なら気づかなかったが、今なら気づけることが出来る。“強制的に距離を置いていた”せいで普段は見ることもしなかった物が見えていたのだ。
「ごめんな、なんか変なこと言ったか?」
「え!? どうしちゃったの兄さん」
「ん?」
「あ、いや、いいの私ご飯の準備に戻るね」
深緑は慌てて台所に駆け込んでいった。
「変な奴だな……そりゃあんな顔すれば気づくに……あれ?」
諦は思い出そうとした時にふと気づく。
(今まで似たようなやり取りは何回かあったけど……深緑をここまで気に掛けたことなんてあったか? 俺疲れてんのかな?)
諦は首を傾げながらも洗濯に戻る。
「兄さん私バーゲンダッツ食べたくなっちゃった」
「たい焼き食ったのに平気か?」
「年頃だし、少しくらいならいいかと思って……」
「そっか」
「……兄さん?」
「あ、そっか一緒に行くよ」
「……」
コンビニへ行くのに、わざわざ二人で行く意味は無いのだが、今まで諦は深緑を一人にしないように引っ付いていた。深緑も拒絶すること無くそれを受け入れていたため、自然と諦を待っていたが、やはり今日の諦の様子がおかしいことに気づき始める。
まるで本来の距離感がわからなくなっているかのようだ。今までは近すぎる程に付きそうも、深緑の心の機微には一切気づいたことは無い。
両親が居なくなってから傷ついた深緑を元気づけて以来、諦は深緑との距離が兄妹にしては近すぎるぐらい毎日一緒に居ることが多くなった。だが、その反面深緑の態度に表れる細かな感情の動きが見えなくなっていた。
まるで、そんな余裕が無いかのように……。
そして致命的な出来事が起こる。
「ちょっと兄さん! お風呂は私が最初って言ったじゃない!」
「ごめんって! 裸見たわけじゃないんだから怒るなよ!」
「下着姿も十分アウトよ!」
「お、お前も入るの遅かったんだから一方的に俺を悪者にするのは感心しないぞ!」
「え?」
「ん?」
深緑はとうとう今の諦が今までの諦とは決定的に違う点を見出す。
「兄さん……どうしたの?」
「どうしたって、何が?」
「今までどんなことがあっても、私に責任を追求した事なんて無かったのに……」
「……え? そんなことは……あれ?」
「なんか、やっと私を見てくれ」
「止めろ!」
突如響き出す声は、神殿迷宮シーレンに居た“アキラ”からだった。
「なんだこの映像は! なんでこんな物を見せる!」
本来なら妹の元気な姿が見られて喜ぶ物だろう。だが、これは過去の映像だ。そして決定的に間違っている所が今のシーンだった。
「俺は確かに深緑に対して気づかなかったことが多かった。それはこの映像を客観的に見て気づいたよ……俺が違和感を持った所は全部そうだった!」
この過去の映像は一部が改変されてアキラの意識に見せていた物だ。
「深緑が外ではおかしな態度を取ることを指摘したことなんて一度も無い。深緑が何かを食べたいと言っても付いてくだけで、俺も食いたかったなんて気を利かせたことも無い。洗濯場で深緑にいきなり説教をすることだって無かった!」
アキラが違和感を持った所は全てアキラが何も指摘もしなければ気にも掛けてこなかったことだ。
「コンビニに一人で行かせようとするなんて有り得ない! 何かを深緑のせいにするだなんて絶対しなかった! なんでこんな物を見せるんだ! なんで深緑にこんなことを言わせる! まるで俺が深緑のことなんて何も見ていないようなことを、なんで深緑の口から言わせるんだ!」
「それはそうでしょう、貴方は妹さんのことなど見ていないからですよ」
アキラの視界に入ってきたのは、何十回何百回と見てきた深緑だった。
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