第55話 報復


 ドラゴニュートが壁にぶつかる音は、喧噪を振りまく野次馬達を静かにさせるには十分だった。


『カランッ……』


 人が多く居る静かな空間に一つの音が鳴る。


 見た目木製の杖から響いたその音は、ドラゴニュートのオルターであるウィザードの魔法専用の武器だ。


 なぜそんな物が転がっているのか、吹き飛ばされる直前にドラゴニュートは自身のオルターである杖を召喚していた。その結果、アキラが顔面を殴り飛ばしたせいで床に転がることになってしまう。


(そういうこと……だったんですね)


 そして翠火もアキラが何のために仲のいい茶番をしたのかが理解できた。普段は男性が苦手な翠火だが、アキラは翠火に対して特に何も思っていないのがなぜか伝わる。相手の目を見てしか話さないアキラからよこしまな態度が感じられないからかもしれない。


 肩を引き寄せられた時は驚いて声を発した翠火だが、それほど乱暴ではなく、耳元で話した声音も翠火に軽い頼み事をする程度の言い方だっため、苦手意識もそれ程表には出てこなかった。


 アキラ自身も翠火なら後で謝れば問題ないと判断した結果の行動だろう。


(先程言っていたこのドラゴニュートの方が、アキラさんを殺そうとしていた相手だったんですね)


 今度こそ、という言葉とアキラが教えた襲撃者の特徴から殴り飛ばされた相手がそうだと予測が立つ。そんなアキラは、オルターを出しているのを見て即座に先手を打つ。


「そこのドラゴニュート! “翠火さんに”オルターで攻撃しようとしたんだ! 反撃受けても文句ねぇよな!」


 アキラが今後のために大声でアピールするが、今のやり取りを見ていた者は「何言ってんだ」とアキラを見ていた。


「?」


 翠火は不思議そうにアキラを見ているだけで何も言わない。そのせいで、状況が見えていない者はアキラの言葉を参考にするしかない。ざわめくが、表に出てきたりはせず、現場の曖昧な状況を伝える声だけは響く。


(ざわざわしてるけど大丈夫だろ)


 噂のような囁きだが、問題無さそうだとアキラが判断するとドラゴニュートの元へと歩き出す。アキラの足音が響いているが、そんなアキラを見て侮辱の声が上がる。


「この雑魚ヒューマン! 俺の顔をぶん殴りやがって! “あの時と同じように”生き残れると思うなよ!」


 ドラゴニュートのダンミルは、酔いと頭に血が上ったせいで自身の失言に未だ気づいていない。アキラはそこを大声でつつくように返す。


「あの時みたいにまた突き落とす気か!」

「突き落とすどころか、今度こそハーベストで真っ二つにしてやる! 使えねぇオルターだな! いつまで転がってんだ! とっととこっちに来い!」

『……ハイ』


 ざわめく周囲だが、ダンミルは目の前の自分に暴力を振るった邪魔なアキラを殺すことしか頭にない。普段から視野が狭いダンミルにとってこの状況は致命的なのだが、彼はそれに気づいていない。


 だが近くで聞いていたダンピールはことの重要性を察する。


(トラブル起こさないようにと思ってたが、まさかプレイヤーに手を出すなんて何考えてんだ!)


 ダンミル自らの口で、自白とも取れる内容が周囲に振り撒かれたのだ。最早収拾は付かない。そんな中、アキラが十分に周囲の感情が十分にこちらに優勢だと決め、茶番を直ぐ止める。


「間抜けで助かったな……こんなのに俺は殺され掛けたなんて考えると涙が出てくる」


 周囲は喧噪に包まれているが、少し距離を置いているアキラとダンミルは互いの声が聞こえる距離だ。当然ダンミルの耳に届いた。


「誰が間抜けだ! 俺と翠火の仲を引き裂こうとする奴ぁ絶対に許さねぇぞ!」

「一回パーティ組んだだけで仲も何もあるかよ、翠火さんはお前のこと、お、覚えてすらいない、んだぞ? ……そ、それ考えると、ップ」


 ダンミルは自身と翠火の仲が親密であるかのような振る舞いをしている。だが、アキラは翠火の言葉を思い出しながら喋っていると、あまりの辻褄の合わなさに吹き出してしまった。


 しかし、これで笑う程アキラの心情は穏やかでは無い。ドラゴニュートを煽れるだけ煽っているのだ。


 その証拠に口元を抑えているが、見る者が見たら気づくだろう。アキラの目が一瞬たりとも笑っていないことに。


 そして、ダンピールもこの事実を知らなかったのか、ドラゴニュートを呆然と見る。奥手だとは思ったが、一回の挨拶だけで話したことすら無いとは思わなかったのだ。


「う、うっせぇうっせぇ! 俺は翠火の素顔を知ってんだ! お前より、俺の方が翠火を知ってるんだ!」


 恥ずかしがっているのか、顔を振り乱して叫ぶ。


 瞬間、アキラは視線が自分から外れたのを見て取ると急速に近づく。シヴァを召喚して習得したばかりのスキル【ガンシフター】を使って逆手に銃を握る。


 そして再び最初に殴った顔面の同じ所を殴りつけるが、今回はそのままの力では無くオルターで一段階STRを上げた状態だ。


「ぶぇ」

「そうか、俺より翠火さんを知ってるのか? それはよかったな、だからなんだ?」

「だ、だから……お前なんかより、お、俺の方がふさわっじ!」


 再びアキラは一段階STRを上げて殴りつける。近接最強のドラゴニュートだが、なぜかダンミルはオルターを魔法専門にしている。前衛が居なければ居ないなりの戦術を組み立てなければならないが、パーティで活動してきたダンミルにその経験は無い。


 尻餅を付いたダンミルをアキラが蹴り飛ばし、起き上がれないように身体を踏みつけながらしゃがむ。空いた膝でダンミルの手をオルターごと固定した。


「相応しいのか、それはよかったな、だからなんだ?」

「だ、だから……翠火から、は、はなれっご!」


『ピシッ』


 再びアキラは同じ所を殴りつけると、ダンミルの頬から亀裂が見えた。アキラはそんなことは気にしてはいないが、近くで見ていたダンピールは驚く。


「まじかよ……」


 ダンミルは近接の経験がほぼ無くても種族はドラゴニュートだ。ドラゴニュートには竜鱗と言う鱗があり、防御に優れている。他の種族と違ってVITは普通の耐久力なのだが、遠距離ロングレンジ中距離ミドルレンジを除いた近接攻撃のみ物理、魔法にある程度の威力減衰効果が付与される。


 アキラはそれをただ殴りつけるだけでヒビを入れたのだ。ダンピールはそれに驚いていたのだ。


「離れてどうする?」

「す、翠火はお、おぉ、俺の物になっが!」

「翠火さんがお前の物になる。それはよかったな、だからなんだ?」

「い、いでぇ! な、なんで痛みが……」


 ダンミルが今まで動揺だけで痛みは感じていなかった。多少の出血をしたことがあってもそれ程痛みは感じなかったのだ。


 この世界に来て初めて味わう激痛に溜まらず涙が出始める。


 ドラゴニュートは丈夫な反面、竜鱗が壊れない限りは内部に損傷を受けてもそれ程痛みは感じない身体をしている。しかし、アキラが竜鱗にヒビを入れたせいでその機能は役目を果たせなくなってしまう。


 竜鱗を鍛えることも出来るのだが、ウィザードで魔法主体な戦闘スタイルのダンミルには酷な話であった。


 涙を流しながら愚痴るように呟く。


「な、なんで物理、魔法さ、ささ、最強の俺が、ここ、こんな目に……ぎぃっ」

「物理、魔法共に最強なのか、それはよかったな、だからなんだ?」


 アキラは相手が泣いたからと言って殴るのを止めない。ダンミルはすっかり酔いも興奮も覚め、自分の立場を理解する。


 自分が何かを言う度に、アキラは同じ言葉と共に殴ってくる。それに抗えない状況ということに、遅まきながら理解する。


「や、やめろ、やめてくれ!」


 周囲は誰止めない。口には出さないが、アキラのやっていることはとても褒められた物じゃ無い。だが、殺されそうになった本人が報復しているのに、それを声に出して止める勇気のある物は居ない。


「俺を殺そうとした時に報復を受けるって予想が出来なかったのか?」

「ヒュ、ヒューマンなんて雑魚種族に負けるわけが無いだろ!」


 返答になっていなかったが、言いたいことはわかった。そして種族差別はここに来たプレイヤーがもっともしてはいけないタブーの一つだ。


 周囲に人が居ないなら問題ない、当人同士の問題だからだ。


 しかし、ここはホームで7種全ての種族が利用している。そんな大勢の前でそう発したダンミルは、今度こそ自らの退路を断つ。同情すらされなくなってしまうのは当然だ。


 職業については、シューターが敬遠されているのは本人と能力に問題があることが多数ある。ウィザードもブレイブにも当然問題児は居るので、そこまでは気にしてはいられないが、種族だけはその括りに当てはまらない。一つの種族を指させば、その種族を選んだ人物全てがその対象になるのだから。


「ブフッ……や、やめ」

「じゃぁその雑魚にいいようにされてるお前はなんなんだ?」


 アキラは種族差別については知らないが、そもそもがヒューマンだ。声を大にして言わないが、侮られることしかないため関係が無い。


「こ、こんなこと……して、た、タダ、でぇっ……」

「タダで済まないか? 済まなければ殺されそうになった俺は泣き寝入りすればいいのか? でももう手を出してしまったな、タダで済まされる前にお前も道連れにするか」

「な、何言ってんだ! 人を殺すつもりか! ぎぇっ」

「どの口がそれ言ってんだよ?」


 アキラがシヴァを肩に突き付け、トリガーを絞っていく。だが、それに待ったを掛ける人物が居た。


「そ、そこのヒューマン、待ってくれ!」

「ん?」


『ドカァン!』


「ああ゛!」


 待ったの声は掛けられたが、アキラは微塵も引き金を絞るのを止めなかった。


 インパクトドライブの轟音は竜鱗をあっさり吹き飛ばす。肌に突き刺さる弾丸はドラゴニュートの悲痛な叫びを生み出した。周囲の野次馬も目の前で行われる一方的な展開に流石にやり過ぎじゃないかと同情の声が上がり始める。


 殺されそうになった当人からすれば何を馬鹿なと考えてしまう程、他人事というのは恐ろしいのだ。翠火も眉をしかめているが、しかめるだけで止める気配は無い。


 アキラはこのままドラゴニュートを殺さないまでも、二度と刃向かわないようにさせるつもりだった。それもダンピールが止めに入ったせいで中座せざるを得ない。


「……」

「何だ?」

「あ、いや、止めたのに引き金をあっさり引くんだな……」

「お前は殺されそうになった時、声を掛けられたからって理由で反撃も防ぐこともせず殺されるのか?」

「い、いやそれとこれとは」

「確かに状況は違うな、でも俺はそのつもりで居る。で、用件は何だ?」

「がぁ……」


 アキラは自分でそんなことを言いつつ、立ち上がる際にダンミルの撃ち抜いた肩を踏みつける。あまりの容赦の無さに驚いているが、このまま放っておいてもいい結果にはならないと考え、ダンピールは口を開く。


「言い辛いんだが、この位にしてやってくれないか?」

「正気か?」

「ん? あ、あぁ……俺から言わせればやり過ぎな位だ」

「俺から言わせれば? いきなり間に入ってきてお前は何を言ってるんだ? 理由があって止めに来たならわかるが、無関係の奴がなんでいきなり来て立場を主張してんだ?」

「それは……」


 間に入ってきたダンピールは悪い意味でこういう仲裁に慣れている。今まで間に入れば、大抵怒りは収まらなくても矛は収めた。だが、アキラは無関係の奴が理由も無しに間に入ってくるなと告げる。


 ただ取りなすだけの仲裁程、質の悪い物は無い。問題を解決せずに先送りにしているだけの仲裁は、仲裁とは言えないのだ。


「だが、やり過ぎじゃないのか?」

「物見てよく言えよ? こいつは高々肩に弾丸を撃ち込まれただけだぞ?」

「俺にはやり過ぎなくらいに見えるが……」

「あっそ、じゃぁお前は、タクリューの運行高度から突き落とされ、手首を吹き飛ばしてまで生き残ってもゴーレム・キングの居る危険な山岳地帯に満身創痍で取り残された俺に対して、お前はどんな言葉を掛けてくれるんだ? やり過ぎだから止めろって言ってくれるのか? 俺の被害と比べればこいつはマシに見えるんだが、俺がおかしいのか?」


 ここぞとばかりに自身の被害を並べる言葉だが、内容に真実みが欠ける。だが、この雰囲気で嘘を吐くなとダンピールが言って証拠まで出されれば、今度こそアキラを止めることは出来なくなる。


「こ、こいつぅ殺してやる……」

「このドラゴニュートを見ろよ、未だに俺を殺そうとしてる」

「それは君が……」

「こいつが俺を殺そうとしなければ、こんなことにはならなかった。自分で撒いた種だ、こいつのハーベストって奴で刈り取ればいい」

「ぐっ、頼む」


 ダンピールはアキラに頭を下げて縋る。


「何を?」


 ここで言葉を間違えれば今度こそ止まらない確信をダンピールは植え付けられる。


「ほ、報復を」

「例えば、言葉と形だけの謝罪を受け取るとしよう。次に俺が殺されそうになったらどうする?」

「それは……」

「まぁ俺もそこまで無関係のお前に何かを言うつもりは無い」

「無関係じゃ……」

「無関係じゃ無いなら教えてくれ」

「?」


 アキラはダンミルを見下ろしながら告げる。


「なんでこのクズにそこまで関わる?」

「……こいつは、俺の所属してるパーティメンバーの一人だ。誘ったのは俺だからな、同じパーティに所属している責任がある」

「ん? まさか、そんなクソみたいな理由で間に入ったんじゃ無いよな? 続きは?」

「え……」


 アキラはただの同じメンバー程度で報復を止めに来たことに疑問を感じている。


「所属が一緒で誘ったのが自分だから責任を感じるだ? まるで俺とこいつとの間に関係性が無いな、お前何様なんだか……。友達とかならわかるさ、友人を守るのに理由なんて俺も求めない」

「……」


 ここで友達と言おう物ならこのダンピールの言葉はただのオウム返しになる。だから何も言えない。


「お前からは「所属メンバーが暴力を受けているから助ける」って程度の意識しか感じられない。お節介なのかは知らないが、無関係な奴が口を挟むな」


 ダンピールは項垂れる。これ以上の説得の言葉が見つからないのだ。そんなダンピールに救いの手ならぬ、救いの羽が現れる。


 アキラとダンピールの間かメラニーの羽が落ちてきたのだ。


「アキラ! メラニー、オナカヘッタ!」


 アキラが指を着地しやすいように差し出し、その上に着地したメラニーが空腹を訴える。


「お前腹減らんだろ」

「デモ! タベタイノ!」

「ん~……」

「アキラさん、ナシロちゃんもお腹空いてるみたいですし、奢りますからご飯にしませんか?」


 翠火がここぞとばかりに相手の手を入れる。ナシロは翠火を目だけで見上げ、すぐに下ろす。恐らくナシロは何も言っていないのだろう、面倒くさいから指摘もしないだけなのだが、着地点が思いの外綺麗に決まりそうなアキラは、だめ押しの奢りと聞いて三桁も無い所持金を協議した結果……。


「ったく仕方ないな、おいそこのダンピール」

「な、なんだ? ……!」

「ぐぇっ!」


 アキラがダンピールを呼び、その目の前でダンミルに向かって渾身の力でシヴァの銃床を使って殴りつける。無防備な状態からのシヴァを使った一撃は、特定部位による強打で気絶状態になる。


「いくら死なないと言っても……」

「今回はこれでチャラにしてやる。よく言い聞かせとけよ? 次は無い」

「わ、わかった。ありがとう……」

「俺はあんたに散々な言い方をしたが、ダンミルはお前みたいな友人が居て運がいい」

「……」


 アキラはそう言うと翠火の元へと歩いて行く。それを見ていた野次馬達も一安心していた。今のダンミルは見るのも気の毒になるほどの醜態をさらしている。アキラは初めの報復としては十分だろうと判断した。一方的な暴力をアピール出来るなら、今後のために必要なのだ。


「さっきは急に抱き寄せたりして済まなかったな」

「構いません。アキラさんが足組んでるの見たら、ホストみたいで面白かったですよ?」

「参考がホストだからな」

「そうだったんですね。あ、テレビですからね?」


 アキラと翠火は喋りながら元の席に戻り、ウェイターのリスを呼び出した。






 ダンピールの男性は、ダンミルの惨状を見て呟く。


「ダンミルもそれなりに打たれ強かった気がしたが……それにしてもどうやれば腕力だけで竜鱗にヒビを入れられるんだ?」


 そしてアキラ達の方へ視線を向ける。


「あんな騒ぎ起こして、元の席で飯食ってるってのも凄いな、図太すぎる」


 あそこまで野次馬が居て注目されれば多少はいたたまれない気持ちになって居辛くなる筈だが、翠火とアキラは気にした様子がない。


「はぁ、これから先が憂鬱だ……」


 ダンミルに告げなくてはならない事実を考えると、言葉と共に弱気な声が聞こえてくきた。彼の反応が多少は予想できることを考えれば、止めるのは難しいだろう。


(次は無いって確実にまずいよな……シューターなのに拳で竜鱗割る相手だぞ? 有りえねえって)


 アキラを怒らせないように誓うダンピールだった。

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