24.絶対に探し出す!由香利の決意と戻れない優人

 迎えにきたのは早田だった。

 由香利は通学路を歩きながら、早田に事件と、榊乃との関係、そしてロスト・ワンとの事を話した。しかし、話しても話しても、空虚な気持ちは埋まらなかった。

「私、クラスメイトに向かって力を使おうとしてた。一番やっちゃ行けない事、力の暴走……自分自身を燃やしてでも、めちゃくちゃにしたかった」

 まるで懺悔だった。吐き出せば楽になると思いきや、後悔という名の黒い固まりがどんどん由香利の中に澱としてたまっていく。しかもそれは空虚を埋める事は出来ず、由香利はずっと苦しいままだった。 

「あと、偽善者ストーカー女子、って言われた」

「それ、由香利ちゃんの事?」

 早田の言葉に、由香利は頷く。悔しかったが、それが自分の、悪意あるあだ名であり、真実でもあった。

「お父さんも、前に言ってた。私のする事は、他の人からは偽善のように見えるって。ストーカーってのも、そうだと思う。私、榊乃くんの後を追っかけてた。一方的に話しかけてた。どっちも本当の事。でも、どっちも人から言われると、すごく嫌だった」

「そうだね、他人が見ている自分と、自分が見ている自分は全く違っているからね。それは当然の事なんだよ。この世界は、そんなズレがたくさんあって、でも皆それぞれ、愛とか友情とか、仲間とか、そういうものを使ってそのズレを修正してる。だから、わざわざそのズレをあげつらって笑っているうちは、まだまだ子供って事なんだと、僕は思う」

 早田はたくさんの言葉を並べ、由香利を慰めようとしてくれていた。その優しさに、今は縋りたかった。

「偽善者ストーカー女子、って言われた由香利ちゃんも、由香利ちゃんだよ。それは、天野由香利と、ユカリオンが、根底は同じ事と同じさ。どっちが良い悪いとか、強い弱いとか、関係なく、それも自分なんだ、って、受け止める事ができたとき、人は少し成長する。言い換えれば、偽善者は自分に嘘をついてまでも人に優しくする事ができるし、ストーカーだって、元々は純粋な好意からくるものさ。まあ、どっちも度が過ぎると、困りものなんだけどね」

 微笑を浮かべる早田に安心して、由香利もやっと笑う事ができた。偽善者でもストーカーでも良い気がしてくるのが不思議だった。

「じゃあ、榊乃くんの中にも、ロスト・ワンっていう名前の男の子が居るの?」

「そうだろうね。彼の深層心理が、リオンクリスタル・ベータと反応したのが原因だと思う。アルファもベータも『意志の力』でその能力を発揮する。でも、そんな風に暴れているって事は、まだ完全にロスト・ワンになっていない可能性が高い」


 ――「さよなら、僕は本当のロスト・ワンになるよ」


 優人が最後に言った言葉が、由香利の中で蘇った。。まだあの時には、優人の意識は残っていたはずだ。

「榊乃くんが力を使わなければ、。榊乃くんと恩ちゃんだけ守って、ほかの全部をめちゃくちゃにしてた。でも、榊乃くんが私の代わりにそうしてくれた。私は勝手にそう思ってる」

 たとえ優人の純粋な怒りだったとしても、自分も同じ事をしそうになった。それは確かに許されない事ではあったけど、それで救われてしまった自分が確かにいた。

「由香利ちゃん、君はどうする?」

 早田が、由香利の心を見透かすように問いを投げた。

 しかし、直ぐに答える事は出来なかった。心の中では決まっているはずなのに、前に進む勇気が出ない。



 続けられた早田の言葉に、由香利ははっとした。その言葉はまるで、由香利の背中を押すようだった。

 そう、。由香利はやっと気づいた。好きな人が居なくなるのは嫌だった。

(私、このまま、榊乃くんを怪物にさせたくない。ううん、させるものか……!)

 由香利の心はしっかり決まった。背負っていたランドセルを降ろし、早田に差し出した。

「早田さんは、ランドセルを持って帰って欲しい。そして準備ができたら、お父さんと一緒に、できれば私のところまで来て欲しい。見守って欲しいの、私の戦いを」

 日が落ちるまで時間はあった。無くしたものは探せばいい。たとえそれが、激しい戦いになるとしても。

「分かったよ、由香利ちゃん」

 早田は赤いランドセルを両手でしっかりと受け取った。

 由香利は制服のスカートを翻して走り出した。優人の―ロスト・ワンの共鳴を求めて。



***



 通学路の真ん中で、赤いランドセルを持ったままの早田は、右肩にそれを担ぐと、我が家へと歩きだした。

「本当に、榊乃くんっていう男の子が好きなんだねえ」

 お父さん子だった由香利に、好きな男の子ができた。少し大人になったのだと思うと同時に、少しだけ寂しさも感じていた。

(ああ、博士はいつも、こんな気持ちなのかな。遠くへ行ってしまうような、そんな感じだ)

 古ぼけたランドセルを眺めて、早田は心の中でひとりごちた。

(守らなくちゃ。絶対、僕の身がどうなろうとも)

 早田は立ち止まり、見えないように首にかけていたペンダントを取り出す。

 そこには、青い結晶の欠片、クリスタル・ベータ――デ・ジタールとア・ナローグの核だった――が2つ並んでいた。

(これが、役に立つ時が来るといいんだけど)

 手のひらに乗せたクリスタル・ベータをぎゅっと握りしめ、また歩きだした。


***


 空を翔る優人の胸は、

 学校を出たあと、朦朧もうろうとした意識のままたどり着いたのは自宅であるアパートだった。なぜか今、無性に、母の声、しかも優しい声が聞きたくて仕方なかった。

 今までそんな事望もうと思っても望めなかったのに、今日の優人は驚くほど素直に、それを求めていた。

 合い鍵を使って扉を開けた。電気もついていない暗い我が家。つんと鼻を突く、生ゴミの臭いと、気持ちの悪くなる酒の臭い。

 唯一の生活空間であるリビングに入ると、汚く寝酒をする母の姿があった。

「母さん」

 カーテンを閉めた暗い部屋で、古いドラマの再放送を眺めていた母は、煩わしそうな仕草で振り向いた。そして優人の姿を見ると、心の底から嫌そうに顔を歪ませた。

「あたしの休みの日は、って言ったはずだけど」

 冷ややかでとげのある声だった。しかしそれが、優人に話をするときの母の声だった。

 優人の母は、息子に対して色々なルールを作っていた。1つ、休みの日は絶対に夜中まで帰ってくるな。2つ、必要以上に話しかけるな。3つ、逆らうな。

 母が優人に怒りを覚えるごとに、新しくルールは増えていった。

「母さん、僕、怪物になっちゃったんだ」

 優人は消え入るような声で告げた。

「はあ? なにそれ。っていうか、それ以上話さないで、あんたと話してるヒマはないんだけど」

 優人は動悸で苦しくなった。ルール違反をしている自分が信じられなくて仕方なかった。しかしそれでも口から言葉がこぼれ出た。もう止める事はできなかった。

「母さん、僕を……」

「母さん、母さんって、あたしの事を呼ばないでよ!! 今日のあんたウルサイ。何でいつもみたいに黙んないの、消えないの! ていうか出てって、出てってよ! ……って、ふふ、そうだった、そうだった。

 急に思い出したように母は言い、ふらついた様子で起きあがった。そして小さなクローゼットをあけて、乱雑においてあったボストンバッグに下着や携帯電話の充電器、化粧道具をこれまた乱雑に詰め始めた。

「あたし出ていくの。あんたなんか捨てて。あんたもう12? 13歳? どっちでもいいや。10歳越えたんでしょ、もう1人でも生きていけるじゃん。ていうか、1、ふつー、ふつー」

 荷物を詰める間、まるで歌でも歌うように節を付けて、母は言った。

 そしてバッグのジッパーを閉めると、床に転がっている脱ぎ散らかした服や、食べ終わったコンビニ弁当の容器を蹴り飛ばしながら、ボストンバッグを抱えて部屋を出ようとした。

「母さん、僕を――」

「退いて、邪魔」

 母は手に持ったボストンバッグをスイングさせ、優人の頭を殴った。抵抗できなかった優人の体がゴミの山の中に倒れると、ぶわっ、と小バエが飛び回り、母は露骨に汚らしいものを見る目つきになった。

「知らないわよ、あんたの事なんて。あたしに息子は1人しかいない。あのゲス男が連れて行っちゃった、あの子しかいないの。あんたはただの荷物。周りから背負わされたお荷物。荷物だったら置いてったって文句ないわよね」

「母さん」

 ゴミの山の中から腕を伸ばして優人は母を呼んだ。母の言葉はすべて聞こえていた。どれもこれも辛い言葉だった。今まで我慢できていたのが不思議なくらいだった。

(やっぱり優しい声は聞けなかった)

 そんな事すっかり分かっているのに、優人は、微かな希望に縋りたかった。そのためにここにいた。

 しかし、優人の伸ばした腕を、母は折るようにはたいた。



 母の言葉は絶叫に近かった。12年間溜めに溜めた澱をすべて吐き出したような感じだった。母は胃の中すべてを吐き出したような後の顔をして、優人に背を向けた。

 母の吐き出した澱が、優人の心にじわじわとしみこんだ。

(ああ、やっぱりそうだったんだ。もう、帰る場所は本当に失われてしまったんだ)

「さよなら、母さん。僕は、怪物になるよ」

 全てを消し、何も考えない、自分の意思を持たない怪物に、優人はなる事を決めた。

 胸のフェイク・クリスタル・ベータが紫色に光った。そしてつむじ風が優人の体を包み込み、真っ黒なボンデージ調の衣装に身を包んだ、ロスト・ワンの姿へと変身する。

 急に姿が変わった優人と、どこから入り込んだのか分からない不気味な風に、母は悲鳴を上げて逃げだそうとした。しかし狭い廊下に、ロスト・ワンの放ったつむじ風が壁のように現れて、母は尻餅をついた。

 母の震える背中を眺めながら、ロスト・ワンは右腕を振るう。そして、口を微かに開いてささやいた。

「母さん、それでも僕はあなたを……」

 愛していましたよ、という言葉の代わりに、かまいたちが母の体を切りつけた。そして、つむじ風が母の体を包むと、ロスト・ワンは両腕を広げてそれを吸収する。

 母の生体エナジーを享受するロスト・ワンの頬には、一筋の涙が流れた。しかしそれも、ゴーグルの奥の瞳が、怪しい紫色の輝きを放つ頃には、すっかり乾いていた。

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