13.戦い再び!忍び寄る太鼓の音色

GWゴールデンウィークの最終日、徐々に太陽が沈み始める夕方。天野家のダイニングキッチンでは、由香利と早田が夕飯の支度をしていた。

 由香利は耐熱ガラスのボウルに、今日買ってきたばかりの豚ひき肉を入れる。包み紙をゴミ箱に捨てて、隣で作業をしている早田のエプロンのすそを引っ張った。

「早田さん、お肉入れたよ。えっと……次、何入れればいいんだっけ」

 小首を傾げた由香利へ、早田は顔を向けると、にこりと微笑む。早田は、由香利の父親である重三郎の若いころを生体模写コピーした外見なのだが、少年のような明るい笑い方の重三郎とは違い、早田は女の人のような柔らかい笑みを浮かべる。その笑みはどことなく、母に似ている気がした。

「ナツメグだよ」

「あ、それそれ、ナツメグ!」

 由香利はシステムキッチンの棚からナツメグの瓶を取り出す。早田がハンバーグを作るときには必ず入れるスパイス。初めてハンバーグ作りを教えてくれた時に、肉の臭みを消して、もっとおいしいハンバーグにするためだと聞いた。

 六年生になってから、由香利はできるだけ早田の夕飯作りを手伝うようにしていた。「なんでもいいから新しい事を始めてみよう」という、担任の言葉に感化されたのだった。

 ボウルの中にナツメグの瓶を振り入れ、傍らにある塩とコショウ、牛乳に浸した少量のパン粉を入れる。そして、あらかじめ用意しておいた使い捨てビニール手袋を両手につけると、ボウルの中に両手を突っ込んだ。

「あ、待って。炒めたたまねぎを入れるからね」

 早田は冷蔵庫からアルミバッドを取り出し、事前に用意されていた炒めたまねぎをボウルに入れた。きっと早田が昼間作ってくれたものだろう。

「はい、粘りが出るまでがんばって」

「はーい」

 ボウルの中で挽き肉をこねながら、由香利は思い出したように口を開く。

「そういえば、早田さんのお手伝いするの、久しぶり」

「そうだねえ。ここのところ、学校から帰ったらずっとリオンスーツの調整と訓練ばかりだったからね」

 早田の言葉に、由香利は頷く。


 異次元モンスターとの初遭遇から、二週間が過ぎた。


 やはりというべきか、黒フードの噂は消え、児童と保護者の不安はなくなった。由香利自身も訓練を重ねるうち、アルファの力を簡単に感知させないように、コントロール出来るようになっていた。

めぐみちゃんとの買い物、楽しかった?」

「うん! 恩ちゃんと一緒に服を見たよ。『たけしまや』に可愛いスカートがあったんだ。良かった、恩ちゃんが元気になって」

 由香利は昼間、退院してすっかり元気になった友人の神崎かんざきめぐみと一緒に、デパートや店が立ち並ぶ歓楽街へ遊びに出かけていた。由香利はおやつに食べたファーストフードのデザートが美味しかった事や、公園で見かけたストリートミュージシャンの曲が素敵だった事、恩と一緒にゲームセンターで遊んできた事を話した。

「良かったね」

「うん。なんか久々に遊んだって感じだったの。その……訓練は嫌いじゃないけど……」

「由香利ちゃんはいろいろなものを見て、楽しんでいいんだよ。気にする事はない」

「……うん」

 早田の言葉に、由香利は歯切れの悪い返事を返す。

 あの時のような強い共鳴はなくとも、空の向こうから微かに感じるベータの気配。いつ脅威が襲ってくるか分からない中で「遊んでいる場合じゃない」という気持ちと「ずっとこのまま平和だといいのに」という気持ちが入り混じって、どうしていいか分からなくなる時があった。まるで、嵐の前の静けさのようで、由香利は内心、落ち着かなかった。

「さあ、よく粘り気が出たら、整形して焼こうか。今日は大根おろしで和風にしよう」

「やったあ!」

 早田の明るい声がした。由香利は落ち着かない気持ちを吹っ切るように、努めて明るい声音で返事をした。



 夕飯を食べ終わり、食器洗浄機に食器を置いている最中、早田は何かを思い出したように「あ」と呟いた。そして手早くそれを済ませると、冷蔵庫から小さなケーキ屋の箱を取り出して、ダイニングテーブルで雑誌を読む重三郎と、漫画を読む由香利の前に置いた。

それは由香利もよく知っているケーキ屋の箱で、期待に胸が膨らんだ。

「そう、シェ・キムラでケーキを買ってきたんです」

「シェ・キムラ! 早田、チョコレートケーキはあるんだろうね、僕の一番好きな奴だよ」

「あ、私ミルフィーユがいい!」

 由香利と重三郎の目が輝き、読んでいた雑誌と漫画を隅に押しのけてまで、ケーキの箱を覗き込む。近所にあるシェ・キムラのケーキは、ちょっと高級なケーキ屋ではあったが、由香利と重三郎にそれぞれ大好物のケーキがあった。早田は気が向くと、ここの店のケーキを食後のデザートとして買ってくる。

ちなみに、早田の好きなものはシュークリームだった。彼曰く、柔らかい昔ながらのシュー生地の食感と、濃厚なカスタードがピカ一だという。

「はい、どちらもちゃんと買ってありますよ。紅茶がいいですか、コーヒーにしますか」

「紅茶! とっておきのウバ・ハイランズを出してくれ。シェ・キムラのチョコレートケーキには、あれが一番合うのだ!」

「えー、私普通のがいい。あれ、何か変な匂いするんだもん!」

「フフフ、おこちゃまの由香利には分からんのだよ、ウバの旨さは」

「わかんなくていいもん。お父さんのイジワル」

 由香利と重三郎の、子供じみたやり取りを、早田はしばらく黙って眺めていた。そして、二人がさらに言い合いを始めようとしたその時、早田は二人の目の前に置いたケーキの箱を、ひょいと持ち上げた。

 あっ、と箱に気づき、由香利は重三郎とほぼ同時に、早田の顔を見た。

 薄い笑みが浮かんでいるが、目は笑っていなかった。、という早田の無言のメッセージを受け取った由香利は、思わず口を閉じた。見れば重三郎も同じように口を閉じていた。

「はい、おりこうさんです。博士にはウバを、由香利ちゃんと僕にはアッサムを淹れますよ。だからもう少し、お静かに願います。お口にチャック、です」

 早田がシステムキッチンへ向かうと、由香利と重三郎は顔を見合わせた。

「早田には勝てないな」

「うん、だって早田さんだもん」

 そして2人そろってえへへと顔を崩し、いそいそとお茶の準備をする早田の背中を眺めた。

 由香利はこんな日々がずっと続けば良いと心底思った。愉快で頼りになる父と、優しい宇宙人の叔父。そして、由香利を気遣い、無言で寄り添うアルファの存在。忍び寄る敵の存在など、忘れてしまうくらいに。

 しかし心の奥底では、来るべき戦いを待つ、もう1人の自分がいる事を、由香利は忘れてはいなかった。

「……っ!」

 突然、由香利の胸に、突き刺すような痛みが走った。全身を焦がすような熱さに、由香利は思わず息を呑んだ。

 クリスタル・ベータの共鳴、すなわち異次元モンスターが邪悪な力を解放しながら地上に現れた証拠だった。強く波打つ鼓動に、由香利は胸のリボンに着けたリオンチェンジャーを握りしめる。今までのよりも、何故か胸が焦がれるように熱かった。強い、大きな力が、近くに迫っていた。

「由香利!」

「由香利ちゃん!」

 重三郎の叫び声で早田が振り向く。

 由香利は痛みに耐えるように背を丸め、瞼を閉じ、異次元モンスターの気配を探すため、神経を集中させた。

【強い反応は、北の方角からだ。行くのか、ユカリ】

(行く。誰かが襲われる前に、それを止めたい)

 戦いを待っていたもう1人の自分が、目を覚ます。戦わなければならない。再び、闘志が燃えるのを感じていた。

 由香利は顔を上げた。リオンチェンジャーを握ったまま、深呼吸をする。

「現れたのか、やつらが」

 重三郎の言葉に、由香利は頷く。由香利が椅子から立ち上がると、重三郎と早田は何も言わず、部屋の隅に置いてあるアタッシュケースを掴んだ。

「行かなくちゃ」

 由香利の呟きに同調するように、重三郎と早田が頷く。

 そして、3人は連れだって部屋を出た。



 由香利たちの住む先地さきじ市は、日本の真ん中あたりに位置する、中核都市の一つである。市内に本社を持つ有名な財閥系企業と、近隣に位置する大企業のベッドタウンとして栄えている。その恩恵を受け、先地市は公共施設にも恵まれた街であった。

 その中でも力を入れているのが、緑化事業である。そのため、市の北に位置する市営公園は、全国でも有数の広さを誇っている。

 由香利の感じた方角に車を走らせると、市営公園にたどり着いた。市街地から離れた場所にあるため、人気は少ない。

 由香利は車が止まると飛び出し、公園の敷地内に入り込んだ。異次元モンスターの正確な場所が分かるのは、由香利しかいない。重三郎と早田は、リオンチェンジャーのGPSを利用し、後から由香利を追跡する事になっている。

 木陰に向かった由香利は、人の気配がない事を確認し、超絶変身、と呪文を唱えた。

 足元に六角形の緑色の光が展開し、由香利の身体を包み込む。12歳の少女の手足がすらりと伸び、成熟した女性の肉体に変わっていく。リオンスーツが由香利の肉体をドレスのように包み込み、光がはじけて、姿があらわになった。

 リオンスーツを纏った今の由香利には、手に取るように異次元モンスターの位置が把握できた。その場所に向かって、由香利は走り出した。

 急がなければ。関係のない誰かが、生体エナジーを奪われてしまうかもしれない。

(お願い、間に合って!)

 強く握った拳に、手汗がにじむ。

【林を抜けた先に居るぞ!】

(分かった!)

 目の前に広がる林を抜ける。そこは市営公園の中央広場だった。外灯が立ち並ぶ中、ひいぃ、と悲鳴が聞こえてきた。最初はいきなり現れた自分に対しての悲鳴かと思ったが、それは間違いだった。

 悲鳴は中央に据えられた、噴水の脇から聞こえていた。そこには、腰を抜かして動けなくなった男性と、男性の前に仁王立ちする、人ならざる姿……異次元モンスターの姿が見えた。

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