11.ピンチを超えて!ユカリオン初めての勝利

 クリスタル・ベータを飲み込んだア・ナローグは、満足したと言いたげな顔をして腹をさする。すると、いきなり空気の入れられたビニール人形のように、ぶくぶくと肥大化し始めた。

 そしてついには、かつてのデ・ジタールと同じか、それ以上の大きさになってしまった。

「えへ、えへ、えへヘ、すっごい、すっごいよぉ、力があふれ出るよぉー!」

赤い目がぎろりと、重三郎と早田がいる場所へ向いた。

(お父さんたちが危ない!)

 由香利は直ぐに重三郎と早田の元へ走った。

 バトン・スタンガンを弱弱しく振り回す重三郎と早田を背に回すと、まとわりつくトラッシュたちを次々に倒していく。後ろから2人の酷く荒い息使いが聞こえてくる――。

「たっ、たっ、たすかったぁあ!」

 2人の白衣はところどころ破れたり汚れたりしていて、奮闘したのがよく分かった。由香利は2人に大きな怪我が無いことが分かると、大いにほっとした。しかし、今はそれどころではない事に気づくと、大急ぎで空中のア・ナローグを指差した。

「デ・ジタールを倒したんだけど、ベータの欠片を、あれが食べちゃったの!」

「なんだって!?」

 重三郎と早田が、青ざめた顔をして空を見上げる。2人は空に浮かぶ異形の怪物の迫力に、顔を引きつらせていた。

「まぁだ生きてたのぉー? 雑魚どもって、しぶといんだねぇ。えーい、これでも食らえーっ!」 

 ア・ナローグが両腕を上げると、空中に時計の針が無数に出現した。怪しく紫色に発光する針の先端が鋭利な刃物のようにギラリと光る。

【広範囲の攻撃だ! 時計の針が豪雨のように降るぞ!】

「お願い、ハニカムバトンッ!」

 3人を覆うようにハニカムバトンのバリヤーが広がったと同時に、針の雨が勢いよく降りかかり、串刺しになるのを防いだ。攻撃が止むと、ア・ナローグの両手には、時計の針が剣のように握られていた。

「切り刻んで、切り刻んで、めちゃめちゃにしてやるぅ!」

 ア・ナローグが針の剣を煌かせ、由香利めがけてジグザグに急降下を始めた。

 由香利は重三郎と早田に離れるように指示すると、由香利はバトンをブレードに変形させ、ア・ナローグに負けないように、力強く跳躍した。

 最初の一太刀はほぼ同時だった。

 ア・ナローグは由香利のブレードを、針の剣2本でクロスして受け止めた。衝撃波が空中で輪のように広がる。着地すると由香利はア・ナローグに向かって斬りかかる。刃をぶつけ合いながらも、ア・ナローグの肥大化した身体に蹴りを入れるが、ぶよぶよとしたボールを蹴っているようで、とても手ごたえは無かった。

「キャハハ、キャハハ!! たっのしいねえぇ! おっきくなるって楽しいねぇ!!」

 曲芸師のような誇張した動きは先が読めず狙いが外れる。

「いやだなあ、着いてきてくれないのぉ? ドンくさいなぁー」

体躯に似合わない無邪気な笑い声で威嚇される。

「キャハ、キャハハハハッ! ねえ、ねえ、ねえ、さっきみたいにカッコヨクやってみてよぉ! ボクの可愛い弟にしたみたいにいぃ!」

「う……っ」

 次第に由香利は、ア・ナローグに対して本能的に怖さを感じていた。デ・ジタールの真っ直ぐな戦い方の方が、まだマシだったとも思い始めていた。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)

 剣さばきにも次第に迷いが現れ始め、反応する速度も遅くなった。攻撃を叩き込むことも出来ず、ただ防ぐのが精一杯の状態にまで悪化していた。

【まずい……。ユカリとの、繋がりリンクが……弱まって……】

 ぷつん、と糸の切れるような感覚が、由香利に走る。

 ――急に、アルファの声が、途切れた。

 今まではアルファがぴったり傍に寄り添っていてくれたような気がしたのに。風呂で感じた不安が、波のようにどっと押し寄せてきた。ブレードを握る手に、力が入らない。

「それぇっ!」

 ア・ナローグが思いきり由香利のブレードを撥ね飛ばした。ブレードが手から離れると、自分のとても大事なものを失くしてしまった感覚に襲われて、思わず由香利は悲鳴を上げた。

 隙だらけになった由香利に、ア・ナローグは容赦なく一撃を加えると、バリヤーはガラスのように簡単に砕け散った。  

 由香利の身体は、弱々しいエメラルドクリーンの光に包まれながら、淵の欠けたコーヒーカップの遊具に、まるでゴミのように投げ込まれた。

 背中に酷い痛みを感じた。起き上がろうと力を入れても、指先がほんの少し動くだけだった。満身創痍になっているのが、自分でも良く分かった。

(もう、駄目、かなあ……)

 動かない身体に、希薄な意識。由香利はこのまま死んでしまうのではないかと思った。死んだなら、お母さんに会えるかもしれない。そんな泣き言ともつかぬことを考えていた。

(お母さん……)

 かろうじて瞬きをしていた瞼が重くなる。沈んでいく意識の中、由香利の脳裏には、燃え盛る炎の記憶が蘇った。


『由香利は私が守るわ、絶対に助ける!』

『貴方は生きるのよ……生きて!』


 由香利を抱く、あったかい腕の記憶と共に、力強い声が聞こえてくる。母の身体に渦巻くエメラルドグリーンが、由香利の身体を包んでいく。絶命寸前の由香利の身体に、生きる力が満たされていく。「生きて」の声が、由香利の中にこだまする。

(ああ、こうやってお母さんが私を助けてくれた……)

【ユ……カリ……ユカリ……ユカリ!!】

 記憶の中の声ではなかった。アルファが必死に、由香利の名を呼んでいた。

【あきらめないでくれ! 君が生きることが、由利の強い、強い願いだった……意志の力だったんだ! だからこそ私は生まれた……! 私は君の命そのものであり、そして、『由利の意志そのもの』なんだ……!】 

【聞こえるかユカリ……! 君のために戦う重三郎と早田の声が……! 君に生きてほしいと願うが故に、戦うものたちの声が……!】

 アルファの声に、由香利ははっとした。

 そして耳を澄ませると、重三郎と早田の叫び声が聞こえてきた。由香利の名を呼び、叫びを上げている。

(お父さんと、早田さんが、呼んでる)

 胸の中のクリスタル・アルファが、一層の輝きを増したのを、由香利は感じた。

(私、大丈夫……。もう、怖くない……!)

 由香利は力を振り絞り起き上がる。すると、ア・ナローグ相手に苦戦する重三郎と早田の姿が見えた。

「……お父さん、早田さん! 今、行くから!!」

 由香利の叫びと共に、リオンスーツからエメラルドグリーンの光が噴出した。コーヒーカップから出ると、弾丸のようにア・ナローグめがけて駆け出した。

「お父さんたちから離れてええええっ!!」

 思い切り地面を蹴って、高く飛んだ。重三郎と早田を踏みつけていたア・ナローグの目の前に、砂埃を上げて着地する。重三郎と早田の顔が、苦悶の表情からぱっと笑顔に変わった。

「由香利!」

「由香利ちゃん!」

 2人の笑顔に安心した由香利は、こんな酷いことをするア・ナローグを、ますます許せなくなった。 ア・ナローグに鋭い視線を向けると、ニタリと不気味な笑みで返された。

「いいよねぇ、そういうくるしそーな顔ってさ! こんな人間じゃあ、相手になんないから、手加減してたんだぁ、ボク」

 ア・ナローグが2人を乱暴に蹴飛ばすと、由香利の胸倉を掴んだ。顔を近づけ、顔いっぱいに裂けた口が、笑った。

「ボクを、楽しませてよ」

 ア・ナローグはそれだけ囁くと、由香利を突き放す。

 どこまで子供じみたやつなのだろう。恐怖と嫌悪感でいっぱいになるが、それに負けてはいられなかった。

突き放された瞬間に、足を振り上げ、思い切り蹴り上げると、ア・ナローグの顎に直撃させた。身体を1回転させ、間髪入れずに拳を繰り出す。ア・ナローグは防ぐが、すぐに新たな一発をお見舞いする。その繰り返しが激しく続いた。

戦いの中で由香利は、アルファは―母は……母のくれた勇気は、いつでも自分の中に居る事を再認識していた。

 ア・ナローグが針の剣を手にすると、それを見た由香利は、ふとあることを思いついた。

(アルファ、ブレードを2本に出来る?)

【なんだと……!?】

(お願い、アルファ、私がそれを出来るなら、やってみたいの!)

【君が望むなら、私はそれに応えよう!】

 ハニカムバトンが出現し、由香利はバトンを両手で持つと、真っ2つにバトンが分かれた。両手で構えると、エメラルドグリーンの輝くブレードが現れた。

「行くよ、アルファ!」

 ブレードをふるい、迫り来る針の剣を受け止める。刃同士がぶつかって、紫と緑の光が弾けた。

「ボクのマネでもしたつもりなのかなぁ? ククッ、そんなことしても、無駄だよぅっ!」

 ア・ナローグのあざ笑うような言葉を気にすることなく、由香利は踊るような動きで、手首をひねり、剣撃を繰り出す。

 全身が武器になったかのように、躊躇無く蹴りも拳も叩き込んだ。ア・ナローグの剣など、もう怖くなかった。

「私、あなたになんか負けない!」

 ブレードの柄頭同士をはめ込むと、両先端にブレードのある、長いバトンになった。大きく回転させて勢いをつけると、ブレードを生成するエネルギー波が1つの輪を作った。

 由香利はア・ナローグに向かって、エネルギー波の輪を思い切り投げつける。輪はア・ナローグの身体を素早く拘束した。針の剣が音を立てて地面に落ちた。

「な、な、何するのおおっ!」

「今だ、由香利!」

 重三郎の叫びに、由香利は頷いた。バトンは光の粒子に包まれると、大剣の姿へと形を変えた。

 両手で柄をしっかりと握り、バトンのように顔の前に立て、一瞬瞑想をする。するとブレードの輝きが一層増した。眼を見開き、切っ先を真っ直ぐにア・ナローグへと向けると、由香利は大きく飛んだ。

 柔らかな月の光を背にし、大きく振りかぶる。

 そして雄叫びを上げながら、ア・ナローグめがけて、大剣を思い切り振り下ろした。

 迸るエネルギー波が、エメラルドグリーンの燃えさかる炎となった。ア・ナローグの身体に触れた瞬間、炎があっという間に全身を包み込んだ。

 断末魔の叫びを上げながら、巨体はあっけなく、まるで子供が作った、拙い砂の城のようにもろもろと崩れていった。

 そして、炎の中には、2つの青いベータ・クリスタルの欠片が寄り添うようにして、穏やかに浮遊していた。

 地上へ降りた由香利は、そっと欠片に触れた。不思議なことに、ベータ・クリスタルと共鳴した時や、異次元モンスターから迸る紫のエネルギーとぶつかった時の、押しつぶされそうな力は感じなかった。

酷くおとなしく、まるで牙をなくした猛獣のようでさえあった。

【ベータ・クリスタルが青いだろう。これが、普段の姿だ。異次元モンスターの核となっていた時は、紫に輝く。紫の姿の時は、私と強く共鳴し、君を脅かす存在になる。しかし、本来は穏やかな性質なんだ】

(本当は、こんなに綺麗なんだね)

 手のひらに乗せた欠片を撫でて、由香利は少しさびしく思った。そして、広々とした光景を眺め、改めて敵が居なくなったことを実感すると、一気に力が抜けて、立っていられなくなった。がくりと膝を折り、そのまま地面へ倒れそうになったそのとき、変身が解けた身体を支える誰かが居た。重三郎と早田だった。

 2人も傷だらけだった。そんな2人を見て、また身体に傷が増えてしまったことが悲しくなって、由香利は俯いた。そんな由香利に向かって、2人は静かに首を横に振り、重三郎は頭をやさしく撫で、早田は由香利の手を大事に握った。

「ありがとう、由香利。よく、頑張った」

「由香利ちゃん……よかった……」

 2人のぬくもりが嬉しくて、由香利はまた胸がいっぱいになった。目頭が熱くなって、涙を流した。悲しみの涙ではなく、喜びの涙を。

 涙でくしゃくしゃになった顔で、由香利は笑った。重三郎も早田も笑った。

 立ち上がると、由香利の両手を重三郎と早田がそれぞれ握った。そして重三郎は改まった雰囲気になって、由香利に話しかけた。

「由香利、改めて……誕生日、おめでとう。君が生まれてきて、本当によかった。君が生きていて、お父さんは本当に嬉しい」

「僕からもおめでとう、由香利ちゃん。素敵な女の子になったね」

「ありがとう……ございます……。私、お父さんも、早田さんも、大好き!」

 両隣の2人の腕を抱きしめて、由香利は気持ちを伝えた。そんな由香利を見た重三郎と早田は、ちょっと照れくさそうに顔を見合わせて、笑った。

 由香利が空を見上げると、いつの間にか穏やかに星が光っていた。

(お母さん、お母さん、私、今でも元気だよ。いろんな事が起きて、まだまだ不安なことはいっぱいあって、まだ終わりじゃないのは、分かってるの)

 そう、まだこれで終わりでは無い。遠い空の向こうに、確かにベータの気配がすることを、由香利は感じていた。

(でも、私、こうして今ここに居るよ。だからお母さん、私を……生んでくれて、ありがとう)

 今は亡き母親に届くように、由香利は強く祈った。感謝の念を、そして、これからの決意を。



***



「あの2人、駄目だったみたいネ……」

 薄暗く静かな宇宙船の中で、サルハーフは声音だけは穏やかに呟いた。今さっき、デ・ジタールとア・ナローグの気配が完全に消えうせたのを感じたのだ。

「まあいいワ。おかげで今のアルファがどれだけの力を持っているか、よぉーく分かったもノ。まっ、アテクシったらスーパーポジティブぅ!」

 元々1つのベータ・クリスタルを4つに割って作られた彼らだが、その中でも互いの結束が強かったのは、兄弟としての自覚を持っていたデ・ジタールとア・ナローグの2体だけだった。

 サルハーフには確固とした自意識が芽生えており、彼らに対してひとかけらの憐憫の情も持ち合わせていなかった。

 サルハーフはゆっくりと、部屋の中心に据えられた円筒に近寄る。中に眠る生首の老人……Dr.チートンの口からごぽりと泡が漏れる。サルハーフは、指先を愛撫するかのように滑らせた。

「あんなに忌々しい力なのに、貴方は欲していらっしゃるのですね……? ええ、ええ、あの時よりも、確実にアルファは力を増していますワ。未熟なまま刈り取っても、果実は美味しくないことを、アテクシ思い出しましたノ。次こそは、奪ってみせますワ、貴方様の望む果実を……」

 恍惚の表情でつぶやくサルハーフは、溶液の中でまどろむDr.チートンの顔をうっとりと見つめる。

ワ。眠っている間に、前よりも大人しくなっているといいけれド……ンフ……」

 サルハーフは隣室のカプセルに眠る、未だ目覚めぬ異次元モンスターを思い浮かべて、薄い笑みを浮かべた。

「全ては愛しのマイ・マスター、Dr.チートン様のため……ホホホ、ホホホホホッ!」

 正に猿のような、狂ったサルハーフの甲高い笑い声が、宇宙船の中に響き渡った……。

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