1.嵐の前の静けさ!夢の中の宝石

 朝。

 絶妙な焼き加減のフレンチトーストをナイフとフォークで器用に切りながら、由香利ゆかりは昨夜見た夢の事を思い出そうとしていた。

(緑色の宝石を、大事にしてたなぁ、私)

 一口大のフレンチトーストをフォークで持ち上げながら、由香利は考えた。

 いつ頃からあの夢を見るようになったのだろう。確か、小学校に上がった頃から、ぼんやりとしたものを見るようになった。しかし、同じ内容の夢だという事は分かっていても、夢は所詮夢なのか、目が覚めると大体の内容を忘れてしまう事が多かった。

(不思議だなあ、他の事はあいまいなのに、緑色の宝石だけは、毎回しっかり覚えてる。何でだろう?)

 未だ口に入らない至高の一切れから、黄金色のメープルシロップの滴がぽとりと垂れ、白い皿に落ちた。

「由香利ちゃん、シロップが服に付いちゃうよ?」

 柔らかな声音にはっとなり、由香利はあわててフレンチトーストを一切れ口にした。香ばしいバターの香りと、ミルクと卵の甘さに頬がゆるむ。この時ばかりは、不思議な夢の事を忘れそうになった。

「んー、おいしい!」

 思わず由香利は後ろを振り向くと、キッチンに立つ青年に声をかける。銀色の髪の毛を一つに縛り、ひょろりとした長身の青年は、振り返って由香利に向かって微笑んだ。

「ありがとう、由香利ちゃん。そう言ってもらえると、作りがいがあるよ」

 ずれた銀縁眼鏡を手の甲で直した青年――早田はやたは、もう一人の家族の為に、新たなフレンチトーストを焼いていた。

 香ばしいバターの香りが部屋中に充満し、食欲をそそる焼き目が付いたフレンチトーストを皿に移した瞬間、ダイニングのドアが開いた。

「おはよう諸君! おお、今日はフレンチトーストか。素晴らしい! 素晴らしい朝だよ!」

 ゴールデンタイムのバラエティ番組のようなテンションの声が響く。ドアには、よれよれの白衣を着た中年男性が、ずり落ちた銀縁眼鏡を直す様子もなく、三流の役者のように両手を広げて立っていた。

暫くダイニングの観客もとい家族の反応を窺っていたが、由香利は何事も無いように朝食を食べ、早田は朝食の用意を続けていた。見事なまでの無反応だった。

「うう……太陽の光は脳細胞を活性化させるんだよう」

 子供の言い訳のように呟きながら、中年男性は早田よりも、さらに無造作にまとめた銀色の髪を揺らしながら、しぶしぶ自分の席――由香利の机向かい――に着いた。すると早田は「おはようございます、博士」と言いながら、焼きたてのフレンチトーストの皿を、中年男性の目の前に置いた。

「お父さん、おはよう」

 由香利は澄ました顔で挨拶を言う。

「おはよう、由香利。うう、なんでうちの家族は朝から冷たいんだい? お父さんはちょっと元気なだけなのにぃ」

「そのちょっとがウルサイの」

 大いに呆れた顔で由香利は反論した。

 中年男性――由香利の父でありこの天野あまの家の家主である天野重三郎じゅうさぶろうは、しょんぼりしたように肩を落とした。オーバーだが何故か憎めないその仕草に、由香利は「はいはい、朝から元気なお父さんが大好きだよ」と笑う。するとたちまち重三郎は「お父さんも優しくて可愛い由香利が大好きだよ!」と満面の笑みを浮かべた。

 いつの間にか重三郎の隣に座った早田は、重三郎に柔らかな笑みを浮かべると、手を合わせて「いただきます」といった。

 これがいつもどおりの天野家の朝で、6から4人掛けのダイニングテーブルに、3座って食卓を囲んでいる。

「ごちそうさまでした」

 一番初めに食べ終わったのは由香利で、使った食器を流しに置くと、そのまま和室へと向かう。

 小奇麗にされた和室の一角には、簡素で小さな仏壇があった。由香利は仏壇の前に正座し、手を合わせて目を瞑る。仏壇には、髪の長い女性と、五歳の時の由香利と、今より幾分か若い重三郎、姿の四人が写った写真が飾られていた。

「お母さん、行ってきます」

 写真の母に向かって、囁くように言う。

 由香利の母、由利ゆりは6年前にこの世を去った。

 重三郎と由利は、介護・福祉用パワードスーツの研究開発者だった。しかし、新しいスーツの研究開発中の事故が原因で、当時の研究所が火事で全焼。由利はスーツを守る為、最後に研究所を脱出。結果、煙を多く吸いこんでしまい、命を落とした。

 遊びに来ていた由香利も巻き込まれたが、直ぐに気を失ってしまったらしく、ほとんど火事の記憶は無い。火事や母の最期に関しては、全て重三郎や早田から聞いた話だった。

 最初こそ塞ぎこんだが、時間が解決してくれた。

 やがて重三郎は独立し、スーツの研究と、その技術を利用した仕事を請け負う会社『リオンシステム』を設立した。早田は重三郎の弟で、ずっと重三郎の助手として働く傍ら、今は母の代わりに家事全般を受け持っていた。

早田は由香利が生まれる前からこの天野家に同居しているので、由香利にとって、叔父というよりは、兄のような存在だった。

 二人とも自宅とは別にある、新しい研究所で1日の大半を過ごしている。必ず由香利より先に帰宅し、休みも必ず一緒に居てくれる。2人とも由香利が寂しく思わないよう、気を使ってくれているのだ。



 由香利は学校に向かうためにランドセルを背負った。玄関にある大きな鏡を覗いて、制服のリボンを直していると、視界の先にカレンダーが目に入る。明日の日付には、由香利自身が花丸を付けた『誕生日』の文字が踊っている。

 明日は由香利の、12歳の誕生日。

 天野家では毎年家族で誕生日パーティをするのが習慣だった。早田は由香利の好物ばかりを並べ、重三郎は由香利へのプレゼントを用意してくれる。お姫様になれる、特別な日だった。

(明日は早く帰ってこなくっちゃ。楽しみだなぁ)

 鏡の中の自分がにやけている事に気づき、由香利は少し恥ずかしくなる。そうしていると玄関に重三郎と早田がやってきたので、慌てて鏡から離れた。

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

「くれぐれも気をつけるんだぞ。最近不審者がウロウロしているらしいからな。学校からのメール配信に書いてあったぞ」

 その話はクラスの間でも噂になっていた。黒いフードをかぶった人物が、子供に意味不明な事を言いながら近づいてくるのだという。中には倒れて入院した子供も居るらしい。

 誠しやかな噂の中には、倒れたのは命を吸い取られたからだという話もあった。先生はそんなこと言わない。子供たちの間だけで流れる噂だった。

「うん、気をつける。ほら、防犯ブザーも持ってるし」

 ランドセルの背負いベルトに付けられた淡いピンク色のブザーを見せる。それが証明になるかと思ったのに、大人二人の表情は晴れない。

 ここ2、3日、二人は何故か、異常なまでに由香利の安否を心配した。登校は集団登校の上、PTAの人が居るので良いが、下校時は早田が学校まで迎えに来るという始末で、他の児童から好奇の目で見られるのが恥ずかしかった。

小学校六年生にもなるのに、と抗議したが、早田の無言の微笑みには勝てなかった。

「早田さん、今日も迎えに来るの?」

 上目遣いで、拗ねるように聞いてみる。

「うん、今日もクラブがあるでしょう? だから昨日と同じ時間に迎えに行くからね」

 有無を言わせぬ微笑みと声音で早田は言った。隣で重三郎も頷いている。これ以上の抗議は無駄だと由香利は悟り「分かった」と答えた。迎えに来られるのは少し恥ずかしいが、さりとて嫌だとも拒否できない。早田は由香利にはとても優しい叔父だった。故に昔から、早田の笑顔には逆らえない。

「じゃあ、行って来ます」

 由香利は靴を履くと、玄関のドアを開ける。四月の心地よい風が、由香利の鼻先をくすぐった。

「行ってらっしゃい」

 重三郎と早田の声がユニゾンし、由香利の背中に投げられた。振り返ると、二人とも小さく手を振っている。

 由香利も応える様に手を振ると、外へと出て行った。


***


 由香利が出て行った後の玄関に、暫くの間重三郎と早田は、無言のまま立っていた。

「……不審者がだといいんだが」

「不審者に普通も何も無いでしょう。どちらにしたって由香利ちゃんが危険なのは同じですけど、だったら余計危険です」

「もう6か。良く無事に育ってくれた」

 重三郎はカレンダーの花丸を見た。由香利の誕生日。明日になれば、優しく可愛い自慢の娘は、12歳になる。

「本当に、そう思いますよ。そういえば……アレの調整は済んだんですか、博士?」

「ああ、テストは終わっているよ。改良を加えて、完成に六年掛かった。由利が遺してくれた設計図と、お前の協力で。しかし、あの力が必要な事態が、起こらないほうが……」

「それでも、確実に奴らは迫っています。それは紛れも無い、事実です」

 先ほど由香利に見せた柔和な表情が消え、真面目な顔になって早田は言った。一瞬、重三郎は泣きそうな顔をしたが、深呼吸をして、自分でそれを宥めようとした。

「……ありがとう。こういう時に、お前の冷静さが頼りになる。どうもダメだね、僕はいざって時に決心が付かない」

 ははは、と重三郎は笑った。無理やり笑って、沈みそうな気分を吹き飛ばす為だった。

「お気持ちは分かります」

「アレは……『リオンスーツ』は、由香利の命を守る、大切なものだ。きっと、役に立つと……僕は信じている」


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