第二十五呪 Karma Parade
町の郊外。大きな重機が静かに朝を待つ建設現場で、私は戦っていた。
突き出される腕を寸前で躱していく。しかしそれはギリギリまで引きつけてわざと躱しているわけではない。ギリギリでしか避けれないんだ。
それほどまでにこの男は、
「く、ぅ……ッ!」
「さっさとここを通してもらうぞ、
「そうはさせるか……!!」
私に向かって突き出された死晴の腕に沿わせるようにナイフを当て、そのまま頭の方へ目掛けて滑らせていく。鋼鉄の腕と砥がれたナイフが火花を散らし耳障りな音を弾けて鳴らす。
死晴の身体は呪われた体質によって鋼と化している。刃どころか、銃弾すらも通らないかもしれない。私の使う小さなナイフなどでは到底傷をつけることは出来ないが、それでも弱点というものは奴にもある。
「ふんっ!」
私の振るったナイフは死晴の頬をかすめた。刃先から伝わる、肉を引き裂いた感覚。死晴は肉体を硬質化できるが、頭部だけはそうできないらしい。以前に蜂惑さんの事務所で小競り合いをしたときも、死晴の片目をえぐってやった。
「チッ……良い気になるなよ乂真ァァ!!」
死晴が身体をひねって蹴りを繰り出してくる。私はすぐさま腕を引き、その勢いで死晴の脚をまた寸前で避ける。奴の攻撃を身体で受けるわけにはいかない。
攻撃することも重要ではある。死晴に決定的な隙を晒してもらうために。だが、私の身体に穴でもあけられれば仕掛けが駄目になる。意識の半分以上を防御に回さなければいけないのは、かなり神経を使う。
「流石に片目じゃあ、戦いにくいみたいだな死晴?」
「お前如き、片目で充分だ……!」
蜂惑さんの事務所を出発して、私たちは
蜂惑さんが遂に突き止めた、吸血鬼の居所だ。だが、そこへ向かう途中、いま私と戦っているこの男―――死晴が立ちふさがった。
しかし、こうなることは予見していた。目的地へ向かう途中、死晴もしくは刕琵道が戦ったことのある海老世という男のどちらかと交戦するであろうことは。
そうなったときのために、私は蜂惑さんと同行した。計画では吸血鬼の元へ家篭本人と、蜂惑さんか刕琵道のどちらかが到着しなければならない。家篭がディスオーダールームから脱出したあと、刕琵道の役目は私と同じものになる。
私も刕琵道も、敵を足止めする役だ。だが、ただ足止めするだけでは不十分。敵を確実に仕留め、追撃されないようにすること。それを達成するために、私は慎重に死晴を追いつめなければならない。
「お前たちが赫遺さんの理想を破綻させようなど、させるものかっ!」
「どうせろくでもない理想なんて、叶えさせるわけにはいかないな!」
「えぇい! バラバラに素手で引き千切ってやる!」
蜂惑さんを逃がし死晴と戦い始めてから、すでに一時間ほどが経っている。
激しい攻防の中で必死に死晴の隙をうかがってはいるが、この男の力はやはり並の物ではない。刕琵道までとはいかないが、人間離れした身体能力、それに加え頭以外の全身が鋼で覆われているという体質。
―――思った通り、私だけの力ではこいつを倒すことは難しかったようだ。
「カルマ! お前たちは一体なにを企んでいる!? 家篭の力をどうするつもりだったんだ!」
「こちらの台詞だ死晴、赫遺がなにをしようとしているか貴様はわかって行動してるのか!」
「赫遺さんがやろうとしていることは人間にとって唯一の希望だ! それを邪魔しようとするお前たちは、オレたちの……人間の敵だ!」
「わからんことを……っ!!」
殺意の籠った死晴の腕が振るわれる。勢いのついた死晴の腕は、触れるだけで致命傷になりかねず、捕まれでもすれば一巻の終わりだ。
しかし死晴も人間。振るわれる腕、位置を取る足、鬼気迫るその表情。すべて感情に左右され始めている。ここまで戦っていてひとつわかったこと、それは死晴喰怒という男は赫遺鴉に崇拝に似た感情を持っているということだ。
凶器を交わすよりも、言葉の応酬こそが奴の隙を見いだせる方法だ。
「赫遺のやろうとしていることに、なぜ家篭が必要になる!?」
「お前たちはそれを知っているから、家篭を監視していたのだろう!」
「ふざけるなっ! 私たちが家篭を見張っていたのは、貴様らが近づかんようにするためだ! 赫遺は前にも家篭をたぶらかそうとした、自分本位な屑だっ!!」
「っ、貴様ァァァッ!!」
死晴は私の足元を大きく踏み込み、その衝撃でアスファルトは大きくひび割れた。体勢を崩した私は、そのまま死晴に首元を掴まれて組み伏せられてしまう。
両手で首を絞められ、呼吸が止まる。
「がっ、ぁ……っ!!」
「これで終わりだ乂真……! このまま首を潰し切ってやる……!!」
「ぐ、ぁ……ぁあ……」
死晴の両脚で腕を踏まれていて、抵抗もできない。首に食い込んだ指はどんどんと沈み込んでいく。このままでは殺される。
―――このまま死晴は、私を殺そうとするだろう。
それ以外には何も考えないだろう。もう勝負は決したも同然だ。奴は私の首を潰すことだけに意識を向ける。私を窮地に追い込んでようやく生まれた、死晴の隙。
「―――!!」
私の胸元が内側から大きく切り開かれる。血は一滴も出ないが、胸を切り開かれる痛みは相当なものだった。
私の身体の内側から伸びる白く細い腕。長い五本の爪が、死晴の顔にひたりと触れる。
「なっ……!?」
「チェックメイト、だよ」
私の首を絞めつけていた死晴の手から、力が抜けていく。圧迫から解放されて、私は急ぐように息を再開させる。
私を組み伏せていた死晴も、もうすでに"何も考えられていない"だろう。死晴は体勢をそのままにして、何もしゃべらないし、動こうとしない。
私は背中で這いずって、死晴の下から抜け出す。大きく開いた私の胸元から、ずるずると這い出てくる人影。
「おつかれさま、乂真。上出来だよ、うまくいった」
「くっ……ああ、こうするしか死晴を倒す方法は無かったからな」
私の身体の中身は無い。呪われた体質のせいで、空虚な空間になっている。
その中になにを入れようとも、私は平気だ。今までは武器として使うナイフを大量に忍ばせたりしていたが、今回ほどの大物は初めての経験だった。
私の中から現れた、
死晴を倒すために仕掛けた、私だからこそできた事。そして、曄衣葬だからできたこと。
「……予定通り、死晴の"記憶"を全て喰ったのか?」
「うん。一番おいしいのはその人にとっての大切な思い出だけど、今回は彼の頭にある記憶を全てたいらげた。もう彼の頭は君の体と同じからっぽになってるよ」
「……こいつに出くわさず済めば、本当はこの仕掛けを赫遺にやるつもりだったのだがな」
「乂真の中に入るのには随分苦労したからね。中から出るのは簡単だけど、もう一度入るのは無理だろう」
そう、この仕掛けはチャンスは一度の最終手段。相手が死晴でなければ、隠したままにしておけた。
惜しい気もするが、それでも死晴を始末できたことを考えればリターンは十分だ。
「さぁ、私が開けてしまった穴を塞いであげるよ」
「……ちゃんとできるのか」
「安心していいよ。私は裁縫が得意なんだ」
「私はぬいぐるみじゃないぞ」
曄衣葬は懐から糸と針を取り出して、私の傷口の縫合を始める。
不格好でもなんでもいい。動けるようになれば、私は先に行った蜂惑さんを追いかけに行く。
死晴を倒したとはいえ、刺客は他にもいるかもしれない。蜂惑さんを何としても吸血鬼の元へとたどり着かせるために、私たちは命を賭す必要があるから。
「……死晴は、どんな記憶を持っていたんだろうな」
ふと、動かなくなった死晴を横目で見て思った。
いまの奴は、電池の切れたロボットのように、全く動かない。あいつの言葉の節々には気になる点がいくつかあった。それがなにを意味していたのか。
「勘違いしないでほしいな乂真。私の呪質は記憶を喰べれるってだけさ。味はわかるけど、中身はわからないんだよ」
「そうか……」
「もう彼は動かない。人間が持つ最低限の記憶すら喰べてしまったからね。怒りや悲しみなんて感情を起こすという記憶も、肺や心臓を動かすという記憶も」
「……」
まぁいいさ。死晴に訊かずとも、また赫遺本人から直接聞けばいい。
そのためにも、いまは早く蜂惑さんを追わなければ。
―――刕琵道のほうは上手くいっているのだろうか。
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