呪錄記 編

第二十四呪 唯一の可能性 00:20:43:21

「どういうことだ、どういうことだよこれ……!」


 さっきまでは何ともなかったはずなのに。僕の視ていた数字はいつもと変わらず、止まっていたはずなのに。


哭栖なくすも、りぼんも、桜も……みんなのノイズが……」


 心配になって住人たちの姿を視て回った。愛不あいず以外の全員のことを。

 するとどうだ。全員の寿命ノイズが、00:23:54:00と表示されている。今までは99でカンストしてたはずなのに。

 僕の呪われた体質はモノの寿命を視れること。事故なんかで突発的に死んでしまうとしても、その運命を含めた寿命を視れるはずなんだ。だから、ノイズが急に"飛ぶ"なんてことはありえないのに。


「桜っ! たいへんなんだ、みんなのノイズが……急にっ……!」

「……落ち着いて呪錄じゅろく。まず落ち着いて話を聞かせて」


 桜にもみんなにも、まだ寿命が動いたことを伝えていない。だから桜はこんな冷静でいられるんだ。自分の寿命があと一日も無いなんて知ったら、僕のように混乱するに決まってる。


「う……みんなの寿命が、急に減ったんだ……! 全員、あと24時間以内に死んじゃうんだよ!」

「……そう。"これ"はそんなに早いのね……時間が無いとは思ったけど……正確にはあと何時間と何分で死ぬのかしら」


 どうしてそんなに冷静でいられるんだ桜は。医者が言うような余命を伝えてるんじゃないぞ。医者が言うのはでたらめで、余命が半年と言えばその倍くらいは生きれることが多いんだ、だけど僕の視ているノイズはそんな曖昧なものじゃない。決定的な寿命なんだ。このままじゃ、本当に24時間で死んじゃうんだぞ。


「あと……23時間と53分……」

「23時間、ね……わかったわ」


 僕がそれを告げても、桜は眉一つ動かさずにまた目を伏せる。僕なんて動悸がひどいというのに。全身が嫌な悪寒に見舞われているのに、額から汗が出てくる。


「……呪錄。今から言うことをよく聞いてくれないかしら」

「なんだよっ、悠長に話してる余裕なんて無いんだぞっ」

「あなたにはまだ言ってなかったけれど、私の呪われた体質……あなたと似たようなモノなのよ。人の死の未来を視れるの」

「死の未来……?」


 そこから桜は、出来るだけ手短に、と前置きをして僕に話した。

 彼女の体質は一言で言うと未来視。それも人が死ぬ場面に限った未来だけが視れるらしい。その話を聞いて、なぜ桜が驚かなかったのかがわかった。桜を含めたみんなの寿命が減っていることに僕が気づいたとき、きっと桜は自分たちの死ぬ未来を視ていたんだ。

 でも、それでも、桜がいまだに冷静さを欠いていない理由はわからない。だって自分たちが死ぬとわかっているならなおさら、焦ったり取り乱したりするのが普通じゃないか。


「呪錄、あなたは前にこう言ったわよね。『自分の体質は、運命をも含めて視ることができる』って……きっと今まで、ノイズが覆ることはなかったんでしょう?」

「そうだよっ、例外なんて一つも無かった……ノイズがゼロを指せば、絶対に死ぬ……ノイズを止めたり、引きのばしたりなんて出来ないんだ……」

「……"本当にそうかしら"?」

「は……?」


 思わせぶりなことを言う桜。本当もなにもない、僕が言ったことは事実だ。今までノイズ通りにモノは壊れ、人は死んだ。覆ることなんて無い、だってそれは運命なんだから。変わる事なんてありえないんだ。


「……もしかしたら貴方が一番、運命に弄ばれているのかもしれないわね」

「おい、なんだよそれ、何が言いたいんだ桜!」

「あなたが視ているノイズは、本当は"視せられている"ものかもしれないのよ」

「なにが言いたいんだよ! はっきり喋ってくれよ!」

「……私の体質の未来視だけれど、視れる未来は一つだけじゃないのよ。未来には選択肢があって、どれを選ぶかによって分岐していくの」


 桜はそう言って話を続ける。自分の経験してきたことをつらつらと。

 人が死ぬ未来が視えたとしても、それは回避できるのだという。死というものは、"訪れる"というのが絶対的な運命であり、それが"誰に"降りかかるかは決定していない。

 だから桜は、僕の体質についてこう考えているようだ。僕が視ているノイズ、つまり他人の寿命は、その人を助けようとすれば引き延ばすことができると。


「あなたを責めるつもりはないけれど、今まで他人の寿命が視えても、あなたは何もしてこなかったのでしょう?」

「……あぁ、たしかに、僕はなにもしようとしなかったよ。しても無駄だって思ってたから」

「でも、実際は未来を変えることができる。……世界に降りかかる死という運命は変えられなくとも、私たちが死なずに済む方法はあるはずだから」

「……それは、わかったよ。それに縋るしかないだろうし。……だけど、どうしろっていうんだっ、僕は寿命が視れるだけで―――」


 そこで僕は思った。僕が視れるのはあくまで人が死ぬまでの正確な時間だけ。どこで、どんなふうに死ぬかまではわからない。だけど、死を映像として視れる桜なら、もっと具体的に知っているはずだ。

 それどころか、未来の分岐すらも視れるというのなら、これから先、どういう行動をすればいいのかもわかるかもしれない。


「桜っ! 君にはどんな未来が視えたんだ! どうすればみんなの死を回避できるのか教えてくれ!」


 桜の両肩に掴みかかり、僕は必死の形相で訴える。


「……それがはっきりとは視えないのよ。だけど、どうすればいいかはわかるから……いい? 呪錄、あなたは―――」







 走る。走る。走る。

 僕が行くべき場所へと、僕が行かなければならない場所へと、ただ走る。少ない体力では全力疾走を長く維持できず、それほど速度は出ていないけれど。それでも必死にとある場所を目指して僕は走っている。


「ほァーホホホ、どうした家篭クン。まだまだ目的地は遠いのだぞォ?」

「っ……わかってるよ!」


 僕の前方を先行く案内人。恰幅の良い老人が満面の笑みをこちらに向けている。

 老いぼれのくせして、海老世えびせはぴょんぴょんと飛び跳ねながら僕の前を行く。体力を使っているのは僕だけだ。


 笑う海老世の身体に浮かび上がるノイズ。額から溢れ目に入ってくる汗を服の袖で拭って、僕はそれを確かめる。

 00:20:43:21。ディスオーダールームを飛び出してからもう3時間くらいが経っている。残りは21時間を切った。みんなが死んでしまうまでの時間が、刻々と迫りくる。


「……おい海老世えびせっ! まだなのか目的地って!」

赫遺あかいのおる場所はまだまだ遠いぞォ。家篭クンの足では一時間ほどかかるんじゃァないか?」

「……くそッ!」


 時間が無いんだ。僕たちにはもう。

 なぜかみんなの寿命が急に減り出して、僕は焦った。今まで起こりえなかった、ノイズの飛び。

 ディスオーダールームで桜に言われたことを、僕は疲弊した頭の中で反芻する。

 僕が、僕だけがこの状況を打破できるかもしれない、と。桜が視た未来の中で、ある場所に赫遺あかいからすというディスオーダールームの住人がいたといい、僕はその男に会いに行かなければならない。

 詳しい理由は時間が無いから聞けなかったが、どうも僕が赫遺に会うことが、唯一の助かる可能性だと桜は言っていた。


 今まで会ったことの無かった住人。僕の前を行く海老世えびせという男にも今まで会ったことは無かったが、桜は彼と一緒に行くようにと言ってきた。

 海老世の呪われた体質が、何か役に立つかもしれないと。

 ……そして、その役に立つときというのは、突然にだが訪れた。


「―――呪錄!!」

「っ……」


 交差点を走り抜けようとしたときに、不意にかけられた声。その声の主を探そうと辺りを見回す。すると道路を挟んだ向こう側に、見慣れながらも久しく会っていなかった人物が僕の方を見ていた。


蜂惑はちわく……!」

「どうしてこんなところに……刕琵道りびどうとは会っていないのか!」

「刕琵道……!?」


 蜂惑の姿を確認し、そしてその口から飛び出した殺人鬼の名前。それを聞いた僕は、真っ先に頭の中に嫌な考えがよぎった。

 こんなときに、あいつらは僕を狙ってきたんだ。きっと。いつも蜂惑のそばに居る乂真かるまの姿が見えないけれど、もしかしたらこの近くに彼女も来ているのかもしれない。駄目だ、いまあいつらに捕まったらどうなるかわからない。僕は急いで赫遺に会いに行かなきゃいけないんだ。


「……ありゃァ蜂惑はちわく怠躯だるくじゃの。家篭クン、ここはワシに任せなさい。この道を真っ直ぐ行って中野文具店という店を過ぎた信号を右に曲がれば目的地に着く。長いのはこの道だけじゃ、店を曲がってからはそう時間はかからん。ほれ! 行けェ!」

「……わかった!」


 僕は蜂惑から目線を外し、海老世の言う通りにまた走り出す。

 後ろから蜂惑の叫び声と、甲高い異質めいた音が反響している。だけど、僕は振り向かずに走った。

 僕はみんなを、桜や哭栖なくすたちを助けなくちゃいけない。桜は赫遺に会えばいいと言った。他はなにもわからない。何もわかりはしない。ノイズが飛んだことも、僕がなぜ唯一の可能性なのかということも、蜂惑たちが僕を追いかけている理由も。


 背後へと見切れていく風景のノイズが、目の奥を痛ませる。

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