第二十三呪 Find (t)he dead

 すぐに行動を起こさなければならない。

 赫遺あかいが企んでいるのは、自分一人が無限の命を得ることだ。彼はそのためならば、ディスオーダールームの住人を容赦なく殺し捨てる。それは阻止しなければならない。

 桜には二つの目的があった。ひとつは、ディスオーダールームの住人を死なせないこと。そしてもう一つは、かつて赫遺が言っていた『人間から死の恐怖を取り除く』ということ。

 そのためにはどちらも、家篭いえろう呪錄じゅろくという少年の呪質が必要になる。赫遺もそう言っていたのだ、赫遺よりも先に、家篭を捕えて利用するしかないと桜は考えた。


 幸いにも、赫遺が残していった計画の前準備は揃っている。家篭をディスオーダールームに連れてくるという前準備。

 刕琵道りびどう尼静でいしずを家篭から引き離すため、海老世えびせ等命とうめいが毎週土曜日に殺し合いを申し込んでいる。土曜日なら、家篭の周りは手薄だ。そしてそのあいだに家篭がどう行動しているかも手に取るように分かる。減尸へるし哭栖なくす搦鮫からさめ嘛气まきがいるからだ。

 減尸と搦鮫は、少し前に赫遺が接触を図っていた。家篭の動きをこちらに伝える監視役、スパイのような立ち位置がその二人だ。彼女たちは以前から家篭と交流があったそうで、家篭に警戒されることなく近づける。


 家篭をディスオーダールームに招き、閉じ込めておくこと。それが、未来の死を回避する唯一の選択肢だった。

 桜は赫遺と決別したあと、すぐに未来を視た。今までは発作という形で周期的に視てきた未来の映像。それを自ら視ようとしたのは初めての経験だった。自分の意志で未来が視えるのかわからなかったが、その実、視ようと思えば視れる代物だったのだ。

 頭の奥へ奥へと意識を集中させると、自分の意志で未来を視ることができる。とは言え、視れる未来はやはり人の死の際のみ。桜は必死になって未来を探した。何十、何百と人が死んでいく映像が夥しい速度で脳内を過ぎ去っていく。時間の先へ先へと、大量の屍を踏み越えていく様は、まるで自分が時の墓場を目指しているような感覚だった。

 残酷ざんこくな死、薄倖はっこうの死、凄惨せいさんな死。ありとあらゆる死にざまの先に、ようやく目指していた対象の死に辿り着いたのは、未来を視始めて10時間が経過したころだった。


 辿り着いた未来に映っていたのは、赫遺の姿。そしてその周りを取り囲む数人の姿。全て見覚えのある顔ぶれだった。その渦中に、写真で見た少年の姿があることも確認する。実際に会ったことは無いが間違いない、家篭呪錄の姿。

 正確な場所はわからないが、時間は夜、どこか屋外らしい。そこで家篭呪錄は、赫遺に殺される。そういう未来だ。その未来を続けて視ると、ディスオーダールームの住人らが赫遺に殺されていく映像も視えた。これが赫遺のやろうとしていることだ。

 未来は複数あり、いま視た未来がすべてとは限らない。赫遺の気まぐれや、他の不確定要因で未来は変わる可能性がある。だが、少なくともいま視た未来は回避しなければならないと、桜は動いた。


 家篭呪錄をあの場所で、赫遺鴉と会わせてはいけない。とにかく、家篭を自分の眼の届くところに置いておこうと、桜は死晴ですはれを使って彼を誘拐させた。もちろん、死晴は赫遺の命令を最優先にして行動する。家篭を攫うのは赫遺の命令だと嘘をついた。

 家篭誘拐はすんなりと成功した。事前に減尸へるし搦鮫からさめから家篭の居場所を伝えてもらっていたのもあるが、死晴ですはれの身体能力も一役買った。家篭をかくまっている人物の一人、乂真かるま黒雨流くろうるを退けてくれたのだから。


 桜はディスオーダールームに家篭を連れてこれたことに、まず安堵した。このまま家篭をずっとここに住まわせておけば、外に出すことがなければ、以前に視たあの未来は訪れない。別の未来へと変わるのだから。

 しかし一つ問題があった。家篭ならびにディスオーダールームの住人が殺されなくなったはいいが、桜の目的はもう一つあるのだ。"人間から死を取り除く"という目的が。

 そのためには、いまだ方法はわからないが家篭に協力してもらう必要がある。その必要があるのだが、自分を誘拐した謎の集団に心を許す人間などいない。どうにかして、家篭を懐柔する必要があった。


「―――私も死晴ですはれ喰怒くうども、あなたの家族だったのだから」


 桜は嘘をついた。

 家篭の心に付け入るために、根も葉もない嘘の記憶を告げた。その嘘は、普通なら通用しないものだ。なにせその嘘は『過去かこ捏造ねつぞう』なのだから。だが、家篭に対してはそれが可能だった。

 毎週彼と会い様子を探っていた減尸と搦鮫からある事実を聞いていた。家篭には記憶が断片的に無いと。自分の身近にいる人物たちと初めて会った時の記憶や、それ以外にも失っている部分があるのなら、そこに付け入ることは可能だ。桜や死晴のことを家篭がすっかり忘れてしまっているということにしてしまい、さも事実のように過去の話を捏造すれば、家篭は信じるに決まっている。


 このとき桜にとって幸いなことが二つあった。

 一つは、家篭が刕琵道りびどう尼静でいしずという殺人鬼と暮らしていること。殺人鬼から助けるため、なんてことを言えば、家篭を無理矢理にでもディスオーダールームに連れてきたことに十分な正当性が生まれてくる。実際に家篭にそのことを話すと、彼も少し納得したような表情を浮かべていた。

 二つ、家篭が何故か蜂惑はちわく怠躯だるく乂真かるま黒雨流くろうるに対して猜疑心を持っていたこと。これは理由がわからなかったが、とにかく桜にとっては好都合だった。あの二人に不信感を抱いているのなら、それらしい嘘ももっともらしくなる。

 この二つがあったからこそ、家篭に特に怪しまれることなく彼の記憶の隙間に付け入れたのだ。



 家篭はディスオーダールームでの生活を受け入れてくれた。桜の口から語られた嘘を信じてくれたのもあるが、減尸と搦鮫のおかげというところが大きい。以前から家篭との面識があったおかげで、精神的な支柱の役目を果たしてくれている。

 家篭も最初は、その二人とばかり話していたけれど、しばらく一緒に生活していくにつれて、他の住人ともコミュニケーションをとってくれるようになっていった。

 このまま家篭との生活を続けていき、自分たちに降りかかる死の運命を回避すれば、自分の目的は達成できる。ただ一つだけ疑問だったのは、死晴ですはれ赫遺あかいが言っていた家篭の呪質についてだ。減尸から聞いて知ったが、家篭の呪質は"モノの寿命が視える"というもの。それは桜の持つ、死の未来視にとても似ている。

 だが桜には、それがなぜ無限の命を得る手段になりえるのかがわからなかった。モノの寿命が視えるということは、いわば人の死を予知できるというだけのもの。ただそれだけだというのに、無限の命にどう関連付くのか。いずれ家篭の口からもヒントになるものが無いか聞くつもりだった。

 赫遺に会うことさえなければ、自分たちには死が訪れない。時間はたっぷりあるものだと、桜は思っていたのだ。



「―――そうね。たしかに、時間は無いものね」


 運命はくも残酷である。

 それは家篭に呪いの元凶と思われし吸血鬼の話を聞いた時だった。未来視の発作が起こり、桜の脳内に未来の映像が流れ込んでいく。視えたのは以前と同じような、ディスオーダールームの住人を含めた数十人が一斉に死んでしまう未来。だが、視えたその未来は少しおかしかった。

 死ぬ人間の"死ぬ姿"が、ノイズに交じって転々と変わっていく。今まで、複数の未来を同時に視るということはあった。選択次第で分岐する未来を"平行"して視れることはあった。だが、今回視えた未来は『分岐していない』。一つの未来だけが視え、そしてその未来がはっきりとしない。こんな未来視は初めてだった。


『人間は運命の奴隷さ。逆らうことも抗うこともできやしない』


 赫遺あかいの言葉が脳裏によぎる。もしかすると、このおかしな未来は彼の行動のせいなのか。桜は背中から汗がにじむ感覚を覚えた。

 この瞬間から、桜も家篭も、運命という凶大なものに立ち向かっていくことになる―――。







「……私の話はこれで終わりよ。このままじゃ、私たちは全員死んでしまう」


 時は現在のディスオーダールームへと戻る。

 ソファに座り込みながら語られる桜の話を、刕琵道りびどう目日臼めびうすは固唾を飲んで聞いていた。

 桜は自分の過去、赫遺となにがあったのかを全て話した。赫遺がなにを企んでいるのか、自分が家篭をなぜ攫ったのか。しかし、桜自身が目的としている"死の除去"という部分には触れないように。


「……えらい、難儀な話になってきよったな……」

「ごめんなさい勹牢ほろう。あなたには刕琵道りびどうをここに閉じ込めるためだけに協力してもらったから……大事な話を何もしてなくて」

「ひとつ疑問があるわ。私をここに閉じ込めたのはたぶん、私がこの場所以外にいると不都合があるから……それはわかるわ。だけど、どうして私がここに来ることがわかったのよ? それも、目日臼と一緒になっていることも」


 刕琵道は訝しがるように尋ねた。彼女からすれば、自分がディスオーダールームに来ることを桜が知っていたのが不思議なのだ。それだけでなく、いつ目日臼と出会ったのかという事も。


「あなたと目日臼がここで死ぬ未来も視えていたからよ」

「ここで死ぬ……?」

「あなた達は呪錄じゅろくを助けるためにここへ来て、そして剥血はくちに殺されてしまうという未来よ。私が止めなければ、あのまま二人は死んでいたから」

「……その未来が視えていたから、事前に目日臼に接触していた、ということかしら」

「ええ。未来であなたが『目日臼』と呼んでいたから、探すのには苦労しなかったわ。拳銃を持っていたから恐らく警察関係の人ということも察しがついたし」


 目日臼めびうすは人となりがよく、人がいい性格だ。桜が未来を視たすぐあとに彼女に接触を図り、詳しく理由を話さなくとも目日臼は協力を持ち掛けられて首を縦に振った。

 誰だって、見た目が小さな子供に助けて、と言われれば助けようとするだろうが。


「せやけど桜、うちらはこれからどうすればええんや? 刕琵道がここから出たらあかんって言うんなら、うちらはなんもでけへんで」

「……いいえ。刕琵道が私たちに協力してくれないのなら、ここに閉じ込めておくつもりだったけれど……今の話を聞いて、わかったでしょう?」


 刕琵道はこれ以上ないほどに冷静さを取り戻していた。鋭かった眼光はそのままに、しかし全身から漏れ出していた殺気は、その鳴りを潜めている。

 彼女にとって大切なのは、家篭ただ一人。他の人などどうでも良いとは考えているが、家篭が危険だというのなら協力せざるを得ない。


「ええ……赫遺あかいのことを詳しく知っているあなたなら、協力してもこちら側に有益でしょうし」

「それでいいわ。私も、呪錄と長く生活していたあなたに聞きたいこともあるし……とりあえず、ここを出ましょうか」

「なんや、うちらはここから動いたらあかんのとちゃうんか!?」

「言ったでしょう、刕琵道が協力してくれるなら、未来はまた変わるわ……少し待っていて。階段のところにいる剥血をどかしてくるから」


 桜は立ち上がり、一人部屋を出ていった。残された二人は何を口にするでもなく、互いに思うことを考えている。しばらくのあいだ、部屋の中には静寂が流れた。

 その重苦しく張りつめた空気に耐えられなくなったのか、目日臼が口を開く。


「なぁ刕琵道、あんたは知っとんのか? ……呪錄クンにいったいどんな秘密があるっちゅうんや、無限の命ってのは、つまりは不老不死ってことやろ」

「……確信は無いけれど、家篭くんの秘密は"これ"のことでしょうね。赫遺が狙っているもの、必要としているもの……」


 そう言って刕琵道は懐から一冊の本を取り出す。

 それは本というには薄く、見た目は真っ黒なA4ノートのようだった。ページが開かないように、まるで封印でもされているように紐で何重にも縛り付けてある。


「なんや、それ……本か?」

「……ここには、家篭くんの記憶が記されているのよ。失った記憶と、もう一つ……"視せられた"記憶が」



 何重にも巻かれた紐の隙間から、表紙に記された本のタイトルが見える。

 それは目を凝らさないと見えない、紙に彫られたような文字。

 【呪錄記】と書かれたその本。

 全ての始まりであり、終わりを告げるための書である。

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