第二十呪 ex.human

 赫遺あかいからすと出会い、桜は少し変わった。

 具体的に何が変わったかというと、考え方が変わった。赫遺と出会うまで彼女は、運命と言うものの大きさにただ立ち尽くし絶望していた。それは例えるなら断崖絶壁の縁に立たされている感覚。背後には戻る道が無く、大きく開いた崖の遥か向こう側にある大地。絶望の深さは、イコール崖の幅の広さ。

 今まではそのあまりの距離になす術が無かった。だが、赫遺の話を聞いて桜は、僅かながらの希望を持った。自らの身体を押す、背後からの追い風。その風に乗れば、崖を飛び越えられるかもしれないという、ほんの僅かに体を包んだ希望。


 桜は赫遺の言う『枯れることの無い無限の命』に興味を示し、彼と協力することを約束した。理想を叶えるために何をすればいいのか、自分は出来ることを何でもやってみせる、と。

 赫遺はその理想を叶えるために、自分たちと同じような呪われた体質――呪質を持つ者が何人か必要だと言った。そのために、石柄いしがら町で捜索に似た行為を行っているという。

 桜が死晴ですはれ喰怒くうどと初めて会ったのはこの時だ。


「桜、紹介しよう。彼が俺の右腕……生き損ないの鉄人、死晴ですはれ喰怒くうどだ」


 死晴と会ったのは、まだ誰も住んでいないディスオーダールームの一室。全裸で椅子に腰かけている死晴との出会いは、少し衝撃的なものだった。


「……どうして、彼は裸なの? 流石に目のやりどころに困るのだけど」

「オレは服を着るのが煩わしいだけだ。自分の身体がこんなことになっているのに、その上から服を着るなんて部屋の中でくらいやめたいんでな」


 死晴の身体は見るからに異常だった。人間の素肌というものは濃さは違えど、およそ三種類の色合いをしている。ホワイト、ペールオレンジ、ブラック。人種や日焼けで変化したとしても、この三つが基準になる。

 だが、死晴の肌は銀色に近い色をしていた。少し光沢があり、まるで鉄を彷彿とさせるような身体。そしてその身体には、至る所に手術痕が見受けられた。


「……人間って言うのは、好奇心が旺盛だよな桜。無機物有機物かぎらず、万物に対して好奇心を抱く。どうなっているんだろうから始まり、どうなれるんだろうに変わっていく。人間の癖して、人間の身体にも好奇心を抱くんだ。……その好奇心のおかげで、現代の医術というものは日々おどろくほどの進歩を遂げているが、歩みを進めるために犠牲にしてきたモノもたくさんあるのさ」


 死晴の身体に刻まれた手術痕。あまりじろじろと人の身体を見るものではないと桜は思ったが、それでも目を離せなかった。死晴の脚、胴、腕。下から上へと視線を動かしていると、彼の首元に手術痕とは違うなにかがあることに気付く。

 それは目を凝らしてみると、数字のようだった。四桁の数字が、彼の首元にタトゥーのように浮かんでいる。


「死晴は、人間の好奇心の犠牲者だよ。人間の事を知るには、人間をいじくりまわさなきゃいけないからな。いくら投薬実験なんかをモルモットなんかで試しても、人間じゃないから本当のデータは取れない。……被験者番号1010番、それが死晴に付けられたもう一つの名前だ。彼は想像を絶する人体実験を受けて、一度命を枯らした……死んだのさ」


 非人道的な人体実験の被験者として、死晴は少年の頃より施設で暮らしていた。その頃はまだ死晴も、呪われた体質を発症しておらず、ごくごく一般的な人間の男の子だった。

 白衣を身にまとい、知識と演算能力だけが無駄に成長した研究者たちの手によって、彼は数えきれないほどの実験に参加させられた。その研究施設で実験を受けていたのは死晴だけでなく、他にも多くの子供たちが被験者として暮らしていた。

 その数はおよそ千近く、死晴に与えられた番号は1010番。


「オレの話はいいです、赫遺さん。……桜、とか言ったなお前。これからオレたちは赫遺さんの為に協力することになるんだ、せいぜい仲良くしておこう」


 死晴は研究施設で新薬の投薬実験を行った際、肉体が拒絶反応を起こし心肺停止に陥った。知識と引き換えに常識を欠如させた研究者たちは、死晴を薬もろとも失敗作と罵り、無造作に廃棄物に混ぜて焼却しようとした。

 燃えようが燃えなかろうが関係なく混ぜられたゴミの中で、死晴はそのとき呪われた体質を発症する。


 死んだはずなのにまだ生きている。どうなっているのか自分自身で理解が出来なかった。死晴は自力でゴミを掻き分け、研究施設内へと戻っていった。

 死んだはずの死晴を見た研究者たちは、みな奇異の視線を彼に向け、口々に喚いた。


「なぜ生きているのだ1010番!!」

「新薬が未知の効果をもたらしたというのか!?」

「ハハハハハ!! 素晴らしいじゃないか1010番! 誰かはやく彼を実験室に連れてきたまえ!」

「はやく来るんだ! この死にぞこないめが!! ハァハァハァハハハ!」


 研究者たちは死晴ですはれの腕を引っ張るが、彼はそこから一歩も動かない。

 いくら死晴をそこから動かそうとしても無駄だった。彼の身体は既に鉄のように変化しており、人間の力でどうこうできるものではない。彼の力はまさに鉄人、ロボットの如く。

 死晴は一人の研究者の腕を掴み返した。呪質を発症していた死晴の握力は凄まじく、少し力を入れただけでその研究者の腕は異質めいた音を立てて折れていく。


「ぎぃああああああああああっっ!?」

「な、なにをしている1010番!! その手を離せ!!」


 死晴の腕を引きはがそうと研究者たちは集まってくるが、誰も鉄人間と化した彼を止めることは出来ない。死晴は腕を折ってやった研究者の頭を鷲掴みにして、少しずつ少しずつ、万力のように締め上げていく。


「がっあぁぁあああぁあぁぁあぁああぁあぁっ!! あアァァァアアァぁあ!!」

「……お前、オレのことを死にぞこないだと言ったな……」


 頭蓋骨を圧迫され、男の脳が悲鳴を上げて歪んでいく。死晴は男の苦悶にあえぐ顔を真っ直ぐに睨みつけながら呟くように言った。


「……オレは、小さい頃にこの施設に入れられた。……両親はこう言ってたよ、人のために世の中のために、名誉なことだと……自己犠牲は素晴らしい行為だと……オレはその言葉を信じて、人のためになるならと貴様らの実験をこの身で受け入れた。……だがどうだ。貴様らは、オレが死んだと思って、異臭を放つゴミの中に投げ捨てやがった……ッ!」


 人間の頭から鳴るはずのない音が鳴りはじめる。発泡スチロールを折るときのような音とともに、男の頭蓋骨がひび割れていく。


「死に損ないだと……ッ? 俺は貴様らに人生を捧げ、今まで生きながら死んだような生活を送っていたんだぞッ……! ……オレは、死に損ないなんかじゃない……貴様らのせいで……生き損なったッ……!!」


 研究者たちはみな言葉を失っていた。それもそのはずだ。見るからに死晴は異常だったのだから。鉄のように硬質化した身体、人の頭を軽く握りつぶせるほどの握力。

 死晴は手を離し、周りを取り囲む研究者たちに一言だけ残して、その施設を去った。最後に誰に言うでもなく呟いた言葉は、そのときその場にいた全員がおぼえている。


『……外に出たい。』


 それきり、被験者番号1010番は姿を現すことは無かった。どこへ行ったのか、何をしに行ったのか、誰も知る由もない。




 桜と同じように、死晴も赫遺と出会い、そして彼の理想に加担する。

 死晴が望むモノはたった一つ。自分の呪われた体質を解き、もう一度人生をやりなおしたい。生き損なった人生を、まともな生活を送りたい。

 そのために赫遺の言う無限の命というものが必要だった。なぜなら、自分はもう死んでしまっているから。もう一度、命を得る必要がある。


 ディスオーダールームに集った三人の呪質持ち。

 赫遺の計画はまだ始まったばかりだった。

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