桜無幸 編

She was...

第十九呪 I can't change (t)he fate

 物語は、さくら無幸むこう赫遺あかいからすと出会ったころまでさかのぼる―――。


 桜は自分が二十歳の誕生日を迎えるとともに、呪われた体質を発症した。その体質は一言で言えば『未来視』。これから先の時間に於いて、何が起こるのか、どのような過程を経てどのような結果を迎えるのかを視ることが出来るという体質。

 しかしこの体質は、自在に未来を視れるわけでは無かった。桜が視る未来は、すべて人の死に関するものばかり。誰かがどんな過程で、どのように死ぬのか、といった未来に限り視ることができる。


 そして未来は、発作のようにして彼女の脳内に流れ込む。頭の奥を針で突かれるような感覚のあと、脳内に未来のイメージが流れ込んでいく。その発作はいつ起こるか予測不能であり、発作が起こらなければ未来は視れない。

 未来のイメージはおよそ数十秒で過ぎ去る。ビデオテープを早送りにしているようなスピードで、一気に彼女に理解を強いるのだ。そしてその未来の情報量は、圧倒的に多かった。


 桜が視ることの出来る未来は、一つとは限らない。

 基本となる未来があり、そして派生する未来というものがある。選択肢を選び別々のイベントシーンに飛ぶプログラムのように、複数の未来が存在する。

 ある少年が事故死する未来が視えたとしよう。その少年は歩行者信号が赤色だというのに、それに気づかずに道路を横断してしまう。そして、猛スピードで迫りくる自動車にはねられてしまうという未来。

 だが未来には選択肢がある。桜には少年が事故死するという未来と一緒に、少年が事故死しない未来も視えているのだ。

 少年が道路を渡ってしまう前に、桜が少年に声をかける。いまは赤信号だから渡ってはいけない、と。すると少年は信号が青になるまで歩道で待つ。少年が事故死する未来から、少年が事故死しない未来へと分岐するのだ。


 この体質について、桜は当初、なんて素晴らしい体質なんだと喜んだ。

 人が不意に死んでしまう未来を回避できる。自分自身が、『死なずに済んだかもしれない』という命を救うことが出来るのだから。

 桜は未来視の発作が起こるたびに、出来るだけ人々を救ってあげようと考え、それを実行し続けていた。


 しかしある日、あることに彼女は気がついた。

 その日も桜は、未来を視て誰かが死んでしまうということを予知した。もちろん桜はその人を救おうとして行動した。

 視えた未来は、道を歩いている女性が、そこに現れた泥棒によって刺され死んでしまうという未来。


「―――うぉォォォ!!」

「あぶないっ!!」


 桜は間一髪その現場に間に合い、女性を突き飛ばす。泥棒の持っていた包丁の切っ先は桜の腕を浅く切っただけで、そのまま泥棒はどこかへ去っていった。ターゲットにしていた女性の近くに、まさか子供がいるとは思わなかったのだろう。子供の腕を切り裂いてしまい、気が動転したのだろう。桜は実際には成人済みだが、彼女の姿を一目見てそう思う人間はいないだろうから。

 女性は桜の怪我を心配しつつも、感謝をしてくれた。突き飛ばしてくれなければ、あの男に殺されていたかもしれなかったと。


 桜もその女性が助かったことに、心から、よかった。と思った。また一人、死なずに済んだかもしれない人を助けることが出来たと。

 その後、女性を刺し殺そうとした男は車にはねられて死亡したことを、桜はニュースで知った。




 何もせずに未来を変えなければ、死んでしまう人がいる。その人を助けるために、桜は行動する。そして、その人が死んでしまうという未来を回避し、その人が死ななかった未来に修正してきた。何度も何度も、未来が視えるたびにそうしてきた。

 そうしていくにつれて、理不尽な事実に彼女は気づいてしまう。


 車にはねられて死んでしまう少年を助けたとき、別の少女が道路を挟んだ向こう側の歩道でバイクにはねられ死んだ。工事現場から落下する鉄骨に潰されて死んでしまう男性を助けたとき、居眠り運転をしていたドライバーが電柱に突っ込んで死んだ。

 銀行強盗が店を襲い店員を殺そうとする前に警察を呼び銀行員の人たちを助けたとき、逆上した犯人によって警察官が大勢死んだ。そして泥棒に刺され殺されてしまう女性を助けたとき、犯人の男が急いで飛び出してしまい車にはねられて死んだ。


 誰かを死から助けるたびに、他の誰かが死んでいく。誰かに訪れるはずだった死を回避するたびに、他の誰かに回避したはずの死が訪れる。

 未来の選択を繰り返すたびに、桜はそのことに気付いていった。

 自分は未来を変えられていない。死という未来を回避できていない。たとえ誰かを助けたとしても、死という未来は変わらず他の誰かに降りかかる。


 桜は、運命というものの残酷さを思い知った。死なずに済んだかもしれない人を助けると、死なずに済んだかもしれない人が死んでしまう。自分が行動したせいで、死んでしまう人がいる。

 今まで助けてきた多くの人の数が、つまり自分が殺してきた人の数だと気づいたとき、彼女は絶望の暗闇に包まれた。



「人はどうして死ぬんだろうな」


 残酷極まりない運命の所業に絶望を突きつけられた桜は、ある男と出会った。

 男は背が高く、それでいて猫背でなで肩で、雨の日に枝垂れる木々の葉のような男だった。男は鴉を連想させるような黒ずくめで、その時の桜と同じく、眼の光を失っていた。


 男は桜と同じ、呪われた体質を持つ人間だった。男は毎日毎日、無気力な微笑みを浮かべて桜の前に現れた。いつも話すことは、決まって哲学的な話ばかり。


「人間が抱く、恐怖という感情。それは色々なものに感じるものだ。暗闇、天変地異、病気、ホラーとカテゴライズされる創作物、蟲、刃物。……本当に人それぞれで、色んなものに恐怖を抱く。だけどそれは、共通してあるモノを連想させるモノばかりだ。……死という概念。いずれ人間に平等に訪れてしまう、死というもの。人間は、死というものに最大限の恐怖を抱いている」


 男は、死について並々ならぬ考えを持っていた。人は死を恐れる、なぜ死は訪れてしまうのか、死ぬことさえなければ人は恐怖することが無いのに、と。

 桜はその男の話に、とても共感を覚えた。人間に与えられる死、どうあっても回避することが出来ない、世界に降りかかる死。人間は死にゆく存在だ、だが死さえ無ければ、死ぬことが無かったら。

 人間が真の安心を、本当の幸福を得るためには、死という概念が邪魔をする。


「命というのは、器に入れられた水のようなものだ。その器は特殊な形をしていて、中に入っている水の量が多いほど傾いていく。器に入った水はどんどんと流れ出していき、そして最後の一滴をゆっくりと零す。空になった器は、また別の水が注がれ、そして同じように零れていく。……人間が死に、そして別の命が生まれる。そんな構造をこの世界がしているから、俺たち人間は苦しみ続ける」


 何日経ったころだっただろうか。桜はその男の話に、思わず涙腺が緩む気持ちになって聴き入っていた。

 男と桜は同じ気持ちだった。人間にはなぜ死が訪れるのか、どうにかして死から逃れることが出来ないだろうか。


 ある日、男は言った。

 自分たちにもたらされたこの呪われた体質を使って、人間から死というものを取り除けるかもしれないと。桜の死の未来を予知する力も、その為に必要になると。


「―――決して枯れることの無い、無限の命をつくり出そう」


 男の名は赫遺あかいからす

 光なき眼をした、人ならざる者。

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