第十三呪 キリング・ディザイア

「どういうことか説明してもらえるかしら」


 いまだ熱冷めやらぬ殺意を理性でねじ伏せ、出来るだけ冷静にそう尋ねた。

 酷く荒らされた事務所内、割れた窓ガラスの破片も片付けられておらず散乱している。部屋に入った瞬間に、ここで何かコトが起きたのだとすぐわかった。


 包帯を巻いた乂真かるまが長めのソファに寝そべりながら、私の質問に眉をひそめて答える。


「どうもこうも無い。襲撃されたんだ」

「見ればわかるわよそんなこと。聞きたいのは、どうして襲撃をされたのかということと、家篭くんが今どこにいるのかっていうこと」


 苛立ちを抑えられずに、思わず腰にげた刀の柄に手を添えてしまう。

 私が今にも怒りで我を忘れ斬りかかろうとしているのを察知して、乂真かるまの隣に座っていた蜂惑はちわくが手のひらをこちらに向ける。制止のつもりで。


「落ち着いてくれ刕琵道りびどう、こちらにも疑問はあるんだ。……まず、君は呪錄じゅろくから目を離していたのか? 私たちは呪錄の監視役を君に任せていたはずだが」

「『監視』なんてしているつもりは無いわ。ただ、私は家篭くんを守るために、いつも傍に居るようにしていただけ」

「まぁいい。で、呪錄と常に一緒に居たはずの君が、今日は一緒じゃなかったようじゃないか。……今日だけじゃない、呪錄を一人で外出させることが何度かあったようだな、それはどうしてだ? そのことが、今回の事態を招いたのだぞ」


 ……あの老人。海老世えびせ等命とうめいの言っていた通りだ。

 私は今まで、家篭くんがずっと家に引き篭もっているものだと思っていた。私が出かけている時も、勝手に外出しないようにと半ば脅迫のように言い聞かせていたのに。

 私が毎週土曜日、あの老人と殺し合いをしている間。家篭くんは一人でどこかに出かけていたみたい。


「……呪質持ちの老人と、殺し合いをしていたのよ。今日だけじゃない、毎週毎週、飽きもせずほぼ丸一日中ね」


 私は老人と殺し合っていることを、この二人に話したことは無い。

 その事実を言い渡すと、乂真かるまは首だけを動かして私の事を睨みつける。


「そんな話きいたことが無いぞ尼静でいしず! ……クソッ、じゃあその老人とやらも、奴らの手先か……っ!」

「手先……? ……まさか」

「そう考えるしかあるまい。わざわざ土曜日を指定してきたことといい、あまりにも計画的過ぎる。……赫遺あかいからすの仕業だろうな」


 その名前を聞いた瞬間、私は無意識に刀を鞘から抜いていた。

 鉄の弦で包丁を砥いだような異質めいた音を鳴らし、私は部屋のテーブルを斬り裂く。刀は床をもバターを斬るように簡単に刃を通し、線を引いたような傷痕が残る。


「―――あの男、生きているの……?」


 きっと今の私の眼は、赤く血走っているだろう。瞳孔が開ききり、瞳が収縮していると感じる。


「私も死んでいたと思っていたさ。事実、奴は戸籍上死んだことになっている。……だが、呪錄をしつこく付け狙うのなんて、奴以外いないだろうからな」

「……殺してやる」


 柄を握りしめ、私は小さく呟いた。

 過去に、家篭くんを利用しようとしていたあの男。顔を思い出すだけでも吐き気を催すほどの殺意が滲み出てくる。


「……状況を整理したいと思う。刕琵道りびどう、君も嘘偽りなくすべて話してくれ」

「……わかったわ」

「まず、私もここ最近は呪錄がずっと家にいるものだと思っていた。だが実際は、刕琵道りびどうが呪質持ちの老人と殺し合っている一日のあいだに、外を出歩いていたようだ。……減尸へるし哭栖なくす搦鮫からさめ嘛气まきにも頻繁に会っていたようだな」

「その二人は……私が家篭くんと会う前から、家篭くんと仲良くしていた二人よね」


 減尸へるし搦鮫からさめ。この二人の話は家篭くんから聞いたことがあった。二人とも私たちと同じような呪質持ちで、私が家篭くんと住む前から交友があったと。

 まぁ、私が来てからはその二人にも会う必要ないでしょ、って家に閉じ込めていたけれど。


「私も、以前までは単なる呪錄の知り合いと思っていたが……その二人、赫遺あかいに取り込まれている可能性がある」

「……どういうこと?」

「呪錄は恐らく、ここしばらくの土曜日をほぼ毎週彼女らと過ごしていたはずだ。おかしいと思わないか? 以前、そう、君が現れるまでは一か月に一度会うくらいの交友関係だったのにだ」


 たしかに、家篭くんも言っていた。

 減尸へるし搦鮫からさめは同じく呪質持ちだけど、女子高校生だし会っても上手くコミュニケーションが取れない、ストレスが溜まるくらいだ、と。


「……そして今日、呪錄はここにも来た。そこに現れたのが、死晴ですはれ喰怒くうどという男だ。その男も呪質持ちで、見ての通り黒雨流くろうるがやられてしまった」

死晴ですはれ……その名前、私が殺し合ってた老人が……海老世えびせ等命とうめいという男が電話で話していた男ね。……家篭くんを捕まえたとか、言っていたけれど」

「残念ながらその通りだ。死晴ですはれはここを襲撃して、呪錄を攫っていったよ。……急いで家に帰るように言ったが、間に合わなかったようでな」


 私が海老世えびせと殺し合っているあいだ、家篭くんは女二人と会っていた。

 そして、私を家篭くんから遠ざけておいた上で、死晴ですはれという男が家篭くんを奪っていった。

 ……何の目的で家篭くんを攫ったのか、赫遺あかいの名前を聞いた今なら理解できる。


「……もういいわ。家篭くんが攫われたのなら、取り返せばいいだけだもの。……一つ気になるのは、どうして家篭くんをこのタイミングで攫ったのかしら。『アレ』は私が管理しているのに」

「そのことについてだが、恐らく赫遺あかいは姿をくらましていた期間で準備を整えていたのだろう。こちらのカードを切りきる準備をな」

「―――奴の狙いは恐らくこうだ」

「こちらのカードを切るためのジョーカーを何枚か奴は集め終わった。そう考えると、奴が起こす行動はこうだ。……まず重要な呪錄じゅろくを手に入れる、そしてそれから、刕琵道りびどうならびに私たちを始末し、『アレ』を手に入れる算段だろうな」


 蜂惑はちわくはソファから立ち上がり、床に散らばったガラス片を靴裏でぱきりぱきりと踏み鳴らしながら窓際へ近づいていく。

 歪なガラスが取り残った窓枠を指でなぞりながら、蜂惑は続ける。


「呪錄がいまどこにいるのか、と聞いたな刕琵道りびどう。残念ながらそれを調べるには時間が必要になる」

「……どのくらいあれば、わかるのかしら」

「一か月。一か月あれば呪錄のいる場所もわかるし、こちらも用意していたカードを手のうちに加えることが出来る」


 そんなに待てと言うのか。待てるわけがない。

 家篭くんはあの、赫遺あかいのもとに連れ去られている。一か月も経てば、何をされていてもおかしくない。何をされているのかわかったものじゃない。

 今すぐにでも家篭くんを追いかけて、助け出してあげたいのに。


 私は蜂惑はちわくに詰め寄り、刀を彼の喉元に添え、小さく呟く。


「そんなに待てない」


 ほんの少し腕を引けば、蜂惑の首に一筋の赤い線が出来る。そうだというのに、蜂惑は眉一つ動かさず、じっと私の目を見つめている。

 動けない乂真かるまは、私の行為に激怒したのか、部屋に響くくらいの怒号をあげる。


尼静でいしず、貴様ァ!! 蜂惑はちわくさんに何をしているんだ!! 離れろ!!」

「落ち着け黒雨流くろうる、何も刕琵道りびどうは本気で私を殺そうなどと考えていないよ」

「……そうかしら? 私は人を殺したくてしょうがない体質なのよ、ほんの気まぐれ一つであなたを細切れにしてしまうかも」

「殺さないさ。私を殺せば呪錄を助けることが出来なくなることを、君は知らないほど馬鹿じゃないだろう」


 悔しいけれど、たしかに蜂惑の言う通り。

 家篭くんが連れ去られた場所は、私には見当もつかない。赫遺あかいの居所もわからない。私にはこの呪われた殺人衝動と、それを可能にする身体能力しかない。

 蜂惑はちわくのように、家篭くんを助けるために色々な手段の打てる人間じゃない。


 ここで彼を殺してしまえば、家篭くんに繋がる細い糸が切れてしまう。

 それでも、だけど。一か月ものあいだ、何もせずに待っていろだなんて、気がどうにかなってしまいそう。


「……いいわ。じゃああなたは出来るだけ早く準備とやらを整えておいて。私は私で、出来る限りで家篭くんを探す」


 刀を収め、私は二人に背を向けて部屋を出た。

 私の身体は、いますごく熱を帯びている。私の中にある、大きな二つの欲求。性的な欲求と、人殺しの欲求。


 私の体質は、欲求に深く関係している。

 私には食欲というものがあまりない。ふつう、生きていればお腹が空くし、何かを食べたいと無意識に感じるものだけれど、私にはそれが無い。

 お腹が空いたと思うことはあるけれど、だからと言って何かを食べたいと思うことが無い。もちろん、空腹なことに変わりはないから、いつも無理をして食べているけれど。

 本当なら、食べるという行為をしたくない。食欲が無いのにものを食べるという事は結構苦痛だから。食べたものを吐き出してしまうことも少なくない。


 そして、睡眠欲というものも希薄だ。

 私は眠らずに五日くらいは行動できる。眠たいと思うことがほとんど無いから。けれど、私は生きている人間だ。食欲と同じく、睡眠もいつかはとらなければいけない。

 眠たくも無いのに、どうにかして寝ようと必死に夜を過ごしていた。眠気を感じないということと、眠れないという点においては、ある種の不眠症のようなもの。

 二週間ほど一切眠ることなく過ごしてしまった時は、家篭くんの家の近所に住んでいる、羅双らふたという少女を尋ねる。あの子も私たちと同じく呪質持ちで、どんな睡眠薬よりも強力な睡魔をもたらしてくれる。


 ……この、睡眠欲と食欲が希薄なだけならば、私もただの病人で済んだだろう。

 だけど、私には人並み外れた性欲と、殺人衝動がある。

 人に大声で言えることではないけれど、毎日十回は自慰行為を行わないと落ち着かない。それほどまでに、異常な性欲が私にはある。

 そしてそれと同じく、人を殺したいという欲求が、いつも私の頭の中で這いずり回っている。

 毎日人を殺したいくらいの大きな欲求だけれど、これは理性である程度おさえることができる。一週間に一度人殺しができれば十分なくらい。



 だけど、どうしても殺人欲求をおさえきれない時もある。

 そんなときは、欲求に逆らわず、満たされるまで、思うままに人を殺すようにしている。

 今日も気分は最悪。家篭くんはどこかに連れ去られ、死んだと思っていたあの赫遺あかいも生きていると知ってしまった。私の心は真っ黒に染まっている。


 夜を待ち、月が空の真上に来たとき。私は人を十八人殺した。

 民家の窓を割り、眠っている家族を皆殺しにして。夜遊びが終わり家路についている学生を殺して。車の中で男女交わり性行為をしている人たちを惨殺して。コンビニの前でたむろしている金髪の男たちを鏖殺おうさつして。 

 そこまで殺して、ようやく私の殺人欲求は満たされていった。

 返り血を浴び、赤く染まっていない場所が無いほどに血に塗れた私の姿。絞ることができるくらいに、服や髪の毛に吸われた血。

 呼吸を荒くしながら、私は自分の身体を責め立てる。服の上から胸を揉みしだけば、指の隙間から血が滲み滴り落ちる。下着に手を入れ、性器に血だらけの指を擦りつける。


 あぁ、はやく家篭くんを探しに行かなくちゃ。

 ……だけど、あと一人……ううん、三人くらいは殺したいな。

 あぁ、だめ、だめよ。もう今日は終わりにしとかなくちゃ。

 ……あと少しだけ。少しだけ、人殺しをしてから探しに行こう。

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