刕琵道尼静 編

ジョーカーカード

第十二呪 明朗老人と殺人鬼

「―――そりゃァッ!!」


 場所は公園、時刻は正午。

 私はいま、恰幅のよい老人と戯れている。


「ほァあーホホホホ!! どうしたのかね刕琵道りびどう尼静でいしず!? わし如きの老人に随分な体たらくじゃァないか!」

「……耳障りな声ね、全く」


 両手で日本刀の柄を握りしめ、ぴょんぴょんと跳ねまわる老人の喉を目掛けて一気に距離を詰める。

 刃の切っ先が届く距離まで詰め寄り、そのまま老人の喉元目掛けて横薙ぎに一閃を放つ。


「無駄だァ!! こんなものォッ!!」


 喉に迫った刃に向かって、老人は右手をぶつける。その瞬間、鼓膜につんざく反響音が鳴り響き、衝撃で刀が弾かれた。


「くっ……!」

「ほァあーホッホッ!! 無駄だよ刕琵道りびどうクン! わしの身体に傷一つつけることはできんのよォッ!!」


 刀を弾かれて怯んだ隙に、老人は左手を私の胸の前に差し出す。刀から伝わる振動が身体にまで伝わっており、避けようにも身体がいう事を聞かない。


「振動ぉォォォっほッ!!」


 ガラスを刃物で引っ掻いたような甲高い音が響く。老人の左手が私の身体に触れた瞬間、激しい衝撃が襲った。

 そのまま私は吹き飛ばされて、公園の遊具に背中をぶつけてしまう。


「が……ぁっ!!」

「無様だのぉ刕琵道りびどうクン。殺人鬼なんて役者不足にもほどがある。この海老世えびせ等命とうめいは老い先短いジジィだと言うのに、見ろ! わしは切り傷ひとつ負ってはおらんぞ!」

「く…ぅ……」



 [海老世えびせ等命とうめい 呪質『振動人間』]



「えぇとォ……? たしかわしと刕琵道りびどうクンが初めて遊んでから今日で数えて……何回目だったかのォ。いかんな歳は取りたくないもんじゃ」

「……あなたと殺し合うのは、もう五十回近くなるわよ、海老世えびせ等命とうめい


 そうだ。この老人とは何ヶ月も前からこうして殺し合いをしている。

 私が海老世えびせを殺そうとするのには、珍しく理由がある。私は普段、人を殺すときに何も考えていない。ただ自分の本能の赴くままに、通りがかりで人を殺す。老若男女とわず、気まぐれ的に行き掛かりで人を殺す。

 だが、この老人は。海老世えびせ等命とうめいは初めて会ったときにこんなことを告げてきた。


『毎週土曜日、わしが指定する場所に来て私と殺し合いをしようじゃァないか。もし刕琵道りびどうクンが来なければ、君の大事な人を殺してしまうぞ』


 海老世えびせが何者なのかはわからなかった。今でもわからないままだ。

 だけど、海老世えびせは確かにこう言った。


『そう。家篭いえろう呪錄じゅろくを殺してしまうぞォ?』


 何の理由で、そんなことを言ったのかわからない。だけど、家篭くんを殺すだなどと口にした以上、私は従うしかなかった。いや、違う。従っているつもりはない。最初は、初日でこの老人を殺してしまおうと思っていた。

 だけど、今日こんにちに至るまで、いまだこの老人を殺せてはいない。


「ほァあーーホホホホ!! しかし約束とは少しズレてしまっているなァ。ずーーーーっとわしが刕琵道りびどうクンを痛めつけているばかりだァ、これじゃあ一方的な加害じゃぞ」

「黙りなさい。老いぼれの癖してよく舌の回る……」

「なんなら外郎売でも朗読しようかね? ン?」

「ほざきなさい―――ッ!!」


 痺れていた腕が元に戻る。握力を確認して、すぐさま飛び出すように地面を蹴る。

 全身が軋むほどの速さで、海老世えびせの周りを飛び回る。地面を蹴り、遊具を蹴り、空気の流れを読まれないように動きを工夫し、常人には捉えられないほどのスピードで動き続ける。


 背後は駄目ね。敵を見失った時にいちばん気にする場所だから。同じ理由で正面も駄目。裏をかくとするならば正面だから。

 最適解はここ。海老世えびせの左後方、地面に這うように身を低くして、この老人の脚を狙う―――。


「いかんいかん、そっちから来たらいかんぞォ。わしは突っ立ったまま攻撃に備えりゃいいだけなんじゃからな」


 左脚をった―――と思ったが、刃は海老世えびせの肉に食い込むことなく、またも弾かれてしまう。

 いちど刀を弾かれてしまえば、それからしばらくは腕が痺れて動かせなくなる。私は次の海老世えびせの攻撃に備えるために、後ろに跳んで距離を取った。


「学ばん人よのォ刕琵道りびどうクン。わしには傷を負わせられんと言っているじゃろうが」

「……本当に便利な体質ね、その振動」

「ふむ。確かに便利じゃなァ、この呪質呪われた体質というものは。身体が異常な振動を起こせるのは本当に便利じゃぞォ。なにせ肩こりにも悩まされんからなァ、ほァあーーーーホッホッホッホ!!」


 海老世えびせは高笑いしながら、超振動を起こす両手を見せびらかすようにする。

 既に私は、この老人の呪質を理解している。海老世えびせは身体の一部を異常な速さで振動させることが出来るのだ。手、脚、全身。好きなときに振動を起こすことが出来る。


 振動させるというのが、どういう効果をもたらすか。それは幾つかある。

 秒間何百何千という速さで振動している部分は、触れようとするものを弾くことが出来る。さきほど私の刀を弾いたのもそういう事だ。

 さらに、振動は衝撃を生む。振動している部分を自らなにかに押し付けようとすれば、衝撃というものに形を変え、立派な攻撃手段となる。


「……くっ」


 足に起こした振動を利用して、特に力を入れていないにも関わらず飛び跳ねることだってできる。実際、海老世えびせはこちらをおちょくるようにさっきから意味も無くぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 いくら私が常人離れした力を持っていたとしても、こうも面と向かっている限り、私の攻撃は無意味になってしまう。


「うゥ~む、ムムム……始めは面白かったんだがなァ、君がわしに傷を負わせることが出来ずに四苦八苦とする姿。……飽きるもんじゃのォ、楽しいことってのは」

「飽きた、ですって……? 海老世えびせ、いつも聞いていることを今日も聞いてあげましょうか。……あなた、どうして私と殺し合いをするのかしら? どういう理由があって、家篭いえろうくんの名前を出してまで。」

「その質問に答えるのも飽きを通り越して苦痛になってきたぞ、刕琵道りびどうクン。答えはいつも変わらん、答えるわけにはいかないゾ、とな」


 私を見下しながら、老人の窪んだ目元からのぞく双眸が細長く形を歪める。

 皺が深く刻まれた彼の顔が、いやらしい笑みを浮かべ更にたわんでいく。


 この明朗で嫌味な老人をどうやって殺そうかと考えていると、彼の服の内側から音楽が流れ始めた。チープな電子音で構成されたメロディだ。


「……電話、なってるわよ」

「わかっておるよ。わしはこの着信音が大好きでなァ、いつもギリギリまで聞いてから電話に出るようにしておるのだよ。太陽にほえろって知っとるか? マカロニ刑事のテーマがわしのお気に入りでのォ」


 海老世えびせは十分に着信メロディを聞いてから、携帯電話を耳に当てる。


「もしもォおし。……なんじゃ死晴ですはれか。何の用じゃ? ……」

「……」


 電話に出ている今ならやれる、そう思った。

 何かを手に持っているときは、海老世えびせも振動を使うことは出来ない。そもそも振動しているときは物を持てるわけがないのだから。

 ゆっくりと、攻撃態勢を整える。

 そして、タイミングを見計らって飛び掛かろうとしたが。


「―――『そうか。家篭いえろう呪錄じゅろくを捕えたか』」

「な……っ!?」


 海老世えびせが電話口の相手に言った、その言葉。

 家篭くんを捕えた、と確かに彼は言った。信じられないというよりも、突然のその言葉に私の頭は混乱をきたした。


海老世えびせっ、何を言っているのよ、どういうことなの!?」


 海老世えびせは通話を終え、携帯電話を服のポケットにしまいながら下卑た笑いを浮かべる。


「どうもこうもないわい。刕琵道りびどうクンを足止めするわしの役目がようやく終わったということじゃよ」

「足……止め……?」

「毎週土曜日、家篭いえろうクンが大人しく引き篭もっていると思っておったのかァ? 君はまんまとわしらの思惑通りに、空白の土曜日を作ってくれてたのよォ」

「……海老世えびせっ」


 怒りが身体の内側からこみ上げてくる。この老人に対しての殺意が、全身の毛を逆立てるほどに噴き上げる。

 海老世えびせは、私と殺し合うことを条件に家篭くんには手を出さないと言っていた。一方的な条件提示だったが、それでも、無視してむやみに家篭くんを危険に晒さないために付き合っていたのだ。なのに。

 この老人は、それを裏切った。


「ほァあーーホホホホホッ!! 良い表情を浮かべるのォ刕琵道りびどうクゥン!! たまらん表情じゃァ!」


 海老世えびせは大きく跳びあがり、公園の外へと出ようとする。


「待ちなさい海老世えびせッ!! どういうことか説明しなさいっ!」

「嫌じゃァァ! そんなに家篭いえろうクンが気になるのならば蜂惑はちわく怠躯だるくの所へ行ってみるがいい! 面白いことになっておるぞォ! ほァああーーーーホホホホホぉ!!!」


 追いかけようとするが、海老世えびせは振動の力を使ってみるみるうちに空を駆け、遠くへと逃げてしまう。

 彼を追いかけても、追いつくかは微妙なところだ。それにいくら聞き出そうとしても、あの老人は何も答えはしないだろう。


 蜂惑はちわくの元へ行けという捨て台詞。

 私は一刻も早く、家篭くんに何が起きたかを知らなければいけない。刀を鞘に収め、急ぎ蜂惑はちわくの事務所へと向かった。


 焦りと怒りで握りしめた拳は、爪が皮膚に食い込んで血に滲んでいた。

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