第十呪 人間解熱剤

 ピピピピピ、ピピピピピ。

 夢とうつつの狭間で微睡んでいた僕の耳に、甲高い電子音が響く。潜りこんでいたシーツから腕だけを伸ばして、ベッドサイドの辺りを手で探る。あった。

 電子音が8回ほど鳴って、ようやく止まる。伸ばした腕とシーツの間にできた隙間から、顔をのぞかせる。


 真っ白な目覚まし時計に重なるように浮かぶ99:23:59:59のノイズ。よく目を凝らして、時計自体は午前8時を指していることを確認する。僕からすれば、この時間でも十分に早起きだ。

 このまま昼過ぎまで寝ていたいが、ディスオーダールームに暮らし始めてそうはいかなくなった。


 言うならばこの地下室は、呪われた体質を持つ者たちのシェアハウス。決まった時間にみんなで食事をするし、決められた順番でお風呂に入る。

 僕は眠気という重りをつけた身体を引きずって、部屋を出た。


 ディスオーダールームは結構単純な構造をしている。長い廊下が一本通っており、この廊下を挟むようにして全ての部屋に繋がっている。バスルーム、トイレ、住んでいる人の部屋、リビング……しかし廊下のどの扉も同じような白い扉で、どの部屋なのかを示す表札のようなものが付けられていない。

 ここに来てから一週間が経ったが、ようやくどの扉がどの部屋に通じているのかをだいたい把握できてきた。


 僕がここに来て初めに目を覚ました部屋側の突き当りの方、向かって左側の奥から二つ目の部屋がリビングだ。

 僕は目をこすりながら扉の前まで向かい、中へと入った。


「あ、おはようございます呪錄じゅろくさん」


 真っ白に染められた室内には、既にここの住人がテーブルに皿を並べて朝食の準備を終えようとしていた。


「おはよう哭栖なくす。それに貸須かしすさんとさくらも」

「おはようございますぅ~」

「おはよう。もう少し早く起きてくれれば手伝ってもらえるのにね」


 貸須かしすさんは相変わらずにこにこ顔で返事をする。さくらも少しばかり毒を吐きつつも、微笑みながら迎え入れてくれた。


「あれ、嘛气まきは居ないの?」


 僕の分の朝食が置かれたテーブルの席に座りながら、姿の見当たらない嘛气まきについて尋ねる。テーブルの上を見てみても、皿は四人分しか用意されていない。


嘛气まきちゃんなら、ほら、テーブルの下です」

「下……? うわ」


 頭を下げてテーブルの下を覗き込んでみると、そこには皿に盛られたキャットフードを貪っている猫の姿があった。


嘛气まき……わざわざ猫の姿でそんなもの食べなくてもいいんじゃないか」

「にゃんだ呪錄じゅろく。吾輩は猫であるぞ、キャットフードを食べるのはごく自然の事だ」

「……人の状態で飯食べたほうが美味いと思うんだけどさ」

「この姿ならばキャットフードも格別に美味しいぞ。栄養バランスもこれだけで十分、色々なおかずを食べるより効率が良いのだ」


 テーブルの上の朝食へ目を戻す。今日の献立はトースト二枚とスクランブルエッグ、それとサラダ、コンソメスープ。これを見て納得がいった。

 嘛气まきはかなり好き嫌いの多い方だからな。卵も野菜もコンソメも苦手だから、今日はキャットフードで済まそうって魂胆だろう。


「いただきまぁす」


 全員がそれぞれの席に座り、手を合わせて朝食を食べ始める。

 こうやってここの住人と共に食事をするのにも、結構なれてきたものだ。もっとたくさん人数がいたら、僕は全員と一通りコミュニケーションをとることが出来なかったと思う。

 初対面だったのは桜と貸須さんだけで、嘛气や哭栖とは以前から何度も会っていた間柄だからな。いきなり見知らぬ人だらけの場所に放り出されるよりだいぶ気持ちが楽だ。


 そういえば、まだまだ入ったことのない部屋がここには多い。長い廊下のうちの一つの扉は地上、つまり蕎麦屋つばきの店内に通じる階段があるらしいが、他にもいくつか何に使われているのかわからない部屋がある。


「なぁ桜、ここに住んでいるのはこれで全員なのか?」


 トーストを齧りながら桜に尋ねてみる。


死晴ですはれともう一人がいまは地上にいるわ。あと住んでるのは二人だけ」

「ってことは、今もどこかの部屋に二人いるってことか?」

「そうよ」


 桜は僕と目を合わせないまま、淡々と質問に答えていく。彼女の目はテーブルに置かれた食事の方を向いたままだ。


「……どうしてその二人はここに居ないんだ? 一緒に食事をせずに部屋にずっといるのか」


 深く考えることなく、僕は質問を続ける。ここに来てから桜には再三、一緒に生活をするようにと言われている。食事や団らんの時間を設けて、住人同士が打ち解け合うためにと。

 だけど、残った二人はこの一週間、顔を合わせたことも無い。それが不思議だった。


「……一緒にいることができないのよ。呪われた体質のせいでね」

「体質のせいで……?」


「この部屋にいる私たちは、呪われた体質を持っているとはいえ、他人に干渉するようなものじゃないでしょう。けど、あの二人の体質は他人に影響を及ぼしてしまうモノなの。だから、ずっと一緒にいることができないの」


「……他人に干渉する体質って、なんだそれ」


 僕たちの抱えている呪われた体質というものは、その名の通り、特異な『体質』のことだ。『能力』とかじゃない。自分自身だけに影響するもので、他人に干渉するようなものじゃないと思うが。

 僕の体質も、モノの寿命が視えるってだけで、哭栖も身体の一部がどんどんと欠如していくだけ。嘛气も貸須さんも同じように、自分自身に影響を及ぼす体質だ。(桜の体質はまだ教えてもらってないけど)


「……まぁ、剥血はくちになら会ってもそんなに問題は無いし……朝食を食べ終わったら会いに行ってみたら? あなたの部屋の二つ隣だし」

「あぁ~、剥血はくちちゃんならあたしの部屋の隣なのでぇ」








 朝食を食べ終わり、僕はいまだ会ったことの無い住人の部屋の前に来ていた。

 会いに来た理由はそこまで複雑なものじゃない。ただ、同じディスオーダールームに住む人間として、会って挨拶位はしておきたいと思っただけだ。


 扉をこんこんと小気味よい音で叩いてから、ひんやりとしたドアノブを回して中に入る。

 すると、どうだ。部屋の中はかなり冷えていて、一気に全身に鳥肌が立った。


「さむ……っ」


 この部屋に住んでいる人はかなりの暑がりなんだろうかと思ったが、部屋の中にクーラーは見当たらない。どうしてここまで廊下と気温差があるんだ、この部屋。


「……誰ですか?」


 部屋の隅の方で椅子に座っている幼い子供が、部屋に入ってきた僕のことを不思議そうな目で見つめている。

 この子が、この部屋の住人か。どんな人かといろいろ想像していたけど、まさか子供だとは思っていなかった。……いや、子供といっても、桜とおなじくらいの年齢に見えるはいいが、その桜と同じように実は僕より年上だとか……さすがに二回目は無いよな。たぶん。


「あー、えっと……はじめまして、僕も一週間前からここで暮らすことになったんだ。……家篭いえろう呪錄じゅろくだ、よろしく」

「家、篭さん……あぁっ、桜さんと死晴ですはれさんが言ってた人ですかっ」


 座っていた椅子から立ち上がって、その場で礼儀よくお辞儀をしてくれた。


「ボク、剥血はくちりぼんって言いますっ。今まで挨拶できなくてごめんないさい……」

「あぁ、いや、今まで挨拶しにこなかった僕の方が悪かったんだよ、うん。……えーっと、りぼん……ちゃん?」


 敬称に疑問符をつけてしまった。というのも、このりぼんという子供。女の子なのか男の子なのかいまいちわからない。

 見た目は十分に女の子らしく見える。髪は短めだが、顔の輪郭や瞳の大きさ、身体つきや雰囲気などは男の子とは思えないほど可愛らしい。けれど、自分のことをボクと言っている。どっちなんだろうか。


「あ、ボクのことはりぼんでいいですよっ」


 はきはきとした口調で、りぼんはにっこりと笑う。

 うーん……やっぱり女の子なんだろうか。気になるが、女の子なのか男の子なのか直球に尋ねるのはなんとなく失礼な気がして、口には出せなかった。

 たぶん、年齢は見た目そうおうのものだろう。中学生には見えないから、小学六年生ってとこだろうか。


「じゃあよろしく、りぼん。……ところで、この部屋すごい寒いんだけど……りぼんはそんな恰好で寒くないのか?」


 りぼんはこの寒い部屋の中で半袖半ズボンという恰好だった。見ているだけでこっちの方が寒くなる感覚になる。


「あっ……ごめんなさい。出来るだけドアからは離れてるんですけど……」

「離れてるって……もしかして」


 さっきから気にはなっていた。どうしてそんな部屋の隅のほうに椅子を持って行って座っていたのか。立って挨拶したときも、決してその部屋の隅から動こうとはしなかったこと。

 もしかすると、この部屋の異常なほどの寒さは、りぼんの呪われた体質となにか関係があるのだろうか。


「はい……ボクの、体質のせいなんですっ……ボクがいるだけで、周りが冷たくなっちゃって……」


 干渉する体質っていうのは、こういうことだったのか。

 僕は試しに、少しづつりぼんに向かって近づいていく。


「うぉ……」


 すると一歩、また一歩とりぼんに近づくたびに、体感的に1度、また1度と温度が下がっていくように感じた。


「あっ、だめですっ。ボクの近くに来ちゃ……っ」

「これは……どうなってるんだ、一体?」


 りぼんは小さな身体をさらに丸めるようにしながら、部屋の隅へと体を押し付けている。出来るだけ僕との距離を遠ざけるために。

 両肩を手で抱き寄せながら、りぼんが眉をひそめる。


「ボクの身体は……体温がマイナスになってるんです。氷よりももっと、ずっと冷たくて……それに、身体の冷たさが空気に伝わって、周りがどんどん冷えて寒くなっちゃうんです……っ」


 りぼんの口から、りぼんが持っている体質のことを聞く。

 体温がマイナスで、周りも寒くなっていくなんて……まるで、妖怪の雪女みたいじゃないか。そんな体質は、ふつうじゃ考えられない。だけど、この異質な体質。りぼんが抱える呪い。


 僕の頭の中でいろいろな想像が巡った。

 こんな体質にいつなったのかは知らないが、こんなんじゃあ生活もままならなかっただろう。近くにいるだけで体が凍えてしまうくらいに寒くなってしまうなら、りぼんの周りには誰も近づけない。

 外出なんてもってのほかだろうし、食事だってすぐに冷めて、冷めるどころか凍り付いてしまうだろう。


「……これは」


 可哀想だと、感じた。

 こんな小さな子供が、こんな体質に苛まれているということに。

 さっきからりぼんは、寒さを感じていないのに肩を震わせている。それは、自分が誰かに迷惑をかけてしまっているという罪悪感に似た感情に怯えているからだろう。

 きっと、このディスオーダールームに来るまでの間、その体質のせいで大変な思いをしてきたに違いない。


 僕は出来るだけりぼんから距離を取るように、ドアに密着するように離れた。

 するとりぼんも少しだけ安心したのか、顔をあげて、無理に作ったような笑顔を浮かべる。


「えへへ……ごめんなさい……っ」

「……謝るのは僕の方だよ」


 こんな体質を持っていたんじゃ、いくらここが体質持ちの暮らす家だとしても、気軽に部屋から出てこれないはずだ。

 食事はどうしているんだろう。誰かに部屋の前まで運んでもらって、部屋の中で一人寂しく食べるのだろうか。こんな年端もいかないような子供が。

 どれだけ温かい食べ物を用意されても、食べ始めて間もなく冷え切ってしまうだろう。温かい食事を摂れずに、いつも冷たいものを食べているのか。


「……りぼん、また来るよ。そのときは、もっと厚着してくるからさ」

「あ……はいっ」


 少しだけ引きつった笑顔のりぼんを見て、僕は別れ際に笑いかけた。だけど、その笑顔はりぼんと同じように、引きつっていたかもしれない。

 りぼんも、幼いというのに呪われた体質に苦しめられている。

 哭栖と同じだ。彼女も、自分がいつ死ぬか、いつ身体が失われていくかわからない苦しみを負って生きている。


 ……呪われた体質は、僕たちにとって、不利益しか生まないものなんだと感じた。僕だって、モノの寿命が視えはじめたころは苦痛で仕方がなかった。

 ノイズがあちらこちらに、何重にも重なって視えてしまう。他人がいつ死ぬのかを知ってしまう。吐き気が止まらないほどのストレスだった。それでも、哭栖やりぼんに比べればマシな方だ。


 哭栖やりぼんは、間違いなく苦しい思いを今もしている。

 僕自身の呪いは、たとえ解けないとしてもかまわない。それは以前から変わらない考えだ。だけど。

 二人のように、呪われた体質に苦しんでいる人は……救われなきゃ、嫌じゃないか。なにもわるいことをしていないのに。どうしてそこまで苦しめられなきゃいかないってんだ。


 ……探すんだ。呪いを解く方法を。

 手がかりならあるさ。僕を利用しようとしていたあの男から聞いた、あの話。


 僕たちに呪いをふりまいた元凶。吸血鬼だなんて馬鹿げた存在がいる。

 過去の化け物に会って、なんとしても。

 救われなきゃいけない人を、救われさせなきゃ、いけないじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る