第九呪 笑い女
「
「おい……待てよ、なんだよ、家族って……」
頭痛がしてきた。桜の言っていることに理解が追いついていかない。疑問に疑問が重なっていき、頭が割れて溢れていきそうな感覚に陥る。
「思い出そうとしても多分無理だと思うから……無理に考え込まなくてもいいわよ。ただ、今から私が話すことは全て真実だということを知っておいて」
「真実……?」
「私と、
「なんだよそれ……! 意味がわからない……!」
家族ってなんのことだよ。僕の家族は、
……だけど、僕は記憶を断片的に失っている。もし、桜の話していることが僕の記憶から抜け落ちてしまっている部分のことだとしたら。
僕が今まで信じていた事実は、嘘なのかもしれない。
「よく聴いて、
桜はソファから降りて、僕の目の前まで近づく。桜はどこか悲しそうな表情を浮かべながら、僕の頬に小さな手のひらを添える。桜の小さな手から伝わる温かさが、僕の感覚を集中させる。
「知っているように、私たちは全員『呪われた体質』を持っているわ。あなたも同じ……私たちは街の雑踏の中で出会ったの」
「……いつの、ことだよ……」
「あなたが呪われた体質になったのは、18歳のときだったわよね。あなたが話してくれたから知っているわ……私たちが出会ったのはそれから半年ほどたったときのこと。夏が終わって……10月のはじめのことだったわ」
僕が呪われた体質になったのは、たしかに18歳のときだ。高校を卒業したすぐあとに、モノの寿命が見え始めるようになった。桜の言ってることは、正しい事だ。
それに……僕たちが出会ったのが10月だという話。僕の両親が
「街中で頭を抱えて苦しんでいるあなたを見つけて……丁度買い物をしていた私たち四人はあなたを心配して声をかけたの。色んなものの寿命がノイズとして見えることに苦しんでいたあなたは、私たちにその話をしてくれたわ。普通の人なら信じないだろうってあなたは自嘲気味だったけど、私たちもあなたと同じだった」
「……うぅ」
「それから私たちは、協力してなんとかこの呪いを解こうとしたの。だけど、それから一か月が経って……あなたの家に殺人鬼の
「もういいっ! ……やめて、くれ……」
「……
僕は今まで、自分の失われた部分の記憶がずっと気になっていた。その失われた記憶の中で何が起こっていたのだろう、どんな日常が流れていたのだろうって。
……たぶん、桜の言っていることが、僕の失われた部分を埋める真実だ。僕が今まで勘違いしていた、本当のことなんだ。
「……なんとなく、もうわかったよ……言ったよな桜、
「……えぇ」
「それって、いったいどういう風に僕を利用しようとしていたのか知っているのか? ……蜂惑は君たちと同じように呪いを解こうとしていて、乂真は僕を殺そうともしていた」
「……蜂惑は、あなたの前では呪いを解こうとしているフリをしていたようだけど、本当は違うわ。あなたのモノの寿命を視ることができる体質を利用して、何か悪巧みをしていたに違いない。乂真があなたを殺そうとしていたのは、ちょっとわからないけれど……」
乂真は僕に再三、刕琵道と手を切れと言ってきていた。いま桜の話を聞いたうえでなら、それが理解できた気がする。僕の近くには常に、刕琵道という殺人鬼が付きまとっていた。近づこうとする人間を殺すようなやつが。
きっと、蜂惑や乂真にとっては刕琵道が邪魔だったのだろう。刕琵道と僕を引き離し、僕を自由自在に操ろうと考えていたのだろう。
……僕は、いいように利用されようとしていたんだな。
「……けど、哭栖は一度も、桜や
「そうしたいのは山々だったけれど、記憶が無くて不安定なあなたにそれを話しても混乱させるだけだと思ったし……それに、どうしても
「たしかに……あいつは、僕がどこに居ようが必ず追ってくるもんな……それで、このディスオーダールームとかいう地下室の出番ってことか」
「ええ。この地下室はつい最近できたばかりなの、それに刕琵道がここを見つける可能性だって少しくらいはあるわ……だから、刕琵道を始末できる準備も整ってからあなたを連れてきたの」
「始末する準備?」
「
そうか。刕琵道を殺して僕を自由の身にしてくれるために、桜たちは準備をしていてくれたのか。たしかに、刕琵道の身体能力は人間離れしている。彼女を殺せる人間なんてきっとこの世にいないだろう。同じように、呪われた体質を持つ者なら可能かもしれない。
「いま、死晴ともう一人が刕琵道のもとへ向かっているわ。安心して呪錄、あなたはここで安全に暮らしながら、また私たちと呪いを解く方法を探していけるのよ」
「……安心、か」
◆
桜との会話を終えて、僕はひとつの部屋を与えられた。
あの長い廊下の扉のうちの一つ。桜のいた部屋ほど広くはないが、今まで僕が暮らしていた家の自室とあまり変わらないくらいだろう。家具も一通り揃っているから、生活に不自由はしなさそうだ。
このディスオーダールームと呼ばれる地下室で、今日から僕は暮らしていく。勝手に一人で外出はしないようにと別れ際に桜が言ってきたが、もともと僕は引き篭もりで、毎日外に出かけようなんてタイプじゃない。いっそ、ここでずっと暮らしていてもいいくらいだ。
ここでは桜や哭栖の他にも、呪われた体質を持つ人間が暮らしているらしい。僕は今までこの体質を持つ人間は数人程度だと思っていたけれど、どうやら思っている以上に多いみたいだ。
「……ふぅ」
なんにせよ、僕はどこに住もうが誰と住もうが、あまり興味はない。失くした記憶のことを急に説明されて混乱したけれど、ようやく落ち着いてきた。
両親も殺され、身内が一人も居なくて、近くにいたのは殺人鬼。あの状況から逃げ出せたことには感謝すらおぼえるが、僕自身はどうなったってよかったくらいだ。
僕は僕自身の呪いを解こうとは思っていない。何故なら、解いたところで人生をすでに諦めてしまっているから。普通の生活に戻ろうとしても無駄なんだ。引きこもりの僕なんかは。
今までも、呪いを解こうと少しだけ頑張っていたのは、哭栖を助けてあげたかったからだ。どうして哭栖を助けてあげたいのか、これまではなんとなくその理由がわからなかったけれど、桜の話を聞いて納得がいった。
哭栖や嘛气は、僕が初めて出会った『同類』だったんだ。桜が家族と表現するのも頷ける。記憶が無くなっていても、家族を助けたいと思う気持ちだけは続いていたんだろう。
「―――すみませぇん」
部屋の扉がノックされて、外から女の子の声が聞こえてきた。桜や哭栖の声じゃない。
しかし無言でしばらくいると扉が開かれ、外から見知らぬ女性が入ってくる。
「こんにちは」
入ってきた女性は、不気味なくらいににこにこと笑みを浮かべている。口角がつり上がり、細めた目が綺麗な弦を描いている。彼女は扉を閉めると、椅子に座っていた僕へと近づいてきた。
「あなたが
「あ、あぁ……はじめまして」
始めまして、という挨拶をしてくるということは、彼女は僕の無くした記憶の中にいる人物ではないらしい。
にしても、本当に気持ち悪いくらいに笑顔な人だなこの人は。
「今日から家篭さんもここで暮らすんですよねぇ」
「あぁ、うん……これからよろしくって感じになるかな」
「そうですねぇ~。あの、あたしの部屋がここの隣なんですけどぉ。もしあたしの事が気に入らなかったらいつでも言ってくださいねぇ、出来るだけ家篭さんに顔を合わせないようにするのでぇ」
「はい? 気に食わないって、初対面でそんなこと……」
ずうっと貸須さんは笑顔のままだが、突然そんなことを言い出すものだから驚いた。笑顔というのは印象として一番いいものだ。仏頂面でいられるより、笑っていてくれた方がこちらも気分がよくなるのに。
「ほらぁ、あたしってずっと笑ってるでしょ~? あたし、『喜ぶことしかできない』んですよぉ」
「喜ぶことしかできない……?」
ああそうか、なるほど。それがこの人の、
しかし、喜ぶことしかできないというのはどういうことだろうか。
「喜怒哀楽ってあるじゃあないですかぁ。人間は感情の起伏があるでしょ~、あたしにはその感情が、『喜』しかないんですよぉ」
「……だから、そんなににこにこしてるんですか」
「はい~、たとえ他人が泣いてたり怒ってたりしても、その気持ちに『同情』するってことができないんですよぉ。事故が起こって人が死んでも、ずぅっと笑う事しかできないんですぅ」
そりゃあまた、難儀な体質持ちだな。素直にこっちが同情したくなる。
なるほど、気に食わなかったらという言い方をしたことに合点がいった。貸須さんは、どんな状況でも笑うことしかできないんだ。悲しみに暮れている人の前で笑い続けることがどれだけ酷いことだろうか、怒りに震えている人の前で笑い続けることがどれだけ酷いことだろうか。
ずっと笑い続けている人なんて、そりゃあ嫌にもなる。さっき僕は、笑っている人は印象が良いなんて思ったけど、ずっと笑い続けている人なんて逆に不気味で仕方が無い。
「あ、でもぉ、あたしに気を遣うことはしなくていいですよ~。ほら、あたしは喜んだり笑ったりすることしかできませんからぁ、悲しいとか思うことがありませんしぃ」
「……怒ったりすることはないんですか?」
「あたしがこの体質になったのは三年くらい前なんですけどぉ、それ以前もあたしって、あんまり怒ったりしないタイプだったんですよ~。今になっては、ネガティブな感情になることは絶対にないですねぇ」
それはいいこと、なのだろうか。たとえ誰かに悪口を言われても、怒りの感情はおろか、よくある劣等的な気持ちになることもないというのは、心のストレスが全く無いということだ。
貸須さんの周りにいる人にとっては、笑うことしかできない彼女のことをよく思わないだろうが、当の本人はなんのその、嫌な気分をまったく持たない。自分本位で考えれば、けっこうポジティブな体質かもしれないな。
「まぁ……僕としては、笑ってくれるだけならそんなに嫌な気分にはならないけど」
「ほんとですかぁ」
悪意や敵意満載で関わられるよりかは何倍もマシだろう。いま話しているときも、常に笑顔でやわらかい喋り方をしている貸須さんを気に食わないとは思わない。むしろ、彼女の笑顔に
「私の他にもぉ、いろんな体質を持っている人たちがここにはいるので~。できるだけ仲良くしてあげてくださいねぇ」
「……えぇ、そうします」
こうして、ディスオーダールームでの僕の生活は始まった。
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