第八呪 体質を囲う部屋
目が覚めた。薄く開いた目に映るのは見慣れない天井。真っ白に塗りつぶされた部屋の中で、これまた真っ白なベッドの上に僕は横になっていた。
「目が覚めたか」
声がする方向へおもむろに首を動かす。するとそこに居たのは、真っ白な髪をした男の姿。黒く染まった右目に、左目を覆うようにつけられた真っ黒な眼帯。
「……っ、
僕は驚いて即座に上体を起こした。
僕は蜂惑と別れたあと、自分の家に向かって走っていた。だけど、途中でこの男が目の前に現れて、それで……思い切り殴られたのか、急に頭に衝撃がきて、それで気を失ったんだ。
「どこだよここはっ」
「落ち着け。質問には答える……ここはディスオーダールーム、俺たちの家だ」
「家……?」
「……あの方がお前を待っている。そこの扉を出て、廊下を進み、突き当りの部屋に入れ」
どうやら死晴には、僕に危害を加える敵意は無いらしい。彼は椅子に座ったまま、こちらをじっと見ているだけだ。はやく行け、という視線だろうか。どちらにせよ、この男とこれ以上同じ空間に居るのは息が詰まる。
僕はベッドから身を下ろし、部屋にある一つだけの扉に向かって行き、部屋から出た。
「……ほんとに、どこなんだよここ」
扉を開けると、真っ直ぐの長い廊下が広がっていた。廊下の左右には扉がいくつかあって、突き当りにも同じように扉がある。あの奥の部屋に行けと言ってたな。
僕は戸惑いながらも、廊下を進んでいく。
すると、廊下にある一つの扉がこちら側に開いた。中から、隻腕の少女が現れる。
僕はその姿に見覚えがあった。
「―――
「あ、
何で哭栖が居るんだ? 彼女は僕の傍に駆け寄ってきて、にっこりと笑う。
「よかった、目が覚めたんですね」
「何だ? 哭栖、君がなんでここに居るんだ? ここはどこなんだ?」
「そうですよね、混乱してますよね……でも、とにかく不安がらないでください。この家は安全なところです。もう心配しなくていいんですよ」
「どういうことなんだ、僕にわかりやすいように説明してくれ」
ここがどこで、一体なんなのか。
僕が知りたいのはその二つだ。
間違いなく、状況的に僕は誘拐された。それもさっきの部屋にいた、あの生き死人の死晴にだ。不安になるのは当たり前だろう。
「えぇっとですね……何から説明したらいいのか……」
「……いや、あまり困惑してても駄目だよな。とりあえず、ここがどこなのか教えてくれないか?」
死晴はここをディスオーダールームと言っていた。さっき目を覚ました部屋も、この長い廊下も壁や床が真っ白だ。磨かれて光を反射するような白じゃなく、ペンキで塗りつぶしたような白。目に痛くないが、こうも白いと眩暈がしてきそうだ。
「ここは私たちの家……ディスオーダールームと呼ばれています」
「家って……哭栖は学校の寮住まいだっただろ?」
「もう一つの家、と言った方が良いかもしれませんね。……ここは、私たちのような『呪われた体質』を持つ人たちが暮らす場所なんです」
「……おい、まさか変な研究施設じゃあないだろうな」
白く染められた部屋ってのは、嫌なイメージがある。隔離病棟とか、人体実験の施設とかそういうイメージだ。
石柄町の七不思議が頭をよぎる。たしかそんな施設の話もあったはずだ。僕たちのような呪われた体質持ちが暮らす場所だって? マッドなサイエンティストが僕たちをここに招き入れたってのことなのか?
「安心してください、ここは安全ですよ。ほら、部屋や廊下にも監視カメラなんて無いし……」
そう言われて辺りを見回すが、たしかにお決まりの視線は感じない。壁に埋め込まれている様子も無い。
「……ここはどこにあるんだ? 出口はどこに?」
「石柄町にあるお蕎麦屋さん知ってますか? 『つばき』っていう」
それなら僕でも知ってるぞ。この町の有名なお蕎麦屋さんだ。よく雑誌やテレビなんかで紹介されている。とはいっても、僕は家に引き篭もってばかりだから行ったことは無かったけど。
「ここはそのつばきの地下です。大きな地下室なんです、ディスオーダールームは」
「地下だって? ……あぁ駄目だ、疑問が次から次へと浮かんでくる」
「えぇと……あ、そうだ。実は私もここに来てから日が浅いんです……廊下の突き当りの部屋に行けば、詳しく教えてくれる人がいますよ」
そう言って哭栖は右手で廊下の奥を指差す。突き当りにドアが一つあるが、死晴もその部屋に行けと言っていた。
僕は頭の中に無数に浮かぶ疑問を持ちながら、ドアや廊下に浮かぶノイズを通り過ぎてその部屋へと向かう。
ドアノブに手をかけ、回す。
部屋に入ると、やはりそこも真っ白な広い部屋だった。僕が目を覚ましたあの部屋よりかは生活感を感じられる。家具がある程度そろっていたからだ。ソファやクローゼット、スタンドライトにテレビ。他にも生活するには十分すぎるほどの家具。しかし、そのどれもが白く塗られていてやはり気分が悪くなる。
部屋の中央に置かれた白いソファには、一人の少女が座っていた。その少女は紫色のガラス玉が嵌っているような目で、僕のことを見つめている。
「……いらっしゃい、そこの椅子を持ってこっちに座って」
少女の声は少女らしい高く可愛らしい声だったが、そうであると共に、妙に大人びた落ち着きをも孕んでいた。
僕は言われた通りに、扉のすぐそばにあった木製の白い椅子をソファの前まで引きずっていき、少女の目の前に座る。
「……君は?」
「私の名前は
桜と名乗った少女。桃色の少し短い髪に、紫の瞳、着ている服は黒く、この真っ白な部屋の中でとびきり存在感を放っている。年齢は
「ディスオーダールームにいきなり連れてこられて、困惑してるでしょう? いいわ、あなたの質問に答えてあげる。大体は疑問が解けると思うわ」
そう言うと桜は服のポケットから思わぬものを取り出す。煙草の箱とライターだ。小さな手でそこから一本タバコを取り出し、咥えておもむろに火を着けた。
「お、おいおい……未成年がタバコ吸っちゃ駄目だろ」
「なに言ってるのよ、人を見た目で判断しちゃだめよ。こう見えても私、あなたより年上なんだから」
部屋に同化する薄白い煙を口から吐く桜。僕より年上だって? そう言われてもまったく信じられない。どう見ても桜は僕より年下、どう考えても小学生くらいに見える。
だけどこの大人びた口調だけは、たしかに見た目に不釣り合いで、既に成人している女性のもののように聞こえる。
「……」
まぁ、桜がいったい幾つなのかなんて、僕の抱える他の疑問に比べれば大したものじゃない。僕が知りたいことは、数えきれないほどあるんだから。
「まず……僕をここに連れてきたのはどうしてだよ」
「あなたを助けるために連れてきたのよ。ここは安全な場所だから」
「安全な場所だって? 僕を助けるためだって? わからないよ、僕は助けてほしいほど
「逼迫してない? 誘拐? あなた、自分の立場がよくわかってないのね」
桜は小さなテーブルの上に置かれた白い陶器の灰皿に煙草の灰を落とす。僕の事をなじるようなじっとりとした目で睨みながら、ため息とともに白い煙を吐く。
「あなた、
「そ、それは……そうだけど」
たしかに桜の言う通りだ。僕は今まで、両親を細切れにして殺害した殺人鬼と一緒に暮らしていた。いつ殺されるかわからない生活だった。刕琵道は僕の事を気に入っているようで、機嫌を損ねない限りは殺されないと思って暮らしていたけれど、冷静に考えて見ると、殺人鬼と同棲しているという状態は異常だ。
刕琵道は僕が彼女から逃げようとしても、必ず追いかけてくる、そして捕まえられる。一度、そうやって彼女から逃げようとして半殺しにされたことがあった。
刕琵道は僕の事を好きらしい。だからこそ、よほど彼女を怒らせない限りは彼女は僕を殺さない。とはいえ、殺さないだけで痛めつけはしてくる。全身を切り刻まれたり、両足を切断されそうにもなった。
このディスオーダールームというのが、つばきというお蕎麦屋さんの地下にあるというのなら、たぶん刕琵道も見つけられないだろう。そう言う意味では、たしかに僕は助けられたのかもしれないな。
「刕琵道からあなたを助けただけじゃないのよ」
「え?」
「
「っ……どういうことだよ、それ」
「あなた……『記憶が断片的に無い』でしょう?」
背骨に冷たい泥水を入れられた感覚になった。なぜ、目の前の少女はそんなことを知っているんだ。刕琵道や蜂惑のことを知っているのは、おかしいことじゃない。刕琵道は殺人鬼で、その噂は町中に広まっている。蜂惑のことは、ここをもう一つの家として住んでいる哭栖から聞けばわかることだ。
だが、僕のことを知っているのはおかしい。僕は誰にも、『記憶を断片的に失っている』ことを話していない。
生まれた時のことはもちろん、人間誰だって憶えていない。それは僕も同じだ。
だけど僕は、物心ついてからの記憶がところどころ無い。或る一時期の記憶が、それぞれ失われてしまっている。
ひとつは、刕琵道が僕の両親を殺す前の一か月ほどの記憶。どういう経緯で両親を刕琵道に殺されたのかを覚えていない。憶えているのは、細切れになった両親であったものと、血まみれになった刕琵道の姿だけ。
ふたつめは、蜂惑怠躯ならびに乂真黒雨流と会ったときの記憶。僕は蜂惑という男性の事を知ってはいるが、彼と会った時のことを憶えていない。どうやって知り合ったのかまったく記憶にない。だからこそ僕は心の奥で、蜂惑に対する不信感を抱いていた。乂真との出会いの記憶も同じく無い。
みっつめは、減尸哭栖および搦鮫嘛气と出会った時の記憶。蜂惑たちと同じく、僕は彼女たちに初めて会った時の事も憶えていない。二人とも僕と同じ呪われた体質を持っていて、それを解こうと協力しているのは憶えているが、どういう経緯で知り合い、協力しようとしはじめたのかを……僕は憶えていない。
僕は、知り合った人との最初の記憶が無い。唯一憶えているのは、羅双ろらめとの記憶。彼女とは僕が中学生の頃からの知り合いだ。出会った時の事もしっかり憶えている。近所の公園で遊んでいる時に知り合ったこと、互いの親が顔見知りだったこともありそこから仲良くなったことを憶えている。
「……どうしてそんなこと、知ってるんだよ」
「あなたがどれだけ記憶を失っているかということまではわからないけれど……あなたが記憶喪失だっていうのはわかるわよ、だって―――」
「私も
ディスオーダールームで出会った、記憶にない少女。
失われた記憶の中に、僕の知らない真実が隠されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます