第六呪 パッチワークの記憶
逆に聞きたいが、信用できる人が居て、なぜその人を信用できるのか? と聞かれたときに困ったりしないだろうか。信用できると思っているから、信用できるでいいじゃないか。それと同じだ。僕は蜂惑を信用できないから信用しない。
だけど僕はいま、蜂惑の事務所の扉の前に立っている。どうしてここまで来てしまったのだろうか。蜂惑にはできるだけ近づきたくない。理由はよくわからないけれども、僕の記憶がそう告げているのだ。僕の本能がそう言っているのだ。ここに来ることはやめた方が良いと。
「……馬鹿だな、僕は」
不味いことに気がついた。いや、どうしてここに来るまでに気づかなかったのだろうか。ここは蜂惑怠躯の事務所だ。ということは、蜂惑に仕えている彼女も当然、ここに居るはずなのだ。彼女が、
僕を殺そうとした乂真も、ここに居る。……乂真の言葉を借りるわけじゃないが僕は自殺志願者か? まったく馬鹿げている。
どうする? このままくるりと踵を返して帰るか? 今ならまだ間に合う。まだ扉は開いていない。このまま立ち去れば、何も起こらない。今ならまだ。
「何をしている、
「わっ!?」
思いなおしてくるりと振り向くと、そこにはいつの間にか乂真が立っていた。全く気がつかなかった。気配なんて微塵も感じなかったし、まるで一瞬にしてそこに現れたかのようにも感じた。
乂真は肩からショルダーバッグを提げており、そしてそのバッグからははみ出るほどに大量のスケッチブックが入れられていた。その他にもバッグがぱんぱんに形を張らせるほどに中身が詰まっているようだ。彼女と目を合わせてはいけないような気がして、そんな風にバッグを見つめてしまっていた僕だった。
「……珍しいな、お前が事務所に来るなんて」
「あ、え……ま、まあ……なんとなく」
「蜂惑さんに用があるんだろう? 入ったらどうだ?」
乂真は僕を押しのけるようにしながら、扉を開けて中へと入っていく。
呆気に取られてしまった。いまの乂真には殺気というか、殺意が全く感じられなかったのだ。このあいだは僕を殺そうとしたというのに、一体どうしたというんだ?
しかし、恐れていた乂真の殺意は無いようだ。僕は彼女に続いて、事務所の中へと入った。
「蜂惑さん、お待たせしました。スケッチブックが12冊と、A4ノート8冊、小さめのメモ帳20冊買ってきましたよ」
「あぁ、ありがとう黒雨流」
室内のほぼ中央にある大きな机。乱雑に書類やらノートが大量に積まれているせいで、まるで机の上に壁があるようになっている。その壁の隙間から見える、向こう側の男。彼は返事をすると椅子から腰を上げて、壁のこちら側へと顔を出した。
「おや、呪錄じゃあないか。珍しいこともあるものだ」
「……久しぶりだな、蜂惑怠躯」
白髪交じりの頭髪をオールバックにまとめ、黒のスーツを羽織り白いネクタイを締めた男性。この男が、蜂惑怠躯だ。僕が信用できない男。
「相変わらず無気力な瞳をしているなぁ……まるで明日にでも世界が終わってしまうと言わんばかりの、絶望の先にある無望の瞳だ」
「うるさいな、お前みたいにおっさんなのにキラキラした目をした奴に言われたくないよ」
「はっはっはっ! そうか、私の目はまだキラキラしているか。それは良かった、この歳になってもまだまだ若いということだな」
蜂惑は豪快に、かつ気品のある笑いを零す。もう50近い年齢だと言うのに、やけに若々しい態度をこの男は取る。それに加えて、年相応の余裕と言うか、色気と言うか……も持っているのだから、なんだか腹が立つ。こういう男が、雑誌の抱かれたい男性ランキングとかに載るんだろうな。
「若いだなんて冗談はよせよ。記憶力は最悪なくせに」
腹が立ったから、少し嫌味を言ってしまった。すると乂真がこちらをものすごい形相で睨みつけてくる。今にも殺すぞ、って感じの意志が籠った顔だ。
「確かに君の言う通りだな、しかし仕方がないだろう、それが私にかけられた呪いなのだからな」
蜂惑怠躯の呪われた体質。それは『記憶が一週間しか維持できない』というものだ。一週間が経つと、彼は自分の事を含めた一切の記憶を失ってしまう。一般常識はなんとか記憶しているらしいが、それ以外の全ては完全に無くなる。ある程度の生活知識以外、自分の名前・年齢・性別などを含めたプロフィール、そして知人友人のこと、地名や国名、出来事・ニュース。まるですべてが一週間で消えてしまうのだ。
しかし、蜂惑の呪われた体質はそれだけではない。いや、これは彼の元々の才能なのかもしれないけれど。
『完全記憶能力』。彼は一度見たり聞いたりしたことは完全に記憶してしまい、それらを決して忘れることは無い。数学の参考書を一分で速読すれば、その内容を覚えるし、小説なんかも一度読めば全ての文章をソラで読むことが出来る。
彼の抱える矛盾がこれだ。一度記憶したことは絶対に忘れることが無いのに、その記憶は一週間しか保てない。逆に言えば、一週間以内であれば彼の頭の中には常人には想像できないほどの情報量が詰まっているということだ。一週間が過ぎると、その情報は全て失われてしまうため、彼は一度記憶したことを全てノートなどに書き記している。言うなれば、彼の頭の中身が全て紙媒体でも保存されているということであり、その量は果てしない。
事務所内に積まれているたくさんのノート。この部屋にあるのは重要なことを記したものだけらしく、その他の記憶を記したものが別室に尋常じゃない量で保管されているという。
「ところで、私に何か用だったかな?」
「あぁ、聞きたいことがあったからな……呪いの調査は、どこまで進んでるんだ」
「呪いの調査かい? この数か月でかなり進んだよ、とはいえ確信には至っていないがね。手がかりは十分に揃った。乂真が情報を集めてくれていたからね……特に重要なことをこの間、教えてもらったばかりさ」
「重要な事って……
僕もつい二時間ほど前に、
① 日中に現れる幽霊トラック
② 人間を実験材料にしている秘密組織
③ 噂が現実になる噂
④ 吸血鬼の吸血鬼による吸血鬼のための夜店
⑤ 竜の掟
⑥ ろうごくさん
⑦ 呪われた体質
この七不思議について、蜂惑も乂真から聞いたのだろう。
「おや、君も知っていたのか」
「②の謎の組織が、呪いに繋がっているって言うんだろ?」
「いいや、本命は④だ」
何だって? ④の都市伝説は『吸血鬼の夜店』だ。いかにも都市伝説らしい眉唾な話。僕もてっきり数合わせのためのものだと思っていたが、蜂惑はそう思っていないらしい。
「私が呪いについて調査していて、一つ辿り着いた答えがある。それは呪いの正体に関わることでね……なぜ、我々のような呪われた体質を持つ者がいるのか? この呪いは、誰かに『かけられている』のではないか? だとしたら誰がこの呪いをかけているのか? その理由は? その方法は? 様々な疑問をもとに調査を進めていてたどり着いた答えと言うのが、『呪いをかけている存在』が居るということだ」
「呪いをかけている存在……?」
僕を含めて、
僕は呪われた体質も、そういうものだと思って過ごしていた。自然発生したものだと思っていた。だが、違うのか? この体質は、何者かによって意図的に発現させられたものだというのか?
「医学だけではなく、科学、化学、哲学、果ては魔術なんかの文献にも全て目を通した。そうしていくと、呪いというものについてかなり造詣を深められた。間違いなく、我々のこの呪われた体質は、何者かによってかけられた『魔術的な呪い』だ」
「ちょっと待てよ蜂惑怠躯。僕らの体質が、おとぎ話の中のお姫様がかけられたような、あんな非科学的な魔術……魔法だっていうのか?」
「確信がある。私なりの確信がな。もともと私たちの体質は医学ではありえないことばかりだ、
返す言葉が無い。確かに蜂惑の言う通りだ。僕らの体質は、一言で言うとおかしい。常人には理解の及ばない、まるで漫画の世界のような話だ。だからこそ、この体質を呪いと呼称しているのだ。
「ではこの呪いを誰がかけているのか? 呪いと言うのは呪術だ、つまりは魔術だ。魔術を使える人間というのは、この世界に存在しない。それは断言できる。地球上の全ての人間を事細かに調べ上げたが、魔術師の血を引いているだの、超能力を持っているだのという人間がごまんと居たが、どれもこれも似非だった。簡単な『試しのテスト』を行うと、皆総崩れだ。もう一度言うが、この世に魔術師や超能力者なんて者は存在しない。存在するのはただの人間と、我々のような呪われた人間だ。ならば魔術を使っているのは誰か? 魔術師は現代には存在しないが、魔術を使える者、そして魔術と言う概念は過去には存在していた。何百年、何千年と前の過去だ。となると、その『過去の魔術師』が現代まで生きていたとするならば、その者には魔術を使えて当然と言う話だろう?」
「……おいおい、まさか」
「そうだ。この現代社会に居るのだよ、魔術を使える存在。『何千年と生きてきた過去の化け物』、吸血鬼がね」
「吸血鬼だって?」
石柄町の都市伝説、七不思議の④。吸血鬼の吸血鬼による吸血鬼のための夜店。それは本当に、吸血鬼が開いている店だと蜂惑は続ける。今まで参考にした文献の内容を交えながら、その正体について詳しく話す。
吸血鬼と言うのは不老不死の存在であり、何百何千年と生きることは容易い。さらに吸血鬼は、その長きにわたる人生において、数々の叡智を身に着けているという。過去の産物である魔術や魔法のたぐいも、もちろんその内である。
その吸血鬼が、魔術を用いて僕たちに呪いをかけているという話だ。信じられないというのはもっともだが、信じる他にない。これは事実だと受け止めるべきだと、僕は思った。
「さて、ここでまだハッキリしていないのが、なぜ吸血鬼が我々に呪いをかけているか、その理由だ」
「……そこまではわかってないのか?」
「吸血鬼の存在は確かだ。しかしそれ以上は踏み込めていない。とにかく、その吸血鬼が開いている夜店の場所を特定し、実際に会うのが一番手っ取り早いだろう」
今更だが、この蜂惑という男を恐ろしいと思う。わずか数か月の間で、呪いについてここまで調べ上げるとは。
蜂惑は数年前から呪われた体質を持っていたと以前聞いた。乂真もそうなのかもしれない。それくらい遠い過去。今日に至るまでの長い時間をかけて彼は呪いについて調査を進めてきた。けれども、数か月前までは蜂惑自身、呪いについての調査があまり進んでいないようだった。これほどまでに核心に迫れたのは、この数か月での話だ。それまでに培った情報も役に立ったのかもしれないが、僕は予想もしていなかった。まさかこれほど早く、呪いについて全てが理解できそうな日が来ようとは。
事務所の大きな窓から、西側の太陽の光が室内に差し込む。少し赤みがかった眩しい西日だ。眩みを抑えるために、僕は目を細めた。
すると太陽の光に重なる、あの忌々しいノイズが視えた。先ほどまでは何の問題もなく9の数字が羅列されていた、窓の寿命。それが、いつの間にか00:00:00:03まで減っていたのだ。
「――――――っ」
何かが起きる。そう思った時にはもう遅かった。
窓は大きな音を立てて砕け散る。外界から室内へと飛び込んできた、人型のシルエット。逆光に照らされた謎の影。ガラスの破片の幾つかは床に散らばり、そして幾つかは窓際に立っていた乂真の身体に突き刺さる。
現れた人影は机上のノートたちを蹴散らし、部屋の真ん中に堂々と立った。真っ白な髪をした、男だった。
「―――なんだッ!?」
突然の出来事に、蜂惑が身構える。白髪の男は真っ黒な瞳で蜂惑を一瞥する。
「何者だ貴様っ!」
乂真は蜂惑を庇うように、彼の前に出る。
「……命令その6、質問には答えるように。……オレの名前は
「名前なんて訊いてるんじゃあない! 窓をぶち破って入ってくるなんてな、一体どういうつもりだ!」
「……命令その9、理解しやすいように現状・状態等を説明せよ。……いまオレは向こうのビルの屋上から飛び込んで入ってきた。窓ガラスは邪魔だったからな、そのまま割った。ここは蜂惑怠躯の事務所で、お前は乂真黒雨流だ。オレは
僕たちの前に現れた男、
この男に浮かび上がるノイズは、00:00:00:00を示していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます