第13話 次は私の番よ

 三宅島にあるアパート『フッシャーマンズ・ハウス』の201号室のベッドで寝ていたはずの俺が、目覚めたらなぜかイカ釣り漁船の甲板の上で横になっていた。

 世界は暗黒に包まれていたが、空を見上げるとそこには眩い星の数々。

 つまり、俺は起きている。この両目でしっかりと世界を見ることができる。

 夜空。星。深夜の一時か二時くらいだ……。つーかなんで俺がここに?

 この際、時間なんてどうでもいい。今大事なのは、どうして俺が甲板の上にいるのかと言う事だ。考えられるパターンは三つ。夢遊病、拉致、夢の中。

 俺は夢遊病と診断されたことはないので、まず一つは消える。

 夢の中……は考えにくいな。船の上にいるという感覚はある。

 消去法で考えると、拉致か! 俺はまた誰かに拉致されたのか!!


「誰だ! 誰が俺にこんなひどいことを! 俺は海が嫌いなんだよ!」


「落ち着きなさい螺衣はん」


「この声は!?」


 後方からクレナイさんの声が聞こえてきた。やはりお前ら二人組か。

 怒りに満ちた表情で振り返ると――え、誰!?

 そこには、髪で大事な部分を隠す謎の全裸の女性が立っていたのだ。


「ワシじゃよワシ、清奈と一緒におったクレナイじゃよ。話すと長くなるのじゃが、とにかく昼間は木彫りの姿、夜は人間の姿に戻るのじゃ」


「へ、へぇー」


 彼女のきわどいナイスバディに目を奪われているせいで、話が一切頭に入ってこなかった。ただ、何となく理解できたと思う。つまりそういうことなのだろう。

 そんなことを考えながらジッーと凝視していると、彼女はなんの前触れもなく本題へと移行する。彼女から告げられたのは、俺を拉致した理由についてだった。

 クレナイと清奈の目的は俺を意地でも仲間に引き入れること。

 しかし、残念だったな。俺にも東京に帰るという意地がある。

 そこからは意地と意地にぶつかり合い。話し合いでは解決できない境界線。

 しびれを切らしたクレナイさんは隠していた奥の手を発動させる。


 それが――


 イカシコ大作戦


 彼女はイカを俺のアレに見立てて、ゴシゴシとしごき始めた。

 音、臭い、張り、艶、液体。見ているだけで前かがみになってしまう。

 それでも俺も男だ。こんなところでイく訳にはいかない。


「ほ~ら、螺衣はん! えんやでっ、イって!! 意地はっとらんでイカ墨でもなんでもビュッとだしてええんやで、ほらっほらっ! ゴシゴシゴシィイイイ!」


「クソガァアアアアアアアアアアアア!」


 アイ・キャン・フラァアアアアアアアアアアアアイ!! ドピュゥウウウ!

 イカの口から墨が噴き出した。その液体がクレナイさんの全身にかけられる。


「ヒャンッ!!……ひゃ……あ、あぁ……ハァハァ。もぉ、最悪なのじゃ……髪がべとべと」


 結局この勝負は引き分けだった。そもそもどうすれば勝ちなのか分からない。

 クレナイとの勝負が引き分けで終わると、次は清奈の番だった。

 とはいう物の、先ほどから清奈の姿がどこにも見当たらない。

 俺が目覚めた直後、一言だけ声が聞こえたような気がしたのだが……。


「次は、私の番ね」


「……ん?」


 ピタッピタッと甲板の上を歩く足音。音の方へと視線を向ける。

 すると、奥の方から姿を現したのは――魚の着ぐるみだった。


「なんで魚!? つーか、誰だよ!?」


「今、魚と言ったかしら?」


「あぁ、魚の着ぐるみだろそれ?」


「殺すわよ。これはタカベのゆるきゃら、タカベーよ!」


 そのままだなオイッ。もっとひねりとかないのかよ。タカッシーみたいな?


「タカベはね日本固有種なのよ。ちなみに伊豆半島ではタカベのことを『しゃか』と呼ぶこともあるわ。だからタカベをバカにしないで。タカベーは可愛いのよ」


 この魚に対する愛は間違いなく清奈だ。着ぐるみの中はアイツなのか。


「あ、はいはい。それより、なんでお前着ぐるみ姿なんだよ?」


「これが私のパジャマだ」


「へぇー……」


 着ぐるみを着て寝るなんて正気沙汰ではない。普通に考えて中は熱いだろ。しかも動きにくそうだし、臭そうだし、効率が悪すぎる。


「まぁ、そんな話はいいとして。次は私の番なのよね」


 そう告げると、彼女はタカベーのヒレ両手で乳首を押した。

 次の瞬間、プシュゥウウと言う音と共に白い霧が噴き出した。

 霧が甲板の上に立ち込め、着ぐるみの全身を包み込んでいく。

 やがて強い海風が吹き、視界を妨げていた霧が流れていく。

 そして俺は――


「え……嘘だろ?」


 ――言葉を失う。目の前にいたのは平らな胸を持つ全裸の清奈だった。

 ななななななぁあああああんでコイツまで全裸なんだよ!? 

 クレナイさんは土地神だから分かるけど、お前は間違いなく人間だろ!

 まさか、あれなのか? 寝るときは必ず服を着ない裸族なのか?


「いつも、裸なのか?」


「私がそんな痴女だと思うか?」


 思う。けど、今の発言から察するに、いつもは服を着て寝ているのか。

 残念なような、安堵したような、なんとも言えない気持ちになる。


「それじゃ、な、なんでお前は全裸なんだよ?」


「クレナイと貴様の勝負はすべて見させてもらった。確かイカイカエロエロシコシコ大作戦と言ったか? まぁ、とにかくだ。それはとても興味深い試合だったな」


 どこがだよ。


「そこで私は思った。これなら――いける!!」


 いや、いけねーだろ。


「そんなことはどうでもいいから、清奈はまずは服を着ろ」


「……」


「お前は私の服を着てほしいのか? 全裸なんだぞ?」


「はいはい。どうでもいいから、早くしてくれ」


 俺は喜ぶことなく、ものすごい仏頂面で彼女を見つめていた。

 貧乳が嫌いな訳ではないが、クレナイさんの刺激的なビッグボディーをまじかで見てしまったら、あらゆる女体が残念なモノに見えてしまう……。本当に貧乳が嫌いな訳ではない。もちろん清奈には清奈の良さがある訳だし――って俺は何を言ってんだ。

 心の中で否定と肯定の議論を繰り広げていると、清奈が首をかしげる。


「なぁクレナイ、どうして螺衣はあんな顔をしているのだ? 私の裸体を見ても至って冷静だ。不思議だな、お前の時とは大違いだぞ?」


「そうねー、胸の違いじゃろ」


「胸?」


 清奈は自分の胸とクレナイの胸を交互に見始めた。


「胸か。なるほど。根本的に私ではイカシコ大作戦は無理なのか……。それもまた現実。それもまた仕方がないこと。全裸が無駄なら、さっさと服を着るわ」


 彼女は着ぐるみの中へと手を突っ込み、ガサゴソと服を探している。


「……困ったわ」


「清奈はん? 何が困ったん?」


「服が入っていない。これはもう、ウッカリカサゴしていたわ」


「それを言うならウッカリしていただろ?」


 訳の分からない発言についツッコミを入れてしまった。


「いいや、私はウッカリカサゴしていたと言ったのだ」


「うっかり、かさご?」


「知らないのか? ウッカリカサゴ」


「名前は知ってるけど」


「これは、魚類学者が魚に名前を付けているときの話よ。その人物はとあるカサゴのことを【カサゴ】と名付けた。しかしだ、あるとき彼は【カサゴ】と名付けたとあるカサゴがカサゴとは別種であることに気が付いてしまった。本来ならばここで間違いを訂正しておかなければいけないのだが、彼はそれをせずに自分のミスを隠すことにした。だからそのとあるカサゴのことを人々は『うっかり魚類学者が名前を付け忘れたカサゴ』と言うようになった。だからうっかりカサゴなのだ」


「へぇー……ソウナンダ。長々しいご説明アリガトウゴザイマス」


 正直興味はない。魚の話なんて耳にタコが出来るレベルで聞いていたから。


「さて、無駄話はこれくらいにしましょう」


 彼女は右手を掲げ――指を鳴らした。


「何をするつもりなんだ?」


「こうするの」


 瞬間、甲板から網が現れる。真下から現れた網なんて避けられる訳がない。

 悔しいことではるが、俺はその網に捕獲されてしまう。厄介だな……。

 足掻いた。足掻いた。足掻いたが、足掻けば足掻くほど食い込んでいく。

 清奈に捕まるのはこれで二回目だ。警戒はしていたが対策はしていなかった。

 俺の甘さが招いた隙。

 忘れてはならない、俺の目の前にいる清奈はまぎれもなく神力の使い手なんだ。


「俺を捕まえてどうするつもりだ? また殺そうとするのか?」


「する訳がないだろ。前回とは条件が違う。貴様は間違いなく人間だ」


「そ、そうだな。俺は人間だ」


「だから仲間にする」


「いやいやいや、この島に人間なんて沢山いるだろ!」


「いいえ、アナタじゃなきゃダメなのよ。さて、準備は整いました。お願いします!!」


 清奈は手をあげた。まただ、彼女の言葉遣いに違和感を覚える。

 彼女はクレナイに敬語など使わない。と言ことは――誰かいる。

 この船には俺、清奈、クレナイ、以外の誰かがいるんだ。

 敬語を使う相手、つまりは年上の先輩かはたまた大人だ。

 クソォ、集団で俺を拉致するなんて酷い連中だ。恨んでやる。

 ぐぬぬぬぅと眉間に皺を寄せている。動け、ない。

 倒れこんでいると、船から大きな音が聞こえてくる。

 その音はまるで、網のついたアームが動いているような音だ。

 網を海に沈めて、一気に引き上げるときに使うあのアーム。

 まさか、俺を海にぶち込むんじゃないだろうな!?

 海水漬けになるのは嫌だぞ。ヤメロ死にたくない!!


「クレナイ、螺衣を抑えておくれ」


「はいよっ」


「やめろぉおお! やめろぉおおお! 清奈、お前は何を考えてんだ!」


「何って? 作戦よ。あなたを仲間に引き込むためのね。これが来たわ」

 

 上を見上げると、やはりアームがこちらの方へと迫っていた。

 先端から垂れてきたのは、物体を引っ掛ける用のフックだ。

 キュルーと言う特徴的な自動リールの音が聞こえる。

 高いところにあるアームからフックがおろされている音だろう。 

 フックが清奈の位置まで降りてくると、彼女はそれを俺の足に巻いた。

 俺は必死に動こうとしたが、クレナイが抑えているので動けない。

 これじゃまるでバンジージャンプじゃないか。ふざけるな!!

 しっかりと足に巻かれたことを確認すると清奈は笑みを浮かべる。

 

「アームをあげていいですよ!」

 

 だから誰に合図を送ってやがんだよ。操縦席に誰かいるのか?

 見てやる。そのクソッたれな顔を見て覚えてやる。

 次第に俺は上昇していった。清奈とクレナイから離れていく。

 逆さまになっているので、全身の血が頭に回りっているような。

 なんだかクラクラしてきた――ってそうっじゃない!!

 正気を保つんだ。見るんだろ、操縦者の正体を一目でも!


「マジか……」


 だが、相手は俺のはるか上を行っていた。上昇している時、一瞬だけ操縦室が目に入ったが、残念ながらブリッジには誰もいなかった。アームを動かしていたヤツは俺が見ること知っており、わざと隠れたのだろう。ふっ、そうかよ。

 俺の行動も俺の思考もすべて把握済みってことか。悔しい限りだ。

 敗北の笑みを浮かべならが上昇し、上に到着するとガタッと止まる。

 甲板から体感で3メートルくらい離れた高さで俺はつるされていた。


「まさかとは思うが、このあと俺はどうなるんだ?」

 

「想像通りよ。それが嫌なら仲間になりないさ」


「断る」


「そう」


 彼女は人差し指を掲げた。すると、アームが横に少しだけ動いた。

 この結末が俺の予想通りなのであれば、このまま海へと出てしまう。

 数メートルでも動けば、船から飛び出し、真下は大海原状態。

 

「もう一度聞くわ。仲間にならない?」


「面倒なことはごめんだ。俺は東京で幸せな――」


「3」


「!?」


 アームが動く。どんどん右の方へと進み、俺は……海の方へと出る。

 5メートル下の方には荒れ狂う海。目の前には地獄が存在する。


「……嘘だろ……」


 あの時と同じ光景がよぎる。まさにトラウマだ。

 あの時と同じようにこのまま溺れてしまうのか。

 いや、溺れるだけではない。最悪死ぬ可能性だってある。

 俺の体は海水に触触れれば硬直し、動けなくなる。

 そうなればあとは沈むのみ。

 深い深い、深い海の底へと沈むのみ……。

 

「クソォ」


 嘗て溺れたとき、その時はライフセーバーが助けてくれた。

 しかし、今は状況や条件、その他諸々がそもそも違う。

 ここは海のど真ん中、しかも真夜中。落ちたら死だ。

 暗い中での捜索は不可能。

 落ちた場合の生存率は限りなくゼロに近い。

 ただ、この状況を打破する可能性がない訳であない。

 今は死ぬことよりも生きることを考えよう。


「まずは現状を理解しよう」


 清奈が俺を強引に仲間にしようとしている。彼女はイカ釣り漁船のアームを使い、俺の足を縛り付けた。俺の足は上の方へと引っ張られ、結果的に俺は真っ逆さまでしかも中吊りの状態。そんな状態のまま、アームは海の方へと動き始めた。

 こうして俺は無事海の方へと出てしまい、下を見えてばそこには海が。

 

「……ひどすぎ!!」


 あまりにも理不尽だろ。こんなことされて仲間になるバカがどこにいる。

 クソッ。早く船に戻らなきゃ、本当に海の落ちてしまう。 

 

「なっ!?」


 落ちてしまうと思った矢先、最悪な出来事が俺を苦しめる。

 強い波が船にぶつかったのだ。それにより船体が大きく揺れる。

 一瞬死を覚悟したが――幸い俺は落ちてはいなかった。

 よかったぁー足に巻かれたロープがフックに固定されてて。

 安堵の表情を浮かべながら自分の足元へと視線を向ける。


「……悪夢だ」


 安心感に満たされていた表情が、ソフビ人形のようなぎこちない笑みへと変わる。

 ショックを通り越してもうなんていうか、困惑だよ。

 俺が期待していた固定方法はバンジージャンプのようなしっかりとしたヤツだ。

 しかし、現実は酷である。

 俺の足に巻かれていたロープは強固に縛られていたが、問題はフックの方だ。

 それはまさにただの釣り針。

 奥に揺れれば落ちないが、手前に揺れれば簡単に抜けて落ちてしまう。


「ゴクリッ……」


 釣り針を見た瞬間、俺は動きを止めた。できる限り動かないようにしよう。

 ハァー。海の状況は最悪だ。波が徐々に強くなってやがる。俺がどれだけ気を付けようと、自然の力の前では無意味に近い。大きく揺れれば俺は普通に落ちる。

 仮に落ちたとして俺はどうすればいい? 清奈が助けてくれるのか?

 まぁ、おそらく助けられる自信があるから、こんなことをしているのだろう。

 ただ、コイツは一つだけ見落としてる。それが俺の体についてだ。

 普通の人は水泳が苦手でも、絶体絶命な状況に置かれればなんだかんだ言って泳げる。しかも人間の体は力を抜けば自然と浮くのだ。

 しかし、俺の場合はその逆だ。体は動かなくなり、しかも沈んでいく。


 落ちれば――死。


 そんな人間が海の落ちたらどう責任を取ってくれる?

 そりゃ、確かにイカ釣り漁船のライトはめちゃくちゃ明るい。

 だが、果たしてこのライトで海に沈んだ人間を探すことができるか?

 答えはノーだ。理由は至って簡単。この船に取り付けられた無数のライトは、イカを引き寄せる物であって海を照らす物ではない。最初から使い方が違うんだよ。

 これらの情報をもとに今の現状を一言で表すと――


「殺人未遂だ!!」


 暴れない程度にそう叫んだ。こんなことが許されると思うなよ!!


「こんなの狂ってやがる!! テメェらは何を考えてんだ!!」


「暴れたら落ちるわよ!」


「暴れてない! 俺は叫んでいるだけなんだよ!!」


 声を荒げた瞬間……海の中から何かがピチャンッとはねた。

 その物体は偶然にも俺の頬に直撃し、再び水の中へと戻っていく。

 ヌルッ。ザラッ。ベチャ。うん。この感じは……魚だ。


「……ギョッ……ギョェエエエエエエエエエエエエエ!?」


 自分の絶叫が静寂に包まれた大海原にこだました。

 やっぱり嫌だぁあああああ!! 助けてくれぇええええええ!

 涙が出てくる。こんな死に方嫌だ。お願いだ助けてくれよ!!

 叫んだ時点で助けてくれる人間は誰もいない。ここは海なんだ。

 清奈は俺の敵だ。クソッ、なんで俺だけこんな目に遭うんだよ。

 俺が何をした? 何もしてないだろ。こんなの……理不尽だ。

 助けを求めた時点で誰も助けには来ない。

 あぁ、つまらない人生だったな。いい思い出の一つもなかった。

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