第7話 災害をもたらす獣【災獣】

 俺は逃げも隠れもしない。そもそも逃げることができない。 

 そんな中、清奈と呼ばれる女子生徒は地面に手を突き刺した。

 まさか地面に武器でも隠しているのか。ナイフか? 拳銃か?

 殺傷能力があることは確実だ。間違いなく俺を殺す凶器だろう。

 一瞬ならいいのだが、徐々に苦しむ死に方は嫌だなぁ……。


「これでお前を仕留める」


「……ハァ?」


 彼女が地面から凶器を取り出した。なのだが、あれは凶器なのか?

 握られていた物体は海岸の近くに生息する大型の肉食魚だ。

 名前はそうだな。車の方ではなく、魚の方の――スズキだ。

 そうスズキ。漢字で書くと鱸。

 彼女の手の中にはガチで魚であるスズキが握られている。


「人型の災獣を見るのは初めてだ。だが、同じ人型だからといって同情はしない。貴様は間違いなく獣だ。だからこそ、貴様をここで殺す」


「……」


「やはり狙いは【毒蛇の宝玉】なのか。今回の作戦、一本取られた。まさか貴様ら災獣にも知恵があったとはな。確かに人型であれば、島に入る込んでも怪しまれることはない。人の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せないわよ」


「いやいや清奈はん。あんさん、思いっきり誤魔化されていたでしょ……」


「う、うるさいな! 仕方がないだろ、人型を見るのは初めてなんだ」


 彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめたが、すぐに警戒心を張り巡らせる。


「なぁ、俺を盗賊か何かと勘違いしてんのか?」


「勘違いではない。島に上がり込む災獣は全員盗賊だ」


「災獣の件は知らないが、俺の目的は島を出ることだぞ」


「ふっ、そう言って私を油断させようだなんて……考えがあまいな。あまちゃんだ」


「……」


「あ、あまちゃんと言っても尼さんの方ではなく、考えが浅はかと言う方のあまちゃんだ」


「……」


「まぁ、いいか。それより、本気で行くぞ」


 ノリボケの後、彼女は瞳を閉じ、スズキを剣道の竹刀のように握った。


「She sells seashells by the seashore」


「英語?」


 今のを直訳すると『彼女は海岸沿いで貝を売っている』だ。

 俺は英語は苦手だが、こういう熟語とかは少し知っている。

 悔しい話ではあるが、父親が俺に教えてくれた。

 で、貝を売ってどうすんだよ? 全く意味が分からない。

 意味が分からない中、さらに意味が分からないことが起きる。

 清奈が握っていたスズキが謎の眩い光を放ちながら伸びる。

 光がおさまり、ようやく形を現した。

 彼女の手に握られていたのは北欧神話に登場する武器だ。

 名前はなんて言うんだっけけ。確か、レーヴァテインかな。


 え、で、え。何? なんで魚が武器に変わるの? 神の力?

 先ほどまでベチョベチョでフニャフニャしていた魚とは思えない。

 今のそれは殺傷能力の高い鋭い武器だ。かなり痛そう。

 この状況は冗談抜きでヤバイ。俺は痛いのは嫌なんだよ。


「守人として宣言する。私は貴様ら災獣から、島の宝【毒蛇の宝玉】を守る」


 そう告げると、彼女は武器を掲げた。俺はただただ武器を見つめる。

 抵抗する気も気力もない。ネットは確実に俺を拘束している。

 まぁ、可愛い女の子に殺される結末も悪くはないのかな。

 俺はそう思うようになっていた。

 親父を一発殴るまで死ねない、と思っていたが無理なら無理でいい。

 俺は逃げ続けてきた人間だ。ピンチに立ち向かうなんてガラじゃない。


 ゆっくりと瞳を閉じた。人間はいつか死ぬ。それが今だと言うことだ。

 どうせ俺みたいなゴミが生きていても社会に貢献することはできない。

 ここで俺が死んでも親父は悲しまない。千刃里は俺の死に気づかない。

 これでいいん。どうせ先の見えない人生。こんな結末も悪くはないな。

 

 覚悟を決めた。一発で決めろ。刺すなら一思いに心臓を刺してくれ。


「……」


 早くするんだ。やるならやれ、俺を殺すんだろ。早くやれよ。


「……」


 瞳を閉じたまま、数秒ほどが流れた。なのに何も起きない。


「……」


 変だな。殺すと宣言したくせに、なかなか俺を刺してこない。

 確認するため、片目をゆっくりと開いて彼女を見る。

 目の前には清奈がいる。彼女は武器を掲げたまま動かない。

 しかし、彼女の鋭い瞳は確実に俺をとらえていた。 


「どうしてお前は死を覚悟している」


「当たり前だろ。体は縛られ、殺意を向けられ、絶体絶命じゃん」


「それでも足掻こうとは思わないのか。生きたいとは思わないのか?」


「……まぁ、な……」


「災獣は所詮『獣』だ。命を狙われてば狂ったように抵抗する。なのにお前は死を覚悟している。まるで生きることを諦めたときの人間と同じだようだ」


「何度も言わせんな。俺は人間なんだよ。島の宝なんて知らない」


「……本当か?」


「しつこい」


 本当のことを伝えると、清奈はゆっくりと俺の方へと歩んできた。

 レーバテインをこちらへと向けてきたが、殺意は感じられない。

 彼女は武器を振り、俺の動きを封じていたネットを切り裂いた。

 おかげで体の自由を取り戻し、立ち上がることができる。


「清奈はん、あんさん、何をしてはるん!? そいつは人型の災獣やろ!?」


「いや、これでいい。彼がどうしてクレナイの声が聞き、私が張った結界の中に入り込むことができたかは知らないが、コイツは人間だ。私は彼の言葉を信じる」


「清奈はん。なぁ、清奈はん」


 自由を取り戻した瞬間、俺は逃げる決意をする。今度こそ走り出しても捕まることはない。なぜならパラシュートは今、この女が切り裂いたからだ!!

 俺を縛り付ける物は何もない。自由だ! 俺は自由を手に入れた。


「清奈はん。信じることはええことやけど……」


「さっきからなんだ? 私の行動に何か文句でもあるのか?」


「あの男、逃げだぞよ」


「何!?」


「拘束をといてくれてありがとうな!! 俺はここから逃げるんでヨロシク!」


「待て! お前にはまだ聞きたいことが太平洋並みにあるのだぞ!!」


 なぁーにが太平洋並みだよ。俺は話すことなんて何もないの。

 半神とか、災獣とか、アンタの問題に俺を巻き込むなよ。

 俺はなトラブルとは無縁の平々凡々な人生を歩みたいんだよ。

 なぁハッハハハ! 逃げて東雲高校へと戻ってやる!!

 一時は死を覚悟したが、やっぱりあのクソ親父を殴りたい。

 アイツに一発お見舞いするまで俺は死ぬ訳にはいかない。


「まずは砂浜まで出れれば!」


「どこへ出るって?」


「――なっ!?」


 全力疾走をしながら視線を横に向けると、そこには清奈がいた。

 まさか、あんなに距離があいていたのに、追い付いてきたのか。

 あり得ない。俺だって足が速い方の人間なんだぞ……。

 クソッ、このままでは捕まる。こうなったら奥の手だ。 


「あ、すごーい! 空飛ぶスカイフィッシュがあんなところに!!」


 適当に空を指さす。魚バカである彼女なら見るはずだ。


「え、あの幻の空飛ぶ魚・スカイフィッシュだと!? どこだ、どこなんだ!」


 彼女は足を止め、キョロキョロと空を探し始めた。


「清奈はん! 今のはあの坊主の嘘やで!」


「え。な、あの野郎は私を騙したのか! クッ、神に向かってなんたる冒涜! 災獣だろうと人間だろうと、もう容赦はしない。私がここで――仕留める」


 後方を注意深く確認しながら走り続ける。清奈はその場で立ち尽くしていた。

 俺を追いかけてくる様子はない。あれ? 俺を仕留めるはずだったんじゃ?

 言っていることとやっていることが乖離している……。

 あの、でも相手はあのクレイジー清奈か。あり得る話ではあるよな。


「The name is Perch. Thousande of blades will become one」


 また英語の呪文だ。今度のは早口言葉ではないな……。

 パーチはスズキ、サウザンドは千、ブレードは剣。

 直訳するよ『名はスズキ。千本の剣が一つとなる』だ。

 うん。さっきの早口言葉よりも意味不明である。


 彼女がそう告げると、地面からは次々とスズキが現れた。

 それは彼女の周りへと集まり、神々しく円を作る。

 その姿はまるで天照大神のように見えた。

 あまりの輝きと美しさについ足を止めてしまった。


「これから始まるのは悲しき物語。終焉の時は既に始まっている」


「まさかとは思うが、千本のスズキが俺めがけて飛んでくるんじゃないだろうな?」


「察しがいいな。そのまさかだ。では行けスズキ・ブレイド!!」


「――!?」


 彼女が腕を前に出すと、千本ものスズキが俺をめがけて飛んでくる。

 俺は無我夢中で避ける。

 猛スピードで迫りくるスズキが次々と俺の体を横切っていく。

 最悪だ。これだから俺は親父のことが嫌いなんだよ。

 突然現れたと思ったら、意味の分からない場所に俺を放り込む。

 この島もその一つだ。

 なんだよこれ、スズキブレイドってなんだよ。魚は凶器かよ。

 序盤はいい感じだったが、徐々に吐き気がしてくる。

 昔からそうだ。俺は魚が嫌いだった。正直、吐き気がする。

 レーバテインの時はともかく、今の武器は形がそのままスズキだ。

 魚の形をしたものが俺の体に触れようとしている……。

 想像しただけで失神しそうなレベルだ。


「うぐっ……吐きそう……」


 口元を抑えて前かがみになる。この気持ち悪さには逆らえない。

 ヤバッ、と思い、顔をあげた。想像通り、スズキが迫りきている。

 悪いのは誰か? 答えは俺だ。隙を作ってしまった自分が悪い。

 スズキが俺の頬に触れそうになる。もう少しで触れる――


「ウゥウウウウウウウウウウウウウウウウン!!」


「「ん??」」


 触れそうになったが、聞こえてきたサイレンの音に清奈の攻撃が止まる。

 この音はまるで消防車の音に似ていた。なんの音だろうか?

 音がする方向へと視線を向けると、先にいたのは木彫りの鮭だった。

 なんだか知らないが、どうにか助かった。

 俺は一人だけ安堵した。なのに清奈の顔は未だに強張っている。


「なんだよこの音? 空襲とかか? 火事か? 地震警報か?」


「静かにしてくれ。これは災獣が島に上がり込んできた時に鳴るサイレンだ」


「へぇー……」


 さっきから清奈が言っていた災獣がついにお出ましなのか。

 そちらの事情は知らないが、おかげで俺は助かった。


「つまりそれって、俺の無罪が証明されたってことだよな?」


「ふーむ。クレナイのサイレンは壊れてはいないようだな。ここにいる君は本当に災獣ではないのか……。んー。私は罪なき人を疑っていたのか……」


 彼女は珍しく罪の意識を感じ、眉間に皺を寄せた。しかし――


「まぁ、いいか」


「いいのかよ!?」


 すぐに俺への迷惑行為の数々を忘れ、開き直ってしまった。


「私も人間だ。間違えることだってある。それに分かってくれ、島に上がり込む獣は危険なんだ。実際人型の獣は存在する。ここで貴様を疑わずに逃がせば、多くの人が命を落とす可能性がある」


「まぁ、確かに得体のしれない初対面の相手が島に居たら疑うのは当たり前だよな」


「分かってくれたか。ありがとう。それで貴様、名前はなんていうんだ?」


「俺? 俺は坂凪さかなぎ螺衣らい


「魚嫌いだと? 魚が嫌いだなんて私に喧嘩を売っているのか? 私は名前を聞いているんだぞ。正直に早く答えろ。こんな状況で冗談は面白くないぞ」


「いやいや、俺の名前は坂凪螺衣だ。苗字が坂凪で、名前が螺衣」


「ほう。名前だったのか? そうか。すまない。では、またどこかで会おう」


 彼女は突然会話を終わらせ、クレナイと共に砂浜の方へと走り出した。


「どこへ行くんだよ!」


「私はこれから島に上がり込んだ災獣を退治する。貴様は近づくなよ」


 彼女は森を抜け、砂浜へと出る。何かを探すように周囲を見回していた。


「クレナイ、人払いの結界はしているか?」


「……」


「クレナイ?」


「してるはずなんやけどなー、どうしてもあの男には効かへんのよ」


 清奈が俺の方へと視線を向ける。なんで俺の方を見ているのだろうか。

 

「なるほど。やはりあの男はただの人間ではないようだな……おい、男!!」


 彼女は大きく声をあげた。


「はい?」


「直ちにこの砂浜から離れろ。森の奥へと逃げろ。ここはもうじき戦場と化す」


 戦場? いきなりそんなことを言われてもなぁ。訳が分からない。


「そう言えば島の中心に行きたいと言っていたな」


「あぁ、そうだが」


「ならば森を真っすぐと歩け、森を抜ければ道路がある。そうすれば家などが沢山見える。この島の人間は殆ど・・が優しい人だ。島の人から中心への行き方を訊けばいい」


「清奈はん、準備を」


「分かっている。そういうことだから男、私の言葉に従え」


 そう言い残すと、再び俺に背を向ける。彼女は海の方へと視線を送った。

 それでも俺はその場から動かない。木に寄り添い、彼女を見守る。

 正直、【災獣】がなんなのか気になる。一目だけでも見て見たい。 

 すると、彼女の相方であるクレナイが宙に浮きながら俺の方へと来た。


「冗談抜きで何してはるん? 早く逃げな死ぬで」


「俺が死ぬなら、同じ人間であるあの子はどうなるんだよ?」


「清奈はんなら大丈夫やって。あの子は島の守人やもん。対してお前さんはただの人間。自分が弱いことは他でもない、自分が一番良く知っとるやろ?」


「んー、まぁ……はい」


「なら、逃げな。死にたくなかったら逃げな」


 木彫りの鮭に表情はない。しかし、言葉から感情が伝わってくる。

 渋々「はい」と言った瞬間、海の方から大きな波の音が聞こえた。

 とっさに顔をあげる。海辺の方を見ると、大きな波が迫り着ていた。


 津波だ。


 驚くほどに大きな津波が、こちらへと迫り着ていたのだ。

 おかしい。地震が発生した訳でもないのに――なぜ?


「クレナイ! 早く戻ってこい! 島を守るために力を貸せ! 壁を作って波を追い返すぞ!! 私一人ではおそらく呑まれる!!」


「あいよっ!」


 木彫りの鮭が猛スピードで砂浜の方へと戻っていく。

 清奈とクレナイは協力し、前方に見えない壁を作った。

 数秒後、迫り着ていた波が壁に直撃する。

 すごい音がした。

 上から押しつぶすように、前から畳みかけてくるように。

 そんな重い波を一人と一つは全力で止めようとしていた。


「クッ……重い……なんて重さだ……」


「水は……、一気に来られると、凄まじい重さやからな……」


「とにかく今は島を――守るんだぁあああああああああああああああ!」


 清奈が踏ん張り、両腕を前に押し出した。

 その動きと連動するように、大きな津波が再び海の方へと返される。

 難が去り、彼女は「ふー」と一息ついた。

 これで終わりなのか? と思った矢先、再び海に異変が起きる。

 海の中から何かが飛び上がってきたのだ。

 その物体は砂浜に降り立った。


「……ラルゥ、ラルッ……ララッラッル!!」


 まるで鳴き声のようにも聞こえる。謎の声を発するその正体は――


「え、なんだあれ?」


 ミノカサゴのようなビラビラを持つ二足歩行型のイルカだ。

 身長170cm程度、全長はだいたい2メートルだ。

 初めて見る動物、と言うかあれはそもそも動物なのか!?

 

「ラルッ……ラルゥ……ドクヘビの……ホウ、ギョク。ラルッ」


 今、あの化け物は毒蛇の宝玉と言ったか?

 確か、この島のお宝だよな。

 つまり、あれが災害をもたらす獣。通称【災獣】なのか。

 動物でも人間でもない。見たことがないおぞましい姿だ。

 俺はあんなクリーチャーと勘違いされていたのかよ……気持ち悪い。


「クレナイ、アイツの力はどのくらいのレベルだ?」


「んー、大きさから言ってまだ成長過程だと思う」


「成長過程なら好都合だな。成熟した状態で来られたら島の人は即死だ。しかし、雑魚ならば余裕で勝てるな」


「清奈はん、相手を大きさで判断するもんやないで」


「分かっている。雑魚であろうと全力で狩る」


 耳を疑う。成熟したら俺らは即死? 今よりも大きな津波が来るのか。

 災獣ってなんだよ。始めてみるその姿に俺は少しだけ怯えていた。

 小鹿のように怯える俺とは裏腹に、最前線に立つ清奈は堂々としている。


「化け物、貴様の目的はこの島の宝か?」


「タカラ……奪う。チカラ……手に入ラルゥ」


「ふっ、これだ。やはり災獣はこうでなくてはな。目的に忠実なことはいいことだ。殺されると分かっていても島に入り込んでくるその無能さ、安心したぞ。貴様はまだ弱い。最弱なる雑魚だ。覚悟するんだな、イルカの怪物よ」


「ラルッは……イルカとは違う。ラルッは――イワシだ」


「「「いや、イワシじゃねーだろ!」」」


 三人の声が重なる。さすがに今のは俺もツッコミを入れてしまった。

 俺の声に気づいた清奈が振り向き、森のいる俺へと視線を向けた。


「な、なんでまだいるんだ!? 早く逃げろと言っただろ!」


「いや、まぁ、なんていうか」


「清奈はん、戦闘中によそ見したらあかんで!! 敵は待ってはくれない!」


「あっ!」


 よそ見をしたその隙に怪物が清奈に迫りくる。

 あ、俺のせいで申し訳ない!

 彼女の敗北を覚悟したそのとき、清奈は流れるように動いた。

 敵の攻撃を避けつつ、地面から飛び出ていたスズキの尾びれを掴む。

 回転エネルギーを利用して彼女は、ピンチをチャンスに変える。

 下から上へ、スズキ・ブレードを使い、獣を一刀両断。

 

「ラルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」


 獣は断末魔の叫びをあげ、ブシュゥウウウと水風船のようにはじけ飛んだ。


「人間に対する恨みは消えないだろうが、私がそれを償おう」


 ………。

 ……。

 戦闘が終わったのだろうか?

 静寂が流れていた。

 耳に届くのは波の音。

 俺は森の中から出て恐る恐る砂浜の方へと足を勧めた。


「やったのか?」


「あぁ、終わった。それより、どうして貴様がここにいる? あれほど逃げろと言ったのに。貴様は死にたいのか? 人間なら、もう少し生きようとしろ」


「……」


 生きようとする……か。人間が生きる理由ってなんなんだろうな。

 俺が生きる理由なんて、俺を苦しめた親父を殴るためだ。

 でも、冷静に考えて見たら、とんでもなくしょうもない理由だ。

 自分勝手な自分しか得をしない、身勝手な理由。

 世の中にはもっと「病気の子供たちを助けるため」とか「戦争を止めるため」とか言っている人が沢山いる。彼らに比べたら俺なんてゴミ以下だ。

 そんなゴミが生きていていいのだろうか……。

 それに、親父を殴った後はどうする? 俺はまた生きる意味を失う。

 生きようとする努力。努力をしたその先に幸福があるとは思えない。

 世界は孤独に満ちている。俺は孤独だ。孤独なんだよ……。

 

「螺衣とやら。どうしてお前は泣いているのだ?」


「泣いてる?」


 頬に触れる。


 気づけば俺は涙を流していた。


 人前で泣くなんて情けない。


 俺はすぐに服の裾で涙を拭いた。


「お前は本当に分からない人間だ。泣いたり、逃げたり、嘘を吐いたり」


「それが人間なんだよ」


「そうなのか。そう……なのか」


 涙を拭いていると、ドサッと清奈が突然倒れこんできた。


「何してんだよ。同情とかいらない。俺らは初対面だ。こういう行為はいけないと思う。可愛い女の子に抱き着かれても嬉しくなんて――え?」


 俺は自分の手へと視線を向ける。両手が……真っ赤に染まっていた。


「な、なんだよこれ……」


「小僧! 清奈が刺されたのじゃ!!」


 彼女の胸部を見ると、水で作られた槍が清奈の体を貫通していた。

 清奈が倒れてきたのは、同情ではなく、刺されたからだったのか。


「だ、誰がこんなことを?」


「ラルッは……死なない。水は……斬れない。油断は……大敵」


 清奈を刺したのはあの怪物だった。サイズは小さくなっている。

 170cmから50cmへ。きっと奴も弱体化したのだ。

 倒したと思い込んでいた怪物が、実は生きていたのか。

 油断は大敵。まさにそれだな。俺のせいで彼女が刺されたのか。

 俺が後ろで観ていたから、気をとられてしまったのかもしれない。

 誰が悪い? ……俺が悪いのか。……俺のせいで……。


「どうしてこんなことに……」


「清奈はん、しっかりせーや! なに刺されとんじゃ!!」


「俺のせいだ……俺がすぐに逃げなかったから……」


「アンタも落ち込んでないで顔をあげな! 男の子だろ!」


「死ぬなんて思ってなかった……刺されるなんて……」


「螺衣はん!」


「なんだよ災獣って……訳が分かんねーよ……」


 俺が死ぬのは構わない。だが、可愛い女の子が死ぬのはダメだ。

 彼女と俺はさっき会ったばかりだ。でも、俺らは知り合った。

 先ほどまで普通に話していた人間が、目の前で命を落とす。

 恐怖だ。死の恐怖が俺を襲う。全身の力が抜け、倒れ込む。


「螺衣はん!! グフッ――」


 目の前でほざいていたクレナイが怪物によって叩き落される。


「ギャーギャー、うるさいラルゥ……少し黙レ……」


「え……嘘だろ……。な、なんだよこれ……」


「ラルッ……次はお前だ……そこの男」


 怪物が目の前にいた。全身の毒々しい針を尖らせている。

 殺される。このままでは殺される。苦しい死に方やイヤだ。


 どうする?


 俺はどうすれば……。


 いや、どうしようもできない。


 俺は所詮弱い人間だ。誰も守れないし、誰も救えない。

 人生において逃げ続けてきた情弱な最弱。

 ごめんなさい。死にたいなんて言ってごめんなさい。

 本当は……死にたくない。誰か……助けて。


「ラルゥ……ラルゥルルルルル!!」


「やめろ……やめろ。やめてくれぇえええ!」


「ラルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」


 怪物が地面に毒針を突き刺すと、砂が津波のように高く上がる。

 あぁ、逃げ場はない。あの砂に呑まれる。

 清奈の殺意は受け入れることができた。

 しかし、コイツの殺意は受け入れられない。

 死よりも恐ろしい光景がそこにあるからだ。

 サイズが小さくなっても殺傷能力は大きいときのままだ。

 あの怪物を言語化するのであれは、俺はこういうだろう。


 自然。


 今まさに大自然の脅威が俺の命を呑み込もうとしていた。

 災害の獣の正体って、大自然のことなのか……。

 情けない。俺は一人の女の子すらも守れない人間なのか。

 自分の弱さに絶望する。だがしかし、これが現実だ……。

 数秒後、俺も清奈も砂に呑まれて命を落とす。

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