第1話 平和を脅かすその男

「ギョエェエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」と俺は叫んでいた。


 叫び終わった後、俺は我に返る。夢で叫んだ俺は現実でも叫んでいた。

 今日は始業式だ。体育館にはたくさんの生徒が集められていた。

 熊谷校長の話の真っ最中、退屈過ぎていつの間にか眠りについていた。

 眠ってしまった結果がこれだ……。魚の夢を見てしかも叫んでしまう。

 前列に座る生徒も後列に座る生徒も校長や教員も俺へと視線を向ける。

 恥ずかしさのあまり全身がタコのように真っ赤になっていく。

 質問:これは夢ですか? 回答:いいえ、現実です。


「……」


「どうしたね、二年一組・坂凪羅衣君。何が魚影ぎょえいなんだい?」


「あ、えっと……すいません。お話を中断させてしまい申し訳ございません」


 まるで熊のような大きなガタイの男。それが俺の通う東雲高校の校長だ。

 荒々しい動きとは裏腹に、性格は温厚で多くの生徒から愛されている。

 校長が愛される理由は、全生徒を平等に扱ってくれるからだ。

 俺みたいなゴミ同然の生徒も、ちゃんと名前を憶えてくれている。

 だからこそ俺はこの高校に通うことができて幸せだ。ここは居心地がいい。

 失敗をしても、やり直しができることを彼は教えてくれた。

 今の俺は途轍もなく恥ずかしい。だが、数時間もすれば生徒は俺を忘れる。

 俺はイソギンチャクに隠れるカクレクマノミのように生徒に紛れた。

 

 それにしても……恥ずかしかったなぁ。周囲の目が俺に集まっていた。

 そもそもどうしてこんな恥ずかしい思いをしなきゃいけなかったのか。

 全部『魚』が悪い。 

 この世界に魚が存在しなかったら、こんな経験をすることもなかった。

 だいたいの元凶は魚だ。俺の人生を狂わせるのも魚だ。すべて魚だ。


 そりゃ、魚は生命の神秘だ。この世界に魚類が必要なのは分かるが。

 ……分かるのだが、どうして食べなければいけないのだろうか?

 魚にはカルシウムが豊富に含まれている。ほしいなら牛乳を飲め。

 コラーゲンがほしいなら健康サプリを飲め。魚など必要ない。

 お祭りにおける金魚なんて無くなればいい。スーパーボール釣りで十分だ。

 魚のことを考えながら、熊谷校長のお話を聞いていた。


「つまり、好き嫌いを直すという話について……あれ、なんの話だっけ?」


 明らかに俺と言う存在に影響されて、元の話を忘れてしまっている。

 なんの話をしていたか思い出そうとする熊谷校長に向かって舞台袖からは禿げサングラスである雅突先生が助けの言葉を投げかける。


「熊谷校長、新入生と今後の学園生活についてですよ」


「あぁ、そういえばそんな話だったか。あれ、じゃあ俺はなんで好き嫌いの話をしていたんだ?」


「知りませんから巻いてください。時間は有限ですよ」


「おぉ、そうだったな。ありがとう雅突先生。では、話を再開しよう。好き嫌いについて」


「熊谷校長……」


「大丈夫大丈夫。きっとこの話は多くの生徒の今後の人生にかかわることだ」


「……もう止めません。好きにやってください……」


 熊谷校長と雅突先生が会話をしている間も時間は過ぎていく。あと二分だな。

 退屈な話より、この二人のコントの方がよっぽど眠気が吹き飛ぶ。

 呆然と二人のコントを見ていると、隣からはいびきが聞こえてきた。


「ぐ~すぴ~。ぐ~すぴ~~~。むにゃむにゃ……」


 俺の隣の席に座っていたのは一年のときから同じクラスだった刺山さやま千刃里ちばりだ。クラスのマスコットキャラ的な存在で、俺とは生きている世界が違う人物。

 友達が一人しかいない俺とは対照的に、彼女の周りには沢山の友達がいある。

 なのに、彼女はこんな俺なんかと仲良くしてくれている。

 裏も表もない、俺を一人の人間として見てくれる天然系な女子生徒だ。

 彼女は爆睡しながら鼻からはチョウチンアンコウのような提灯が出ていた。

 こんな高等技術を無意識にできるなんて、なんて恐ろしいヤツなんだ……。

 微笑みながら唯一の友達のことを見ていると、千刃里の鼻提灯が弾けた。


「ほへっ……もう、朝?」


「とっくに朝だ」


「お~螺衣くん、おはよ~」


「おはよう」


「今ね、クラゲさんたちと戯れる夢を見ていたんだ~……。あ、ごめん、魚の話はダメなんだよね」


「いや、クラゲーはセーフだな」


「お~じゃあ、満塁ホームランだね」


「意味が分からない……」


「えへへ~」


 彼女はバカだ。バカだからこそ俺と仲良くしてくれるのかもしれない。

 人間は俺を見てこう思う。不愛想、近寄りがたい、楽しくない。

 彼らの人生の得にならないからこそ、俺みたいに人間を拒絶する。

 なのに千刃里だけは、周りに影響されずありのままの俺を見てくれる。

 それが優しさなのかは知らないが、彼女の存在が俺には温かい。

 

 昔から孤独だったからな。この子がいることで俺はかなり救われている。

 俺の親父は、俺が三歳の時に離婚した。以降、男手一つで俺の面倒をみていた。

 父の趣味は世界を旅することだ。結果的に俺も旅に付き合わされていた。

 転入と転校を繰り返し、友達を作る余裕も切っ掛けも俺にはなかった。

 だから高校生になった俺は真っ先に父から離れ、東京で一人暮らしを始めた。

 それからのライフは順風満帆とはいかなかったが、一人の友達はできた。

 俺にとって千刃里との出会いは、ある意味奇跡のようなものなのだ。


「あ、そうだ螺衣くん。この前買ってきたうなぎパイ食べる?」


「いらない」


「え~おいしいのにーもったいなーい」


 昭和三十六年から発売されているお菓子で、浜松名物で知られている。

 因みに俺が魚嫌いになった切っ掛けを作ったのはまぎれもなく俺の親父だ。

 世界を旅していた頃、父が毎日作っていた料理は全部……魚だ。


 朝ご飯は? 魚。


 お弁当は? 魚。


 夜ご飯は……? 魚。


 親父は魚が大好きだ。だからこそ息子に美味しい魚を食べさせ続けた。

 その過剰すぎる魚愛が俺の魚嫌いを招いたと言っても過言ではない。

 今は一人暮らしなので自分で料理もする。毎日肉と野菜がメインだ。

 ほら、魚なんて食べなくてもこうして健康的に俺は生きている。

 魚イズ・ギルティー。俺の人生を崩壊させた魚を俺は許さない。

 俺は海とは無縁のこの高校で楽しい普通の高校生活を歩むんだ。


「ほ~ら、螺衣くん。うなぎパイ食べなよー。うなぎとか入ってないからさー」


「それは違うぞ。一見うなぎなんて入っていないように見えるうなぎパイだが、実はうなぎのエキスが入っているんだ。袋の裏をよく見て見ろ」


「ほよ~?」


 彼女はうなぎパイの袋の裏を確かめる。そこにはしっかりと『うなぎエキス』と書かれていた。千刃里は「ほんとうだ~!?」と驚いていた。


「でもでも、うなぎのエキスなんでしょ? 生魚じゃないのにダメなの?」


「生だろうが何だろうが、魚は魚だ。食べたいよは思わない。吐き気がする」


「そんなに嫌なの~? こんなにおいしいのに……もったいないなー」


 彼女は一人で寂しそうにうなぎパイを食べ始めた。

 寝ていた俺が言っても説得力のかけらもないだろうが、一応今は始業式だ。

 寝ることもダメだし、もちろんお菓子を食べることなんてダメに決まっている。

 まぁ、お菓子を食べる女の子は可愛いから、俺は止めないのだがな。

 

「ねぇ、螺衣くん」


「ん?」


「なんか、歴史の番組とかでよく聞く貝の音が聞こえない?」


「法螺貝のことだろ。そんなものが聞こえる訳が――」


 彼女の言葉を否定しようとしたが、確かに体育館の外から聞こえてくる。

 校長の声が大きいので、注意深く聞かないと聞こえないほどの大きさだ。

 この音に気付いている生徒は少ない。が、何人かいるようだ。

 300人ほどいる生徒の中に周囲を見回し始まる生徒がちらほらと。

 最初は太く、徐々に小さくなっていく音。軍勢を送り出すときの音だな。

 悔しいが、これはあのクソ親父が俺に教えてくれた知識だ。

 法螺貝について尋ねると、彼は教えてくれる。

 そして最終的には興味のない魚の話にすり替わっている。

 日本人は古墳こふん時代から平安時代にかけて川の魚を食べていたとかなんとか。


「確かに聞こえるな……。だが、なんでだ? ここは東京だろ?」


 やがてぶぅう~んと言う音が消える。


 それはまるで嵐の前の静けさだ。


 なんだか途端に不安感に襲われる。


「螺衣くん。あの音はなんだったんだろうね~」


「……分からない。ただ、普通の音じゃないことは確かだな」


 誰かが指示した訳でもなく、300人いる生徒が一瞬だけ静かになった。

 私語も小言も何もない。ときどき訪れる集団的静寂だ。

 そんな時――体育館のドアがドンッと強く叩かれた。

 生徒が無言なので、その強く叩かれた音が体育館に響く。

 その音に、さすがの教師陣も異変に気付き始めた。


「ん? なんだこの音は? 遅刻した生徒がドアを叩いているのか」


 いやいや、さすがに生徒だったらドアを叩いてまで来ないだろ。

 もし俺が遅刻者だったら、始業式が終わるまで外で待機している。

 それに今の音は相当強い衝撃だ。普通の人間のなせる業ではない。

 そうだな。まるで闘牛やバッファローが突進してきたような。

 音の正体が何か考えていると、多くの生徒がドアへと視線を向けた。

 校長先生のいる舞台の方も騒がしいな。校長が雅突先生に言う。


「雅突先生、不審者が侵入したのか?」


「いいえ、そのような情報はありませんが……確認してきます」


「頼む」


 雅突先生が舞台から降りてくる。彼は音のするドアへと近づいていく。

 近くに座っていた生徒たちを立たせ、ドアから離れるように指示をした。

 彼は禿げサングラスで顔は怖いが、生徒の安全を第一に考えるいい先生だ。 

 先生は「誰だ!」とあえて脅すような口調でドアに問いかける。


「……」


 だが、返事はない。ドアの向こうにいる何かは日本語が話せないのか?

 やはり俺の想像通り学園に迷い込んだ動物なのだろうか……。


「怖いよ螺衣くん……怖すぎてうなぎパイがやめられない……」


 食欲は怖さとは関係ないと思うのだが……。まぁ、いいか。

 全生徒&全教員が見守る中、雅突先生がそのドアを開けた。


「覚悟しやがれこの侵入者!! 東雲高校の教員をやめるな!!」


「パンパカパァアアアアアアン!? 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンジャジャジャジャーン!」


「なに!?」


 ドアを開けた瞬間、大量の水が体育館へと流れ込んできた。

 その大量の水に不意を突かれ、雅突先生が後方へと倒される。

 だが、すぐに立ち上がり、戦闘の構えをとった。

 

「何者だ。俺にこんなことをしてタダで済むと思うなよ」


「ワッハハハハッハァアアアアアアアアアアア! パーリーピーポー!」


 そこに立っていたのは一人の男だ。体形は熊谷校長と同じような太い感じ。

 その異様なファッションと斬新な喋り方に全校生徒が言葉を失う。

 男は、さかなクンと同じような魚の帽子を被っていた。

 上半身はアロハシャツで下半身は褌、足にはサンダルが履かれていた。

 変態ではないが、間違いなく変態の部類に入る男だろう。

 彼からは禍々しいオーラを感じる。まるで海を見ているような感覚。

 申し訳ないが、雅突先生一人じゃ彼には勝てない――確信的に。

 教師陣もそれを悟ったのか、ミゲル先生とレオ先生が助っ人に向かう。


「雅突先生。ミーも助っ人します!」


「僕も、手伝うよ」


 ここは多くの能力者が在籍する特別な高校だ。そこに務める先生も全員が何かしらの能力を持つ強者。強者が三人も集まれば相当な力になる。だが、彼には勝てない。

 どうして俺がこんなにも否定的なのか。理由は一つだ……。

 俺は――彼のことを知っている。特徴的な喋り方とファッションは印象的だ。


「ちべりーっす。あ、どうも!」


「誰だてめぇええええ!」


「いやぁ~お構いなく。ちょっと息子に用があってカムンとにゃんにゃんしたんでよー。で、息子は何処かな? タコかな? あ、海坊主だ!」


 男は手を伸ばし、雅突先生の禿に触れて、彼を『海坊主』呼ばわりした。

 その発言に雅突先生はマジでキレた。明らかに体からは殺意がにじみ出る。

 殺意を感じ取ったへらへらしていた男が「ふーん」とため息をついた。


「戦うしかないのかー。僕ちんは息子が探せればそれでいいのに」


「さっきから何を訳の分からねーことを言ってんだ。俺らの生徒には指一本触れさせねーぞ」


「レオ、ミーらも全力で行くぞ」


「いいよ。さすがの僕もたまには本気で行くよ」


 三人の教師が本気で構える。少しでも気を抜けば、彼らは敗北する。

 目の前にいる人間は偉大なる海。彼らは男を強者として認めた。

 

「ほんじゃま~戦いの合図はこれでいいってことでちょべりぐ~?」


 謎の男は満面の笑みで法螺貝を高く掲げた。音の犯人はお前か。

 アイツだ。アイツはまさにアイツなんだ。俺が逃げてきた相手。

 毎晩毎朝毎晩毎朝、俺に魚を食べさせ続けたあのクソ野郎。

 彼の名前は坂凪大輔。認めたくはないが……俺の実の親父だ。

 数年ぶりの再会が、こんな形になるとは思わなかった。

 彼が俺のことを探している。頼む、彼を追い返してくれ。

 そんな魚キチは手短にぶっ飛ばして海に帰してくれ!!

 その男は俺の平和を脅かす人物。魚よりも嫌いな相手なんだよ。


「螺衣くん……あの人、不審者かな?」


「だろうな。すぐに警察行きになることを願うよ」


 俺は真剣な眼差しを向け、三人の教師が勝利することを祈る。

 やがて法螺貝が鳴らされ、戦いの幕が切って落とされた。

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