phase:11『最初の感染者は真実に触れる』


 自分の両眼が捉えた光景に、瞳孔が開く。さっきまで一緒に居た、話をしていた、それなりに絆が芽生え始めていた──


 ──感情の表現が豊かで、友人や他人でさえも常に気を掛けていて、ちょっと抜けている所があるただの女の子が──


 ──そんな子の生命が一瞬の内に掻き消された。荒々しく、突風が蝋燭の火を消すように、灯火は命の源と切り離された。


 ブワッと、全身の毛が逆立つ。総毛立つなんてのは人生で初めての現象だ。俺は強い恐怖を感じていた。人は世界に存在する全ての物に言葉を当て嵌めて、文字や声での説明を可能にしてきた。だが、これは、そのどれにも当てはまらない。


 俺の、恐怖と抽象的にしか言い表せれない感情。それが向く先は美咲ちゃんの命を奪った風の正体。ソイツに対して──などではなく。


 俺の理性と言う制御から抜け出そうと激しく暴れるマグマのような怒り。憤怒に恐怖を感じる。中は煮えたぎっているのに表面には出ない。


 かんなちゃんは俺から距離を取った。意識してではなく、無意識に。後ずさるような形で。俺の目は、俺の雰囲気は、多分人のそれではなくなっている。


 賢い彼女でなくとも、瞬時に理解してしまうほどに、俺は冷静かつ興奮している。目の前の害を滅ぼせと。


「貴様は……何者だ?」


 地鳴りがするような重い威圧が籠った声。


「……」


「黙っていたら分からないだろ」


 俺は一歩前に踏み出す。それだけなのに害は脱兎のように逃走を謀る。


 いや、この行動は。俺の後ろにいるかんなちゃんを狙ってる。


「ふざけるのも大概にしとけよ?」


 横を通り抜けようとする、虫の首根っこを掴み、引く。


 遠心力を使い、増した勢いのまま地面へと叩きつけた。


「動くな」


 頭部を足で踏み、力を込める。まるで出発前に消した煙草のように。


 万力のような力を込めて踏みにじる。ジタバタともがくので、腹を蹴りあげた。


「お前、疑いようもなくゾンビだよな。俺を襲わない辺り味方なんだろ? だったら抵抗するなよ。面倒だ」


 言いながらそこらに落ちた枝を折るように、小気味の良い音を四回。上げた足を四度勢い良く降ろし、両腕、両足の骨を折った。


「これで抵抗しようにも出来ないサンドバッグの完成だな」


 憂さ晴らしなんてするつもりはない。今は余計な真似をされては困るからこうしただけだ。

 殺した奴に殺された奴の怒りを、別の奴が代わってぶつける? 調子に乗るのもいい加減にしろよ。そう思う。それは偽善であり、欺瞞であり、自己満足だ。

 だから、今行った事は相手の無力化であって私的な感情は一切含まれない。



 そう、自分を欺くように言い聞かせた。



「……試したかった実験が、まさかこんな形で出来るとはな」


 俺は美咲ちゃんの切り離された頭と胴をくっ付けて、サバイバルナイフで指を切り、流れ出た血を接着部分に押し当てる。


「こんな無駄な足掻きで、事態が好転するような甘い世界だったら、どれだけ良かったか」


 悪足掻きなんだって、自分が一番分かっている。でも、もしかしたら。そう思ってしまうのは、俺がまだ人間な証拠だろう。


「──斎藤、仁さま」


 呼び方は凛と同じ。だが、声質の違いは歴然。今、俺を呼んだのは女だ。その声には聞き覚えがあった。

 でも、普通に考えて、この場面で登場する人物が友好的だとは考えにくい。つまり、ここで俺が取るべき最善の行動は──


 体を勢い良く起こし、動かなくなった美咲ちゃんを持ち、かんなちゃんも抱き抱え、後方の扉から、女から距離を取る。


「やっとお会い出来たと言うのに、素っ気ないのですね。私は仁さまのそんな所もお慕い申し上げてるのですけど……」


 銃を構え、敵を見据える。そこには恍惚の笑みでこちらを見る女。俺の最後の記憶にある女が立っていた。


「君は……何者だ? 俺に敵対する輩か?」


「いえいえ、とんでもない。私は仁さまの忠実な下僕でございます」


 宗教に盲信した者に似た目で彼女は言う。不気味で歪な表現に身の毛も弥立つ。彼女にそう言わしめるような事をした覚えは俺にはない。だからこそ、疑問がある。


「俺は君の事を知っている。だけど、そんな事を言われるような覚えはない」


 意思の疎通が出来るのは分かった。言葉は通じているが、会話になるかは別問題だと改めて実感させられかけているけど。


「察するに、仁さまはどうやら記憶が混濁しているようですね」


 この短いやり取りで何故見抜かれた。俺の記憶は確かに所々欠損している。それが初対面に等しい彼女に、なんで分かる?

 動揺を悟られないよう、平静を保とうとするが、自然と冷や汗が一筋頬を伝う。


「動揺、してますね?」


 俺の心境を機敏に察知し、指摘してくる。


「それは、どうかな?」


 虚勢だ。これ以上弱味を見せると、どんどん付け入れられる。


「それより君は速く俺の信頼を獲得するべきだと思うぞ。友好的な関係を築きたいのならば、だが」


 相手に舵を取られる前に話題をこちらに有利な方向へ持っていく。


「では、私は自分の有用性を売り込みましょうか。端的に、私がいれば貴方の知らない情報と、貴方の忘れた貴方をお教えします。対価としては、そうですね。私を貴方の元に置いて頂きたい。それだけです」


 ニッコリと笑顔を見せる。自分では理解できない物を前にした時。人は考える事を放棄し、それを排除しようとする。


 短絡的な思考から、俺も一瞬、その楽な一手を打とうとする。


 彼女の提案は明らかにこちらへのメリットが大きい。もっと言ってしまえば、彼女にはデメリットしかない。こればかりは価値観の相違である。


 おぞましい想像ではあるのだが、もし、彼女が俺の傍にいる事を何物にも変えれない至極だと思っているのであれば、きっと彼女には一番条件の良い提案なのであろう。


 情報や今の状況を知っている彼女を仲間に出来るのはこちらとしても願ってもない。

 話を聞いたら、即さようなら。そんな行動が許されるのであればしたいけど……


 ……許されないだろうな~。どこまでも粘着的に追い掛けて来そうだし。雰囲気から察するに。


「話は聞かせてもらう。俺とかんなちゃんに危害を加えないのは約束してくれるよな?」


「えぇ、それは勿論ですとも!」


 俺が条件に乗る方向で話を進めようとするのを、嬉しそうに目を輝かせながら、首を大きく何度も縦に振る。


「あと、俺が満足するような話じゃなかったら、直ぐに帰らせてもらうからな」


「では、私も張り切らないとですね!」


 彼女は何がそんなに嬉しいのか。とりあえず気休めの口約束でも結べて良かった。

 特に意味のない事だが、これは心の問題だ。


「最後に美咲ちゃんの事だけど……」


「それは安心してください。仁さまもきっと先程の一件でなんとなく分かっていると思いますが……」


「もういい。分かった」


 これに関してはこれ以上深く話しても意味はないと止めておく。


「それではこんな所で立ち話もなんですから、中に入りましょう」


 警戒心は解かず、俺とかんなちゃんは学校の仲へ誘われた。

 あまりに無警戒では? そんな意見もあるだろう。だが、俺はそう思わない。おおよそ現状の予測が出来、そして結論に辿り着いている。


 彼女は敵ではなく、恐らく人でもない。さらに加えて、俺もとっくのとうに人の道を踏み外しているのだと──




 招かれ、通されたのは学校の応接室。礼儀などには当然気を使わずソファーにふんぞり返る。


 二人ないし、三人は腰掛けれるようなソファー。そのど真ん中に俺、左横にはかんなちゃん。右横には何故か、ここに招いた当事者。


「いや、あんたは正面とかだろ。普通」


 拳銃に手を掛けながら、警戒心と敵意を剝き出しにして正論を述べてみる。


「その子だけ隣なのはずるいなぁ、と思ったので……」


 変なヤキモチを焼かれても困る。俺と彼女の関係性も未だに謎なのだから。


「俺の右隣は凛とかだろ」


「仁様。お呼びですか?」


 何処からともなく、音もなしに凛が現れた。


「うわっ。ビックリした……」


「も、申し訳ありません」


 見るからに落ち込んだので、フォローを入れて隣に座らせる。


「で、凛はなぜここにいる?」


「それは私と凛に面識があるからです」


 凛に質問したのに、答えたのは名も知らぬ女Aだった。


「今、失礼な事を考えませんでした?」


「いや、名前が分からないと不便だなって思っただけだ」


 脳内の無礼をオブラートに入れて言う。


「そう、ですか。仁さまは、私の名前も忘れてしまっているのですね……」


 少し落ち込んだ様子で言った。どうやら、彼女は俺に名を名乗っていたらしい。


「すまない。俺は覚えてない」


「仕方ないですね! 私の名前は紫月しずきです! 嶋村しまむら紫月しずき。今度は忘れないでくださいね!!」


 記憶に残る彼女や、さっきまでの彼女とはかけ離れた活発な感じ。とりあえず、声が大きい。第一印象とは真逆な彼女に俺はたじろぎつつ、


「紫月ちゃんね。了解」


 と、言葉を絞り出した。


「で、まず凛と面識があるって話だけど……」


 俺は話を切り出す。まず、1つずつ疑問を解消していこう。


「凛くんは私が最初に仲間にした子なんですよ。かなり有能で良い子なんです!」


 褒めてと言いたげな表情でこちらを見つめてくる。凛が有能なのは俺も知ってるから何も言わない。それよりも、仲間にしたって言い方が気になる。凛はゾンビだ。つまり、この場合、仲間にしたって事は……


「やっぱり、君は──」


「紫月ちゃんです!」


「君は──」


「し・ず・き!」


「あぁ、もう! 紫月ちゃんは、ゾンビなんだね?」


 目敏く、変なところに食い付いてくるので、名前で呼んでやる。それだけなのに、また嬉しそうな彼女。こんな調子じゃあ日が暮れるぞ。


「で、俺の予想は当たってるのか?」


 自分の世界に入っていこうとしている彼女を現実へ連れ戻し、質問をぶつける。


「はい、私はゾンビですよ?」


 なんで疑問系なのか。まぁ、いい。


「と、なると。俺と出会った後にゾンビになった訳だな」


「そうです。と、言うより私は仁さまにゾンビへ生まれ変わらせて頂いたんですけどね」



 ───は? 何を言ってるんだ、コイツは? ……みたいな在り来たりな発言や思考が出来れば面白かったけど。


 なんとなくそんな気もしていた。つまり、俺がゾンビ説。しかも、最初の感染者、とか。


 これなら説明がつくんだ。俺がゾンビに襲われなかったのは、俺自身もゾンビだったから。凛が俺に絶対的な信頼を置いているのも。紫月ちゃんの対応も。



 でも、説明が不可な部分がある。いや、それも大体目星はついてる。


「質問してもいいか?」


「えぇ、なんなりと。私は貴方様の下僕なのですから!」


「最初に感染した者は俺以外にも多数存在するな?」


「詳しい事は分かりませんが、仁さまの発言からそうだと予測できます」


「ん?」


 俺の発言? なんの事だ。と、思っていると、すかさず補足が入る。





 どうやら、俺の記憶にない間の動きの中で言っていたらしい。彼女と出会い、意識が途絶え、目が覚めるまでの間に。



「つまり、俺や、俺の配下にあたる奴が感染させた者は全てまとめて俺の配下になると?」


「そうです!」


 ここら一帯のパンデミックの原因はどうやら俺だったようだ。そして、さらに言うと俺は抵抗もしていない配下を殺戮して回ってたらしい。


 その他にも紫月ちゃんからの情報でかなりの事が明らかになる。



 俺の意識が無くなる直後聞こえた音は、俺が自ら近づいてくる敵に発砲した音だった。どうやら、俺はその時から銃を所持していたらしい。いよいよ、一般人の線が薄くなったな。

 それから俺と紫月ちゃんがどのように動いたのかは、頑なに話そうとしない。言いたくないのなら別に良いか。無理矢理、吐き出させるような話題でもない。そう考えた。



 追撃するように情報が開示される。どうやら、紫月ちゃんは殺し屋らしい。うん、現実離れしすぎだよね。

 脳の処理能力が追い付いてないよ。彼女は仕事中、俺に命を助けられたらしい。それからストーカー化したと……



 全く記憶にございません! って、まず殺し屋を助けた俺の立場が相当ヤバイよな。普通に考えて同等か、それ以上。


 どう甘く見積もっても俺の記憶は大きく改変している。人生の大半が別物になっている。その理由は分からない。肝心な所が謎のままなのだ。




 そして、俺がゾンビに襲われた理由。これは、単純に俺の配下ではないゾンビに襲われたらしい。敵対関係にある者がいると。


 これは面倒だな。と、嘆息する。



「どうです! 面白いでしょ!」


 この子は何を血迷っているのか。ただひたすらに面倒だろ。


「俺はどうやら、本来の自分とかけ離れているらしい。だから、そうは思わないな。以前の自分がどんなものだったのか想像もつかないけど。それは徐々に記憶を取り戻せばいいし」


 紫月ちゃんからの情報を総合してみると、俺はどうやら記憶が書き換えられているようだった。結論は、結局のところそれだった。それ以外に何も言えなかった。


 一体どんな大規模な組織の陰謀なのか。なんて、頭の悪い事を考える。


「かんなちゃんは今までの話は理解できた?」


「うん、ぜんぶわかったよ!」


 やはり、天才なのは疑いようがなさそうだ。虚言ではなく、全て理解できているのだろう。


「じゃあ、ゾンビになる?」


 端から聞くと馬鹿馬鹿しくなるほど、頭の弱い発言。俺がゾンビ化させると生前の知識や、意識などを保ったままになる。

 

 俺から感染度が離れるほど人間性が欠けるらしい。


 ならば、俺が感染されるのがベストだろう。


「……うん、そうする!」


 かんなちゃんは少し悩んでからそう言った。何らかの葛藤があったのだろう。意識はあろうとも、人でなくなる恐怖。そんなものが。


「そうか……」


 俺はゆっくりとかんなちゃんの首筋に噛みついた。かんなちゃんの口から生々しい吐息が漏れる。


 あれ、なんとなく犯罪の匂いが……


 直接的に肌を傷つけ、そこに唾液を流し込む。とりあえず、これで晴れて皆ゾンビになったのであった──



 さらに込み入った、時間の掛かるこれからの話は、これからしよう。

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